放課後
先生が黒板に書いた宿題や連絡を、連絡帳に記入する。
書く内容が少ない日もあれば、やたらと多い日もあった。書いている途中で「書くの面倒だな……」と思うこともあった。
私がそう思った時は大概、集中力が切れている。そして、書き間違いや書き忘れをすることになる。
あの日もそうだった。二年生か三年生の時、帰ってきて連絡帳を見て仰天した。あり得ない量の算数の宿題が、連絡帳に記入されていた。
計算ドリルのことを、私達は〝ケド〟と呼んでいた。その日の連絡帳には〝ケド8〜25〟と記入されていた。
記入されていた、と書いたが記入したのは間違いなく私である。
今までにもケドの宿題は何回もやってきたが、多くても3ページか4ページといったところだったと思う。しかし、この日は18ページも宿題になっていたのだ!
慌ててケドを開く。8から25をざっと見たけどピンとこない。私は算数が苦手で、授業中はほとんど他のことを考えていたので、内容を見ても授業で習ったか否かわからないのである。
つまり、宿題の範囲として内容が合っているのか判断ができないのだった。
次に思いついたのが、何かの宿題と重ねて書いてしまったのではないか、ということだった。
国語の音読の宿題が出ていた。25は国語の教科書のページ数ではないか。そう思い、早速教科書を広げる。
しかし、全く関係のないページがあっただけだった。
目の前が真っ暗になった。一晩でケドを18ページも完成させられるとは、到底思えないというか不可能だ。
半泣きになりながら、取り組み始めたが遅々として進まない。午後十時前になってもケド10か11といった程度。
見かねた母が「一生懸命やったけど、できませんでしたって先生に言いなさい」と言って、私もそこでケドを仕上げるのを諦めた。
翌日学校に行くと、ケドの宿題は出ていたが、25までも宿題になっていなかった。当たり前といえば当たり前である。
大人になって気づいたのだが、同じクラスの友達に連絡して聞けばよかったのだ。その当時はそんなことを思いつきもしなかった。
目の前に予想だにしないことが起こると、静かにパニックになる。それは大人になった今も同じだ。
この文章を書いて、子ども時代の自分が生きにくかったことに気がつきました。
普通、であろうと必死だったのだと思います。
でも、みんないろいろ特性があっていい。
大人になった今、心からそう思います。
私は私らしく生きていきたい。
今、しんどいなぁ、生きづらいなぁと思っている方、一緒に楽しく生きていきましょう!
辛いときに、この時間割を読んでもらえたら嬉しいです。