13話 安心
朝の鐘が鳴る少し前、いつもの教室に入る。
一番後ろの端の机にヴァッセルはいつものように先に座っていた。僕はその隣に自然と座り授業の始まりを待つ。最初の日だけ僕から話しかけはしたが、それ以降は特に話したことは無かった。たまたま席が毎回近い、顔見知りみたいな、そんな距離感だ。しかし、昨日のこともあったのか今日の彼女は少し違った。
「おはよう。今日はちょっと遅いじゃない」
「おはよう。今日も早いね」
「まあね。私のおかげでその席空いてるんだから感謝してよね」
「それは自分への皮肉なのか」
そうして二人でくすっと笑った。珍しく彼女から話し掛けに来てくれたんだ。昨日までより、彼女の目尻の力がほんの少し抜けている。この空気を絶やさないためにも僕も会話を続けようと試みる。
「ねえ、ヴァッセルさんはバイトとかしてるの?」
「してないわ。これでもヴァッセル家は辺境伯の爵位を授かっているのよ。仕送りも多すぎるくらいだわ」
なんだ。ただのすげー人じゃん。ちなみに僕は王室からわりとたんまりお金はもらったので暮らしに不自由はない。さすがに卒業までは持つと思っている。
「アッシュダウン先生よりも高いんだね」
「先生はいずれ侯爵、いえもっと上の爵位を授かるはずだわ。今は年齢も若いから貴族達の反感を買わないために伯爵で止めているという噂よ」
「へえ。みんなすごいね」
「あなたも騎士団に入れば、功績をあげて貴族になれるんじゃない?」
「さぁどうだろ。あんまり興味もないしね」
「そ、無欲なのね」
「そうでもないよ」
爵位をもらったところで領地運営とかめんどくさそうだしね。
「それとちょっと気になったのだけど、もう私たちは友達なのだし私のことは『エル』と呼んでいいわよ」
別に呼び方にこだわりはないんだけど、わざわざ彼女の方から提案してきたのだからそう呼んでほしいということだろう。
「分かった。じゃあこれからはエルと呼ぶことにするよ」
「ええ。構わないわ」
彼女は小さく頷いて、いつもの無表情より薄い微笑の端を見せる。
「ところで、あなたは?私は、何て呼べばいいの」
「特にこだわりはないんだけどなぁ。んーじゃあケーラで」
「なんであなたは名字の方で呼ばせるのよ」
「いや、無知ゆえにいろいろミスってしまってね…。実は『クラシキ』が名字で『ケーラ』が名前で逆になってしまってるんだ」
「ほんとう?」
「うん」
「そ、じゃあケーラと呼ぶことにするわ」
そこで鐘が鳴り、先生が入ってくる。
講義が始まると、僕は相変わらず小声でエルに質問を投げかけた。
そして放課後。
魔獣図鑑でも見てこの世界の生態系を学ぼうと思って図書室へ行くことにした。
ちなみに、一人で勉強するつもりだったのだが、エルもちょうど勉強するつもりだったらしくて一緒にすることになった。
「私はこの人体構造学の本を借りようかしら。魔法を使うにしても人体への理解が自身の強さに直結することをケーラから思い知らされたから」
「はは、間違いないと思うよ」
「ええ。あなたは何を借りるの?」
「魔獣がたくさん載っている本はないかな?」
「それなら二列奥、赤い背の二段目くらいで見た気がするわ。見てみましょ」
指示どおりに歩いたところで黒い外套が目に入る。
「あら、二人とも」
高くて可愛らしい声。テレサ・アッシュダウン先生だ。
「奇遇ですね、先生」
「奇遇?へぇ。本来なら必然であるべきだったんじゃない?」
僕は肩をすくめる。
「この世に百パーセントはありえませんよ。そう、今まで会えなかったのも運が悪かっただけなんです」
口角は上がっているが目が笑っていない。完全にふざけすぎた。
「よぉく分かったわ。二人とも今すぐ研究室へ来なさい」
そして彼女は背を向けて歩き出した。逃げたら死ぬこと間違いないだろう。
「なんでケーラはそこでふざけるのよ!」
「いやごめん。完全にやらかした」
エルから緊張がとても伝わってくる。僕たちは無言でアッシュダウンについていくしかなかった。
研究室に来た。長机の向こうにアッシュダウン、こちら側のソファに僕とエルが並ぶ。
