在るべきところへ帰りましょう
「マチルダ! アイリを何処へ連れて行った!」
「陛下、落ち着かれませ。戻ってきたばかりでそのようなことを仰せになられても何が何やら」
「黙れ! 間違い無く貴様の仕業であろう!」
長旅から戻ってきたばかりだというのに労う言葉の1つもないとは……相変わらずの能無しぶり。これで国王とは呆れてものが言えません。
私はこの国の側妃マチルダ。目の前で罵声を浴びせているジュリアンの2番目の妻です。
事の発端は彼の最愛の女である正妃が息子である王子殿下と共に突如として行方をくらませてしまったこと。私がそれを聞いたのは隣国からの帰途に就く途中にもかかわらず、私が2人を拐かしたと疑っておられるのです。
「私は陛下の代理で隣国に赴いておりましたというのに、どうやって拐かしたと仰せなのですか」
「誰かに命じたのであろう!」
「何のためにですか?」
正妃がいなくなれば陛下が私に愛を向けてくれると考えたから? ありえません。私は貴男の妻になる気は全く無かったのですもの。
陛下はお父上が早くに亡くなったため、13の年に即位。当初は太后様が摂政として国務を担われておりましたが、後々のことを考えて後ろ盾になる貴族を取り込む目的で国一番の貴族であるシンプソン公爵家の令嬢スカーレット様を婚約者に据えられたのです。
正妃様の名前と違う? 当然ですね、スカーレット様は婚約破棄されましたので。
その原因が今の正妃。名前を呼ぶほど親しくありませんし、様を付けるほど敬ってもおりませんので呼び捨てにいたしますが、アイリと名乗る少女が現われたのは陛下が15の年。ある晩、王都の郊外で一筋の光の柱が天から降り注ぎ、そこに現われたのが彼女なのです。
この国では珍しい黒目黒髪のその少女は、どうやらこの世界とは文明も考え方も全く異なる違う世界から来たようですが、魔術の世界では彼女のような者を転移者と呼び、実例は少ないものの過去にも何度か現われたことがあるのだとか。
そして転移者とは例に漏れず何らかの偉大な力を持っていて、彼女のそれは治癒魔法。並大抵の魔術師では敵わぬほどの魔力を持つ彼女は王室で正式に保護されることとなり、陛下がその後ろ盾となられたのです。
たしかに彼女の治癒魔法は聖女と呼んでもおかしくない力でした。それこそ王室に保護され、右も左も分からぬ頃、命じられるままとはいえ貴賤を問わず多くの命を救われた事実は消えるものではございません。
しかし陛下とその女は次第に惹かれ合うようになり、彼女もその寵愛を受けるにつれ、不安そうにオドオドしていた当初の面影は消え、傲岸不遜な姿勢が増えるようになり、最初の頃は献身的に向かっていた平民向けの救護所へも足を運ぶことは減り、ついには治癒の力をもったいぶって使うこともなくなったのです。
スカーレット様はそのことに何度となく苦言を呈されましたが、醜い嫉妬と陛下に一蹴され、アイリもスカーレット様に対して表向きは謙っているように見せて、裏では陛下の寵愛は自分だけのものだという態度がにじみ出ておりました。
もちろん太后様はそんな息子を何度も窘めました。しかし陛下は「アイリは聖女である。公爵家の力添えが無くとも彼女がいればこの国は安泰だ」と一顧だにしませんでした。
そしてそれからも状況が好転することはなく、陛下が18のとき、代理として慣れぬ政務に身を削ったうえ、息子の行状に心を痛めた太后様が病に倒れそのまま帰らぬ人となり、ついに陛下が親政するときがやってきたのです。
後は言うまでもありませんね。止める者がいなくなった陛下は、聖女アイリを害そうとした罪によってスカーレット様を断罪。婚約は破棄され、代わってアイリが正妃の座に就いたのです。
そんな状態なので多くの貴族が陛下の命に従わず国政は混乱。そのため次第に政への興味の失せた陛下は後宮に籠もるようになり、代わりに政務を執る王族が必要になりました。
とはいえ正妃は貴族のマナーやこの国の内情など全く学んでいないので論外。そこでそれなりの格を有する家の令嬢を側妃にして政務にあたらせようとなったのですが、前のスカーレット様の一件があったため、その二の舞は御免だとばかりに適齢の娘がいる家は国内外を問わず次々に嫁に出してしまったので、消去法で私が選ばれたのです。
何故私が残ったのかというと、私は陛下の弟であるアーヴィン殿下の婚約者だったから。
弟がいるならば彼を摂政とすれば良いのではないかと思いましたが、弟に実権を握られるのは嫌だったようで、ならばその婚約者でそれなりに国政のなんたるかを見てきた私を自身の側妃にしてしまえばいいと考えたようなのです。
そのときは弟の婚約者をそのような方法で奪い取るなどとは思いもしませんでした。こんなことになるなら結婚を前倒しにしていればと後悔いたしましたが、他に適任者もなく、国政の乱れを憂う家臣たちの懇願もあって側妃となったわけです。
「ですから私が陛下に懸想する理由はございませんでしょ。此度隣国へ赴いたのも陛下が行けないと仰せゆえ、仕方なく口裏を合わせて参ったと申しますのに、わざわざこのような騒ぎを起こす謂れがございません」
隣国へ向かったのは彼の国の王太子の婚礼のため。本来は陛下が招待されておりましたのに、正妃の体調が思わしくないから行きたくないと我が儘を申されたので、体調が悪いのは陛下本人であると偽って代わりに私が向かったのです。
正妃も正妃で産後の肥立ちが……と申しておりましたが、高笑いする声が部屋の外まで聞こえてくる体調不良とは一体なんなのでしょうかね。子供が生まれてもう5年も経つというのに?
