桜2.ハッピーENDノンノン
「そ~んな、おバカな君に……一つ、願い事を叶えてあげよう」
聞き間違い? --否。
なぜだか疑問を思い浮かべた途端、否定が頭の中に浮かんだ。
それが自分自身の意思ではなく、お地蔵さんがしゃべると同じく超常現象的な何かであることを感じながら……そういうことができるのなら、なんでおしゃべりなんていうまどろっこしい手段を選ぶのだろうか、少し不思議に思う。
それにしても、被害者が加害者へ向けるセリフとして、これ以上おかしなものはあるだろうか?
車で突っ込んで、その体をボロボロにした張本人。そんな私に、どうやら慈悲深きお地蔵さんは、その罪をあっさり許し、あまつさえ願い事まで叶えてもらえちゃうなんて……さすがに得ないでしょ、私に都合よすぎる展開でしょ。
「夢でもナシでしょ、コレは」
いや、でも、そもそもこれが夢でなくしてなんだというのだろう。思わずポロッとこぼれた自分の言葉に、現実を振り返る。
なんだかずいぶん話し込んだ気はするが、未だに警察も救急車も、見物人までもが現れない。車で壁に突っ込んで、ぐちゃり潰れたのは車だけではない。
私の体は、車のフロント部と座席に挟まれ、もう生きていける状態ではない。見ると無残でしかないのだが、痛みがないせいか、酷く現実感がなかった。
そして、普通はしゃべるはずなどないお地蔵さんと、楽しくおしゃべり中……ここまでおかしな状況なのだから、もう一つ二つおかしなことがあろうと、関係ないって気がしてくる。
「いや、でも、ほらっ……そんなの、待ってよ……お地蔵さんに突っ込んで、なんでも願いが叶うってんなら、日本各地にお地蔵さんが危ないでしょ」
「そんな、誰でもよかったなんて話じゃないよ。今、この時間、僕だけが特別なんだ」
僕だけが特別とか、君のために特別なんてセリフは、乙女ゲームの中だけでいい。
いや、現実もそこまでロマンチックな話ではないのが問題だが、特別だからご都合主義的にお願い事一つ叶えられると言われても、もう頭がついていかない。
「何が、どう、特別なの」
「僕は、今、ここに建てられて99年目だったんだ」
どうやら、付喪神だったらしい。いや、あれは、放っておかれた物が化けて出るって話だったはず。どう見てもこのお地蔵さんは大事にされてきた様子、ならば、化けて出るのはお門違いだろう。
「99……百瀬に一つ足らずの白年。数多を数える一歩手前。十進法において二桁最大の自然数。僕は、今、力を持ったばかりだったんだ……これから、これからちゃんと、地蔵菩薩として、この場を守る力を発揮できる……はずだったんだ」
どうやら、そんな世紀の瞬間に、私はすべてを台無しにしてしまったらしい。
これは、土下座どころではすまない事態であろうが、逆に願い事を叶えてもらえるとはどういうことか。
「いや、力を持ってたりするんだったら、守ろうよ、この事故からも……」
「も、もちたてのほやほやだったんだ!」
どうやら、もちたてつきたてほっかほかだと、その力とやらは発揮できないものだったよう。
もし、ここにたどり着く前に、コンビニにでも寄り道していたら、運命はまた違ったものになったのだろうか。いや、それ以前に、コンビニに寄り道できる心の余裕があったなら、そもそも事故なんて起こさなかったかもしれない。
「本当に、あと、少し後だったら、むしろ明日だったら……」
悲痛そうなその声に、おやと思う。
なるほど、やっとわかってきた……どうやら、彼は、自分を責めているらしい。
そう、私ではなく、お地蔵さん自身……彼は、自分こそが、この事故の原因だと思っているのだろう。
もしも力が発揮できていたら、こんな事故は起きなかった……彼には、そういう力があったのだろう。
でも、もちたてほかほかではそれができなかった、それが、それこそが彼の、願いを叶えたいという気持ちに根底にあるのだろう。
彼の、私をバカにしくさった口調からはわからなかったが、さすがはお地蔵さん、どうやら根は真面目だったらしい。
でも、はっきり言ってお門違いだ。なんてったって、私は自滅したのだから……。
「いやもう、アレだ、願い事で一つだけ奇跡を起こせるってんなら、お地蔵さん自身を元通りにしてよ」
馬鹿だなぁ、こいつ、こいつこそが、本当の大馬鹿地蔵だろう。
なんだというか、かわいらしいというか……もう、なんともいえぬ気持から、ちょっと照れくさくなるような気持にかられてしまう。
だが、やっと向けた願い事に、なぜだろう石に刻まれただけで表情の変わらぬお地蔵さんの顔が、呆れたものに変わったように感じられた。
「凄惨な事故現場のど真ん中にあった、綺麗なお地蔵さんなんて、撤去されて別なの据え置かれるのがオチだろ」
「えっ、世の中そこまで世知辛い?」
「僕だって、全てを夢オチにできるとかなら……してるし。君を五体満足に戻すとか、癌だとかいう君の部下を健康にするとか、そんなことができるならやってるよ」
やってるよって言うということは、いまのなーっしってのはできないってことか。
そして、佐倉も……いや、もし佐倉の癌がなくなったとしても、それに周りが気づかなかったらもっと最悪だから、それはいいとして……なんで佐倉のことまでわかったんだ? ってか、そこまで私の記憶を探れるなら、適当に私の望みを見っけて叶えてくれればそれでいいような気がするのは気のせいか。
ともかく、どうやら、彼に叶えられる願いは、命や時間の垣根をこえるものではないよう。
ということは、あれだ、金や時間や力や異性といった、古今東西誰もが望むようなものは、今の私にはまったくもって意味がない。
だって、いま、この死の間際、お金があったところで意味をなさず、時間があれども苦しみ増すだけ、力でどうこうできる事態ではないし、彼氏だって死に別れが決定事項だ。
本当に、なんの喜劇だろう?
