アホとの日常
ここで働き始めてしばらく経った頃、ルナのことがだいぶ分かってきた。いや、むしろ、分からされてきたと言うべきやろうな。
良家のお嬢様やって?ほんまか?
その日も朝から仕事が始まった。王宮の廊下は朝の光が窓から差し込み、床には燦々たる光が反射しておる。美しい景色やけど、目の前には、あの赤い髪を揺らしながら廊下の真ん中でだらーんと寝転んでるルナがおる。
私はため息をつきながら声をかけた。「ルナ、掃除するで!ほら、そこの窓、頼むわ。」
すると、彼女は目を開けもせず、間延びした声で返してきた。
「したことな~い。」
……は?
思わず言葉を失った。掃除したことない?え、どういうこと?良家のお嬢様って聞いてたけど、ここまで何もせんで生きてきたんか?これ、ほんまに家から放り出されたんちゃう?
「何言うてんねん、せやから今日からやるんや!」
そう言いかけたけど、ルナはすでに廊下の端っこに転がって、その赤い髪を指でくるくるいじり始めてる。ほんま、まるで子供や。
……良家のお嬢様どころか、ここの王様、頭どうかしてるんちゃう?なんでこんなアホ雇ったん?
次の日、またしても懲りずに声をかけた。
「ルナ、今日は食事の準備やで!ほら、食堂のセッティングとか手伝ってな。」
今度こそ、ちゃんと動いてもらおうと願いつつ、ちょっと強めに言ったんやけど……返ってきた答えはこれや。
「あーし食べ専でーす♪」
にっこりと可愛い笑顔やけど、中身が完全にアウトや。 食べ専ってなんやねん!使用人やぞ!準備専になるべきやろ!
イラッとする気持ちをぐっと飲み込んで、結局私が準備を進める羽目に。ちらっと横目で見たら、ルナは椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、これから出てくる料理を楽しみにしてる様子や。お前の分ないからな、せめて立てやほんま、なんというか図太いにも程がある。
それでもアイリス様のことになると、これが驚くほど変わるんや。
「ルナ、アイリス様を起こしてきてくれる?」
軽い気持ちで頼んでみた。どうせ「無理~」とか言われるやろうと思ってたんやけど、意外なことに――
「もちのろんのすけ~!」
目を輝かせて、勢いよく立ち上がったルナ。勢いそのままに廊下を駆け抜け、アイリス様の部屋に消えていく。その姿には、なんというか……なんやろ、使命感みたいなもんすら漂っとった。
しばらくして、ルナがアイリス様の手を引いて戻ってきた。アイリス様は柔らかい笑顔を浮かべていて、ルナと何やら楽しそうに話している。その光景を見て、私は思わず深いため息をついた。
「あぁ、このアホ、ほんまにアイリス様命なんやな。」
他のことは何もせんくせに、アイリス様に関わることなら全力投球。ルナの行動原理がようやく分かってきた。けど、どうにもモヤモヤする。 何でこんなアホが、アイリス様のそばにおるんやろ?
……いや、なんでそもそも選ばれたんや?
王様、ルナを推薦したんやろ?何考えてんねん?こんなアホ、どこからどう見てもお嬢様失格やん。いや待てよ……良家の出言うても、実は家から放り出されただけなんちゃうか?厄介払いでここに来ただけなんちゃう?
