新たな一歩、仲間とともに
入学を数日後に控えた夕暮れ、私たちは学園の寮に到着した。重厚な木製の扉を開けた瞬間、暖かな木の香りが私の鼻をくすぐる。目の前に広がる部屋は、まるで貴族の客室のような豪華さで、私には少し場違いな気がしてならなかった。
高い天井には優美な模様が彫られ、カーテンから差し込む夕陽が床にオレンジ色の影を落としている。部屋の中央にはふかふかの天蓋付きベッド、磨き上げられた机とアンティーク調のランプ、そして壁際には棚が整然と並んでいる。どこを見ても完璧すぎるほどの特別待遇。私は思わずため息を漏らした。
(……少し、気まずい。)
特別扱いされるのは慣れているはずなのに、なぜかここでは胸の奥がざわつく。でも、右隣にはリリス、左隣にはルナがいる。それだけで、この部屋がほんの少しだけ居心地の良い場所に思えてきた。
壁越しに感じる二人の気配が、不安に揺れる心を静かに支えてくれる。
入学当日の朝
カーテン越しに柔らかな朝陽が差し込み、部屋の空気を温かく染めていた。心地良い静けさを破るように、控えめなノックの音が扉越しに響く。
「アイリス様、起きてはりますか?」
リリスの低く落ち着いた声が聞こえ、私は重い瞼をこすりながらベッドから身を起こした。扉を開けると、そこに立っていた彼女の姿に思わず目を奪われた。
学園の制服姿は、普段のメイド服とはまた違う魅力を引き出していた。リリスのスラリとした体型にぴったりとフィットした制服は、彼女の洗練された美しさを際立たせている。肌の色は少し浅黒く、筋肉質でしなやかな身体が、彼女の動きの一つ一つに躍動感を与え、目が離せなくなるほどだ。
彼女の黒髪は艶やかで、その頭には特徴的な猫耳が立っている。リリス自身は気にしていないようだけど、その耳の動き一つ一つが生き生きとしていて、彼女に愛嬌を添えていた。そして、何よりも目を引くのはその蒼い瞳。深海のような青の奥に、静かな知性と決意が宿っていて、見る者を引き込む。
「リリス、本当に素敵……。」
思わず口をついて出た言葉に、彼女は照れくさそうに眉をひそめた。
「そない褒められても、見慣れないだけですよ。ほら、準備せな間に合いません。」
その真面目な態度がまた、彼女の魅力を引き立てる。リリスは何をしてもそつがないし、どんな場面でも頼りになる。私はそんな彼女を、自慢のメイドだと思わずにはいられなかった。
準備を始めようと腰を上げたその時、隣の部屋からドタバタと音が響いた。続いて勢いよく扉が開き、寝坊したルナが飛び込んできた。
「やっばー!寝坊しちゃった~!」
彼女の制服姿を目にした瞬間、私は言葉を失った。大胆にも彼女なりに「アレンジ」された着こなしは、初日から大きな波紋を呼びそうだった。
スカートは必要最低限の長さしかなく、そこから伸びる脚は雪のように白く、眩しいほど。胸元も大胆に開けられていて、制服本来の清楚なイメージを完全に裏切っている。その整った顔立ちと赤い髪が相まって、どこかお人形のような美しさを漂わせているのに、彼女の無邪気な態度が全てを台無しにしていた。
「ルナ……初日よ?」
呆れながら言う私に、彼女は全く悪びれた様子もなく、笑顔で答える。
「だってさ~、この方が可愛くない?てか、これくらいの方がモテそうだし!」
その自信満々の発言に、リリスが我慢できなくなったらしい。険しい顔でルナに歩み寄ると、無言で胸元のボタンを留め直し始めた。
「お前な、何考えとんねん!そんな格好で学園行けるわけないやろ!」
「え~、別にいいじゃん~。てか、リリっちもやってみたら?こういうの似合うかもよ~!」
「誰がするか!」
二人のやり取りに思わず笑いが込み上げる。ルナの奔放な明るさと、リリスの真面目なツッコミ。その対照的な二人がいるだけで、この空間が一気に生き生きとしたものに変わる。
「二人とも、本当にありがとう。こうして一緒にいると、なんだか安心するわ。」
私が言うと、リリスは少し驚いた顔をしながらも、真剣な表情で頷いた。ルナはいつもの調子で肩をすくめながら笑ってみせる。
