第5章 6 ―― 俺はいい ――
第六十三話目。
アカネは?
6
朝、まだ足元に夜の冷たい空気が居残っているなか、アカネが休む部屋の扉をノックしても反応はない。
だからと、無視すれば、またうるさいだろうし。どうするべきか……。
静かな部屋の前で途方に暮れ、頭を掻いていたときである。
通路にランスが現れた。
思いがけない人物が現れ、驚愕してしまう。
「長に聞いた。出て行くのか?」
神妙な面持ちのランスに頷いた。バンジョウから聞いたのなら、事情も把握しているであろう。
「それだけ、鬼が強いってことか?」
気まずそうに顔を背けるランスに問うが、明確な返事はない。ただ、ランスは唇を強く噛み、拳を握り締める。そんな姿からそうだと示していると考えてしまう。
それでいて、街に居座るランスの心境も図れなかった。また理由を聞いてもきっと口論になるか。
「なあランス。お前も一緒に行かないか?」
理由を話せないなら、それでいい。でも街が危険ではないか、とずっと胸の奥が騒いでいる。
だからこそ、ランスにも街を離れてほしかった。
僕の誘いに、一瞬ランスは面喰い、しばらく固まっていると、ふと坊主頭を手で押さえて苦笑した。
「俺はいい」
それまでになく、弱々しい声が届く。
「ユラ、お前は人に優しすぎる。少しは自分本位になるべきだ」
――ユラ。
ランスから自分の名前を久しぶりに呼ばれ、高揚してしまった。
「だけど、俺はいい」
改めて否定するランス。そして向かい合うと、より表情を曇らせる。ややあって、頭に触れていた手を下し、じっと見据えてきた。
「俺はもう怖いんだよ、鬼が」
そこで左手で右手の手首を掴んだ。まるで震えを抑えるように。
「俺は鬼と遭遇するのが怖い。遭遇してもきっと戦えない。剣を振るえない」
昨夜、一戦交えた気迫がランスにはなかったことに愕然としてしまう。
戦士ではなく、普通の人に見えてしまう。
「笑いたければ、笑えばいい」
「笑えるかよ」
豹変しているランスを責めることはできない。こいつの心を折るほどに鬼が強いってことか。
背中を丸めていく姿に口を噤んだ。これ以上聞くべきではない、と察した。
重い空気が漂い出し、気まずくなるなか、横の扉に視線が傾く。
「そうだ、アカネだ。ランス、アカネを見なかったか?」
「アカネ? ああ、一緒にいた女か」
頷くランス。それでも浮かない様子は変わらない。
「知らないか?」
鼻を擦るランスはまた顔を背けた。どこかよそよそしく感じてしまう。
何かを知っている、と感じてしまう。
何も語ろうとしないランスをじっと眺め、自然と無言の圧力をかけてしまった。ずっと睨んでしまう。
ややあって、根負けしたのか、ランスは大きく溜め息をこぼす。
「昨日、花屋で花を買っているのを見かけたけど」
「――花?」
「ああ。誰かに渡そうとしてたんじゃないか」
「でも、この街に知り合いはいないはず」
「だったら誰に? 人に渡すんじゃないなら、自分のためにか?」
「それって、僕らが別れたあとだろ……」
どこに向くべきか逡巡していると、またランスが唇を噛む。その姿をまた睨んでしまう。
まだ何かを知っていそうで。
しばらく睨んでいると、ランスはまた嘆くように額に手を当てる。
「教えてくれっ」
何かを隠していそうなランスに詰め寄る。
「……石碑のところに行くのを見た」
根負けしたランスが弱々しく呟いた。
石碑…… 屋敷跡の次に行った、忘れられたって言っていた?
次の瞬間、床を蹴っていた。
殺風景で、粗雑に見えた林の中の広場。
ここ数年、手が加えられずに荒れた広場の足元に視線が落ちる。
「……これって」
石碑の近くに雑に花が散らかっていた。
その場に咲いた花ではなく、茎が切られ、整えられたと思しき花が散っている。そばには花を束ねていたであろう、白い紙と赤いリボンが散乱し、踏み散らかされたのか、花びらがバラバラになり、土で汚れていた。
……誰かが争った?
争った?