「正妃様は産後の肥立ちが悪く伏せっている。陛下も体調が思わしくない。そういうことになっておりますのに、こんな騒ぎが隣国に伝われば出席したくないから嘘をついた。我々を謀ったな! と要らぬ疑いがかけられますのに」
「だが貴様以外には考えられぬ!」
それをして私に何の得があるというのか……
婚約者と引き離され、姉妹のように接してくださったスカーレット様を貶めた男の妻とさせられ、ただ政務を代行させるためだけの側妃となった私が何の目的で正妃を害さねばならぬと言うのか。
「陛下。側妃様は全く無関係ですよ」
「アーヴィン殿下……」
「アーヴィン、貴様この女を庇うのか」
陛下と押し問答をしているところへ仲裁に現われたのはかつての婚約者アーヴィン殿下。私を疑う前にこの報告書に目を通してくれと、資料を陛下に手渡します。
「これは何だ」
「正妃様のお姿が見えなくなる前後の状況を調べた報告書です」
「……どういうことだ」
「読んでの通りです」
報告書には後宮から一筋の光が天に昇り、光が消えたと思ったら正妃の姿が王子もろとも見えなくなったと記されている。
「たしか正妃様が現われた折、一筋の光の柱が天から降り注ぎ、そこに現われたのだと聞いておりますが」
「それが何だというのだ」
「今回はその逆。地上から天に光が昇った。これすなわち、以前とは逆のことが起こったのではないかと」
「……!! アイリが天に召されたと言うのか!」
酒食に溺れ思考能力が鈍った陛下でも、アーヴィン殿下言わんとしていることを理解したようで、まさかそんなと狼狽えております。
「何故だ! 何故そのようなことが起こるのだ……」
「分かりませぬ。そもそも転移者がどのようにやってくるのかすら分からぬのですが、やってくると言うことは帰って行くことも大いにあり得るのではないでしょうか」
「そのような話は聞いたことが無いぞ! それに息子までいなくなるとはどういうことだ!」
「過去がどうかは知りませぬが、本来彼女はこの世界にいるべき存在ではなかった。そしてその血を引いた子もまた同様。元の世界に戻るとなれば共に連れられてしまうのかもしれません」
「そんな……アイリ、アイリ……」
「いかんな、陛下は酷くお疲れのご様子。誰ぞ、陛下をお連れせよ。いいな、決して陛下から目を離すでないぞ」
取り乱した様子で半狂乱となった陛下。殿下は衛兵に介護するよう声をかけると、項垂れる陛下が抱えられるように連れて行かれました。その方向は……寝所とは正反対の方向、離れの奥ですね。
◆
「さて側妃様。いやマチルダ。陛下の代理ご苦労であった」
「お気遣いありがとうございます。あの魔石がお役に立ったのですね」
「ああ。アレを発動させるのに必要な魔石を集めるのに時間がかかったが、上手く成功した」
殿下が仰るアレというのは、転移魔法のこと。
転移者がどうやってこの世界にやって来たのか。魔力が関係していることは分かるが、それ以上の仕組みは長く解明されていない話。高名な魔術師でもあるアーヴィン殿下はそれを解明するよう陛下に命じられていたのです。
「当の本人はすっかり忘れていたようだけど」
「そのようですね」
何故陛下がそのような命を下したかといえば、こちらに来た当初、お家に帰りたいとさめざめ泣いていたアイリのため。不憫に思ってどうにか手がかりでも掴めないかと命じたのがその発端でしたが、そのうちに陛下とアイリは想い合うようになり、転移魔法の解明を命じたことなどすっかり忘れ去ってしまったようです。
「困るよね。命じたなら最後まで結果を見るか、途中で止めるよう命じてくれないと。おかげで必要かどうか分からない研究を最後までやることになってしまったよ」
「その割にお顔が楽しそうですが?」
「それはそうさ。僕だってこの国の王子だ。国が乱れるのを黙って見ているわけにはいかないでしょ」
アーヴィン殿下の生母は身分が低く、最初から後継は陛下と決まっていたようなもの。長じてからアイリに傾倒するようになって、太后様もようやく王位の交代を考え始めたようですが、陛下が命じた転移魔法の解明が難題だったこともあって、結果的に殿下を国政から遠ざけることとなったのです。多分そこまで考えて命令を発したわけではないと思いますが……
「マチルダだって何だかんだ言って協力してくれたではないか」
「殿下の才能を一番よく知っているのは、他でもない私ですから」
元婚約者の私は幼い頃から殿下の魔法の才を身近で見てきました。転移魔法の解明に取り組む殿下の姿も。
