知らない嫁に起こされた。
微睡という奴は厄介だ。なぜなら、忘れていた何かを思い出しそうになるからだ。それは思い出せない何かで、無理やり思いだそうとすると、無いはずの何かさえ思い出しそうになる。
だから、この微睡の中を、聞き覚えの無い声で起こそうとしている存在が、思い出せない何かなのか、それとも無いはずの思い出なのか、君には判断がつかないはずだ。
ならば、起きて確かめるしかない。そう、君の為にも、彼女の為にも。
「もう、朝だぞう。そろそろ、起きたらどうだ。いいかげん、学校に遅れてしまうよ」
ゆっくりと目を覚まし、上半身をあげて君を起こす存在を見る。そこに居たのは、絹の様に美しい黒髪を結った少女だった。少し釣り目の、見たことも無いほど綺麗な少女で、白磁器のような肌とその黒髪がよく映えていると、君は思うはずだ。
やはり、君には見覚えの無い少女で、そんな彼女から起こされたことに、ただただ驚いてしまう。
「やっと起きたのか、この寝坊すけさんめ。起きたのなら、そんな驚いた顔をしていないで、さっさと顔を洗ってごはんを食べてくれ」
そんなことを言って去って行った彼女を、君は唖然としながら見送るのだった。
独りで暮らすには広いと思っていた1LDKのLDKへ来ると、君を出迎えたのは温かい和食と、やっぱり見覚えの無い少女であった。
彼女はもう食事を終えたのか、一人分の食器を洗っている。その手際の良さをみて、彼女は出来る女だと君は思うはずだ。
思うはずだが、そんなことをぼんやりと考えていても仕方がない。何はともあれ、朝起きたのなら、やることといえば挨拶だろう。
おはようと、君は声をかけてみた。
「ああ、おはよう。いつもギリギリまで寝ている君のことだから、まだ眠いだろうけど、ご飯を食べてくれるかい?」
時計を見ると、今は朝の7時15分。いつもなら8時近くまで寝ていて、8時30分から始業の学校へギリギリに着くのが日課だ。それから考えると、彼女の言う通り、今日は随分と早い。
だからと言って、二度寝をしようなんて、君は思わないだろう。まあ、起きてしまったのなら仕方ないと席に着き、食事をとる。
今日の朝食は、炊き立てのごはんと温かい味噌汁、焼いたシャケと漬物類などだ。コンビニのお弁当類と比べると、食事という行為と栄養補給という行為の違いを感じるほど、温かみのある食事だ。
一口、ごはんを食べてみる。おいしい。
シャケを一口食べてみる。おいしい。
味噌汁を一口と言わず、ずいと飲んでみる。おいしい。
これは驚きだ。彼女が作った料理は、全て美味しかったのだ。びっくりして、料理した彼女を見やると、その張本人は玄関の前に来ていた。その姿をよくよく見てみると、高校の制服を着ている。
「私はもう出るよ。ごはんを食べ終えたら、食器は最低限、水につけておいてくれ。それじゃ、行ってきます」
行ってらっしゃい。そんなことを言ったのは、高校生になって冬を迎えた今となっては、久しぶりのことだった。それも、見知らぬ少女へとなると、新鮮な気持ちしかない。
そして、料理を口に運びながら、彼女は誰だったんだろうと、君は思うはずだ。
疑問だらけの朝。そんな、爽快とは言えない中でも、朝食の美味さだけはハッキリとしていた。
君は朝食を済ませ身支度をすると、家を出て高校へと向かう。その、いつもより早い登校時間の中、さっきの彼女は誰だったんだろう? と、頭を悩ませてみる。
まず、綺麗な彼女については、名前すら思い出せない。いや、もともと知らないのかもしれないけれど、全く素性が分からないのは確かだった。
こうなると、彼女の存在自体、夢か幻であったと考える方が自然だとさえ思えるのに、それだけは無いと言える。なぜなら、あの家にはパッと見ただけでも、見覚えの無い彼女の私物だと思えるものが沢山あったし、彼女が落とした長い髪もあったからだ。
つまり、彼女の実在性は証明されていると考えていい。
そうなると、もしかしたら自分が彼女のことを忘れているのかもしれないと、君は思うだろう。つまり、記憶喪失だ。そんな疑念を懐いた君は、自分の記憶を思い出してみることにする。
自分は、高校1年生の学生だ。中学までは両親と三人で暮らしていたのだが、その両親に勧められ、無理して受験した進学校に受かり、こうして遠方の地で一人暮らしをすることになった。
なるほど、記憶はしっかりしていて、問題があるようにも思えない。
なら、本当に彼女は何だったのだろうと、君は頭を悩ませるしかないのであった。