「なら、来世だよ」
今、死ぬ前に、どんな夢がかなったとてどうしようもない。
それならば、次に希望をつなげるしかないではないか。来世なんてものがあるかどうかは知らないが、それでも、あることを前提に願ってみてもいいじゃないか。
どうせ、意味のない願い事、それならば、大盤振る舞いで贅沢に願ってやろう、思わずそう思ったところで、佐倉を思ったのは……やっぱり、事故の原因になるほどに、頭の中を占めていたせいか、それとも最近の執着のせいだったか。
「そう、こう、佐倉がラブラブハッピーエンドを迎えるような、そんな来世だ! ルチェロワとか魔女恋とかそういう感じで……ほら、あれだ、そういう世界に転生して、逆ハーエンド迎えちゃうような……って、エンドじゃだめだ、おしまいじゃなくって、ハッピースタート! どんどんどこどこ幸せになっちゃうんだ」
佐倉には恋人がいない。もし、佐倉に恋人がいたなら、一緒にいたいって人がいたら、もしかしたら安楽死なんて考えなかったかもしれない。結婚していて子供がいたら、戦う以外の選択なんかしなかったかもしれない。
だから、もしも来世があるのなら、佐倉にはまず恋をして欲しいし、できれば結婚していっぱいの幸せと未練を持って欲しい。
死なんか選べないぐらいのいっぱいの重荷を持ってもらなわなきゃいけない。
「ちょっと待てよ、お前じゃないのか?」
「私?」
自分がというのは、まったく考えていなかった。
自分の幸せを望むと、どうしても、佐倉のことがしこりのように残って、満喫なんてできるわけがない。どれだけ幸せな状況があったところで、佐倉が先に幸せじゃなきゃ、幸せになんてなれないんだ。
それは、今、それを思って死んだばかりだからで、そのうち忘れてしまうような気持かもしれないが、それでも、今、佐倉の幸せの前に、自分のそれを望む気にはなれない。
「ダメなんだ、佐倉が幸せじゃないと……」
「なんだそれ」
「ダメ? ムリ?」
もしかして、これも、夢オチや生還レベルに難しいことだったかと思えば、お地蔵さんは少し悩んだ後、あっと小さな声をあげ、できる、なんとかなるとか小さな声でぽそぽそ考え込むような声をこぼした。
「いや、できないことは……ないかな……でも、それで、お前は本当に幸せになるのか?」
「うん、大丈夫、佐倉が幸せになってくれるんだったら、それだけで今よりずっと幸せだ。この苦しいような気持がないだけでも、ずっとずっとずっと……」
そういえば、ルチェロワも魔女恋も、佐倉から勧められたんだったか。
乙女ゲームなんてやったことがない私、ちょっと古いですけどねぇといきなり渡されたときは困ったが、一番好きなゲームだって言われてやってみれば、それなりに楽しかった。
そのゲームの話をする佐倉は、やけに楽しげで饒舌で、その話に乗るだけでも嬉しかった。
「わかった、でも、絶対だ! 絶対、お前も幸せにならなきゃダメだ! そいつを幸せにしてやるから、だから、お前も、絶対幸せになれよな」
どうやら、彼は私の願いを叶えてくれる気になったらしい。
佐倉が幸せになる世界、ラブラブハッピー、エンドにならないスペシャルな人生、そこに傍観者でいい、いられるならきっと、幸せだろう。
彼女の幸せをちゃんと見守れれば、そして、それに満足できれば、きっと、私も、その時は自分の幸せを追い駆けられる。
「うん、わかった、ありがとう」
それが、私という生命の、ハッピーエンドだった。