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クロウの覚悟と俺の決断

聞こえる――クロウの心臓の音が、ゆっくりと、規則正しく弱まっていく。胸元に耳を当てるまでもなく、その音が遠ざかるのが分かる。それは時間が刻々と過ぎていくことを、冷酷に告げていた。


仮面に付着した彼の血が、汗と共に俺の唇に触れた。その瞬間、冷たく鉄の味が広がる。だが、それ以上に、心の奥底から湧き上がる感覚――クロウの記憶、感情、そして生き様が鮮烈に流れ込んできた。


クロウは生き物が好きな男だった。動物も人も分け隔てなく、どんな存在にも優しく接する。ただ、それが故に、自分を強くする道を選ぶのに遅れた。彼は戦士としての力量にいつも限界を感じ、同期が次々と前線で輝きを放ち、そして消えていく姿を目の当たりにするたびに、自分の無力さを噛みしめてきた。


「それでも、諦めたくない。」


クロウの想いが、俺の頭の中で鮮明に響く。彼の弱さ、悔しさ、そしてそれでも諦めない決意が、俺の胸を締め付ける。その感情が血液に染み込み、脈動と共に全身を駆け巡った。その瞬間、俺は見えた。


クロウの数秒先の未来が――


クロウが俺の手を振り払い、ソフィアと俺を逃がすため、一人でラゼルに向かっていく。血を流しながらも、歯を食いしばり、勇敢に、いや無謀に突っ込む姿が目に焼き付いた。そして、その先に待つもの――無残にも地に伏すクロウの姿。


「ダメだ、クロウ!そんな未来にはさせない!」


俺の声が響いたのか、それとも心の叫びだったのか。冷たい空気が俺の喉を焼きつつ、クロウの体を支える腕が震える。だが、その未来を見た俺に、迷いはもうなかった。


クロウが弱々しく息を吐きながら、俺の肩を掴んだ。その手は震え、温かい血が俺の服をじんわりと染めていく。彼の顔は青ざめ、目に焦りが浮かんでいる。


「やめろ……行くな……!」


声はかすれていたが、その言葉には、必死さと力が込められていた。俺が立ち上がろうとすると、クロウはさらに力を込めて俺を引き止める。その目は俺を直視し、苦しそうに震える唇が再び動いた。


「お前……目が……赤いぞ……」


その一言に俺は動きを止めた。頭の中に響く彼の声と、まるで鏡を見るような彼の目に映る俺の姿。赤い……瞳。胸の中がざわつき、異質な力が静かに、けれど確実に自分の中で蠢いているのを感じた。


俺はクロウをそっと床に預け、彼の目を真っ直ぐ見つめた。その目は既に覚悟を決めている。だが、それを無視して俺は立ち上がる。


「俺がやる!」


恐怖が喉を塞ぎ、心臓が跳ね上がる。それでも足は動いた。ラゼルに向かって一歩、また一歩と近づくたび、空気が重くなり、鋭い殺気が肌を刺す。ラゼルの赤い瞳が俺を捕え、不気味な笑みが浮かぶ。


「来るか、小僧。貴様が何をしようと、この結果は変わらんぞ。」


その声は雷のように耳を揺らし、心を凍らせる。それでも、俺は立ち止まらない。ナイフを握りしめる手に汗が滲み、重い息遣いが鼓膜に響く。目の前の巨体は、岩壁のように動じない。


「怖い……だけど、やるんだ!」


影が迫る。俺の全身が戦慄に包まれる中、ナイフを振り上げ、全力でラゼルに突っ込む。地面を蹴り上げた足音が響き、風を切る音が耳を突き抜ける。ラゼルの剣が重々しく振り下ろされるその瞬間、俺の視界が鋭い閃光で覆われた。


その先に待つものが何であれ、俺は後悔しない。この命、クロウとソフィア、そして未来を守るために――ただそれだけを胸に、俺は闇へと飛び込んでいった。


その一瞬の間に、ラゼルの剣が俺を裂こうと迫る。だが俺は足を止めない。恐怖に支配されるのではなく、その刃を避け、クロウやソフィアのために立ち向かうためだ。鋼の響きが鼓膜を震わせるたびに、俺の中の決意が硬くなる。


