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アドラの娘

私はアンジェラ・ヴァン・エクリプス。

ラザフォード王の弟、アドラ・ヴァン・エクリプスの長女として、この広大な魔族領で生まれた。

世間の人々が私をどう見ているかなんて、大体想像がつく。

「幸せな王族」──そんなイメージだろう。

広大な庭園に囲まれた城、美しい装飾の施された部屋、絹で織られたドレス、すべてが揃った生活。

誰もが憧れるような環境にいるのは確かだ。


でも、それが幸せかどうか、私には分からない。


私の母は、ゴルゴーン族の末裔だった。

恐ろしいほどに美しい人だった。

髪は深い黒で、わずかに緑がかった光を放ち、月の光に照らされるたびに、その色はまるで宝石のように輝いた。

母の瞳は深いエメラルドグリーンで、まるで底の見えない湖のようだった。

その瞳に吸い込まれるたび、幼い私は不思議と安心感に包まれた。

膝の上に座り、母の歌声を聞きながら眠りに落ちるのが、私の幼い頃の一番の幸せだった。


けれど、その幸せは突然奪われた。


母は私が五歳の頃、城を去った。

理由は分からない。いや、分からないと言い聞かせているだけだ。

本当は知っているのだ。

母がパパと離婚したことを。


母は城を出るその日、私の部屋に来て小さな鞄を抱えながら言った。

「アンジェラ、あなたはパパとここで幸せに暮らしていける。私は……少し遠くへ行くだけよ。」

その時の母の笑顔が、どうしても忘れられない。

母の瞳は揺れていて、明らかに何かを隠しているようだった。


「どうして?」と問いたかった。

けれど、子ども心にその質問がしてはいけないものだと分かっていたのかもしれない。

「また会えるの?」とだけ聞く私に、母は頷きながら頭を撫でてくれた。

その手の冷たさが妙に心に引っかかり、寂しさと不安が胸をいっぱいにしたのを覚えている。


それ以来、母は一度も城に戻ってこなかった。



母がいなくなった後、城の中は驚くほど静かだった。

風が廊下を通り抜ける音が、まるで嘲笑うように耳をかすめる。

広すぎる城は、ただの箱のように感じられるようになった。

母がいた頃の暖かさはどこにもなく、冷たい石造りの壁が心まで冷やしていく。


パパも変わった。

以前はもっと優しかった気がする。

それが、母がいなくなってからというもの、彼はほとんど仕事に没頭し、私たちと向き合う時間はどんどん減っていった。

弟のルカリオに厳しく接するパパの姿を見るたびに、私は胸が痛んだ。

弟を王にするための「教育」として手を抜かないパパ。

でも、その背中には悲しみが滲んでいる気がしてならなかった。


母がいれば、こんなことにはならなかっただろうか?

もし母が戻ってきてくれて、もしパパが王様だったら、私たちはもっと愛されていたのだろうか?