途中、本当にこれは必要なことなのかと2人で思うこともありましたが、アイリが変節しスカーレット様が放逐されるに至り、彼女がここにいては害悪でしかない。どうにかして合法的にその存在を消すことは出来ないかと考えた結果、術式を完成させるべきだという結論に至り、殿下はほどなく理論として術式を完成させましたが、発動には高純度の魔力を有した魔石が大量に必要で実際に決行するは難しいと判明。
ここで転機となったのが私が政務を司るため側妃となったこと。言い方は悪いですが国政を動かすことが出来るようになった私は、国費を使い高純度の魔石を少しずつ収集するようになったのです。
その費用は決して安くはありませんでしたが、私の手がけた行政改革で浮かせた費用と、足らぬ部分は陛下と正妃の遊興費と偽って捻出。気付いた者もいたでしょうが、何より彼女がいることで不安定な国政が正せるならば先行投資としても十分に元は取れると踏んだのか、誰も深くは探ろうとしませんでした。
「その最後の一押しが、今回の隣国訪問とは兄上も思わなかっただろうね」
「ええ。スカーレット様には大変お世話になりました」
正式には結婚式への参列でしたが、私の一番の目的は魔石集めのため。隣国で手広く商売を営んでいる侯爵家にその収集を依頼したのです。
そう。その侯爵家の夫人はこの国を追われたスカーレット様。
彼女が断罪されたとき確たる証拠はなく、アイリ本人がスカーレット様に酷い仕打ちを受けたという証言のみ。そのため貴族たちは当然の様に反発し、特に娘を辱められた公爵家はその筆頭で、内乱も辞さぬ覚悟で陛下に抗議した結果、スカーレット様の処刑を望んでいた陛下もさすがに強気一辺倒とはいかず、国内からの追放処分となって、又従兄である隣国の侯爵家に嫁いでいかれだのです。
「スカーレット様には代わりに面倒な事をさせてしまって申し訳ないと詫びられました。彼女も被害者でありますのに」
「だがそのおかげで魔術の発動に必要な魔石が集まったわけだ」
私が帰国するよりも早く密かに魔石を殿下の元に届け、私が帰国するよりも前にアイリを元の世界へと帰したというのが事の真相。私は無関係を装うため、陛下の詰問に知らぬ存ぜぬで押し通したのです。
「アイリは無事に元の世界に戻れますでしょうか」
「どうだろうな。何年も音信不通だった娘が子を成して帰ってきたとなるとそう簡単な話ではないだろうが、帰りたいと言っていたのは他でもない彼女本人だからな」
在るべきところに帰る。僕たちはその手伝いをしただけだから気に病むことは無いと殿下が慰めるように仰います。
「これからこの国はどうなりますか?」
「そうだな。兄上は心神衰弱のため王位に留まるのは難しいとして譲位となるだろう。王子殿下も不在となれば……跡を継ぐのは僕か」
太后様もお亡くなりになる直前には、アーヴィン殿下へ王位を交代しようと考えておられたようなので、これも在るべきところに帰ることになるのでしょうか?
「ですが殿下はお妃様がおられませんから、即位されるならそれも早く決めませんとね」
「マチルダが正妃になればいい」
「私が!? 私は兄上の側妃ですよ!」
殿下が突拍子も無いことを言い出しましたが、兄が亡くなってその未亡人を娶って跡を継ぐというのはそう珍しいことでもないだろうと仰います。まあ……無いわけではございませんが、自分がその立場になってみると何とも言えぬ気分ですね……
「兄上とは男女の交わりも無かったのであろう。それは皆が知っていることだし何の問題も無い」
「そうですけど……」
「皆が在るべきところに帰るのならば、マチルダも例外ではない。君は僕の妻になるはずだった人だ。それとも……もう僕には興味無いかな?」
「そんなことは……ありません」
「なら、僕と一緒に王国の再建を手伝ってくれないか」
「……はい」
その後程なくして国王ジュリアンは心神衰弱のため退位すると公表され、弟のアーヴィンが即位。
妻のいなかった彼が兄の側妃を自身の正妃に迎えたのは、それまで国政に携わっていた彼女の力を必要としていたからだと表向きには唱えていたが、誰もそれを本気にはしていなかった。
彼の妃に対する接し方は愛に溢れ、彼女を見る目はいつまでも視界から離したくないと言わんばかりであったことを隠しもしなかったから……
「在るべきところに帰るのならば、スカーレット様は?」
「あの兄上の側だよ。スカーレットの方が嫌がるんじゃないかな。あちらで楽しくやっているそうだし」
「ジュリアン様は?」
「兄上も転移魔法でアイリのところに送ろうか」
「魔石の予算が」
「諦めようか」
「そうですね」
お読みいただきありがとうございました。