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過去.私のこれまで……

 今の私になる前のことは、ゆめまぼろしかまどろみか。

 ルーチェとは違う世界、日本。

 まったく違う生活習慣や歴史や言葉、そんなものを当たり前のように理解している。

 でも、私個人のことは、どこかぼんやりとしてしまって……それは、ぼんやり生きてきたツケだろうか。


 ……名前とか年齢とか、そんな、当たり前の情報が欠けている。

 30代半ば

 独身女性。

 一人暮らし。

 両親は田舎で健在。

 恋人は……いなかった気がする。

 自分のことで、覚えているのはわかっているのはこの程度。


 それなのに、ゲームやアニメの話なんかは鮮明に覚えている。

 友人とはしゃぎ歩いたり、ショッピングで散財したり、最後に見た映画の話も覚えている。

 大切な家族の顔も思い出せないのに、職場のくだらない噂話がぽろっと思いだされたりする。


 ガンか何かだろう、若いので進行が早く手遅れと言われ……手術や治癒より無痛療養をお願いした。

 それからほぼまどろみと惰眠の中。

 時折、家族が来るからと鎮痛剤投与を中断されるも、もう脳もとろけていたのか、おぼろげ。

 夢うつつの中で少し話し、1時間もすれば再度投与が始まり、またふんわり眠りに落ちていく。


 おそらく、そのまま死んでしまったのだろう。


 次に意識が戻った時、ぼんやりした視界や身動きのままならぬ体ではあったが、気づきはしなかった。

 むりやり口に含まされるものは、自分で吸い付かねば飲むこと叶わず……なんで看護師さん、もう少し飲みやすい吸い口を用意してくれなかったのかなぁ? ってか、このおもゆ、ほぼ味もしないしまずいよぉ……なんてことしか考えていなかった。

 意識がようやっとはっきりしてきたのは、数ヶ月過ぎたあたりだろうか。

 むりやり体をひっくりかえされ、おいおいと思った。

 それまでも、沐浴だのなんだのとベッドから出され、なんだか乱暴だなぁ、適当だなぁとは思ったものの……もう死に行く人間の介護は、新人さんを宛てられたかなぁなんて理解で、ぼんやりと過ごしていた。

 よくよく見れば、自分の手足は小さいし、弱視ではあるがいろいろと鮮明に見えるし、景色は歪んだり踊ったりしない。

 やたら眠くはあるものの、以前よりはっきりとものが考えられ、意識がはっきりしているのだと気付かされた。


 これ、あかちゃんじゃん。


 介護担当者が、やたら大きいし甘ったるい声を出すしと思っていたのは、つまりは母だったということだ。

 頬すりしたり、キスしたり……視界の端に移る彼女の髪が、ありえないぐらい綺麗なピンク色をしていたから、絶対にファンキーでフレンドリーな海外留学生なんだって思っていたのに……。

 体がうまく動かないのもあかちゃん故の不器用さで、頭のてっぺんすら手が届かない不恰好さに、今更ながら合点がいった。


 前世の記憶を持っていると知った時、思わず期待した。

 早熟で大人びた思考。

 言葉もぺらぺらで理解が早い。

 なんでもできるしなんでもやっちゃう。

 世界すら改変して、果ては聖女か英雄か! そういう話になるものだと思ったのに……まず、はいはいで絶望した。


 腕が、うまく動かない。

 まるで、肩から先はぬいぐるみのものですかってぐらい、力が入らない。

 そもそも、死ぬ前だってブランクがあったものだから、当たり前の動きが全くわからなくなっている恐怖。

 本当のあかちゃんだったら、自分の手足を動かす楽しさに目覚めて筋力アップもしていたのだろう。

 だけども、あいにく死に行くまでの介護と思っていた私は、寝返りすら自らうとうとしていなかったせい、筋力のきの字も発達していなかった。

 普通の赤ちゃんならば、いくら失敗しても怖さも知らず、疲れも知らずに頑張るのだろう。

 だけども私は、こけたら顔が痛いよなぁとか、あっちにこっつんしそうだからやめておこうとか、余計なことを考えてしまうから始末に悪い。

 最終的に、なんだか面倒くさくなって放棄して……一才ぐらいになれども、普通ならばもう歩けてさえいるはずなのに、はいはいすらマスターしなかった。

 立てるようになれど、それからめきめき力をつけるなんてことは当然なく……毎日腹筋背筋スクワットをするようなバイタリティーもなく、運動オンチどころか歩くこともままならぬほどのぐずっぷりとなったのだった。