頭を抱えながら廊下を歩く私を、楽しそうな笑い声が追い越していく。
……ほんま、ルナって謎やわ。アホすぎて理解不能や。でもなんでか……アイリス様のそばにおると、不思議と役に立っとる気がするんよな。あぁ、もうわからん。
でも今日の夜は少し違った
アイリス様を寝室まで送り届け、扉を静かに閉じる。その瞬間、ふっと肩の力が抜けた。今日も長かった――そう思わず心の中で呟く。
部屋の中からは、規則正しい息遣いが聞こえてくる。アイリス様はもう眠りに落ちたんやろう。寝室のランプがぼんやりと淡い光を放ち、揺れる影が壁に映っている。その光景を最後に目に焼き付けてから、部屋の隅々を見回す。
窓はしっかり鍵がかかっとる。カーテンの奥も異常なし。ベッドの下も――何もおらん。扉の近くに置かれた椅子もただの椅子や。
「……よし、異常なしや。」
小さく呟いて、ドアノブに手をかける。足音を忍ばせて廊下に出ると、静まり返った城の空気が肌に冷たく触れた。昼間はあんなに賑やかなのに、夜になるとまるで別の場所みたいや。ほんま、こんなに静かになるもんかと思う。
廊下を歩きながら、明日の予定が頭をよぎる。朝になったらまたアイリス様の護衛やら、ルナのアホみたいな言動のフォローやら、忙しない日が待っとる。でも、どれも大事な仕事や。アイリス様を守るために、ここにいるんやから。
「……やっと一息つけるな。」
夜の廊下を歩いていると、背後から気だるそうな声が響いた。
「リリっち~、外にお客さん来てるけど、一緒に遊び行かない?」
その一言で嫌な予感が胸をよぎる。振り返らなくても分かる。ルナや。いつもの調子で何か無茶苦茶言うてるんやろ、と。
「……遊び?お前、アホか」
冷たく返す私に、ルナは赤い髪を揺らしながら肩をすくめ、窓のほうを指差す。飄々とした笑みは相変わらずで、何を考えているのか全く読めん。
「ほんとだって。ほら、見てみ?」
言われるがまま窓に近づき、カーテンをそっと開けて外を覗く。月明かりに照らされた庭には、黒いフードをかぶった影が6つ。不審者――いや、刺客やな。背中に冷たい汗が伝う。
「……刺客やないか」
低く呟き、素早く思考を巡らせる。どこの派閥の手の者か分からんけど、どう見ても善良な訪問者ではない。それにしても、どうして私が気づかへんかったんや。いつもなら気配で察知できるはずやのに――。
ミスった。この私が刺客に気づかへんなんて……何でこのアホが気づくん?いや、それどころやない。もしこの刺客がアドラからの奴らやとしても――アイリスには絶対に指一本触れさせへん。
そんな決意を胸に、窓を開けて静かに身を乗り出した。刺客の数と配置を確認しながら、どう動くか考えていると――。
「おーい!こっちだよ~!おいでおいで~!」
背後からルナの大声が響いた。瞬間、刺客たち全員が反応し、一斉にルナを見上げる。その軽率な行動に怒りが込み上げた。
「何してんねん、お前……!」
しかし、次の瞬間、ルナがはっきりとした声で言い放った。
「動くな!」
刺客たちの動きがピタリと止まった。その光景に私は目を疑った。月明かりに照らされた彼らは、虚ろな目をしたまま、まるで人形のように静止している。
「……どゆこと?」
私はルナを振り返るが、彼女は涼しい顔で肩をすくめた。
「リリっち、あとよろしく~!」
その一言に背中を押されるように、窓から飛び降りた。冷たい夜風が頬を打つ中、私は気配を殺しながら最初の刺客の背後に回り込む。
「静かに終わらせるで」
一人目の刺客の首筋を押さえ、気絶させる。すぐさま次の影に移動し、同じように無力化。影から影へと滑るように動きながら、無駄な力は使わず、静かに、迅速に敵を排除していく。
三人目、四人目――止まった時間の中で、私は自分の技術が研ぎ澄まされていくのを感じた。これで五人目、残り一人――月明かりが庭の隅を照らす。その中で最後の刺客が無防備に立ち尽くしているのを見つけ、すっと影から飛び出した。
「……終わりや」
最後の刺客が崩れ落ちたのを確認し、私は静かに息を吐いた。全員気絶させた。少しの間だけ、静まり返った庭の空気を味わう。
窓の上を見上げると、赤い髪のルナが飄々とした表情でこちらを見下ろしていた。
「終わったで」
そう声をかけると、ルナは欠伸をしながら呟いた。
「はぁ~ぁ、バリねっむ」
その呑気な態度に、怒りを通り越して呆れてしまう。ほんま、このアホ――いや、ある意味頼りになる。どこかホッとする自分が悔しい。
アイリスには絶対に秘密や。こんな夜の出来事を知られたら、心配かけるに決まってる。ルナも何も言わんやろ。それにしても――。
「あいつ、ほんまにアホやな……」
静まり返った夜空を見上げながら、少し笑みをこぼし、心の中でそう呟いた。




