3
ランドセルを私の机に放り投げて、私は教卓に向かった。今日は、先生の机の上にプレゼントが置いてある。大きな花瓶に、たくさんの花。私は、思わずぐるりと教卓の周りをまわって、様々な方向から花瓶と花を見てしまう。綺麗。なんだっけ、この花の名前。見たことがある。えっと、確か……。
そのときだった。静かに、ドアが開く。てっきり早起きのソウタ君だと思っていた私は、現れた人物の姿を見て、驚いて声を上げてしまった。
「わあ!」
「わあ」
相手も驚いていた。私がいるなんて、思わなかったのかもしれない。
「おはよう、ヒイラギ君」
「おはよう、ワカタニさん」
お互い、目を丸くしながら挨拶をする。
「どうしたの、こんなに早く」
「俺のセリフだよ、どうしてこんなに早く」
「今日も、プレゼントあるかなって」
そこでヒイラギ君は「わあ」ともう一度声をあげた。やっと、教卓の上に置いてある花に気がついたみたいだ。教卓に歩み寄り、私の向かいに立って、大きく息を吸う。
「何これ?」
「置いてあったの」
言った瞬間、私はいいアイディアを思いついた。
名探偵につきものの、助手! 物知りで勇気もあるヒイラギ君という助手がいれば、私は無敵の名探偵だ。
「あのね」
言いかけた、その時。
「何か挟まってる」
「え?」
ヒイラギ君の手に、一枚の紙きれが握られていた。ヒイラギ君はそれを見て、眉をひそめる。
「どうしたの?」
「もうすぐ、おわかれって、ひらがなで」
歩み寄った私に、くるん、と紙をこちらに向け、見せてくれる。
「へたっぴな字」
よれよれの字。そうだね、とヒイラギ君がうなずく。
「左手で書いたみたい」
「ねえ、どこにあったの」
「花瓶の下」
花瓶の下?
私の脳みその中に、稲妻が走ったような気がした。
嘘だ! と言いそうになる。だって、私がさっき見たとき、そんなもの挟まっていなかった。絶対に。
「本当? どんなふうに?」
心臓がバクバク鳴る。落ち着け、私。ヒイラギ君が怪しい、怪しすぎる。どうして、嘘をつくのだろう?
「端っこが、花瓶の下に挟まっていた。メモを机の上に置いて、その上に花瓶を置いたんだろうね」
嘘だ。
「へえ、メモを貸して」
はい、とためらいもせず、ヒイラギ君はメモ用紙を渡してくれる。字はよれよれなのに、対照的にピンと張った、綺麗な紙。私は、それをじっと見つめた。嘘だという証拠となるヒントが、あるはず。
「これが、花瓶の下に置いてあったのを、ヒイラギ君は見つけて、すぐにとった」
「そうだよ。ぴって、引っぱった」
「だとしたら、紙の、花瓶に挟んであった部分はよれていたり、曲がっていたりしたほうが自然だよね」
「……どういうこと?」
「そうじゃないにしても、この紙は濡れているはずなんだよ」
私は、朝日にメモ用紙を透かした。濡れたような痕跡はない。
「濡れているはずって、なんで? どういうこと?」
「机をよく見て」
机の上に目をやったヒイラギ君が、はっと息をのんだ。
花にも、花瓶にも、机の上にも、水がしたたっている。
「どうして紙は濡れていないのかな」
ヒイラギ君は明らかに動揺していた。目が泳ぎ、言葉を失っている。
「いや、重要なのはそこじゃない」
私は、ふむ、と腕を組む。
考える。プレゼント犯は、ヒイラギ君か?
違う。少なくとも、この花を置いたのは、ヒイラギ君じゃない。当たり前だ、私は昨日、最後までこの教室にいて、今日、最初に入ってきたのだから。
私が教室を出てから教室に入るまでに、花を置けた人物は?
