12話 アイスクリーム
午後の剣術の訓練が終わると、日がほんの少し傾きはじめていた。
僕は学園の出口近くの門で待ち合わせしていた。
ヴァッセルが小走りで近づいてくる。
「ごめんなさい。待ったかしら」
「いや、全然大丈夫だよ。じゃ、行こうか」
「ええ」
エレオノーラ・ヴァッセルは短くうなずいた。
学園の門を出る。王都の通りは、音で満ちていた。車輪の軋み、露店の呼び声、遠くの鐘、犬の吠え声、どこかの店から漂う油の匂いと焼いた肉の香り。人の群れはピークを過ぎているのにも関わらず、まだまだ多かった。
別に王都を散策することは初めてではない。十二で森を出て、王都を見つけた日から何度か情報収集に来ている。でも、あの頃の僕には金がなかったし、格好もひどかった。破れた靴、膝の抜けたズボン、泥が乾いた袖。話しかけても、無視か罵倒だけで誰も聞いてくれなかったから早々にスラムに移り住んだ。まったく、階級社会とは怖いものだ。
「ヴァッセルさんは、王都についてどれくらい知ってるの?」
「そうね…父の公務に付き添った帰りに、使用人と少し歩いたくらいかしら。学園に入ってからも必要なものを買いに来るくらいで、あまり詳しくはないわ」
「なるほど。じゃあてきとうに人の流れについていって、気になる店があれば見てみようか」
「分かったわ」
「え!武器屋ってほんとにあるんだ!」
「武器がないと冒険者が困るでしょ」
「冒険者かぁ…実は学園に入る前に一度なりたいと思ってたんだよね。年齢的になれなかったけど」
「へえ。似合ってるんじゃない?」
「だよね!卒業したら冒険者になろうと思ってるんだ」
「え、騎士団に入らないの?学園からなら出世もしやすいわ」
「ならないかな。自由でいたいし」
「そ、せっかくそこまで強くなったのに楽観的なのね」
そんな会話をしながら、道に沿って歩いていく。しばらくして、露店が密集している場所に行き着いた。アクセサリーに食べ物、日用品などいろいろなものが売っており、あちこち僕の興味をひく。
と、そこでとりわけ目を引くものがあった。
「アイスクリーム……?」
木の看板に描かれた雪の結晶とアイスクリームの文字。それから白い壺、銀の小さなヘラ。店先に、白色の山が、金属の箱の中でつるんと盛り上がっている。布の屋根の下には僕と年が近いであろう、若い少女が笑っていた。
「どうしたの?」
「あぁいや、気にしないで。結構一般的なものなの?」
「知らないわ。私も食にこだわりがある方ではないから。でも、ちょっと前まで耳にしたことは無かったし最近できたんじゃないの」
「へぇ。食べてみてもいいかな」
「好きにすれば」
そうして僕たちは屋台の前へと向かう。いざ注文しようと思ったところであることに気づく。
「あ、ヴァッセルさんはどうする?」
「私はいらないわ」
「そ、すみません。アイスクリーム一つください」
「アイスクリーム一つですね!今冷やすのでちょっと待ってください」
そういうと少女は詠唱を始めた。たしかに箱の中のアイスクリームは溶けかけている。僕がアイスクリームがあることを驚いたのは、この世界に冷凍方法が科学技術としてまだないからである。思えば、この世界の文明レベルは地球を基準に考えればチグハグだ。科学技術は進歩していないのに全て魔法の技術で補完できている。そんな考え事をしていると詠唱は終わっていて、アイスクリームはほどよい固さになっていた。
「魔法で冷やし続けてるんですか?」
「そうですね。私には氷魔法しか適性がないですから。このような商売でしか家族を食べさせられないんです」
「へぇ。美味しかったらまた食べにきますね」
なんか急に同情を誘ってきたな。ルミナリア学園の制服だし僕を貴族と勘違いしているのかな。まぁそれだけ彼女も必死なんだろうし別に卑しいなんては思わないけど。
「ありがとうございます!きっと満足していただけると思います!初めてなので少しサービスしておきますね!」