視界が揺れ、汗と血の匂いが混ざり合う。冷たい夜の空気が肌を刺す中、俺は己の限界を超えようとしていた。そしてその中で、クロウの心臓の音が微かに聞こえてくる。命の灯火を守るために、俺は戦わなくてはならない。



俺はクロウを、ソフィアを、そして助けたエルフの子を守りたい。その一心で、震える手を無理やり抑え込んでいた。これまでヴィクターに教わったことが、頭の中で断片的に蘇る。


「冷静さを失うな。全力を出せ、だがその全力を計算しろ。」


深い息を吸い、ナイフを握る手に力を込める。これが最後のチャンスだ。ここでラゼルの動きを止められなければ、全てが終わる。


「行くぞ……!」


一瞬、周囲の時間が止まったかのように感じた。全身の筋肉が悲鳴を上げる中、俺は力の限りナイフを投げ放った。その軌跡が闇を切り裂き、ラゼルの巨体に向かう。鋭い金属音が響き、ナイフは彼の肩を浅く切り裂いた。


「効かぬわ!」


ラゼルが低く笑い声を上げる。しかし、俺の狙いはそこではない。切り裂いたナイフが俺の手元に戻る。その瞬間、ナイフに付着した血が視界に飛び込んできた。


「……行ける。」


俺はためらわずにその血を舐めた。鉄の味と共に、まるで体内に熱い液体が流れ込むような感覚が襲う。だがその直後、胸の奥底から異様な衝撃が走った。


「うっ……!」


全身が震えた。目の前の光景がぐにゃりと歪み、息苦しさが喉を締め付ける。ラゼルの血が、俺の中に残酷でおぞましい感情を流し込んでくる。目を閉じてもなお、その感情が脳裏を蝕み続ける。


「なんだこれは……!」


目の前に広がったのは、焼け焦げた大地、血で染まる戦場、そして無数の命を無残に奪うラゼルの姿だった。彼が何を思い、何を成し遂げようとしているのか――それはあまりにも狂気的で、計り知れない悪意に満ちていた。


「極悪すぎる……こんな心、正気じゃ持ちこたえられない!」


頭が割れるような痛みに耐えながらも、俺は歯を食いしばる。逃げたい。すぐにでも目をそらしたい。だが、その中で俺は何かを感じた。


見える――ラゼルの動きが!


ほんの数秒先の未来が、脳裏に鮮明に浮かび上がる。ラゼルの剣が振り下ろされる軌道、足の動き、彼の意図。そのすべてが俺に流れ込んでくる。


「お前の考えが、心が……重なっている!」


恐怖に苛まれる中でも、俺は息を整えた。冷たい汗が額を流れ、手の震えが止まらない。それでも、俺はラゼルの次の動きを見極めるために集中する。彼の考えが手に取るように分かる。まるで自分がラゼルになったかのように、次の攻撃が視覚化されていく。


ラゼルの剣が空を切り裂く音が耳を突き抜けた。


「そこだ!」


俺は咄嗟に地面を蹴り、剣の軌道をわずかに外した。彼の攻撃が風を切る中、俺は一瞬の隙をついて再びナイフを放った。


「くっ……!お前!面白いな!」


ナイフはラゼルの腹部に浅く突き刺さり、彼の巨体が一瞬だけよろめいた。その隙を見逃さず、俺は全力で地面を蹴り、さらに距離を詰める。


「これで終わらせる!」


この瞬間、俺の中にあった恐怖が決意に変わる。クロウ、ソフィア、エルフの子供――彼らを守るために、俺は闇そのものと化して戦う覚悟を決めたのだ。


全身の力を振り絞り、俺はナイフを振り抜いた。狙いはラゼルの喉元。意識が全てその一点に集中し、手のひらに感じるナイフの冷たい柄が、まるで命綱のように思えた。振り下ろす刹那、心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響き、周囲の音が遠ざかる。


