恋バナ
夜の静寂に包まれた部屋。カーテンの隙間から漏れた月明かりがベッド脇の床をぼんやりと照らし、柔らかな光と影が揺れている。時計の秒針が静かに刻む音だけが、心地よいリズムとなり、寝息に溶け込むような空間を作り上げていた。
アイリスはその静けさの中、ベッドの上で深く眠っている。その顔は穏やかで、長い銀髪がシーツの上に散らばり、まるで夜の空に流れる星の帯のように見えた。だが、その平和な静寂が突然、彼女の口から漏れた一言によって破られる。
「キース……キース、生きてて……キース……」
寝言だった。はっきりとした声が静まり返った部屋に響き渡り、耳を澄ませていたかのように、赤髪の少女、ルナが勢いよく振り返る。
ルナ
「えっ、リリっち!今の聞いた!?アイリスたんがまた『キース』って言ったよ!?」
その言葉に、壁にもたれかかっていたリリスが一瞬だけ表情をこわばらせる。彼女は普段の冷静さを崩さないように、無表情を保ちながら低い声で答えた。
リリス
「そやな……聞こえた。まあ寝言やろ?特に気にすることないんちゃう?」
だが、その声の奥には明らかに隠しきれない疑念が含まれていた。アイリスの寝顔をちらりと見ると、再び彼女の中で考えが巡り始める。
リリス(心の中)
「キース?誰やそれ。幼馴染?それとも……まさか彼氏?いやいや、そんな暇なかったはずや。けど……」
彼女がそんな内心の葛藤を抱えていることなど知る由もなく、ルナは興味津々といった表情を浮かべながら、さらなる追及を開始する。
ルナ
「いやいや、寝言っていうかさ、リリっち!うちらもそろそろ恋の一つくらいしていい頃じゃない?もしかして、アイリスたん、実は彼氏とかいるんじゃない?」
その言葉が飛び出た瞬間、リリスは驚きのあまり体が硬直する。思わず目を見開き、言葉を噛みながら反論した。
リリス
「はぁ!?そ、そんなわけないやろ!いつそんな相手作る時間があったっちゅうねん!」
その声には、焦りと恥ずかしさが滲んでおり、普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないものだった。それを見たルナは、口元をニヤリと歪めて肩をすくめる。
ルナ
「でもさ、リリっちのその反応ってさ……めっちゃ怪しくない?まさかリリっちも隠れ彼氏いたりするの?」
その挑発に、リリスの眉がピクリと動く。だが、彼女はなんとか冷静を取り戻し、ふてぶてしい声で言い返した。
リリス
「アホか!うちがそんな暇あるわけないやろ。そもそも、恋愛なんて全然興味ないし。」
その発言にルナは目を輝かせ、まるで宝の山を見つけた子供のようにリリスの顔を覗き込む。
ルナ
「ほんとぉ?でもさ、顔めっちゃ赤くなってるけど?」
そう言いながらルナは指をさして笑う。その笑い声に、リリスはますます顔を赤らめた。
リリス(心の中)
「何やこいつ……!ほんまアホや。けど、なんで顔熱くなってるんや、うち……?」
反撃するも、その言葉には説得力がなかった。ルナは気にする様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張る。
ルナ
「あーし?欲しいしー!めっちゃ欲しいしー!でも理想がちょっと高いだけなんだよねー。やっぱイケメンで優しくて、でもちょっとSっ気がある感じ?何なら首輪付けてほしーかも、そんでお散歩とか!」
目を輝かせながら語るルナに、リリスは呆れ顔でため息をついた。
リリス
「ほんまにアホやな…」
それでもルナは全く気にせず、さらに理想の条件を追加し始めた。
「やっぱ髪はちょっと長めでさ、普段はクールだけど実は優しいとか…!」
リリス(心の中)
「どこからこんなエネルギー湧いてくるんやろ…それに、さっきより理想がどんどん増えとるやん。この子…ほんま手に負えへんわ。」
ルナが話し続ける中、リリスの視線は再びアイリスの寝顔に戻った。穏やかで、どこか幸せそうにも見えるその顔を見ていると、リリスの胸に小さな温かさが生まれた。
リリス(心の中)
「キース…ほんま誰なんやろ。大事な人なんか?それとも…」
そんなことを考えながら、彼女はふと目を細めた。一方でルナはようやく一息つき、急に話題を切り替えた。
ルナ
「あーでも、やっぱ現実って厳しいよねー。彼氏ってより、とりま、あーしより強い男を見てみたいかも。」
その切り替えの速さに、リリスは思わず吹き出した。
リリス
「何それ!ほんま、お前は訳分からんわ!」
部屋には、アイリスの静かな寝息とルナの賑やかな声、そしてリリスの小さな笑い声が響き続けていた。
次の日の夕方、公務を終えたアイリスはようやく自室に戻った。ドアを静かに閉めると、彼女は鏡の前に立ち、無言で深呼吸をした。鏡に映る姿は、今の自分ではなく「アルト王子」としての仮面をまとった姿。その仮面を両手でそっと外すと、緊張の糸が切れたように肩の力が抜けた。
