11話 罪障
翌日。午前の魔力基礎の授業。
長机が横に並ぶ教室に、僕は早めに入った。
ヴァッセルは一番後ろ、端の机に既に座っており、僕はその隣に腰を下ろす。
「隣座ってもいいかな?」
「好きにして」
「ありがとう」
「それにしても来るの早いね」
「前も後ろも人がいたら授業どころではないもの」
「はは、分かりみが深い」
授業が始まると先生の話の合間を縫って、小声で彼女に囁く。
「ねえ、さっき先生が言ってた魔獣って何?魔獣と動物って何が違うの?」
「あなたそんなことも知らないで生きてきたの?」
「はは、ちょっと常識には疎くて…」
「はぁ。疎いなんてレベルじゃないわ…魔獣ってのは読んで字のごとく魔力を持った獣のことよ。魔獣は動物と比べて凶暴かつ身体能力が高い。基本何か強い魔法がないと勝ち目はないわ」
「へぇ。魔獣は魔法を使うの?」
「使う魔獣もいる」
「それって、魔獣も詠唱するってこと?」
「いろいろね。吠えたり何かしらのポーズをしたりと魔法を発動する際はアクションを起こしているわ」
「へぇ、ってか動物には魔力がないの?」
「ないわ。魔力があるのは神に祝福された人間と人間から奪い取った魔獣と魔物、騙し取った魔族だけよ」
「すごいなぁ。知らないことがいっぱいだ。神ってなに?どういう神話?魔族っていうのもいるの?」
「……はぁ。少し静かにしててくれるかしら」
いやーもはやこのために友達になったと言っても過言ではないし、ほんと助かるなぁ。常識すぎるものは当たり前のように書かれてるから探しても見つかりにくいんだよ。
彼女は呆れた息を吐きながらも、僕の問いに答えてくれる。そうしてこの後も小声のやり取りは何度も続いた。
昼休みは、彼女についていって校舎裏のベンチに座った。
僕と彼女はパンを齧った。それにしても、彼女、食べるの遅いな。
ベンチの木が陽に温まって、背に柔らかい熱が伝わる。
「そんなもので足りるの?」
「むしろあなたこそ。男の子なんだしもっと食べた方がいいわ。身長伸びないよ」
「うるさい。食事にはこだわらないようにしてるんだ」
彼女はパンを見つめながら言葉をこぼす。
「……食事が喉を通らない。味が、しないの」
たしかに、頬の線が少し鋭くなった。制服の肩の落ち方も、前よりわずかに深い気がする。
僕は前世を思い出した。
僕も同じようなことあったなあ。餓死寸前までいって、さすがにやばいと思って食べた甘口のカレーがとても美味しく感じて、そこからずっと家では全ての食事が甘口のカレーになったんだよな。気づけば味覚は戻っていた。
あ、久しぶりにカレー食べたくなってきた。この世界にカレーってあるのかな。
じゃなくて、こういうとき正直どうしてあげたらいいのか分からない。僕だって頼れる人なんて誰もいなかったから、気合いで治したとしか言えないし、そもそも人に頼ることが正解だとは思っていない。
「それは大変だ。早く治るといいね」
「ええ、そうね」
結局僕にはこんなありきたりな返事しかできなかった。もっと背が高くてイケメンなら恋のパワーで救えたのかもしれないけど、僕にはしたくても似合わない。
そこからはまた沈黙が続いた。彼女はパンをちぎり、口へ運ぶ。喉が細く上下するのが見えた。
そんな日々が、一週間ほど続いた。
午前は座学授業で僕が小声でしつこく質問して、小言をもらい、昼はベンチで言葉少なにパンを齧る。午後は剣術で、魔法なしの打ち合いと修正。
その日、一限目と二限目の間の移動休憩の時間。
彼女は珍しく慌てたように席を立った。普段、席を離れる時は荷物をすべて持って動く彼女が、机に鞄を残したままどこかへ行くなんて珍しい。僕は机に突っ伏して寝たふりをしていた。
周囲のざわめきに集中し、拾える情報がないか聞いていたけど…同じ剣術クラスの女子がこちらに向かっている足音がする。彼女からは不自然に足音と呼吸に緊張が見られる。何か怪しいな。僕は顔を少し上げてばれないように彼女の方を見る。
そして、彼女は通りすがりを装いながら、ヴァッセルの机に置かれた筆記具入れに自然と指先を伸ばす。これは盗もうとしているということだろう。手慣れている。初めてではなく、同じようなことを何度かしてきてそうだ。