「本やしおりを置いて行ったのは、クラスの子じゃない」
ヒイラギ君が、じっと私を見つめる。私の言葉を、待っているようだ。
「でも、クラスの人」
だって、私の名前と同じ花が描かれたしおりが、置いてあったから。
クラスの子じゃなくて、クラスの人。
私のことを、よく知っている人。そして、私が校舎に入れない時間にも、入ることができる人。
くまさん先生を思い出す。そう、先生は私達より先に、校舎に入れるのだ。
だとしたら、あてはまる人は一人しかいない。
「先生だ。プレゼント犯は、フミコ先生だ」
ふ、とヒイラギ君が笑う。
「では名探偵、この紙は?」
その紙。突然、現れた紙。
いや、そんなはずはない。紙が突然現れるなんて。
「ヒイラギ君が見つけた紙」
でも、ヒイラギ君は嘘をついた。落ちていたっていえば、私は疑問を抱かなかったかもしれない。でも、彼は、花瓶と机の間に挟まっていたといった。きっと、この手紙も、プレゼント犯が置いたと思わせたくて。
どうしてそんなことをする必要がある? 思い出せ。証拠、証拠。
ぱんっ、と頭の中で風船がはじけたような衝撃がした。そうだ!
「ヒイラギ君は、さっき、その文字を左手で書いたみたいって言った」
「何、突然」
「どうして左手って言ったの? 利き手じゃない手、って言いたかったんだよね?」
ヒイラギ君はまだピンときていないみたいだったけれど、
「私、左利きなんだ」
と続けると、そこで初めて私が何を言いたいのかがわかったようで、はっ、と息をのんだ。
「さっきのヒイラギ君の発言、少しだけひっかかったの。右利きの人の表現だな、って感じ。でも、違うんじゃない? それ、ヒイラギ君が左手で書いたんじゃない?」
ヒイラギ君は、返事をしない。なんだか、追いつめているみたい。
「ごめん」
思わず謝ると、ヒイラギ君は肩をすくめた。
「どうして俺が、わざわざ?」
確かに、どうして、わざわざ混乱させるようなことを? ただでさえ、教室は混乱していたのに。
あれ? そういえば。
「ヒイラギ君は、いつも教室の皆の先陣を切って、プレゼント犯のプレゼントを開けようって促していた。混乱する教室を、ひとつにまとめて……」
そうだ、よく考えれば。
「朝が弱くて、いつも授業開始ギリギリにやってくるヒイラギ君が、プレゼントが置かれていた日だけ、早く来ていた。まるで、知っていたかのように……知っていた?」
ヒイラギ君は、困ったように息を大きく吸って、静かにうなずいた。
「ご名答」
「分かった。ヒイラギ君は先生の共犯だったんだ」
「先生に頼まれたんだ」
すごいんだよ、とヒイラギ君は笑う。
「先生はサプライズをしたかったみたいなんだ。このプレゼント事件、クラス中の保護者と学校中の先生が知っているよ。だからくまさん先生も、本がプレゼントされた日の朝に、ほかのクラスの子をこの教室から遠ざけてくれただろ」
「あ、確かに」
「ワカタニさんの家はどうか分からないけれど、クラスの子の親だって、少なくとも何人かは気がつくはずだ。でも、次の日、怒られたとか追及されたって騒ぐ人はいなかった。皆、すんなりしおりをもらえたのは、保護者の協力のおかげだよ」
「なるほど……」
共犯者から事件の全貌を聞くなんて、変な気分だ。
というより。
「そんなにしゃべっちゃっていいの?」
ヒイラギ君は、私の質問には答えず、バツが悪そうな表情を浮かべるだけだ。これって、先生の望まないことなのかも。
共犯者の裏切り、といったところだろうか。先生がプレゼント犯だとあっさり認めて、自分が共犯だということも認めて、ネタばらし。
おまけに……「そうだ、この紙」。
忘れていた。
「ヒイラギ君、これ、どういう意味?」
私の声にかぶせるように、ドアの開く音がした。
「あら、二人もいるのね。二組のクラスの子が早く来てるって聞いたから、どうしたのかと思ったわ」
「……フミコ先生」
ぴしゃん、とまた稲妻が落ちたような衝撃。この手紙の、意味。
「フミコ先生!」
私は先生に駆け寄って、思わず抱きついた。一歩後ろによろけながら、どうしたの、と先生が驚きの声を上げる。
手紙に書いてあった「もうすぐ、おわかれ」って。
「先生、どこかに行っちゃうの?」