そんな考えが、頭を何度も何度も巡る。



鏡に映る自分の姿を見るたび、私は母を思い出す。

緑がかった深い黒髪。まるで母の分身のような髪色だ。

そして、エメラルドグリーンの瞳。

それは、母と同じ、ゴルゴーン族の証。


だけど、その血が時々私を怯えさせる。


ゴルゴーン族の血が流れている私は、いずれ何か「特別な力」を目覚めさせるのだろうか。

もしその力が、母が去る原因になったものだったら。

もし私が、パパやルカリオに害を及ぼす存在になるのだとしたら。


恐怖は自分の中に渦巻きながら、私の行動を縛る。

城の人々も、私を遠巻きに見ている気がする。

近寄ってこない理由を口にはしないけれど、その視線の冷たさだけで十分だ。


「幸せ」が何か分からない


城の中は広いけれど、孤独だ。

毎日同じ景色、同じ食事、同じルーティン。

それがどれだけ豪華でも、私の心は満たされない。


もし母がいれば、こんな孤独を感じることもなかったのだろうか。

もしパパがもっと私を見てくれていたら、私の心も今とは違ったのだろうか。


「アンジェラ、あなたは幸せだろう?」


ふと誰かがそんなことを言ったら、私はなんと答えるだろう。

いつもなら笑顔で「ええ、とても幸せです」と答えるだろう。

けれど、その言葉が嘘であることは、自分が一番よく知っている。


母のいなくなった城で過ごす、偽りの「幸せ」。

その中で、私は「自分」という存在を必死に守っている。


でも、もう少しだけでいいから、誰かに寄り添ってほしい。

その願いを胸に抱きながら、私は今日も鏡に映る母譲りの瞳を見つめ続ける。



私が暮らす城は、恐ろしいほどに広い。

廊下はどこまでも続き、その果てに何があるのか分からないほどだ。

壁には先祖代々の肖像画が並び、重厚な額縁に収められた彼らの視線は、私を見下ろすように感じられる。

赤と黒を基調としたタペストリーには、魔族の歴史が織り込まれ、その荘厳な模様が何度目にしても圧迫感を与えてくる。


この城に住む者たちから見れば、それらはきっと誇りなのだろう。

でも、私には違う。

どれほど美しく装飾されていても、この場所は私にとって「牢獄」に等しかった。



私はほとんど城の外に出たことがない。

許されるのは、パパの命令で出かける短い用事だけだ。

あとは、窓越しに見る景色が私の「外の世界」だった。


昼下がり、部屋の高窓から空を見上げると、雲がゆっくりと流れていく。

遠くには果てしなく続く森の木々が見え、その中を一筋の川が銀色に輝きながら曲がりくねっている。

小鳥たちが空を自由に飛び回る姿が目に映るたび、胸が痛んだ。


「私も、あの鳥のように自由に飛べたら……」


そんなことを何度思っただろう。

でも、分かっている。私はアンジェラ・ヴァン・エクリプス。

エクリプスの娘である限り、そんな自由は最初から与えられていない。



私にとって唯一の救いは、弟のルカリオだった。

彼はまだ幼いけれど、無邪気な笑顔を浮かべ、私のそばでよくおしゃべりをしてくれる。

「お姉ちゃん、これ見て!昨日、あの廊下の下に隠れてた猫を見つけたんだ!」

そう言って目を輝かせながら話す彼の姿は、私にとって心の支えだった。


だけど、その笑顔すら曇らせるのがパパだ。


「ルカリオ、お前はエクリプス家の跡を継ぐのだ。

いずれこの領地を背負い、王となる覚悟を持て。」


パパの低く鋭い声が、今でも耳に焼き付いている。

ルカリオはそれに怯えた様子を見せまいと背筋を伸ばしていたが、彼の手が震えているのが分かった。

パパは弟に決して手を上げることはない。

けれど、その目の厳しさと言葉の重さは、彼を追い詰めるのに十分だった。


私はその光景を見るたびに、胸が苦しくなる。

「どうしてそんなに厳しくするの?ルカリオはまだ子どもなのに……」

何度かそう問いかけたこともあるけれど、パパは決して答えなかった。

ただ弟を見つめ、その背中に「跡継ぎ」としての重圧を押し付けるだけだった。


「もし」


パパは私たちをどう思っているのだろう。

私はその答えが知りたかったけれど、同時に知りたくもなかった。

パパにとって、私たちは「家族」ではないのかもしれない。

ただ「後継者」や「駒」としての存在に過ぎないのではないか。


「もし、パパがラザフォード王だったら……」


そんな考えがふと頭をよぎる。

「もしパパが王様だったら、ルカリオにも、私にも、もっと愛情を注いでくれたのかな?」


でも、その答えは永遠に出ない。

ただ心に深い穴が空いていくばかりだった。



広い廊下を歩くたびに、自分がどれだけ「小さな存在」なのかを思い知らされる。

部屋の壁に飾られた先祖の肖像画たちが私を責めるように感じられた。

「お前もエクリプスの血を引いているのだぞ」と、目を細めて言われている気がする。


どれだけ歩いても尽きない廊下。

どれほど華やかでも心を凍らせる装飾。

すべてが私にとって重荷だった。


外に出ることも許されず、この広大な城の中でただ黙って「エクリプス家の娘」を演じる日々。