そうして少女が手早く大きなスプーンのようなものを動かし、白いアイスを長方形の紙の器に盛る。受け取ると、指先にひんやりが移る。僕は支払い用の小袋から硬貨を出して彼女に渡した。
「ありがとうございますー」
「ありがとうございました!また来てください!」
アイスを無事買えたところで僕たちは通りを少し戻り、大通りを曲がり、人通りがあまり多くない横幅のある白い石階段に腰を下ろす。
スプーンは……ない。どうやって食べるんだろう。普通に紙を剥がしてかじりつけばいいのかな。アイスに口をつけると冷たく甘い。ミルクの風味が鼻を通り抜けた。
「んーなかなかミルキーで美味しい」
僕は独り言みたいに、つぶやく。
「ずいぶん美味しそうに食べるのね」
エレオノーラが隣で、横顔だけ少し僕の方に向けた。目は器ではなく、僕の口元を見ている。なんだ、その観察。ちょっと恥ずかしいな。
「まぁね。ヴァッセルさんも一口いる?」
「大丈夫よ。でも……私も食べたことはないから少し気になるわね。買っておくべきだったかしら」
「じゃああげるよ。こっち側、まだ口つけてないから食べて」
器の反対側を指さす。彼女は紙の器と僕の指の距離を見比べ、それから眉をほんの少し寄せた。
「どのように食べたらいいのかしら」
「魔法で氷のスプーンとか作れるんじゃない?」
「戦闘にしか使ったことがないから、そこまで精度よく生成できる気がしないわ」
「そうなんだ。じゃあ適当に氷の塊、作ってみてよ」
「なにをするの?」
「いいからいいから」
ヴァッセルは小さく息を吸い、短い詠唱を落とす。掌の上に、球状の氷が作られていく。
「これでいいのかしら」
「うん。それ、貸して」
受け取ると、掌が痺れるみたいに冷たい。僕は視線を氷に落とし、呼吸をほんの少しだけ深くする。魔力を混ぜた情力で刃を作り、層を薄く削いでいく。
すると氷の球の縁から、薄い欠片が花びらみたいに剥がれていき、スプーンの形の氷ができた。
「はい」
差し出すと、エレオノーラは目を瞬かせた。
「……何をしたの」
「天才的な握力で氷をスプーンの形に砕いたんだ」
「あなたの話、何がほんとで何が嘘なのか分かんないのよ」
「大丈夫、いつか分かるようになるさ」
彼女はためらいがちに氷のスプーンを取り、器の反対側を掬って口に運ぶ。舌に乗せる前に、一瞬だけ呼吸が止まる。氷のスプーンが唇に触れて、小さな音が鳴った。
「……甘くて、おいしいわね」
感想は簡潔。でも声はほんの少しだけ柔らかく、気持ち、微笑んでいるように見えた。
「それは良かった。……ついでにスプーンは僕もいただいたよ。それからアイスが溶けかけてきてるから冷やせるかな?」
「あなたってほんと……いえなんでもないわ」
そういうと彼女は詠唱してアイスを冷やしてくれた。
二口目を差し出し、三口目も勧めると、彼女は「もう大丈夫」と自制するように首を振った。そのまま無言で僕はアイスを食べ進め、あっという間に食べ終わってしまった。
陽は傾き、影が長く伸び始めている。
器の底を見ながら、僕は口を開いた。
「ヴァッセルさんは、僕のことが嫌いかな?」
「……嫌いとか、そういうのじゃない。ただ、私があなたにしたことを思うと……罪悪感で押しつぶされそうになる」
「……僕は悪意が嫌いでね。盗まれるとか暴力を受けているよりも、『こいつは傷つけても大丈夫だろ』っていう気持ちが、心底許せないんだ。間違っていると分かっているのに、なぜ間違いを犯すのか、不思議でならない」
「ええ。そうね。正論だと思うわ。だからこそ、あなたは私を恨む権利がある」
「でもヴァッセルさんは、あの日、僕と同じ存在になった。泣いて、悔いて、反省して……。たった一人、僕と痛みを共有できる相手になった。たぶん、それはヴァッセルさんにとっても同じだろう。だから僕は、そんなヴァッセルさんに惹かれたんだ。同じ痛みを知る人間なら、お互いに優しくできるんじゃないかなって」
「だとしても、私があなたを傷つけたことは変わらない。あなたは私を許せるの?」
「許せるよ」
即答した僕を、彼女はまっすぐに見た。
