彼女の名は。
「おーい、朝だぞう。そろそろ、起きたらどうだ」
前回に引き続き、寝れない一夜を過ごすはずだった君は、またもや簡単に寝てしまっていた様だ。温かい布団の中、微睡から聞こえてきたのは、よく知っている声である。
「やっぱり、君は寝坊助さんだな。また、朝ごはんを一緒に食べられないじゃないか」
全く持って、彼女の言う通りだ。
そんなことを思いながら、君は眠い目を強引にあけ、食卓へ向かうのだった。
さて、食卓に着いた君の面前に現れた朝食は、エビや貝柱が入ったお粥に、湯豆腐みたいなモノ、あとは野菜のサラダなどだ。お粥は、君が食べたことがあるお米だけの様な質素なものでは無く、具材が入った豪華なもので、湯豆腐みたいなモノには、海苔やスライスされた揚げパンみたいなモノがのっている。
この見慣れないメニューに、君は少し面食らってしまうことだろう。両手を合わせて頂きますと言ったはいいが、イマイチ食事に手を出せないでいた。
だからだろうか。その君の様子を見て、向かいに座る彼女がメニューの紹介を始めた。
「ふふ、中華風の朝食は珍しいかな? そのお粥は中華風のモノで、干しエビと干し貝柱で出汁を取ってある。そして、そこの湯豆腐みたいなモノは、鹹豆漿と言ってね、豆乳にスライスした揚げパン(油条=ヨウテャオ)に薬味と、少々の酢と塩と醤油で味付けしてあるんだ。きっと君も気に入ってくれると思うから、一口手を付けてみてくれないかい?」
可愛い彼女にそう勧められ、君は一口、中華粥を食べてみる。干しエビと干し貝柱の出汁は、奥深くもさっぱりした味で、香りも豊かだ。これは、おいしい。
そして、君は鹹豆漿も一口食べてみる。温かいそれは、薬味、酢、塩、醤油がうまく混ざり合った独特の旨みと、ふるふるに固まった豆乳が上手くマッチしている。これは、おいしい。
3度目でも、やっぱり驚いてしまう。彼女が作った料理は、全て美味しかったのだ。どうしてもびっくりしてしまい、料理した彼女を見やると、その張本人は何時も通り玄関の前に来ていた。
「私はもう出るよ。わかっていると思うけど、ごはんを食べ終えたら、食器は最低限、水につけておいてくれ。それじゃ、行ってきます」
行ってらっしゃい、その言葉も、いい加減、君には慣れたモノになって来た。
「おはよう、最近、本当にどうしたの? 今日も早いね」
そんなことを聞いてくる千明女史。まあ、嫁が最近出来たんだよ。とは、言えない君だ。適当に語化してはぐらかすのだった。
「チッス、おはようさん」
「えっ? 本当にみんなどうした? 芥まで早いとかびっくり!」
君も芥へおはようと、挨拶を返すと、彼はニッと笑顔を返してきた。それとは対照的に、彼女へは少し馬鹿にしたような表情を返していた。
「なんだ、お前忘れてんのか? 今日は朝の集会があるだろ。だ・か・ら、早く来たんだよ」
そう、朝の集会が有る場合、いつも朝会がある時間になったら体育館へ行かなければならない。だからこそ、彼は何時もより早く学校へ来たという訳である。
「あっ! ……別に、忘れてないし!」
「なら、『あっ!』てなんだよ。『あっ!』て。たくよ、千明は意地っ張りで困るよなー、大和」
まあ、実は君もそのことは知らなかった。今聞いて、あれ? そうだっけ? と、思うレベルで忘れていたのだ。だから、そんな同意を芥から求められても、君は誤魔化しの笑顔で応えるのがやっとだった。
「芥たち、じゃれ合うのもいいけど。そろそろいかないと、朝の集会に送れるぞ。さっさと行こうぜ」
そんな、同級生の一人の呼びかけで、君たちは体育館へ向かうのだった。
朝の集会で、君は一年生の列の中央に並んでいた。並ぶ場所は特に決まっては居ないが、この辺りが君の何時もの居場所だった。
「体育館、クッソ寒いよなあ。全くよ、冬にこんな朝早くから、集会なんかやんなっていうんだよ」
また、芥がとなりに来るのも何時ものことである。
「そういや、今日の集会、まずはじめに生徒会長の撫子先輩がなんか言うらしいぜ。多分、今日の集会は、あの美人さんと、寒いってことしか記憶に残んねえな」
芥が言うには、この学校の生徒会長は美人らしい。ただ、人数の多いこの学校で、陰の薄い生徒会のメンバーのことなんて、君の記憶には無い事だろう。
美人だと言われても、君にはピント来るものが無く、そうだねとしか返す言葉が無かった。
「おっ、司会の先生が出てきたってことは、そろそろ始まるぜ」
どうやら、それは彼の言う通りのようで、チャイムが鳴り終わると同時に、その先生にから今日の流れと、初めの挨拶がなされた。
そして、ついに、その先生から生徒会長の名前が、呼ばれることとなる。
「では、生徒会長の『大和 撫子』さん。演台の前に来てください」
『大和』と呼ばれる、生徒会長の名前。
「はい」
ついで聞こえてきたのは、よく知った声だ。
その声とともに、整列する生徒の2年生の列から出てきたのは、やっぱり君のよく知っている人物だった。
演台の前に立った、その絹の様な長い髪を棚引かせた彼女は、普段見るよりきりっとしていて、他人のように見えた。
そう、良く考えれば、わかることだった。
人の苗字が変わる理由なんて、そうは無い。だったら、今の君に有り得る理由と言えば、一つだろう。
「そういえばよ。あの生徒会長とお前の苗字っていっしょだよな。親戚かなんかか?」
そんなことを言う芥に、君は、彼女が嫁で、結婚しているからだよとは、思っていても口に出すことは出来ないのであった。