仮面を机に置き、次に首元にある魔道具のチョーカーに触れる。チョーカーを外すと、一瞬だけ淡い光が体を包み、変装が完全に解けていく。その光が消えると、長い髪が肩に落ちる。鏡に映るのは、ありのままのアイリスだ。肩にかかった髪を整えながら、彼女は少しだけ微笑んだ。
アイリス
「ふう…やっと終わった。」
声には安堵の色が濃く滲む。仮面とチョーカーを丁寧に机の上に置き、窓辺のソファに腰を下ろした。背もたれに体を預けると、全身の疲労が一気に押し寄せる。
窓からは柔らかな夕陽が差し込み、部屋の壁に長い影を描いていた。カーテンがそよ風に揺れ、その風は草木の香りを運んできた。窓の外には遠くに広がる森と、茜色の空が一体となり、静かな絵画のような景色を作り出している。
その景色に目を奪われながら、彼女はそっと目を閉じた。夕陽に照らされた静かな部屋は、時計の秒針がリズムを刻む音だけが聞こえる穏やかな空間だった。
アイリス(心の中)
「この時間だけが、私の素顔に戻れる瞬間…。」
彼女は軽く目を閉じ、深いため息をついた。その吐息は、時計の秒針が刻む静寂に溶け込んでいく。木製のテーブルには朝の忙しさの名残が残り、書類が乱雑に積まれている。その横には冷めた紅茶のカップがぽつりと置かれていた。仮面をつけたまま過ごした一日の重さが、今になってずしりと心にのしかかるようだった。
その時、扉をノックする控えめな音が響いた。
リリス
「アイリス嬢?少しお時間よろしいですか?」
その後すぐに、明るい声が重なる。
ルナ
「お茶持ってきたよーん!」
その声にアイリスは自然と微笑み、体を起こして扉に向き直る。
アイリス
「どうぞ。」
扉が開き、ルナがティーセットを手に軽快な足取りで入ってきた。その後ろには、控えめにたたずむリリスが続く。ルナはカップをテーブルに置きながらにっこりと笑い、リリスはティーカップを丁寧に手渡す。
ルナが持ち込んだお茶の香りが部屋全体に広がり、その香りがアイリスの緊張を少しずつ和らげていく。
アイリス(心の中)
「この二人といると、緊張がほぐれる…。気を遣わずに話せるって、本当にありがたい。」
アイリスはティーカップを受け取り、その香りを楽しむように目を閉じる。カモミールの柔らかな香りが疲れた体に染み渡り、温かいお茶が喉を通るたびに心がほぐれていく。
テーブルを囲む3人の間に、穏やかな空気が流れる。しかし、その静けさを破るように、ルナの声が弾んだ。
ルナ
「ところで、アイリスたん!」
その声には明らかに何かを企む気配があった。ルナはニヤニヤとした笑みを浮かべ、テーブルを挟んでアイリスにじりじりと近づく。
ルナ
「キースって誰?」
その一言にアイリスは固まり、カップをテーブルに置く手が止まった。視線はあちこちを彷徨い、顔には動揺の色が浮かぶ。
アイリス
「え、な、なな、何のことかしら?」
声が震え、動揺が隠せない。リリスが驚きつつも口を挟む。
リリス
「こら、何聞いとんねん。」えー!!めっちゃ動揺しとるー!
リリスは額に手を当てながらも、ルナの質問にどこか興味を示している。
ルナ
「だって、寝言で『キース』って言ってたよ。しかも『キースとキスしたい』とかロマンチックなやつ!」
リリス
「盛るなや!『キース』だけやろ!」
リリスは慌てて訂正するが、アイリスの顔はみるみる赤くなり、ついにはテーブルに突っ伏してしまった。
アイリス
「あ…ああ…もう恥ずかしい!」
(心の中)
「寝言でそんなことを…?私、どうしたらいいの…!死にたい!」
ルナは満足げに笑い、手を叩きながら楽しそうに声を上げた。
ルナ
「アイリスたん、めっちゃかーわーいーいー!」
リリスもじっとアイリスを見つめ、真剣な声で問いかける。
リリス
「そや、嘘やろ?マジやったん?いつや、誰や?」
その真剣な視線に、アイリスは小さな声で震えながら答えた。
アイリス
「わたしの…初恋…なの。」
その言葉と共に、耳まで真っ赤になったアイリスは再び顔を覆った。
ルナ
「うわー!かわいすぎる!もっと聞かせてよ!」
ルナはさらに身を乗り出し、アイリスの顔を覗き込む。一方、リリスは椅子に深く座りながらも目を輝かせ、興味津々の表情を隠さない。
リリス
「誰や、どこで会ったん?気になるわ。」
ルナがさらに茶化し始める。
ルナ
「アイリスたん、もしかしてそのキースって、もう会えない人とか?」
その言葉に、アイリスの表情が一瞬だけ曇った。すぐにそれを隠すように顔を伏せるが、リリスとルナはその変化を見逃さなかった。
リリス
「え、なんや、それ。本気のやつやんか。」
ルナ
「そういうの、めちゃくちゃ胸キュンなんだけど!絶対聞きたい!」
アイリスはますます恥ずかしそうに顔を隠し、答えることを拒むように首を振る。しかし、リリスとルナの興味は尽きることがなかった。
部屋の中は二人の笑い声とアイリスの小さな悲鳴で満たされ、いつしかその光景は心地よい温かさに包まれていた。窓の外では夕陽が地平線に沈み、部屋に静かな夜が訪れようとしていた。それでも、3人の笑い声は部屋を明るく照らし続けていた。




