桜3.ミーッTOデスティニー
「クリステル」
木々の間を抜けて、踊るように揺れる木漏れ日の中、二人はいた。
人目をはばかるように、少しばかり村から離れた森の中。鳥たちの楽しげな声と、吹き抜ける風が梢を揺らす音ばかりが聞こえてくる、静かなその場所。
小さな胸をときめかせ、立ちすくむ少女の前には、少し年上の町の青年の姿。お互いが戸惑いの表情を浮かべながら、それでも、心の奥を覗きあうように、真摯に見つめあっている。
震えるその唇から、なんとか言葉を紡ぎ出そうとする少女に、青年がハッと息を飲んだ。声にならぬ言葉の意味に気が付いて、カッと頬を朱に染め上げる。
言葉はないながら、二人だけの世界がそこにはあった。
「クリステルってば、なに覗き見なんてしてんだよ……」
もちろん、当事者ではない私には、そんなバラ色の世界など見えず、周囲がしっかり見えている。さっきっから、隣で私をにらんでくる村人Aの姿だってきちっと把握ている。
だけども、横合いから飛んできたそんな文句は、きっちり無視しておくことにした。
でないと、せっかくのシーンが台無しではないか……。
私は生まれ変わって、まず、母に思い切り甘えまくった。
ずっと、ひそかに後悔していた……もしかしたら、私が可愛げのない子供だったから、前世の母は、私を甘やかしてくれなかったのではないかと……いや、そんなこと関係なく、ただ、甘えてみたかっただけだ。
はじめは、母が佐倉なのかと思った。前の私の最後の日……あの日に「佐倉の死ぬ予定日」というのを聞いて、もう、会いに来れないと絶望した。
明確な日付なんかは覚えていないけど、おそらく死んだのは数日差だ。地獄の裁判とか賽の河原で過ごした時間の違いで、先に佐倉が生まれた可能性だってある。ありえないことはないと思った。
だから、というだけが理由ではないが、私は、母をめいっぱい愛した。
例えば頬にキスをして、野の花をプレゼントして、ぎゅーっと抱きしめて……大好きって言葉は、いっぱいいっぱい言いまくった。
言葉は日本語ではなかったが、案外すっと頭に入った。なんというか、エセフランス語風にした英語っぽい妙な感じで、星が「ラ・シター」とか花が「レ・フラワ」とか、妙に英語っぽい単語が多いのだ。むしろどこぞのフランス語っぽく聞こえる方言にこそ似通っているようで、英語よりよっぽど覚えやすかった。
大好きって言いたくて、必死に覚えた言葉でもって、毎日毎日、あらゆる愛を伝えまくった。
「おかーさん、好き、おかーさん、愛してる、おかーさん、素敵、おかーさん、綺麗、おかーさん、最高、おかーさん、可愛い、おかーさん、大好き」
母を喜ばせるため、幸せにするために、精一杯頑張って……でも、それ以上に無償の愛を注いでくれる母に、本来母とはこういうものなのかと、初めて知って涙した。
でも、佐倉ではないと気づいたのは結構すぐだった。
ほかにも、いくらだって気づくタネはあったと思うんだけど、決定的な違いは、母の、父への態度だった。
もどかしいような、切ないような、口ごもって何も言えない母と、そして、それを黙って見つめる父の姿。普段は底抜けに明るい二人だけれど、時折そうして、まるで姫君と騎士のような姿を見せる。
あんなの、絶対に佐倉らしくないんだ。
失言大王で甘ったれ姫、佐倉の恋愛遍歴は、あれこれ聞いている。恋人になった途端に気を抜きすぎて逃げられたり、相手への不満をポロッとこぼしてしまったり、思い切り寄りかかりすぎて重い女扱いされたり……ダメダメな彼女の恋は、いつも1ヶ月未満だった。
あんな、見ている方が切なくなるような、ぎこちない恋ができる子ではないのだ。いつも真正面から一直線、体当たりしかできない猪娘。それが、子供までいるくせ、手をつなぐことすらためらうような恋なんて、絶対にできない。
だから、母は佐倉ではないと確信した。
次に目を付けたのは、お隣のお姉さんだった。
三つ年上のわりにおっちょこちょいでお人よし。放っておけない感じは、佐倉そのものだった。すぐに早とちりして落ち込む姿も、変なところで頑固で、一度やると決めたら必死で頑張る姿も……佐倉を彷彿とさせた。
でも、すぐに違うと気が付いた……理由は、不倫だった。
佐倉は結構潔癖なところがあって、不倫はドラマでも大嫌いだった。一世を風靡した昼ドラですら、絶対あり得ないと頬を膨らませていたのを覚えている。そんな彼女が、たとえ前世を忘れ生まれ変わったとしても、そういうことを喜々としてするとは到底思えなかった。
だから、きっと、彼女ではない。