風を切る音が短く響く。ナイフの切っ先がラゼルの肌に触れるその瞬間、確信があった――これで終わる。だが。

ラゼルはニヤリと不快な笑みを向け


「フン!」首元に力を込める


金属音が甲高く響いた。ナイフはまるで硬い壁に当たったかのように弾かれ、鈍い衝撃が手首に伝わる。その一撃は、ラゼルの喉元どころか、肌すら傷つけることはなかった。


「……なに……?」


自分の声が震えていることに気づく。それと同時に、ナイフが床に落ちる音が、重く響いた。その音は、俺の全ての努力が無意味であったことを冷酷に告げているようだった。


ラゼルは微動だにしない。目の前の巨体が、まるで不動の山のように俺を見下ろしている。その瞳には憐れみも怒りもない。ただ、嗤っているかのように感じた。


「はは……ダメか……」


俺の声が虚ろにこぼれた。拳を握りしめようとしても力が入らない。振り切った一撃に込めた全てが無駄だったという現実が、胸に鉛のように重くのしかかる。


手のひらを見下ろすと、血と汗が混じり合い、ナイフの柄がわずかに汚れている。それでも、この手が何もできなかったという事実が、俺を突き刺すような痛みとなって押し寄せてくる。


「クソ……俺は……弱い……」


喉元から絞り出された言葉は、まるで自分自身を嘲笑うように響いた。目の前のラゼルは、何の興味もないと言わんばかりにただ立ち尽くし、俺の全力がまるで取るに足らないものだと言わんばかりの威圧感を放っている。


足元に落ちたナイフに視線を移すが、それを拾い上げる気力すら湧かない。膝が震え、体が重力に負けそうになる。空気が重く、胸を押しつぶすようだ。


俺の吐息が白く染まる中、周囲の静寂がさらに恐怖を煽る。ラゼルの存在そのものが、俺を飲み込もうとしていた。それでも、ここで倒れるわけにはいかない。


「くそ……逃げるわけにはいかねぇ……!」


自分自身を奮い立たせるように呟いたが、その声は、ラゼルの前ではあまりにも小さく、虚しいものだった。



その時、頭上から響き渡る声が。


「下がれ、クソヨワ雑魚が!」


反射的に見上げると、天井から一人の影が降りてきた。その動きは風そのもののようにしなやかで、無音でありながら圧倒的な存在感を放つ。降り立ったのは、ルクスアーカムの仮面を付けた若いエルフだった。彼女の鋭い目が俺とラゼルを睨みつけ、手には何本ものダガーが光っている。


「下がれっつってんだろ、ボケカス新人が!」


その声には、冷たい怒りと圧倒的な威圧感が込められていた。瞬間、場の空気が一変し、重く沈んでいた恐怖がどこか別の緊張感に塗り替えられる。彼女の存在そのものが、まるで嵐を呼び込む前触れのようだった。


「お前はそこの腕無し担いでとっとと退散しろ、豚のように!」


次の瞬間、俺の胸を何かが突き刺したような感覚が走る。その言葉は鋭く、皮肉と軽蔑に満ちている。それでも、不思議とその罵倒は俺を冷静にさせた。まるで、自分の役割を改めて思い出させる鐘の音のように。


俺は目が覚めるような罵倒で我に返り、うなずく。そして、クロウを抱きかかえながらソフィアの後を追った。背中越しに聞こえるのは、彼女がダガーを投げる音と、ラゼルの鋭い咆哮。


俺たちが狭い廊下を抜け、要塞の出口へ向かう途中も、その音は続いていた。それはまるで戦場の中で響く彼女の意志そのものだった。


こうして、俺たちは一人のエルフを残し、退散するしかなかった。クロウの体温が腕の中で薄れていくのを感じながら、胸の奥には悔しさと安堵が混ざり合う複雑な感情が渦巻いていた。




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