それが私のすべてだった。


その日も窓から鳥たちが飛び立つのを見つめながら、私はそっと呟いた。

「私も、あの鳥のように自由に飛び立てたらいいのに……」


けれど、その声は誰にも届かない。

広すぎる城に反響し、やがて消えていく音だけが耳に残った。



最近、私はエイラナ学園という場所に通い始めた。

この学園は、魔族領と人間領の境界に位置しており、かつてエルフ族の国――サイ国があった場所に建てられている。

創立者であり学園長を務めるのは、遠い親戚にあたる人物だ。

その縁を利用して、パパは私をこの学園に入学させた。


「アンジェ、お前は学園でアドラ勢力に忠誠を誓う者を集めてこい。それがお前の使命だ。」

パパの言葉は命令だった。

私は頷き、言われた通りにする振りをした。少なくとも、表面上は。


でも、本当のところ、私は何もしていない。

「アドラ勢力?忠誠を誓う人材?」

そんなものに興味はなかった。

ただ、学園生活が少しでも楽しいものになれば――そんなささやかな願いしか持っていなかった。


だが、その願いすらも叶わなかった。



クラスメイトたちは私に近づこうとしない。

彼らの視線はいつも遠巻きで、まるで私が見えない壁で囲まれているかのようだった。

その壁を作ったのは、「アドラの娘」「ヴァンパイア」「エクリプス家の令嬢」という私の肩書きだ。

誰も私自身を見ようとしない。ただ、その肩書きを恐れ、距離を取るだけ。


「アンジェラさんは特別だから。」

そう言われるたびに胸が締め付けられる。

特別なんかじゃない。私はただ、普通に笑って、普通に友達と話したいだけなのに――。


昼休みの食堂。

私は一人で隅の席に座り、弁当箱を開ける。

周囲から聞こえてくる笑い声と談笑が、まるで遠い世界の音のように感じられる。

スプーンを口に運ぶ動作だけが、機械的に繰り返される。味なんてしない。ただ、空腹を満たすために食べているだけだった。


放課後になると、教室はすぐに賑やかさを取り戻す。

友人同士が部活に向かったり、談笑しながら帰宅する姿が目に映る。

でも、その中に私の居場所はない。

私は教室を後にし、誰とも話さずに寮へ戻る。


寮の廊下は静かで、窓越しに見える校庭では生徒たちが楽しそうに笑っている。

その笑顔を見ていると、自分が透明人間になったような気分になる。

どうして私はあの輪の中に入れないのだろう?

どうして私はこんなに一人なのだろう?


そんな問いが頭を巡るたび、胸に小さな棘が刺さるような痛みを感じた。



そんな孤独な日々でも、パパには本当のことを言えなかった。

「学園はどうだ?」

そう尋ねられるたび、私は笑顔を作り、嘘をつく。


「楽しいよ。たくさん友達ができたの。」


パパが安心するから。怒るパパを見るのが怖いから。

私はその嘘を何度も繰り返した。


だけど、その嘘は私を追い詰めていった。

孤独は胸の奥深くに沈み込み、誰にも言えない本音を飲み込むしかなかった。


夜、布団に潜り込むと、枕が静かに涙で濡れる。

「どうして私はこうなんだろう……。」

そんな儚い問いを抱えながら、私は眠りに落ちた。



そんなある日、パパが私を呼びつけた。

玉座に座る彼の目は冷たく、声は低く響いた。


「アンジェ、お前はもっと努力しなければならない。お前にはヴァンパイアの力がある。それを使えばいい。」


その言葉に、胸がざわついた。

私はヴァンパイアの力を使ったことなどない。それどころか、使いたいとも思わなかった。


「力を使うのが難しいなら、母親の力を引き出せばいい。」


母――ゴルゴーン族の末裔である彼女の力を持ち出された瞬間、背筋が凍りついた。

パパの目には期待が込められているようだったが、私にはそれが重すぎた。


「私は、そんな力なんていらない……。」


心の中でそう呟いたけれど、その声をパパに伝える勇気はなかった。



部屋に戻り、一人きりの空間に身を沈める。

窓の外には、月明かりが淡く差し込み、城の庭をぼんやりと照らしていた。

その静けさの中で、私は自分の手を見つめた。


「私は何のためにここにいるのだろう?」


能力なんていらない。

私が欲しいのは、ただ普通に笑い合える友達。

ただ、それだけだった。


けれど、そのささやかな願いが、どれほど遠いものなのかを痛感するたびに、胸の奥が締め付けられた。


月明かりに照らされた部屋で、私はそっと目を閉じた。

「もし、こんな自分でも誰かが受け入れてくれるなら……。」

そんな淡い希望を抱えながら、静かな孤独に包まれていった


朝の光がカーテン越しに射し込み、部屋の中を淡いオレンジ色に染め上げる。まだ眠気が残る頭の中で、私はその光を眺めながら考える。この光景はきっと今日も何かが変わるかもしれないという希望を抱かせてくれるものなのだろう。けれど、私はその期待にすがるのが怖かった。これまで何度も打ち砕かれてきた希望が、またもや私を裏切るのではないかと怯えてしまうからだ。



