第二部 第二章 10 ―― 信じたい ――
第百二十話目。
ラピスの印象は……。
10
ラピスの昔の話。
牢屋で会ったラピスとかけ離れた存在であったのなら、と不安はあったのだけれど、クバンから話に、肩の荷は軽くなってくれた。
自分の知る優しげなラピスであったために。
自分を責めるクバンであったけれど、僕は頬が緩みそうになる。
「じゃあ、ラピスはそれ以降、レガートに戻ってはいなんですか?」
クバンと別れた後のラピスの所在が知りたくて聞くけれど、クバンは表情を曇らせる。
「タリムとはそれ以降もやり取りをしていた。けれど、タリムの手紙にラピスの名前が嬉しいことで載ることはなかった」
「嬉しいこと?」
「互いに後悔の念として名前が出ることは何度かあったからな」
手にした手紙を揺らしながら、自嘲気味に話すクバン。確かに内容はラピスに対する謝罪めいたものになっていた。
「じゃあ、その娘さんは? あなたの話だと、レガートにいるみたいなんだけれど」
アカネの素朴な疑問に、クバンの手が止まる。
そこで多少ではあるが、表情が緩んでくれた気がした。
「あの子はレガートに残った。町ではタリムの姪、として預かっているとしてな」
「そっか。ちゃんと生きていたんだ、ラピスの娘は」
それまでずっと強張っていたクバンだが、娘のことが話題になると、どこか嬉しそうに見えた。
「あの子は元気に育ってくれたらしい。残念なのは、母親の存在をしっかりと伝えられなかったことだろうな。
さすがに親が鬼だと子供に言うわけにもいかん。例え、血が繋がっていなくても、ラピスは母親だ。事態を理解できるまで成長すれば、すべてを話すつもりでいたのだが……」
どこか雲行きが怪しくなり、眉をひそめてしまうと、クバンは不意に顔を逸らし、窓の外を眺めた。
「あれは5年前だったか。お前たちが言うように、レガートは滅んだ。犯人が鬼かどうかはわからない。ただ、タリムもそのとき……」
「亡くなったんですか?」
聞くべきか逡巡したが、つい聞いてしまうと、黙ってクバンは頷く。
「じゃあ、その娘さんは」
つい声が上擦ってしまう。すると、クバンはかぶりを振る。
「事情を知って、ワシもレガートに行ってみたが、見つからなかった。どれだけ捜してもな」
「じゃあ……」
「どうだろうな。遺体は見つからなかったんじゃ」
「町に娘がいなかったんですか?」
「ああ。生き残った者に聞いても、みな自分のことで精一杯。当然だな。だが、だからこそ、信じたかったんじゃ。あの子が生きているって」
「……生きているって信じる…… か」
おもむろにポケットから小袋を取り出した。
「それは?」
「ラピスから預かったんです。娘に会ったら渡してくれ、と」
小袋をギュッと握り締めた。
これだけは絶対に渡さなければいけない。
小袋を眺めていると、クバンのじっと見つめた視線に気づき、顔を上げた。
真剣なクバンの眼差しとぶつかる。
「まさか、その手紙を再び見ることになるとはな。お前たちに感謝しなければ」
「これって、もしかしてタリムさんに出した最後の手紙なんですか?」
「いや。それはラピスが去ったと知った後に出した手紙だ。タリムが大事に保管しているとは思わなかったよ」
「それで、爺さん。その娘の名前は知ってるのかよ?」
狼狽するクバンに、容赦なく聞いたのはランス。感傷に浸るなかに冷たい問いに、アカネは唇を尖らす。
しかし、ランスは意にも介さず、お手上げとおどけた。
「ったく。やっぱりお前らは年長者を敬うってことを知らん不束者ということか」
「俺には関係ないね」
とクバンの叱咤をものともせず、下唇を尖らせていた。
「――で、その娘さんの名前は?」
話が逸れそうななか、ヒスイがもう一度聞いてみた。クバンは小さく頷く。
「――イリィだ」
「イリィ?」
静かに発せられた名前。
初めて聞く名前なのだけど、胸の奥にズンッと重く圧しかかってきた。
会ったことのない人物なのに、イリィに会わなければ、と覚悟みたいなものが、どこか強くなっていた。
「イリィはどこかで生きている」
胸の奥で込み上げてくるものがあり、息が詰まりそうになっていると、クバンが強く言い切った。
膝の上で両手を強く握って。
クバンの言葉に導かれるように、顔を上げた。
「僕もそう思う。だから、イリィを捜す旅は続けようと思う」
折れかけていた覚悟を、改めて声に出し、気持ちを引き締めた。
娘の名前……。




