膝枕とは羨ましいか否か
「どうだ? うらやましいか?」
マティアスの声に、意識がふんわり浮上した。
夢から覚めてはいるのだけれど、体はまだまだ眠りたいというのか、動くのも億劫なれば、もう少しまどろみの中にまみれていたくもある。
柔らかく身を支えるソファと、頭の下の温もりと、体にふんわりかけられた毛布。全てが私の甘えを受容してくれているよう。
このままもうひと寝入りしてしまってもいいのではないか……とも思うのだけど、それもまたもったいないような気がする。
いつの間に寝こけていたのやら、マティアスの部屋のソファで彼を待っていたはずが、いつのまにか膝枕を受ける状況となっていたらしい。
いや、もしかしたら、これもまた幸福すぎる夢の続きで、起きたらその余韻を胸に抱いたまま、退屈な日常に戻ることになるのかもしれない。
でも、むしろそれならばなおのこと、この幸せをもう少し満喫しておきたいところだ。
「言っておきますが……膝枕なら、私もグレゴワール氏も経験済みですし、グレゴワール氏など、10年前から当たり前のようにしてますよ」
「なにっ!」
応えるジュエルの言葉に、マティアスがあからさまな反応を見せた。でも、それは、そんなに驚くようなことなのだろうか。
乙女ゲームなら、膝枕シーンなんて必ずといっていいほどあるだろう。
こちらがする側なのか、される側なのかはともかくとして、確実にグラフィック付きで用意されているものだ。ガエルはそういうキャラなのだから、膝枕してくれてたってなんら問題などない……というのは、この世界が乙女ゲームに類似していると、気付いてからの話ではある。
でも、そんなことに気付く前から、膝枕なんて当然のようにしていた。
幼い頃からお兄ちゃん同然と甘やかしてもらっていたし、膝枕されたり背中や肩にもたれかかったりしてうたた寝るのは心地よかったし、周りも別段止めたりしなかったし、忌避する必要など欠片もなかった。
確かに、独身の女性が後見人に膝枕してもらっている姿など、なるほどそのための後見かと……愛人契約でも結んでいるのかと思われかねないこと。
噂というものは無責任で厄介なもので、兄替わりとか関係なしにそう誤解するだろう。でも、それで問題が出るのは結婚相手が見つからなくなるとか、そういうふしだらな女に見えるという程度。結婚する気などさらさらなければ問題ないし、神殿にいる以上、軽い女と見られ近づかれることもそうそうあるまい。
つまるところ、ガエルやジュエルに膝枕されたところで問題ないんだと自分の中に結論づけたところで……でも、マティアスは嫌がるんだなぁと、妙にほわっとその嫉妬を嬉しく思ってしまう気持ちにもじょもじょした。
「別に、膝枕させたぐらいで……何を」
「ん?」
にしても、ジュエルってば、マティアスってば、私に話すより気安い感じがする。
一応、2人の立場は信者であり、私は主教という位を賜っている。つまるところ、上司というか取りまとめというか、お飾りではあっても上の立場にあるのだろうか。
だから、妙に改まった部分があるのだろうか? それともそれは、ただ男女の違いのせいだろうか?
ちょっとばかり羨ましい……とは、いったいどちらへの嫉妬となるのか。
「いや、そうですね。先生は、彼女のその寝顔が気に入られたのですか? それとも、小さな頭がももに触れてくることが? 柔らかな薄紅の髪の毛がこぼれてくるところが?」
少し考えるような間を空けてから、ジュエルがマティアスに問いかけた。
寝顔とか言われると照れてしまうし、よだれがでていなかったか確かめたい気がしてくるのだが、ここで身じろぎでもしてしまったら、マティアスの感想が聞けない。何をもってして”羨ましがられる状況だろう”と判断したのか、ちょっと気になるところなのだ。
「全てだろうが」
「全て?」
かくんと首を傾げるジュエルの姿が思い浮かび、なんだかかわいらしい気がするのだが、残念かな目を開いて確認することの出来ないもどかしさ。
いや、むしろ、そろそろ潮時と、目を開けておくべきなのかもしれない。
もう、先ほどまであった眠気など霧散して、寝るどころではなくなっているのだから、下手に気配で気付かれて、意地悪されてしまっては目も当てられない。
「そう、全てだ、この油断もこの他愛なさも、全てが至福だろう? うたた寝るほどに気を許し、無防備な寝姿をさらけ出す。触れても撫でても無抵抗であれば、ここで何をされてもかまわないということだろう? むしろ、して欲しいという気持ちの表れではないか?」
否定の言葉を告げたいところだが、どこから突っ込んでいいのかわからない。
とりあえず、何かして欲しいなどという欲求はなかったはずだが、まぁ、相手がマティアスなのだから、ある程度は許容の範囲というかなんというか……。
考え込んでしまうとどつぼにはまって、彼の言葉に同意してしまいそうになるので、とりあえず考えずにおくべきことなのだろう。
「何をするつもりおつもりですか?」
「お前がいて、何かできると思うのか」
ジュエルが冷静に問い返しているが、ジュエルがいなければ何かされる予定があったのだろうか。
一瞬、ゲーム中、眠っているクリステルに、マティアスがこっそりキスしようとしていたとサポートキャラから言われるシーンを思い出し、ニマニマしてしまいそうになる。
にしても……なんというか、聞きたがってしまったのはたしかだが、聞いてしまったせいで、ますます目が開け辛くなったのは気のせいだろうか。
「でもまぁ、不測の事態に寸時動くことができない、不自由な状況というのは少し不安ですし、私にはそうそうできぬことですね。しかも、頭を撫でたり眺めたりということしか出来ぬ上では、どこまでならしていいかわからず……」
ジュエルらしいというかなんというかわからぬ感想は、以前私が膝の上で寝こけた際の不満なのだろうか。
膝枕しようというほのぼのシーンに、不測の事態を不安がるのは止めて欲しいものだが、彼のようなものにはしょうがないことなのだろうか。
「何をしようというのだね!」
というか、マティアスがつっこむ通り、どこまでって何をするつもりなのやら。相手がジュエルだけに、無表情ですごいことし出しそうでちょっと怖い。
「たとえば……よだれは舐めてもいいものでしょうか?」
「やめておけ」
「それは残念」
変態的なセリフを吐きながら、ジュエルは私の口元に触れた。
どうやら、やはりちょっとこぼれていたらしい。ちゅっという音を聞けば、止めておけと言われたくせに、舐めたのではないかと思うのだが、これは引いていい話なのだろうか。
「いや、それは軽く引くぞ」
「口付けと何が違うのかと……」
「違うだろ! 色々と」
「そんなもので引いていては、エロ医師の名が泣きますよ」
「いらんわ、そんな名!」
楽しそうな2人には悪いが、そろそろ起きてしまおうと身を起こせば、当たり前のようにジュエルが両手を差し出してきた。惑いもしていない様子から見れば、もしかしたら起きていたことにはとっくに気づいていたのかもしれない。
振り払わずにいれば、その手は私の脇をまわりひょいと抱き上げる。
「どちらへいかれますか?」
「とりあえず、ここでないとこならどこでもいいわ」
とりあえず、少し赤くなって呆然としているマティアスをちらりと見て、逃亡を決め込むことにした。