エイラナ学園の廊下を歩く。足元に敷かれた石畳はよく磨かれ、靴底が触れるたびに軽い音を立てた。その音が冷たい壁に反響し、無駄に広い廊下に響き渡る。左右の壁には魔族と人間の歴史を描いた巨大なタペストリーが掛けられており、その絵柄は堂々としているものの、私にはどこか居心地の悪さを感じさせる。


窓の外を見ると、青空がどこまでも広がり、優雅に風に揺れる木々が視界を彩る。鳥たちは楽しそうに空を飛び回り、その鳴き声がほんのかすかに聞こえてくる。けれど、その自然の美しさは私の胸を締め付けるだけだった。それはまるで、この風景の中に私は存在していないと告げられているようで……。


「アンジェラさん!」


不意に誰かの声がしたかと思ったが、それは私に向けられたものではなかった。誰も私に話しかけてこない。誰も私の存在を気にしない。それが私の「普通」になって久しい。


私は気づけば無表情の仮面を身に着けていた。この仮面は城で覚えたものだ。他人に興味を持たれないようにするための道具。他人に期待させないための防御壁。

「他人に関心を持たれないほうが楽だ」と自分に言い聞かせながらも、その奥底で私は怯えていた。誰かに拒絶されるのが怖くて、自分から壁を作っていることを認めたくなかったのだ。


そんな私に、光が差し込む瞬間が訪れたのはほんの数日前のことだった。


その日はいつものように廊下を歩いていた。孤独な靴音を響かせながら、自分の存在を誰にも気づかれないようにと、心の中で祈るように。


「おはよう、アンジェラさん!」


その声に驚き、私は思わず振り返った。そこには銀髪が朝日を浴びて輝く少女――ルシアン・ダークウッドさんが立っていた。深紅の瞳がまっすぐ私を見つめ、彼女の唇は自然な笑みを浮かべていた。


その瞬間、私の胸に鋭い痛みと共に、暖かい感覚が広がった。それが何なのかは分からなかった。ただ、彼女の笑顔は私にとって眩しすぎるものだった。


ルシアン・ダークウッドさん。クラスの委員長を務める彼女は、ダークエルフ族であり、かつて人間国に滅ぼされたサイ国の末裔だという噂を耳にしたことがある。彼女もまた、私と同じように血筋の重みを背負っているはずだった。


しかし、彼女の存在感は私とは正反対だった。

授業中の彼女の声には自信があり、誰かが困っていれば自然に手を差し伸べる。人間も魔族も分け隔てなく接する彼女の姿は、まるで太陽のようだった。


「アンジェラさん、今日の授業はどうだった?」

休み時間、彼女はそんな風に私に話しかけてきた。私は戸惑った。彼女がなぜ私に興味を持つのか分からなかった。ただの気まぐれなのではないかと疑った。


でも、彼女は毎日変わらずに笑顔を向けてくれた。その笑顔はいつもまっすぐで温かかった。



ルシアンさんのおかげで、私の日常は少しずつ色を取り戻し始めた。

最初は彼女の笑顔にどう応えればいいのか分からなかった。でも、彼女の優しさと真っ直ぐさに触れるうちに、少しずつ言葉を返せるようになった。


「アンジェラさんって、話しやすい人だよね。」

ある日、彼女がそんなことを言った。その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。誰かにそんな風に言われたのは初めてだった。


彼女のおかげで、私の周りには少しずつ人が増え始めた。他のクラスメイトたちも、ルシアンさんを通じて私と話すようになった。それはまるで、孤独だった私の世界に一筋の光が差し込んだような感覚だった。