「安心していいよー!あたしたちがいる限り、アイリスたん、いや“殿下”はバッチリだよ!」
「そうや。学園では“殿下”で通しましょう。それが一番や。」
私はリリスの提案に頷きながら、二人の顔を見つめた。
リリスはどんな時でも冷静で、私の弱さを補ってくれる存在。彼女の厳しさは信頼の裏返しで、その優しさは誰よりも深い。
ルナは明るく自由奔放で、私が抱え込む重圧を軽くしてくれる。彼女の無邪気さは、周囲の空気を一瞬で変える力を持っている。
この二人が隣にいてくれることが、何よりも私の支えだった。
鏡の前で制服の襟を整える。これが学園での“アルト”の姿になるのだと、少しだけ気持ちが引き締まるのを感じた。
リリスとルナは、手慣れた様子で準備を手伝ってくれる、そんな二人の姿を見て、少しだけ安心した。彼女たちはもう何度も変装の過程を見ているので、特に興味津々というわけではない。ただ、今日は制服姿ということもあり、いつもより少しだけ新鮮な反応を見せてくれる。
「ほな、ブレザー着てみよか。」
リリスが手に取った制服を差し出してくれる。ブレザーをじっと見つめながら、私はそれを受け取った。
「おお、ええ感じやな。ほんま似合うで。」
リリスは私の姿を一瞥し、満足げに頷く。彼女の鋭い目付きには、どこか誇らしげな光が宿っている。
「うわー、めっちゃカッコいいじゃん、殿下!」
ルナはというと、椅子に腰掛けながら軽い口調で言う。けれどその瞳は、私の姿をじっと見つめていて、いつもより少しだけ真剣な表情だった。
「そ、そう?まあ、ありがとう。」
少し照れ臭くなりながら鏡を見つめる。ブレザーに整った襟元、ズボンにきっちりと収まったシルエット。確かに見た目は“アルト”に見える。何度も繰り返してきた変装だけど、こうして制服を着るとまた違う気持ちになる。
「ほんま、殿下やなくて学園の“王子様”になりそうやな。」
リリスが冗談めかして言う。その声には、どこかからかうような響きもあったが、本気で褒めてくれているのが伝わる。
「てかさ、これ絶対モテるよね!学園中の女子が“アルト殿下~!”ってキャーキャー言う未来しか見えない!」
ルナがわざと大げさに手を振り回しながら言う。その無邪気な言葉に、リリスがすかさず突っ込む。
「アホか!護衛役が何調子乗っとんねん!モテとかどうでもええねん!」
「えー、でもさ~、そういうのもちょっと楽しくない?青春って感じ?」
「護衛が青春とか言うな!しっかりせぇや!」
二人のやり取りを聞きながら、思わず笑いが漏れる。この掛け合いを見ているだけで、少しだけ緊張が和らいでいくのを感じた。
最後の仕上げに、フェイスチェンジマスクを顔に付ける。ひんやりとした感触が肌に吸い付き、鏡に映った顔が変わっていく。凛々しく男らしい顔付きへと変わったその姿は、もう誰が見ても“アルト”そのものだった。
「ほんま完璧やな。殿下、これなら誰も疑えへんわ。」
リリスがじっくりと私を観察しながら言う。その口調には確信が滲んでいる。
「だよね!マジでカッコいいわ~!てかもう女子は絶対メロメロだよ、これ!」
ルナは冗談混じりに笑うが、その笑顔には確かに安心感が漂っていた。
髪を後ろでまとめ、男らしく整えた最後に、声を変えるチョーカーを首に装着する。声を試すように小さく発声する。
「あー、あー……うん、大丈夫そう。」
低く落ち着いた声が、まさに兄の声そのものに変わっていた。
ルナが期待の目でこちらを見つめる。リリスは腕を組んで微笑んでいる。そんな二人を見て、私は軽く背筋を伸ばし、気持ちを切り替える。
「そろそろ行きましょう、あ……それじゃあ2人共、行こうか。」
いつもの自分の砕けた言葉を、男らしく引き締めて言い直す。その声には、これから始まる新しい生活への覚悟が込められていた。
リリスが真剣な顔で頷き、ルナは大げさに手を振りながら勢いよく立ち上がる。冷たい朝の空気が窓から差し込み、私たちを包む。これから始まる学園生活――その幕がいよいよ上がろうとしていた。