 しかも、当然かな言葉が日本語ではない。

 当時はただ言語理解はチートスキルだったのかーっと涙するだけだったが、今にして思えば日本で発売されたゲームだし、ゲーム中のテキストは日本語だったんだから、日本語でもよかったんじゃないかと神様を恨みたくなる。

 前世の学生時代、英語は赤座布団状態……大の苦手だったのだ。

 外国語というだけで敷居が高く、頭から理解できないと拒絶してしまうせいで、どうにも理解が及ばない。

 普通の子なら、それでも分からないなりに発言し、覚えていくのだろうけれど……間違えた発言をする恥ずかしさを知る私には、それすらもできやしない。

 リスニングすら逃げ腰になり、笑われることを恐れて発声もせず、喃語なんごすら口にしなかった私に、言葉はなんと難解であったことか……。

 某青ダヌキの持つ翻訳する蒟蒻こんにゃくが、どれほど欲しかったことか。


 言葉がおっつかない状況であれば、勉強が簡単なんてあるはずもない。

 そもそも、この国は10進法ではない。8進? いや、なぜだかそのコンマ後が3進になっているから、なにがなにやらわけがわからない。

 センチでもインチでもないペイやパやリュウという長さの単位ももう理解不明。しかも、つい3ペイという長さに釣りキチという前置きをしてしまいたくなる下らぬ知識のせいで、真面目に長さを計ることもままならない。

 時間とて毎時同じではなく、日照時間によりけりで変わるし、暦も毎月の日数が月ごとに違うので読めもしない。

 しかも、日本の算術に日本のカレンダーや時計に慣れた私には、どうにもその知識が邪魔になるばかり。


 言葉が遅い、勉強ができない、そして、この体の性能……。

 「異世界転生DE俺Tueeee!」ができないことに気がついたのは、5歳になる前だった。

 そして、5歳の誕生日、母が私を逃がした後に殺され……自分がどれだけ無力なのか思い知った。

 チートなんかない、むしろ、無能者と言っていい。足手まといどころかお荷物以上に邪魔な存在……そう落ち込んだ私を抱きしめてくれたのは、もう、齢100にもなろうかという聖女様だった。


「わたしなど、おまえより歩くのが遅いよ? もう、杖なくして立つこともままならん」

加齢で筋肉も落ち、杖がなくてはふらつく彼女は、だけども私よりよほどしっかりと立ち、歩いていた。

 私の手を取り、どんなにまごついていてもゆったりと待ってくれる。

「口とて、おまえは語らんでもその顔でわかろうよ」

「……い……ら……つ、くのぉ」

「大丈夫、おまえの声は、かわゆうてゆっくりで、むしろ、わたしの耳には易しいよ」

「だ……れぉ……おやべり……せん」

「なら、わたしとおしゃべりしましょうね」

父母とすらまともにしゃべらずにいた私の、初めてのおしゃべり相手が彼女となった。


 聖女に守られ、それからの5年は夢のように過ぎて行った。

 それまでは努力が実らぬ焦りにかられ、失望と嘲笑ちょうしょうに怯えていたというのに、彼女の側では自然でいられた。

 何が間違えていても、ぐずぐずしていても、彼女は変わらずそこで笑っていてくれる。何かおかしくて失敗していても、彼女は笑いながら助けてくれる。

 初めてまともな子ども扱いをされたのだと、それを受け入れられたのだと、初めて知った。

 それは、前世の時間も含めていくつだとか、妙にこだわっていた自分の精神年齢とかそういうものを、優に超越した人だったからか……それとも、彼女の人間性ゆえか。

 私を優しく愛してくれた彼女は、やがて、眠るように別れを告げた。


 彼女の不在は、私の想い以上に教団を揺るがした。

 それまで当然のようにあった寄付も援助も打ち切られ、その存続すら危うくさせた。とはいえ、私を保護させるつもりの父が、それをほっておくわけもなく、これをチャンスと教団をのっとった。

 教団の信者を利用し、隠密活動従事者や諜報員を編成し、教団の持つ縁故を使って、さらに王宮に根深く食い込み……私はお飾り主教に据えられた。

 だけど何もできぬ私を持て余した教団は、せめても少しはそれらしく振る舞えるようにと用意した教員たち、その一人が彼だった。

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