第二部 第一章 13 ―― 終わり ――
第百六話目。
体がっ。
13
血が地面に滴り落ちた。
鬼の爪は僕の左耳の辺りを霞めて止まっていた。爪は僕の左腕を貫いた状態で。腕が障害となって止まってくれた。
咄嗟に腕で庇っていた。
致命傷は免れたけれど、体が上手く動いてくれない。
まだ修羅の声が脳裏に残っていて、邪魔をしてくる。
ただ、鬼も次の動きに移らない。
腕に刺さった爪を介し、僕と睨み合う。
ここで一撃を加えなければ、と焦るけれど、体が動いてくれない。
それなのに、意識とは裏腹に左腕に力を込めてしまう。すると、異変に気づいた鬼は、爪を抜こうと腕を引く。
無意識に腕には力を入れたままではあったけれど、やけに苦労する鬼に眉をひそめてしまう。
どこか鬼が焦っているようにも見えた。
こちらが訝しげに睨むなか、もがく鬼。
そこで自分の腕に起きた異変に気づいた。
体を覆っていた黒い靄。
爪が刺さっている左腕の辺りがより濃度を深めていると、次第に爪を介して鬼の指へと延びようとしていた。
鬼としても黒い靄は好ましいものではないのか、靄から逃れようと必死に腕を引き抜こうとする。
爪が刺さる腕は痛いはずなのに、こちらも引く気になれない。
もちろん、僕だって靄が危険なのは理解できる。けれど、そんなのを気にしている場合ではない。
右手の剣を逆手に持ち直す。
この隙を逃すわけにはいかない。
刃をもがく鬼に向けて刺した。
……クソッ。
刃は空を突き抜けるだけ。鬼は捉えていない。
鬼の姿が消えている。
それでも爪は刺さっていた。爪の先を追うと、鬼は靄から逃れようとさらに爪を伸ばして、後ろに下がっていた。
爪はやはり抜けず、無理矢理伸ばしたのは苦渋の判断だったのかもしれない。
距離を測る鬼は、また自身の剣を抜くと、そのまま左手の爪を切り裂いた。
張り詰めた爪が折れたせいか、こちらも反動で体勢を崩し、膝を着いてしまう。
腕には折れた爪が刺さったまま。依然黒いい靄も消えていない。
鬼はまるで痺れをごまかすように左手を小さく振っていた。
なんだろ、また黒い靄が強まっている気がした。
正直、これ以上靄に呑まれるのは怖い。けれど、そんなことを言ってられない。
ゆらゆらと立ち上がり、左腕に刺さっていた爪を抜き、地面に捨てた。
傷口が疼き、より意識を散乱させた。
それでも引けない。
―― 手伝わなくてもいいのかしら?
剣を構え直し、鬼を睨むと、おもむろに鬼は剣を鞘に戻す。
急な行動に首を傾げると、フードで隠れた顔に睨まれている気がした。
やはり全身を襲う悪寒は消えてくれない。
次の行動を警戒していると、鬼は左手の防具をはめ直す。
―― あら、もう終わり?
頭の声が残念がることに怪訝になっていると、瞬きと同時に鬼の姿が忽然と消えた。
「――?」
「……消えた? なんで?」
近くに鬼の気配は消えている。完全にこの場から去ったらしい。
―― ……まったく。やっぱり面白くないわね。
クソッ。何が面白くないだ……。
どこか、鬼が去ったことを残念がる声に、怒りが込み上げてきたときである。
急激に頭痛が襲った。
まるで修羅の声に呼応するような痛みに頭を抑えた瞬間、急激に体が重くなり、その場に倒れた。
「――ユラッ」
遠くで切羽詰まったアカネの声がした気がした。
何が面白くないだっ。




