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アドラ 暗部育成施設

城に戻ると、門の前にはお金をくれたジグルドが待っていた。彼は私と同じ獣人族の大男で、巨大な黒い槍をしっかりと握りしめていた。その鋭い眼差しと厳つい姿に圧倒されるけれど、ふと、その表情にわずかな悲しみが宿っているように見えた。冷たい空気の中で立ち尽くす彼の姿には、まるで私の未来を案じているかのような、言葉にはできない寂しさが漂っていた。


ジグルドは私を見下ろし、低い声で言った。


「お前はまだ城には入れない。…ついて来い」


その一言で私に従う以外の選択肢はなかった。私は静かに頷き、彼の背中について歩き出した。門を抜け、城から少し離れた場所にある、ひっそりとした石造りの階段へと導かれる。階段は冷たい石でできており、壁の隙間からは湿った空気が漏れ出している。降りるごとに足元が冷え、どこか重苦しい気配が漂っていた。


階段を降りきると、目の前に広がったのは想像を超えるほど広大な地下空間だった。天井は高く、石造りの壁には、古びた鉄製の松明が等間隔に並んでいる。松明の炎は弱々しく揺れ、広間の隅々まで完全には照らせていない。揺らめく光と影が入り混じり、空間全体に不気味な雰囲気を漂わせていた。


その広間では、私と同じくらいの年齢の子供たちが何人も、無言で戦いの訓練をしていた。彼らの動きは素早く、体には汗がにじみ、目は鋭く冷たかった。互いに技を繰り出し合い、無駄な動き一つない洗練された動作で武器を振るう。その一挙一動に、ここがただの訓練場ではなく、命を懸けた戦いの場であることが伝わってくる。


壁際には古びた木製の棚があり、そこには無骨な訓練用の武器が並べられていた。棚の上には少量の食糧が置かれ、場所の寒々しさを強調するかのように、無造作に置かれた鉄製の檻も見える。檻の中には錆びた道具や古ぼけた装備が散らばっていて、見るからにこの場所が過酷な環境であることを物語っていた。


ジグルドは広間の中央で立ち止まり、振り返って私をじっと見つめた。その眼差しは冷たく、容赦ないものだったが、どこか私の決意を試すような厳粛さも感じられる。


「ここで、お前も鍛えられる。生半可な覚悟ではついてこれんぞ」


その言葉が静かに響き渡り、地下空間の冷たい空気に溶け込んでいくようだった。


その日を境に、地獄のような日々が幕を開けた。


朝、まだ寝起きの頭がぼんやりとしている間も容赦はなく、叩き起こされるとすぐに戦闘訓練が始まる。冷たい石畳の地面に足を踏み出すと、肌に染みるような冷気が、私を容赦なく目覚めさせる。広間に響く鋭い足音や、武器が空を切る音が背筋を凍らせる。目の前に待ち受けるのは、私と同じくらいの年の子供たち、そしてあのジグルド。


なぜか私は、ジグルド本人から直接指導されることが多かった。他の教官が見守るだけでいる中、ジグルドは私の目の前に立ち、冷酷な眼差しで一切の容赦なく動作の指導を行ってくる。そのたびに冷たい汗が背中を伝い、彼の鋭い目が私の一挙一動を見逃さないように感じられる。身を固めながら必死に彼の動きを見ようとするが、ジグルドの動きは鋭く、速く、私は常に後手に回ってしまう。


昼になれば、訓練は終わらず、今度は教養の時間が始まる。広間に並べられた無骨な木製の机に座らされ、分厚い本が机に置かれる。椅子の背もたれは硬く、長時間そこに座っていると背中が痛む。広間の隅には、鉄製の棚に収められた古い巻物や本が並んでおり、埃っぽい匂いが漂っている。書物の文字は難解で、一つひとつを読み解くのに頭をフル回転させるが、分からないまま次々に進む。教官たちの冷たい視線が背中に突き刺さり、少しでも気を抜けばすぐに「価値がない」と切り捨てられるかのような緊張感が漂っている。


夜になると、再び戦闘訓練が始まる。今度は暗闇の中での訓練や。広間には松明が一本だけ灯り、周りはほぼ闇に包まれている。目が慣れる前に、ジグルドが声もなく近づいてきて、冷酷に問いかける。


「相手の気配を感じろ。目だけに頼るな」


その言葉の直後、突然私に襲いかかるジグルド。音もなく忍び寄る気配に、私の心は張り詰め、少しでも気を抜けば捕らえられるという恐怖が全身を支配する。足音ひとつ立てずに背後から攻撃を仕掛けてくるジグルドの動きに、私の体は本能的に反応しようとするが、彼の圧倒的な力量に押され、呼吸すら乱される。


こうして、朝から晩まで続く地獄のような訓練と、ジグルドの冷酷な指導に耐えながら、私はただ必死に、この場所で生き延びるための力を身につけようとしていた。


その地獄のような毎日の中で、私の唯一の救いは、同じ部屋で過ごすエマとレオンの存在やった。


私たちの部屋は決して広くなく、窓もない閉ざされた空間で、壁は冷たい石で覆われていた。薄暗い灯りが一つだけ天井から吊るされ、その淡い光がぼんやりと部屋全体を照らしている。光と影が揺らめく中で、部屋はまるで洞窟のような閉塞感に包まれていて、外の世界とのつながりを一切感じられなかった。