僕は自分のノートを彼女の手と筆記具入れの間に差し込む。彼女は僕のノートに阻まれて手が止まった。僕を睨んでくる。
「なに、急に」
「こっちのセリフですよ。何しようとしてたんですか」
「借りようとしただけよ。きもいからこれ、やめてくれるかしら」
彼女は手を上に動かし、ノートの上を通り抜けようとしたが、僕もノートを上にあげて進路を妨害する。
「調子に乗らないでよ、平民が。だいたいあんたもこいつに負けたとき散々言われてたじゃない」
「関係ないですね。今はもう友達ですから」
女子の目の色が微妙に変わる。彼女は肩をすくめ、嘲笑するように口元だけで笑う。
「へー友達、ね。そういえば『決闘の条件は負けた方が勝った方の言うことを何でも一つ聞く』だったわよね。最近ずいぶんと仲が良いみたいじゃない。ヴァッセルをワンちゃんにでもしたのかしらー?負け犬同士、滑稽でお似合いよ」
「犬ならもっと愛想よくても良いんだけどね…」
そのとき走る足音が聞こえてくる。
ヴァッセルが教室の扉から戻ってきた。息が少し上がり、頬に薄い紅が差している。
彼女はヴァッセルを見た一瞬だけ表情を固め、すぐに笑顔を被せ直した。そして手を引っ込めて彼女は何事もなかったように自分の席へ歩いていく。僕もノートを引っ込めて自分の机に置き直した。
ヴァッセルが近づいてくる。
「何があったの?」
「別に。なんでもないよ」
「そう……」
彼女は机に視線を落とし、席に座った。彼女の肩が、ほんの少しだけ下がるのが見えた。息が通ったのだろう。
そして鐘が鳴り、二限目が始まった。
昼休みが始まり、いつものベンチに座る。
彼女はパンをちぎり、口に運ぶが今日は特段に遅い。
沈黙がしばらく続いて、先に口を開いたのは彼女だった。
「……どうして、守ってくれたの?」
どうやらヴァッセルは気付いていたらしい。善意は感じてもらうものであり、押し付けるようなことはしたくないんだけどなぁ。
「何を?」
「私のもの。取られそうになっていたのを、どうして守ったのかって聞いているの」
「ああ。僕は小学校で落とし物係だったんだ。別になりたくてなったわけではないけど、無くなったものを見つけて本人に返すのが仕事でね。今日は未然に防げたみたいで良かったよ」
「ふざけないで……!」
彼女の声が低くなる。下を向いて表情を隠してしまった。機械的な会話しかしてくれなかった彼女が珍しく感情的になっているようだ。
「うーん。『友達』なら普通こうするかなって思って。もしかして迷惑だったかな?」
「分からないわよ……あなたが何をしたいのか、全く…分からない」
彼女はパンを籠に置き、立ち上がって握る指に力を込め、言葉を押し出すように続ける。
「復讐したいなら、早くしてよ。憎いなら、もっと痛めつけてよ。どうして優しくするの?心を許したところで落とすつもりなの?私はどうしたらいいの?何をしたら許してくれるの?ねえ教えてよ!」
彼女の喉が一度上下し、顔を背けると瞳がほんの少し濡れる。
僕も彼女から視線を外し前に向き直る。
「勘違いだ。僕はあの日、ヴァッセルさんと『友達になる』って約束したはずだ。他意はない。ヴァッセルさんを傷つけるつもりはないし、何かをしてもらいたいわけでもない」
「そういうところが分からないって言ってるの。……だいたい友達って、なによ。意味が分からないわよ」
「……たしかにね。友達ってなんなんだろう。そういえば僕もいたことないから分かんないや」
「また、ふざけたことを…」
そのまま彼女は沈黙してしまった。
困ったな。どうしたものか。彼女が望むならこの関係を終わりにしてもいいんだけど……なんか今の精神状態が不安だし見ておいてあげたい気持ちもある。もちろん彼女がこのようになってしまったことを僕が悪かったなんて思っていないが、予測できていて選択したのも僕だ。少しの責任感があるし、なにより考えを改めて、反省した彼女が不幸のままでは僕の信念が許さない。
風が一枚の落ち葉を運び、砂の上でひらりと転がる。
僕はしばらく空を見て、言った。
「放課後、僕と一緒に王都を見に行ってくれないかな? 」