「……なんでよ」
「気持ちが変われば、人間は変わる。ヴァッセルさんは、何か罰を望んでるようだけど、罰ってのは、それが悪い行いだということを本人や周囲に知らせるための行為だ。なら、反省して改められた時点で必要なくなるんじゃないかと思うんだ。……それに、痛いのは嫌いだし、僕は不幸がゼロで、幸福が最大になるような世界を作りたい。ましてや被害者は僕だ。ヴァッセルさんを許せるのは、ヴァッセルさん自身じゃなくて、僕であるべきだろ?」
言い終えて、視線を横へ滑らせる。ヴァッセルの目から、ぽろ、ぽろ、と涙が落ちていた。石の階段に、透明な丸い点が増える。彼女は口を結んだまま、肩だけが小さく震えている。
「あ、いや。あくまでこれは僕の考えであって、ヴァッセルさんや他の人に強制したいわけじゃないよ。関係者間で折り合いをつけるための主張、みたいな」
言いつつも、涙が止まる気配はない。ただ、静かに、止め方を忘れてしまった蛇口みたいに、涙を垂らし続ける。
「そうだな…それでも自分を許せないというなら気が済むまで僕に、友達として尽くしてよ。楽しいという感情は利益だ。一緒に楽しい思い出を作ろう。……それに、ヴァッセルさんに勉強を教えてもらわないと僕も困るんだよね」
「馬鹿ね……最後のが本音でしょ……ほんとに……ばか……」
涙声のまま言って、彼女は笑った。しかし、笑顔はすぐに崩れ急に顔をくしゃくしゃにして、咽び声を上げて泣き始めた。大粒の涙が頬を伝い、顎で二つに分かれて、石段に落ちる。小さな嗚咽が胸のどこかを引っかき、呼吸の合間に涙がまた溢れる。
「はは、否定はしないよ」
僕はポケットからハンカチを取り出す。前に渡したやつはもう無いから、これは新しいハンカチだ。
ヴァッセルは受け取り、目元を押さえる。
しばらくして、泣き疲れたみたいに呼吸が落ち着く。僕は無言のまま前を見続けていた。彼女は深く息を吸い、吐いてから、ハンカチを畳んだ。
「ねえ、友達って、なんだと思う?」
「さあ。一人ぼっちの僕たちが知りえるものじゃないだろ」
「ええ。たしかにね」
「でも、もしここで新しく定義するとすれば、ヴァッセルさんと僕の関わり合い全てを友達と呼ぶことにしようかな」
「すごい曖昧なのね」
「アイスでいえば曖昧な状態が一番の食べごろだよ。凍らせすぎれば固くて食べれないし、溶かしすぎれば輪郭を失ってしまうからね」
「なんか上手いこと言ったって顔してる」
ヴァッセルは、くす、と笑った。
少し間をおいて、彼女は姿勢を正した。膝の上にきちんと手を置き、こちらを見る。
「クラシキ・ケーラ。私、あなたのことをもっと知りたいと思った。仲良くなりたいと思った。改めて、私と友達になってくれないかしら?」
「うん。改めてよろしくね」
僕がイケメンなら「もう既に友達だろ」なんて言っていただろうが、ここは自重して会話を合わせる。
持っていたスプーンもほとんど溶けてしまった。たぶんこれが友情というやつなのだろう。胸の中が少し熱くなった。
「これからどうする?もう今日は帰る?」
僕はこのなんとも言えない空気から抜け出すために話題を切り替える
「どっちでもいいわ。あなたが決めてちょうだい」
「じゃあ、もうちょっとだけ見て帰ろうか」
「ええ、付いていくわ」
僕は立ち上がって、紙の器を近くの屑籠に捨てる。階段の上、空が少しだけ黄金色を混ぜ始めている。
並んで歩き出す。露店に灯りがともり、香草の束が陰を濃くする。楽器屋の前で誰かが弦を弾き、果物屋には黄色い果実が積まれ、子どもが背伸びして指を差す。
アイスクリームは見つかった。探せば甘口カレーに似たものもきっとあるだろう。また時間があるときにでも王都を散策しに来よう。
「何を考えているの?」
「いや、世界を甘口にできないかなって」
「また意味の分からないことを」
「哲学だから」
「冗談以外を言うことはあるのかしら」
通りの先、夜のはじまりが、薄く広がっていく。食べて、見て、聞いて、王都を歩き疲れた頃、僕らは学園の寮へと帰った。