部屋には、古びた木製のベッドが三つだけ並んでいた。どのベッドも硬くてきしみ、少し動くたびにギシギシと音を立てたが、それでもここが一日の終わりに身体を休められる場所だと思うと、それすらありがたく思えた。薄い布団が一枚ずつ敷かれているだけで、寒い夜はその布団をぎゅっと抱きしめながら眠るのが精一杯やった。


部屋の片隅には、低い木のテーブルが一つだけ置かれていて、その上には小さなランプが一つ。ランプの光はほのかで、周囲の影を薄く照らし出すだけだったけど、その暖かい光が、どこか心をほっとさせてくれた。エマが毎晩そのランプを灯して、部屋に柔らかな光が広がる瞬間が、私たち三人にとって小さな安心の象徴やった。


エマはそのランプの光の中で、穏やかに微笑みながら「大丈夫やで」と私に声をかけてくれる。彼女がベッドの端に腰掛け、優しい目で私たちを見つめる姿は、暗く冷たい部屋の中で、唯一の暖かさやった。エマのそんな優しさに触れるたび、私は少しだけ、この場所でも頑張ろうと思えた。


そして、レオンはテーブルに向かって足をぶらぶらさせながら座り、エマに弟のように甘えている。その無邪気な姿を見ると、つい笑みがこぼれる。レオンは時折、「姉ちゃん、今日もお疲れさんやで」とエマに声をかけ、その純粋な優しさが、私の心にも染み渡ってくる。


三人で過ごすこの空間は、厳しい施設の中での唯一の安らぎの場やった。部屋そのものは何の贅沢もない場所で、殺風景な家具に囲まれ、窓もなく、外の世界も見えへん。けれど、この小さな部屋にはエマの優しさとレオンの純粋な気持ちが満ちていて、私にとっての「家族」みたいな温もりがそこにあった。




一年が経った頃、私たちの小さな日常に大きな変化が訪れた。ある日、エマと他の数人が城に呼ばれることになったと聞かされた。突然の知らせに、胸が強くざわつき、不安が心の奥底から湧き上がってきた。この場所では、一度呼ばれたらもう戻ってこないことも珍しくない。それでも、そんな現実を認めたくなかった。


エマは私とレオンの顔を見て、少しだけ眉を下げたあと、いつもと同じ優しい微笑みを浮かべてくれた。その微笑みが、今にも壊れてしまいそうなほど儚く見えて、胸がぎゅっと痛んだ。


「大丈夫や。すぐ帰ってくるからな」


エマの言葉が、まるで温かい毛布のように心にしみ込んできたけど、その温もりと引き換えに、何か大切なものが消えてしまうような、そんな気持ちがしてならなかった。声を出したかった。でも、何を言えばいいのかもわからず、ただじっと彼女を見つめるだけやった。


エマが振り返り、ゆっくりと歩き出した。レオンも私も、何も言えずにただその背中を見つめていた。彼女の歩みは静かで、淡々としていたけれど、背中がどこか小さく見えて、これが本当に最後になってしまうのではないかという恐怖が全身を駆け巡った。


エマの姿が廊下の向こうに消えるまで、私はじっとその場を動けなかった。最後に交わした「大丈夫や」という言葉が頭の中で何度も響き渡り、そのたびに心が締め付けられるような気がした。


あれが、エマの最後の言葉やった。それ以来、私はエマと一度も会えていない。


エマが去ったあの日から、私とレオンの心には、彼女がいない喪失感が深く刻まれた。エマの優しい言葉や温かい笑顔が、もうこの部屋に戻ってこないかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうやった。でも、ただ悲しんでいるだけでは、エマとの思い出が色あせてしまうような気がして、それだけは絶対に避けたかった。


その日から、私とレオンはお互いを見つめ、無言のうちに決意を共有した。「エマの分まで、私たちは強くなる」と。言葉はなくとも、その目には確かな決意が宿っていた。


朝の訓練が始まると、私たちは真剣に向かい合った。汗が額を伝い、息が荒くなるたびに、心の中でエマの「大丈夫や」という声が聞こえる気がした。レオンも、普段の柔らかい笑顔を消して鋭い目つきで私を見つめてくる。その真剣な眼差しに応えるように、私は力強くうなずき、木剣を握り直した。


「来い、レオン!」


私の言葉にレオンが反応し、素早く駆け出してくる。お互いの動きは研ぎ澄まされ、まるで心が通じ合っているかのように技を繰り出し合った。木剣が交わるたびに響く音が、訓練場に鳴り渡る。それは、エマに届けたい私たちの決意の証やった。


昼の教養の時間も、二人で励まし合って学んだ。難解な文字を必死に読み解き、互いに教え合いながら知識を深めていく。レオンが分からない箇所を私に尋ね、私がうまく理解できないところをレオンが補ってくれる。私たちは、お互いの力を最大限に引き出すことで、まるで一人のように強くなっていく気がした。


夜の訓練が終わると、部屋に戻ってエマのランプを灯した。小さな光が暗い部屋に広がり、その柔らかな明かりに、エマの笑顔が蘇る気がする。レオンが静かに呟く。


「エマ姉ちゃん、きっと見てくれてるよな…」


その言葉に、私も小さく頷いた。エマがどこかで私たちを見守ってくれていると信じることで、私たちは前を向いていられた。そして、この施設内で、私たちはトップの成績を出し続けた。エマはきっともう戻らない、彼女の誇りに恥じないよう、私とレオンは切磋琢磨し続けたんや。

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