01.恋を証明してみた……が失敗した
「私、あなたのことが、好きだわ」
振り向けば、ぼさぼさの髪に無精ひげ、趣味の悪いシャツをだらしがなく着込み、その上に汚れた白衣を引っ掛けるように着込んだ彼の姿。
涼やかな目元にすっと通った鼻筋、まじめな表情でもつくれば、かなりの美丈夫ではあるが、面倒くさそうに細められた目と、皮肉気に歪められた口元とで台無しにしている。
自分の記憶にあるそれと同じ、つい先ほど会ったときとまったくそのまま……ゲームのグラフィックとまったく同じ。
5年前より師として私の側におり、恋い慕う気持ちにまったく気づいてはくれず、やがてクリステルに惚れて……私の告白に「ありがとう」なんて優しい拒絶を示す人。
胸につく切なさに、ぽろっとこぼれ出た言葉。言ってしまえばあまりに簡単で、明瞭で、音となればもう、取り返しのつかないもの。
しまった、何を言ってしまったんだと慌てたところで、彼が聞かなかったことにしてくれるわけもなく、優しく流してくれたりもしない。
「なんだって?」
あまりに聞きなれた言葉が向けられて、それが、ゲーム中の馴染みのセリフでもあることに、少しだけ苦く思う。思い出さなければ、ただの口癖でしかなかったものを、胸の痛みの伴う記憶に成り代わる。
「好き」
だから、というわけではないが、追い打ちでもかけるようにもう一度口にすると、彼は、額に手をやり盛大なため息をついた。
「はぁ……まぁ、待ちなさい。突然何を言い出すのだね」
心底呆れたとばかりのその表情。それは、おおよそ恋心を告白された男性の態度とは思えない。
顔を赤らめ同意を示すなんてことはありえないながら、さすがにため息はないだろう。恋愛ごとに興味がなくても、さすがにそれは酷いのではないだろうか。
「下らぬと言うは容易いが、その能力の低い脳みそに、これ以上の負荷をかけるのは得策ではない。そういった誤った考えを、まずは正しておこうか」
しかも、下らぬと断じるに留まらず、どうやら、この思いを間違いと講じた上で、正してさえくれるつもりらしい。ますますもって唐変木の朴念仁ぶりは、いっそひっぱたいておいた方がいいのではないかと考えてしまう。
「まずは、そういった判断にいきつく経緯というものをお聞かせ願おうか」
「……それ、は……一緒に、側に、いたいと思う、気持ち……と……か……」
「君が、僕とともにいたいと思うのは当然だろう。僕が側にいなければ、残念なお飾り公務の一つどころかか、明日の予定ひとつ立てられぬ君のことだ。朝に夕に僕に意見を求め、まるっとそのまま言いなりになれば、傀儡どころの話ではない。僕なくして君が不安に駆られずいられる理由はなし、ゆえにともにと望むことは必然。それは依存というものだと知るべきだよ。つまり、それをもってして恋心というなど、おかしいということだ」
つまりは、私の気持ちは恋心でなく依存に他ならないと言いたいらしい。
会いたいとか、側にいたいとかいう気持ちは、ただ、自分の不安を解消するための、自分の生活を居心地良くするためのものでしかなく、愛しい恋しいという気持ちは完全に否定される。それすらも、依存のための隠れ蓑とでも言い出しそうだ。
私の気持ちが依存でしかないなら、私は、師のすべて及び教団上層部のじじばば集団すべてに同じくした気持ちをもたねばおかしいだろう。それなのに、この気持ちは彼一人に向いている……それは、全否定なのだろうか、それとも自分が一番であるからという理由づけがされてしまうのだろうか。
「あなたを思う、それ、だ……けぇ……どきどき……する」
「動悸こそ、他に要因があるとみるべきだ。前回の診察は2ヶ月ほど前だっただろうか? 今から時間を取った方がいいだろう」
言いながら、懐中時計の蓋を開けた彼は、私の手を取り、その手首に二本の指を添えた。脈拍でも計っているのだろう、その目は時計の針を追う。一つ頷いて、額へと手を馳せれば、その熱を追い、目を覗き込みながらに顎や首のリンパを押さえ、その具合を確かめる。
