第二部 第三章 13 ―― 殺されるイメージ ――
第百三十六話目。
余裕はない。
13
心配げに見つめるナイルのまっすぐな眼差しが痛い。
私を気遣ってはくれているんでしょうけれど。
「ありがと」
さすがに茶化す余裕はないわ。
正直、体をずっと縛っている空気が重いけれど、立つしかないわね。
ナイルを軽く手でいなすと、外へ出た。
「――っ」
外の地面に足を踏み出したときである。
一気に悪寒が走った。すでにオヤジ様の気迫が辺りを支配している。
揚々と首を擦るオヤジ様の前に立った。そのまま威圧感に呑まれそうなのを堪え、息を吐いた。
やるしかない、と両手を左右に広げ、爪をすべて伸ばした。
「逃げずに来たか」
オヤジも大槍を頭上で大回しすると、刃を私に向けて構える。
逃げる? よく言うわよ。逃げようとすれば、容赦なく背中を斬ってくるくせに。
それにしても、オヤジ様の武器。
「オヤジ様、武器を使うんですね。驚きだわ」
「なに。ワシはお前みたく、俊敏性に長けているわけじゃない。ワシみたく、力を主体に使う者は武器を使う方が力が伝わる。それだけだ。なんだ、時間稼ぎか?」
「んなわけないでしょ」
そんなの利くなんて思ってないわよっ。もうっ。
やるしかない。
いつもより重い足を鼓舞し、地面を蹴った。
オヤジ様までの距離は3メートルほど。でも、それまで気迫が壁となって邪魔をしている。
間合いに入り、右手を大きく振り払った。
が、完全に大槍で流される。
オヤジ様のにやけ顔見えた瞬間、反射的に地面を蹴り、後ろに戻った。息を吐く間もなく、衝撃波が襲い、体が仰け反ってしまう。
一泊置いた後にドンっと、重工音が木々を揺らす。
視線を落とせば、振り落とした大槍の刃が地面にめり込んでいる。
一振りで地面をめり込む一撃。やって――
桁外れの力に嫌気が差していると、刃を抜く動作と同時に踏み込んでくるオヤジ様。瞬きをする間もなく、刃が回転し、振り上げた。
間に合わな――
咄嗟に爪を重ねて受け止めたとき、左肩に激痛が走る。
痛みに歪む頬に、血しぶきが飛び散る。左手の爪が割れ、宙に散る。
「止まるなっ」
オヤジ様の怒号と同時に、今度は腹に痛みが走る。体が一気に後ろに跳んだ。
状況が掴めないでいると、背中に木の幹に当たり、地面に無様に倒れ込んだ。
ほんの一瞬なのに、息が急激に上がってしまう。痛みに左肩に手を触れると、真っ赤な血が滲む。
震えた左手を確認すると、指先も血で汚れており、すべての爪が折れていた。
爪は一泊置けば戻るでしょう。でも肩はダメ。治すのに時間はかかりそう。
それより。
手の震えを堪えながら、オヤジ様を睨んだ。
オヤジ様は右手に持った大槍は、いつの間にか逆に持ち、前に突き出している。
やってくれるわね。
この一瞬で、逆さに持って突いてくるなんて。
私の折れた爪は、オヤジ様の足元に落ちている。それだけの速さが私との差。ってか手を抜かれた。
大槍をそのまま突いていれば、私は一撃で殺されていた。
………。
自分の胸を突かれた想像が頭から離れない。
私だって強い自負はあった。どれだけ強い相手であっても、負けるイメージ、いえ、殺されるイメージはなかった。
オヤジ様の血が自分にも流れている安心もあったのかもしれない。
だから、怖くはなかった。
ただ1人、修羅と戦ったとき以外は。
今、そのときと同じ感覚でおびえている。ううん。オヤジ様の力を知っているからこそ、それ以上の恐怖、威圧感が放たれている。
わかる。
オヤジ様は修羅より強い。
でも、やるしかない。
痛む左肩を押さえつつ、立ち上がる。この肩が治るには時間がいるわね。
「やってくれるわね。可愛い娘を傷物にでもするつもりかしら?」
怯える気持ちを奮起させ、嫌味を飛ばすけれど、オヤジ様は鼻で笑い飛ばされた。
「弟に一生残る傷をつけたじゃじゃ馬が何を言っている」
と、大槍を回して肩に乗せる。
ちらりとナイルを眺めた。本堂のそばで腕を組んでじっと眺めて状況を見守るナイルを。
ナイルは何も答えず、反応もなかった。
口を挟む気もなさそうね。
フウッと息を吐き、左手の爪をまた伸ばした。
せめて、オヤジ様に一矢報わないと。
一撃だけでも……。