「さて」
アッシュダウンが両手を組む。
アッシュダウンが口を開こうかというとき、エルが急に立ち上がった。
「先生!まずは謝らせてください。私は間違っていました。平民を理由に彼を傷つけていい道理など無かったことを今になって反省しております。先生にも迷惑をかけたことを自覚しました。それで…情けないことに私は合わせる顔がないと思い、足が動かず伺えませんでした。大変申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる。
アッシュダウンは呼吸を整え、ゆっくり頷いた。
「しっかりと反省できたのね。なら私から言うことはありません。反省は次に活かしてちょうだいね」
「はい…。ありがとうございます」
エルはかみしめるようにアッシュダウンの言葉を受け入れる。
「それで、あなたは何か言うことはないの?」
逃げ道のない、優しい圧。僕は正直にあっさり言うことにした。
「先生が落ち着いていると分かったときに伺おうと思ってました。結果的に遅れて、すみません」
「そう言って、一生来ないつもりだったんじゃないの?」
「それはないです」
「じゃあ、私のスケジュールを確認しようとはしたのかしら」
「していません」
「そういうところが問題だって言ってるのよ。私はあなたたちのことをいち生徒として大切に思っているわ。目の前で決闘なんてして私がどれだけ心配したと思ってるのよ。普通、結末を説明する義務があるんじゃないの?あなたたちには責任感ってのがまるでないわ」
両者「はい」と頷くしかなかった。
「真面目に生きろとは言わないけど、人の気持ちを分かる大人になってちょうだいね」
「努力します」
「はい、すみませんでした」
しかしクラシキ・ケーラだけは全く心に響いていなかった。反省の様子を見せるだけで、変わるつもりなど毛頭ない。自分が間違っていたなどと自覚してしまえば、信念が揺らぎ、情力が弱くなる。それがどんな些細なことであっても情力使いは常に自分が正しいと思ったことだけを選択し、貫き通すしかない。一般的な善悪など度外視で、そこに後悔などあろうはずがないように。『情力使いというのはこういうものなのだ』
そして一瞬の沈黙のあと、アッシュダウンは空気を入れかえるように手を胸の前で叩く。
「はい、この話は終わりっ!そういえばさっき図書室で仲良くしているように見えたけど、何があったの?」
僕たちも肩の力を緩める。
「そりゃあ僕たち、もう友達ですから」
「……え?」
アッシュダウンのまばたきが一回遅れる。エルの方へ視線が滑る。
「本当?」
「はい。友達になりました」
「へぇ不思議なものね。あれだけ対立していたのに。どんな出来事があったの?」
「決闘の条件は『負けた方は勝った方の言うことを何でも一つ聞く』でしたよね。あれを使って、友達になってほしいって頼みました」
アッシュダウンの目が二度、瞬いた。再びエルへ。
「それって本当に友達と呼べるの?エレオノーラさん、クラシキ君にいやなことをされてない?大丈夫かしら?」
「はい。大丈夫ですよ」
それを聞いても彼女の疑念は晴れていなさそうだった。
「そう…?いやなことをされたら素直に先生に言うのよ?」
なんで、僕を信じていないんだよ。
「最初は泣いてたけど、命令すれば最後には承諾してくれましたよ。はっはー」
「ちょっと」
すかさず、エルの肘が僕の脇腹を小突く。エルがむっと眉を寄せた。
「なんでケーラが誤解するようなことを言うのよ」
エルはアッシュダウンに向き直る。
「先生、私は大丈夫ですよ。嫌なことはされていません。むしろ、支えてもらいました。これからは友達として、関わっていきたいと思っています」
アッシュダウンは二人の顔を見比べてから頬が、ふっと緩む。肩に入っていた硬さが、ほどけた。
「……その様子なら本当に大丈夫そうね。よかった…。」
「もっと僕を信用してくださいよ」
「どの口が言ってんのよっ!また怒るわよっ!」
僕は顎を引き、ばつの悪そうな顔をする。
