第5章 3 ―― 傀儡 ――
第六十話目。
動けない。
3
クソッ。このまま戦わないといけないのか。
両手で握り直して刃を向けると、ランスもボロボロの剣をこちらに向けて構える。
……動けない。
少しでも動けば、その隙を突かれるのは明白。無言のまま睨み合いがしばらく続いた。
互いに距離を測ったまま、右に動き動きを伺う。2人が円を描くように。
このままではらちがあかない。
「お前が鬼に負けて剣を奪われた、なんて信じられなかった。しかも、奴はお前を殺した、みたいなことを言いやがった。それが信じられなかったんだ。だから確かめたくて来たんだ」
覚悟をして叫んだ。ランスはしばらく睨むと、
「その鬼の名前を知っているか?」
「ネグロって言っていた」
憎らしい顔が脳裏に浮かばせていると、不意にランスは背を伸ばし、剣を下げた。
「そいつの言ったことは間違いない。俺はそいつに負けて死んだんだ」
剣を眺めて呟くランス。どこか寂しげに。
「ランス、お前は相当強かったじゃないか」
素朴な疑問をこぼすと、ランスはかぶりを振る。
「俺が強い? 笑わせるな。そんなことはない」
弱いって、ボロボロの剣で戦っておいて、弱いってよくそんなことを言えるよ。
嘲笑するランスは、唐突に手にしていた剣を床に捨てた。
甲高い音が響く。
「もう、俺に鬼を狩る資格はない」
弱々しくと、崩れるようにその場に胡坐を組んで座った。
「確かに俺はネグロという鬼に負けた。数か月前だ。この街に鬼がいるという噂が流れ、数人の戦士がここに集まった。そこでこっぴどくやられたんだ」
「じゃあ、そこにロアールもいたのか?」
「ロアール? ああ、いたな、そういうのも。だが、みんな負けていった」
ネグロに負けたという事実は理解できるけれど、引っかかるものがあり、眉をひそめてしまう。
戸惑いの目をぶつけていると、ランスは苦笑した。
「どうして俺が生きているって顔をしてるな」
痛いところを突かれ、口を噤んでしまう。まさに図星だったので。すると、ランスは僕の動揺に頭を掻いた。
「けど、俺だって往生際は悪い。この街を出たネグロを追って、マルチャまで追ったさ。けど、そこでも返り討ちさ。バカらしい」
そこでマルチャは滅んだのか……。
ロアールはマルチャで負けたと言っていた。そうか……。
「それで、俺は逃げたんだよ。俺だけじゃない。そのロアールって奴もな」
そうか。それでロアールはあの谷で鬼のフリを……。
こちらも剣を下し、話に集中した。
「それで、この街に逃げて来たってことなのか?」
「少し違う」
「違う?」
うつむくランスの声は強くなる。
「俺たちはここで負けたんだ」
顔を上げたランスは広間を見渡して呟く。釣られて辺りを見渡し、壁についた血の痕に奥歯を噛んだ。
「だって、これはかなり前の血の痕じゃ……」
「それは元からだ。本当にここで戦いがあったらしい。そして、そこで勝った鬼がここに居座り、それを俺たちが…… でも負けた」
そこでランスは両手で急に顔を覆った。
「本物の鬼を前に勇敢に迫り、命を落とす者、命からがら逃げて生き延びた奴もいるだろう。ロアールか。奴もそうだ。けど、俺はそんな奴を罵倒できない。俺はもっと情けない。鬼の傀儡になったんだからな」
「傀儡?」
「そうだ。俺は逃げることすらできなかった。足が竦んで何もできなかった」
鬼のって、それって……
不穏な憶測が脳裏を駆け巡り、背中に悪寒が走る。
――何か、いるっ。
傀儡……。




