第2話「東京散策」
懐かしい景色だ。ここは……。
確か父さんが働いていた場所、皇居のすぐ近くにある建物だったと思う。
そして、目の前にいる父は、まるで俺を置いていくかのように早足で歩いていく。
「待ってよ父さん!そっちに逝かないで」
俺が放った言葉が、俺に背を向けて黙々と歩いていく父に届く気配など微塵もなかった。
父が離れていくにつれ、段々と周りは霧のようなものに包まれ、視界が悪くなっていく。
そして、ついには父の影どころか何も見えなくなってしまった。
何もない世界。
「あれ?これって……」
俺が地面に目をやると、1輪の花が咲いている。
「たんぽぽの、花?」
◇◆◇◆
「起きて、コウくん。起きてったら!」
目が覚めると、そこは綾瀬の膝の上だった。
「大丈夫?コウくんずっとうなされてたんだよ?」
俺は、寝起きの頭で一生懸命に状況を整理する。
まず、今日は同棲を始めて2日目の朝。ここは俺が明後日から通い始める高校の寮だ。
つまり、さっきまでのは悪夢だったらしい。
「よく眠れなかったんでしょ。私なんかに譲らないで、一緒にベッドで寝ればよかったのに」
「いいか、こういう時は男がベッドを譲るのが相場なんだよ。だから気にすんな」
〈かわいいっ!そんなショタボで男らしいセリフ言わないで。気絶しちゃう〉
綾瀬が小さな声で何が言ってるような気がする。しかしまあ、俺には関係ないだろう。
「あの……」
「……?」
「膝枕、やめてもらえないか?」
「やだ」
一瞬で断られてしまった。こうなったら、無理やり降りるしかない。
俺は、タイミングを見計らってソファーから降りて、洗面台へ向かった。
「あっ!もうちょっとだけここで寝てても……」
綾瀬がそう言ったときには、すでに俺はリビングを離れていた。
膝枕なんて恋人同士でやるものだろう?それに、そんなことをしたら俺の心臓が持たないだろう。
冷静を装ってはいるが、一応俺だって健全な男子高校生(14歳)であることに変わりはない。
俺は顔を洗い、簡単な朝食を用意した。昨日は疲れて夕食を食べずに寝てしまったから、腹ペコだ。
おかゆと味噌汁。
孤児院にいたころの定番メニューはこれだった。
「懐かしいね、このセット。何回食べたことやら」
「ああ、昔っからこの2つだったよな」
食事中、そんな他愛もない会話をしていると、綾瀬がある提案をしてきた。
「ねぇ、2人で東京の街を見に行こうよ」
「なんで急に?」
「せっかく都会に来たんだから、街を見てみたいなって思って!ねっ?一緒にいこっ」
この寮があるのは市ヶ谷駅の近くだ。そして、おそらく綾瀬が行きたいのは浅草のあたりだろう。
それくらいなら特に問題はない。
「わかった」
「えっいいの?やったー!東京観光だ!」
◇◆◇◆
朝食を食べ終え寮を出た俺たちは、市ヶ谷駅の1番線ホームからでる中央線に乗り込んだ。
まず最初に向かったのは東京駅だ。
改札を出た瞬間、綾瀬は目を輝かせた、
「わーっ!天井たっか!」
「日本ではトップレベルの建造物だそうだ」
高校に入る前にめちゃくちゃ勉強したのが、こんなところで役に立つとは思わなかったな。
しかし、アメリカに負けてたら、ここらへんは空襲で焼けちゃってたのかもしれない。
そう思うと鳥肌が立つ。
「次は上野の方行こ!」
「ちょ、綾瀬。そんなに急がなくても」
俺は綾瀬に引っ張られ、原敬首相の暗殺現場を通り過ぎて山手線ホームに来た。
「この電車は、上野方面行きです」
車内にアナウンスがかかると同時に、電車は大きく左にカーブした。
「キャッ!」
「大丈夫か?」
転んでしまった綾瀬に手を差し伸べる。
こういうとき、もっと背が高ければ絵になるんだろう。しかし無惨にも、俺は低身長だ。
「う……うん。足捻っちゃっただけだから」
「帰った方がいいんじゃないか?」
「全っ然大丈夫!(え、かわい。天使か?)」
綾瀬から獲物を狩るような視線を感じる。しかも多分気のせいじゃない。
手を握るのはやり過ぎだったか?
どれくらいの距離感で接すればいいのか、いまいちよく分からない。
何はともあれ、俺たちはそれから上野を歩いた。仲見世通りを歩いて浅草寺にも行った。
「次はどこ行こっか。喫茶店とか?」
そう言ってにっこり笑いかける綾瀬の歩き方は、足を引きずっているように見えた。
「いや、今日はもう帰ろう。確か市ヶ谷駅前に薬屋があったはずだから、そこに寄ってから」
「歩き方、やっぱり変だった?」
「ああ。かなり無理してそうだったからな」
綾瀬は残念そうな顔をしつつも、何か文句を言うことはなく、それ以降黙り込んでしまった。
そんな気まずい空気をよそに、上野駅のホームでは今日も煩く放送が鳴り響く。
「4番線、扉が閉まりまーす」
車掌さんの合図とともに、俺たちが乗った電車はゆっくりと動き出した。
しかし、平和な日常というのは、長くは続かないものである。
“それは、俺たちも例外ではない。”
「キャーー!!!」
「殺人鬼がでたぁ!!!」
「前の号車にいるぞ!!!」
出発してから5分くらいが経った地点で、人々の悲鳴が車内を埋め尽くした。
人々は、車両後方部へと流れていく。
(“殺人鬼”が何かは知らんが俺たちも逃げよう!)
俺は出そうとした言葉をそのまま口にしまった。
綾瀬は足を捻っていて、走れるはずがない。
それに、これだけの人が隣の号車に押し寄せているんだから、スペースなんて1ミリもないだろう。
どうやら俺たちは、すでに逃げ遅れてしまったらしい。相当まずい状況な気がする。
そのとき、背後から凍るような気配を感じた。
「おいおい、まだ逃げてねぇ奴いんじゃねぇか」
その声は、まるで人ではないかのように冷酷で、機会的だった。
「綾瀬、ここでじっとしといてくれ」
俺は綾瀬を、扉の横のスペースに隠すように座らせ、“殺人鬼”の方を振り返った。
明らかに殺意マックスな目つきをしている。その両手には、返り血のついた剣が握られていた。
しかし俺は、武術を心得ているわけでもなければ運動が得意でもない。
「お前も死ねぇ!!!」
俺は一瞬で間合いを取られ、相手の刃は首元目掛けて落ちてきた。
こうなったら、もうどうしようもない。
高校に1日も通えてないのに、俺はこのまま死ぬのだろう。そう悟った俺は、すべてを諦めた。
しかし、そのとき……。
「やめろ!!」
何者かが、振りかざされた剣を受け止めた。