「……それで、話は以上だけど、何か私に話しておくことはあるかしら?今なら勉強も見てあげられるけど」
「いいんですか……?ちょうど今、魔力回路の成長と負担の限界について分からないことがあって…」
「いいわよ。良い資料があるから出すわねっ」
アッシュダウンが綴じ資料を机に広げる。僕はそこで腰を浮かせた。
「どこにいくの?」
「まぁ僕は聞きたいことは特にないからいいかな。帰ります」
エルに手首を掴まれる。
「いいわけないでしょ。あなたこそ見てもらうべきなんじゃない?」
触れられた。彼女の手の温もりが実際の温度よりも高く僕に伝わる。
これは彼女にとっての当たり前の行動なのだ。彼女も長く一人でいたから人との距離感が分かっていないだけなんだ。彼女はこれから普通の生活に戻していかないといけないし、気を遣われてもめんどうだ。どうやら今は僕に嫌悪感を持っていないらしいが、きっと将来的に普通を知れば僕に落胆することになる。あまり依存させないようにしないと。それに僕自身も不信感で不健康になってしまう。
「ほら。早く座って」
「じゃあ聞いとくだけ聞いておこうかなー」
僕は手を離してもらうためにも素直に座り直した。
二時間ほどの勉強会は、濃かった。アッシュダウンの説明は、やはり恐ろしく無駄がない。彼女の白紙に落ちていく図は、分かりやすく美しい。エルは真剣に食らいつき、僕は基礎からまったくなのでほぼ無言で聞き流していた。
合間合間の談笑は、気づけば僕への愚痴に収束していった。それはもう言いたい放題だ。「てきとうなこと言いすぎて何も信じれない」だとか「ストーカーしてきてひどいことをたくさん言われた」「それは最低ねっ!クラシキ君謝りなさいっ!」だとか。彼女らも別に悪意はなく言っているのだろう。しかし、今日のことで二人から完全にいじられキャラ認定された気がする。
そして一段落し、アッシュダウンがペンを置く。
「今日はここまでにしましょう」
「そうですね。ありがとうございました、先生」
エルが深く頭を下げる。僕もつられて頭を下げた。
「助かりました」
「いいのよ。可愛い生徒のためだもの」
アッシュダウンが椅子を引く。僕らも立ち上がり、書類をまとめ、挨拶をしようとしたとき、彼女がエルに向き直る。
「エレオノーラさん。勉強で分からないところがあれば、また来ていいからね。私の手が空いていれば、になるけれど」
「本当に、ありがとうございます」
エルはかみしめるようにお礼をする
しかしアッシュダウンは、それで終わらせなかった。そっと一歩近づき、エルの手を両手で包んだ。
「それから辛くなったときは、いつでも相談してちょうだい。きっと、何とかして見せるわ」
エルも今となっては学園では悪い方で噂が絶えない存在だ。彼女が学園でいじめられていることもアッシュダウンは知っていたのだろう。僕にしたように彼女にも平等に優しさを向ける。彼女にとって苦しんでいる人に手を差し伸べることは当たり前なのだ。教師としては最高の人格だと思う。だからこそ、もやもやする。そこにどれだけの自我があるのかが分からない。
エルは一瞬だけ視線を落とし、顔を上げた。
意地っ張りな笑みを、少しだけ柔らかくして。
「私にはもう、友達がいますから。きっと大丈夫だと思います。……でも、ちょっと頼りないから、どうしようもない状況になったら相談させてください」
そうしてアッシュダウンは僕の方をちらりと見てすぐにエルへと視線を戻す。
「そうね。話ができる友達がいるなら、安心ね」
アッシュダウンは手を離し、ふっと笑った。まるでこちらまで安堵させるような、母性的な優しい笑顔。
「では、失礼します」
「ありがとうございました」
「ええ、二人とも気を付けて帰ってね」
別れの挨拶を交わし、僕とエルは研究室を出る。外は既に日が落ちていて、もうすぐ闇に沈みそうな時間だった。
結局、最初の目的だった魔獣の勉強はできなかったけど、こんな日も悪くないだろう。きっと数年後、数十年後、今日という日を思い出して笑えるときが来る、そう思うだけで価値のある時間だったと僕は確信している。