これまで私は、学園生活についてパパに嘘をついてきた。「楽しい」「友達がたくさんできた」と、作り笑顔で語っていた。

けれど、今は違う。本当に楽しいと思える瞬間があった。本当に「友達」と呼べる人ができた。


その嘘が嘘でなくなった今、私は初めて自分の居場所を手に入れたのだと感じていた。


ルシアンさんという光に照らされ、私は少しずつ変わっていく自分を感じ始めていた。



月明かりが照らす夜の部屋で、私は一人静かに窓辺に座っていた。ルシアンさんのことを思い出すたび、胸の奥に小さな灯火が灯るのを感じる。

「もし私がもっと明るい性格だったら……。」

そんな考えが頭をよぎることもあるけれど、今はただ、この小さな幸せを噛み締めていた。



夕陽が赤く染める教室の中、誰もいない静かな空間には、床に差し込む光と窓枠の影がくっきりと映し出されていた。壁際の黒板にはまだ授業の痕跡が残り、薄いチョークの粉が空気に漂っている。窓の外からは、木々が風に揺れる微かな音と、遠くで遊ぶ生徒たちの笑い声が届いていた。


私はその教室の一角に座っていた。隣にはルシアン・ダークウッドさんがいる。彼女は銀色の長い髪を肩に流し、頬に沈む陽光を浴びながら静かに微笑んでいた。その瞳は、深紅の夕陽を映し込みながらも、その奥に確かな熱意と決意を湛えている。


「アンジェラさん……実はね、少し相談があるの。」


彼女の声が静かな教室に柔らかく響く。穏やかで、けれどどこか緊張感を含んだその声に、私は自然と彼女の方へ顔を向けた。私たちの間には数センチの距離しかなく、その近さが妙に心臓を早くさせた。


「相談……ですか?」


少し戸惑いながら尋ねると、ルシアンさんは頷き、背筋を伸ばした。その動作はどこか儀式めいていて、その真剣さに私は思わず息を飲んだ。


「私はね……このエイラナ学園を、人間も魔族も仲良くできる場所にしたいの。みんなが平等で、互いに認め合える、そんな学園を目指してるの。」


彼女の声はいつも以上に力強く、言葉がまるで心に直接刻み込まれるようだった。その想いがどれほど大切で、どれほど真剣なのか、彼女の目を見れば一目で分かった。


「だから……生徒会に立候補しようと思うの。」


その言葉を聞いた瞬間、私の心に静かな波紋が広がった。彼女が抱く夢。それは私がこれまで触れることのなかった、明るくて希望に満ちたもので、私には到底持ち得なかった類のものだった。


「でも、私一人じゃできない。だから、お願い……アンジェラさん。あなたの力を貸してくれない?」


そう言って、彼女は私の手をそっと握った。その手は少しひんやりとしていたが、指先には確かな温もりが宿っていた。彼女の深紅の瞳が、まっすぐに私を見つめる。その真摯な眼差しに、私は圧倒されていた。


心の中で何かが弾けたような感覚があった。これまで誰かに頼られることなんてなかった。いや、むしろ頼られる価値すらないと思っていた私に、彼女は「力を貸してほしい」と言ったのだ。



胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。それは恥ずかしさや戸惑いではなく、純粋な嬉しさだった。


「私が……力を貸す……?」


心の中でその言葉を反芻するたび、頬が熱くなっていく。これまでの孤独な日々とはまるで違う。誰かのために何かをする。それが私にもできる――その事実が、私を満たしていくのを感じた。


「もちろんです!」


気がつくと、私は勢いよくそう答えていた。声が少し震えたのは、きっと緊張のせいだ。けれど、彼女の瞳が輝きを増したのを見たとき、その震えはすぐに消えた。


「私で良ければ……ぜひお手伝いさせてください!」



その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが変わった気がした。これまでは、ただ自分の居場所を探していただけだった。でも今は違う。私はルシアンさんの夢のために動く。彼女の笑顔を守るために力を尽くす。そう決めた。


彼女は私の手を握り返し、優しく微笑んだ。


「ありがとう、アンジェラさん。あなたがいてくれて、本当に良かった。」


その言葉を聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。私の存在を必要としてくれる人がいる。その事実が、私の孤独を溶かしていった。



窓の外では、夕陽が沈みかけていた。赤く染まる空が、教室全体を柔らかく包み込んでいる。ルシアンさんの銀髪はその光を受けて輝き、まるで天から舞い降りた女神のようだった。


私たちは少しの間、言葉を交わさずに座っていた。でもその静けさの中に、確かな絆が生まれていた。


心の中で静かに誓う。


「ルシアンさんの夢を叶えよう。そのためなら、私は何だってする。」


夕陽に照らされた彼女の横顔を見つめながら、私は新たな一歩を踏み出した。


教室の中には、沈みゆく太陽の光と、私たち二人の約束だけが静かに残っていた。

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