第5章 4 ―― 鬼の住処 ――
第六十一話目。
肌が痛い。
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一気に空気の質が変わった。
黒く淀んだものが見えるくらいに肌が痛い。
冷たい感触から、これは鬼の気配だ。
「ランス、気づいてんだろ。おい、ラン――」
再び剣を握る手に力を入れてランスを促すのだけど、ランスは座ってうつむいたまま動こうとしない。
完全に戦意を失っている姿に、冷や汗が落ちる。
だが、今はランスには構っていられない。
ランスを背に振り返った。
薄暗い広間に人影はない。それなのに気配は微かにある。気持ちが悪い。
「おい、ランスッ、わかっているんだろ、ランスッ」
声を上げるべきべきではないのだろうけれど、促すのに視線を横に移した。
瞬間、どす黒い影が視界を横切った。
黒いなかに白い光が走る。
「――っ」
まったく気づかなかったけれど、体が反射的に勝手に動いてくれた。右肩を狙っていた光を刃が受け止める。
重いっ。
奥歯を噛みしめた。力を込めなければ、自分の剣ごと肩にめり込みそうだ。
懸命に一撃を払い退けるけれど、影を捉えることはない。
「――っ」
息つく間もなく二撃目が迫る。
今度は反対の右からの閃光。右下から左上に走る光。剣で受けるには間に合わない。無理矢理上体を後ろに反らし、攻撃を避けた。
ギリギリの斬撃に、触れるだけでも身が裂けてしまいそうだ。こいつ、かなりの……。
「ランスッ、手伝ってくれっ」
1人ではまったく歯が立たない。斬撃を避けるだけで精一杯。まだ影すらも捉えられない。
だからこそ、ランスと連携したかった。
こいつとならかなりの相手であっても張り合えるはずなのに、ランスは一向に動こうとせずうつむいたまま。
クソッ。
広間を飛ぶ影を捉えられず、なかば強引に腕を振り払うけれど、空を斬るだけで実態を捉えない。
「クソッ、誰だっ」
まさか、この感じはネグロ?
姿すら捉えられない実力からして、考えられるのは奴ぐらい。
だけど奴以上に肌に張りつく緊張感はそれ以上に禍々しい。
焦りが拍車をかけ、動きを鈍らせていく。気が張り詰めている分、疲労が激しく、気づけば肩で息をしていた。
剣を構え直しながらも、視線を左右に激しく動かす。瞬きすらも許されない状況に、全身が震えていく。
乾燥する喉を潤わそうと唾を呑み込んでしまう。背中に気配が走るのと同時に、冷たい刃物が首に触れる。
視界に刃と剣を握る左手を捉えた気がした。
動けずにいたとき、後ろの者が鼻で笑った。
悔しさに駆られ、手にした剣を逆手に持ち直し、後ろに突き刺す。
だが、刃が何かを貫くことはない。奇妙な感触に振り向うとしたとき、肌に突き刺さった悪寒が消えてくれ、ようやく体が軽くなった。
「今のは?」
自由が戻り、ようやく声が漏れた。
広間には僕とランスしかいない。張り詰めていた気配は消えてくれていた。
ようやくランスは顔を上げる。
「……鬼だよ」
頭を掻きながら嘆くランス。
「鬼って、まだいるのか、この街に?」
街の光景からしてどこか信じられず、口調に棘が混じる。真剣に聞いていたのだけど、不安はランスの嘲笑にはぐらかされる。
「見た目で判断するな。この街は鬼の住処なんだよ」
「鬼の…… 住処? なんだよ、それ」
答えてくれないランスに、僕も頭を掻いてしまう。
「だから言っているだろ。死にたくないのなら、この街を早く出て行くんだな」
「――出て行く?」
「ああ。さっきはきっとその警告だ。今度は命がない。っていうな」
首筋を擦るランス。どこか怯えているけれど、目には力があり、真剣に訴えてくる。
「街を鬼から守る術は?」
「ないさ」
ランスの寂しげな声が木霊した。
警告。