その次に目をつけたのは、村の雑貨屋の娘さんだ。
くるくる元気に走り回るように働く姿が、なんだか佐倉と重なった。
佐倉は、いつも一生懸命仕事をする子だった。ミスも多いし効率も悪いが、必死に頑張っている姿は好感が持てた。
うっかりミスして予約品を別の人に売っちゃったり、発注忘れをして欠品満載の店内で途方にくれてたり、彼女はとにかくミスが多くて頑張り屋で元気いっぱいだった。
でも、彼女も、佐倉ではなかった……彼女は、お店のお金をちょろまかしては、懐を温めていた……ある日、それが親にばれ、家から追い出されて、神殿に身を寄せた。
飲み会の会費すらきっちり計算して返金してきた佐倉が、そんな馬鹿な事するわけないって……そう思った。
私は、佐倉という幻影を、自分の思う形に当てはめて、夢想しているのかもしれない。
本当は、母が、お隣のお姉さんが、雑貨屋の娘さんが、佐倉なのかもしれない。
私の中の佐倉の像こそが、本物の佐倉と違ってきているのかもしれない。
そう疑いつつ、彼女たちが佐倉とは思えず、佐倉を幸せにしたいからと、必死に佐倉を探して回った。
佐倉、佐倉、佐倉……繰り返し心の中で佐倉を呼んで、しつっこいほどに佐倉を探す。
そうじゃないと……うっかりと忘れてしまうから。
ただ、滑り台で滑ることが、ブランコに揺られることが、草原を駆け回り蝶々を追いかけるそれだけのことが、こんなにも面白いだなんて……初めて知った。
前世では、親に、ファミリーサポートの方に、迷惑をかけることなんてできなかったから、公園に行きたいとか外で遊びたいとか、わがままなんてほとんど言えなかった。
今の父が庭に作ってくれた滑り台とブランコ、手作り感満載で安全性なんてちっとも保障されていないけど、乗ってみて、その楽しさを知って……佐倉のことよりも、ついつい遊びに夢中になってしまうことが多々ある。
だからこそ……佐倉、佐倉、佐倉……繰り返し繰り返し、心の中でその名を呼んだ。
「サクラ!」
ふいに、心の中の声が漏れたかのように、佐倉の名が呼ばれた。
「えっ佐倉? どこどこっ!」
ハッとなってあたりを見回して……だけども、佐倉の姿など見えない。
私が隠れている低木の側には、私と、さっきっからしつっこく私に文句言ってくる村人A……もとい、ジーンくんしかいない。低木の向こう側には、さっきっからいちゃこらこいてる村長の娘と、村の門守り見習いくんの姿しかない。
佐倉の姿はないとみて、再度デバガメに向かう前に、ジーンくんをひと睨みしておいた。
「やっぱ、お前はもう、サクラでいいよ。クリステルって呼ぶより絶対反応するもん」
こちらが睨みつけているというのに、ジーンくんは気にした風もなく、むしろ私に対する文句を重ねる。
こちらだって、こういうタイミングでしつこく呼んでくるのではなければ返事をするのに、こういういいところで邪魔するのが悪いと思う。
でも、文句を言ってあちら側に気づかれるのも嫌なので、やはりここは無視しておくことにした。
「お前は……まったく、なんでそんなに熱心に人の恋路なんて見てんだよ」
「ほっといてよ」
「お前なぁ、そんなんで、幸せなの?」
幸せかどうかなら、幸せだ……幸せだからこそ問題なんだ。
私が幸せでも、佐倉はまだ幸せではないかもしれない。
「……幸せよ、幸せだから……だから、探しているのよ! 幸せを、本当に受け取らなきゃいけない佐倉を!」
必死に探しているのは、私が、今、もうすでに幸せ過ぎるからだ。
幸せで、楽しくて、それを満喫してしまいそうになるからだ。
佐倉を探してしまうのは……罪悪感のようなものを抱いてしまうのは……ある意味、ただの執着なんだろう。
もしかしたら、このまま平穏な生活を楽しんで、この人生を全うしてしまったほうがいいのかもしれない。頭の端にそう思う気持ちもあれど、やっぱり、どうしても佐倉を探したいってそう思ってしまう。
「……聖女様!」
そんな時だった、その声を聞いたのは……なんでだろう、どこかで聞いたことがある声。
どこで……そうだ、あれだ、たしか、おまるとか余るみたいな人の声……ゲーム中で、いっぱいいっぱ騒いでいたあの声。
「アマ……ルナ? ……そうだ、ルチェロワ」
そうだ、どうして気づかなかったんだろう、この世界はルチェロワの世界だ!
いまさらながらに気づいたその事実に、少し曇りがちだった私の心が晴天にまで晴れ渡ったような気がした。
そうだ、そうだったら、私の一番の側は、母でもご近所さんでもない。裏切者ながら、サポート役として、ゲーム前半ずっと側にいるアマルナ……彼女こそが、佐倉だ!