病気であると結論をつけたいのか、動悸もほてりもすべて異常現象であると処置されて、薬の一つも処方されてしまいそうだ。
「それとも、今まで君に対する態度が悪かったかね? あまりに物覚えの悪いその脳に、嫌みの一つも交えながらの説明は、さすがに君も堪えていて……それで、動悸がするという可能性も考えたほうがいいか? つまりはストレスによるもの、病名としては自律神経失調症などだな」
「違う!」
会いたいと思う気持ちは依存で、動悸もほてりも病気のせいで、恋とはただの気の迷い。好きという言葉をきっぱりと否定して、私の気持ちの一端も、理解するつもりはないらしい。
おかしい、一応、ゲームの中では、私の気持ちも理解して、「ごめん」という回答をしていたはずだというのに……明確に語られてはいなかったが、実はその返答を受け取るまでの背景に、これほどの言葉を弄していたというのだろうか。
それとも、ゲームの中では、彼も恋してそれを理解した故に、私の言葉にもすぐ納得してくれたのだろうか……それならば、私の言葉はやはすぎて、それゆえに失敗したということになるのだろう。
「では、その定義は?」
「え? て……いぎ? えっ……と……恋って、好きって、こう……」
「いや、言葉の意味が分からないというわけではない」
もう駄目だこの人……やっぱり、人の恋心を理解するつもりはさらさらないらしい。
「恋とは特定の異性に強く惹かれること、または、強く求める気持ち。せつないほどに心が囚われること。ともにいることで満足感・充足感に酔い、一方で、破局による不安や焦燥に駆られる心的状態。特に、自分ではコントロールできないほどの激しい感情を伴うこともあるもの。思春期に、初潮や精通により本能との結びつきが強くなるに伴い、それに左右されて異性を求める気持ちを、おめでたくも誤解してしまうことから派生する気持ちだ」
「なん……か、依存、と、せーよぅ……性欲、から……のぉ、誤解?」
「まぁ、端的に言えばそういうものだろう」
否定の気持ちを込めての言葉だったというのに、どうやら彼は、その言葉を撤回する気がさらさらないようだ。
「故に、国によっては、恋愛それ自体が不道徳なものとされていたり、未成年がそれにより学業をおろそかにし、生活の乱れや非行につながるとして、禁止している場合もある。また、古い宗教などでは、女犯や不淫についての戒律があるものも多い。相手を神聖視し、献身的に遇するは、神を侮辱することとして禁止するものもある。とはいえ、キーン教団では、愛も恋も禁じてはおるまい」
恋というものについての解説が早口で語られるものの、はっきり言ってイライラは増すばかり。
「最近の風潮としては、結婚においても、貴族や家同士の結びつきを重視するより、愛情を求めるものの方が多い。故に、恋愛というものが物語においても、現状においても、注目されつつある。また、経済的観点から見ても、恋愛は効果をもたらすものと言えよう。うつつを抜かして生活をおろそかにするというのは問題外ではあるが、逢瀬や行楽、行事に祭事に贈り物、恋愛が経済を回すと言えば過言ではあるが、切り離せぬ実情がある。故に否定するつもりはさらさらない」
「それ、は、自分、が、かかあらぬ、前提において……でしょう」
「あたりまえだ、そんなものに呆けているぐらいなら、一冊でも本を楽しみたい」
「私、は、あなたに、惚れて、恋したえ……ときめいて、嬉しく……あったり、ぎゅっと、して……もらいた、かったり、キス……と……かも!」
「キスねぇ」
顔があまりに近すぎると思う間もなく、唇が触れた。
唇の柔らかさを確かめるように、押し付けられたその感触、ねろりと濡れたものがねぶりくるは、嘗められた結果だろうか。驚きのままに身動きすらできずにいれば、離れた彼が心底呆れたとばかりの表情を向けてきた。
欲してのものではないとはいえ、ひどすぎる所業は、先の否定の比にもならぬ。これほどまでに冷たい口づけもないだろう、まるっきり、私の言葉を否定する、そのためだけの口づけだった。
口づけされた、あまつさえ、嘗められさえしたのだと、理解した時にはため息がふってきた。