13.すべてはこれから……愛してる?
「やっぱり言うか……」
チィッとか、思い切り舌打ちされてしまったが、悪いのは私ではないはずだ。
明らかに、彼の言動はおかしい。
愛しいとかいじらしいとか、彼はそんな歯の浮くセリフを言うような人ではない。ゲーム中にヒロインを口説く時だって、そんな言葉は出てこなかった。
精一杯の甘いセリフが「君を失うわけにはいかないのだよ」というもの。好きも愛しているもなく、過去への執着と犯した罪を猛省した末に、共にいてくれと……全てを捨てていい、だから、君だけは側にあって欲しいのだと、縋りながらに彼は言う。
不器用に語る彼の気持ちは、わかりやすい甘さなんてなくって、でも、ヒロインを心から欲しているのだと感じられた。
そう、彼は、そんな言葉に気持ちを乗せたりなんてしない。
今朝の告白の返事はため息だった。
お城で会った時も、お仕置きだのなんだのって脅しかけてきた。
さっきだって、馬鹿にするようなことを言った上で、私の反発に眉をひそめていた。
あれで、愛を語る気があったとは思えない。
では、押し倒されているこの状況は、何なのだろうか?
「僕は待ちたまえと言ったはずだ、君は待つと言う言葉の意味すらもわからないのかね?」
待ちたまえはたしかに言われた。でも、それは告白の返事を待てというよりも、私の発言を待てと言う意味合いがあったはずだ。
つまりはその気持ちを持つことこそを待てというのなら、振られたも同然ではないか。だというのに、まるで拒否ではなかったと言いたそうなその言葉に、思わず眉をひそめる。
「いいだろう、それを拒否と受け取ってしまった、君の誤りについては言及しまい、おそらく、これまでの僕の態度がそうさせてしまったのだろうからね。だが、君は、今、全てを聞いたのだから、その言葉ぐらいは理解してもらえないものかね?」
どう理解しろというのやら、まったく意味が分からない。
言葉面そのままに受け取るなら、もう小躍りしたいぐらい嬉しい。だけど、普段は嫌みや皮肉しか言わないような彼の言葉だからか、胡散臭さ満点だ。
彼らしくない、いつもの彼ならば、ゲームの中の彼ならばと、ついつい裏を考えてしまえば、私の恋心を利用して、それをエサにいいように利用しようというのではと、穿って見てしまう。
ただ、利用すると言ったところで、クーデターを拒否している私に、何をさせようとしているのかがいまいちわからない。
それとも、私がわからないうちに加担させようというのか……さすがに私でも、目の前で起きている異変に気付かぬわけがないと思うのだが……玉座に座らせられたら隠すどころじゃないと思うのだが……気付いたらのっぴきならない立場になるという可能性に対しては、ちょっと自信がない。
「君を愛しいと思っている、何度そう言えば理解してくれるのかね?」
「ひゃ、百回、言ったって……ムリ!」
思わず口をついて出た言葉に、面倒臭そうにも見えたその表情が、柔らかな笑みに変わる。
いや、なんでそこで笑うのよと突っ込み入れたい気持ちはあれど、その笑みにトクンと心音を跳ね上げさせて、怯んでしまったというか、とろけてしまったというか、続く言葉を失った。
「では、千回言おうか? 万回言おうか? なぁに、『愛してる』の一言ぐらい、瞬く間。いくらだって言ってやろう。まぁ、常に横に張り付かれてそれしか言われぬ状況など、ある意味拷問沙汰だがね」
絶対に、これは間違えている。いや、彼が『愛してる』と一万回も言う宣言のことではなく、彼が私に愛を語ること自体がだ。
容易く乗ってはいけないことだとわかっている、それなのに、優しく頬を撫でられて、間近で顔を覗きこまれているこの状況に、脳みそとろけてしまう。頭の中までポーッと熱くなってきて、そのまま流されてしまいたくてしょうがない。
「い、いらない」
「では、どうしたらいい? 愛を百回綴ったラブレターでも欲しいのかね?」
「ちがうっ」
否定の言葉を口にしようとも、彼は全く引く気配がなく、思わずジュエルを頼ろうと、余所見することすら叶わない。
口付けされるのではと、逃げたい気持ちと願う気持ち、むしろ強請りたいのかもしれぬ自分にぎゅっと目を閉じ抗うも、更に間近となった彼の顔、耳に吐息がかかるほどの距離で囁いてくる。
「なら……どうしてほしい?」
その声は反則だ。
まるで、ため息のようなその囁きは、甘い痛みを伴って、ぞくんと腰まで響いてくる。深く甘いその声に、心の中がかき乱されて、もっとと、何を求めていいかもわからぬ欲がこみ上げてくる。
思わずふるっと身が震えれば、それを押さえつけるように、彼の腕が強く私を抱きしめた。
そもそも私は、この声に弱いのだ。ゲームでだって、他のキャラのセリフはいくらでも飛ばしていたが、彼のセリフだけは耳を済ませ繰り返し再生させた。全く甘くない告白シーンだって、何度も何度も繰り返し聞いて、クッションに顔を埋めキャーキャー言ったことだって、一度や二度じゃない。
この切ないような甘い響きに、ときめかないわけがない。
うっかりあらぬ欲望をほざく前にと、必死に口を開けば、私の要求を待つように、少しだけ彼が身を離した。
「じゃぁっ、じゃ、そえじゃらば……そ、それ、なら、ば……」
さて語ろうとするも、舌がもつれてうまくしゃべれず、ついイラ立ちがこもってしまう。
それでも、なんだかよくわからないながらも、彼が何でもするというのだから……無理だとわかっていても、口にするべきことは一つだ。
決して、もっといっぱい抱きしめてとか、キスして欲しいとか、そんな言葉などではない。そんな話ではなくて、もっと、もっと、私がして欲しいこと……絶対、阻止しなきゃいけないこと。
「なんだい?」
「ク……デター……な……んて、起こ……さないで」
「よかろう」
口先だけでも否定などすまい、だが、否定はしないけど許容もしない、煙に巻くようなことでも言われると思いきや、あっさり了承されてしまって……疑いしか湧いてこない。
思わず閉じていた目を開けば、彼は、どうした? とばかりに小首を傾げてみせる。
「僕とて、腹の底では止めて欲しかったのかもしれない。走り出したら自分では止まることができなくて、止めてくれるのを待っていたのかもしれない。だから、君の言葉にあっさり乗ってしまいたいのかも知れないがな」
「うそっ!」
理由としてそんな言葉を補足されようとも、信じることなんてできやしない。
即座に否定の言葉を告げれど、彼はなぜだかニンマリと笑みを深めて言葉を重ねる。
「振り返ってももらえぬ父母の姿を重ね見て、いもせぬ神を追いかけてきたのは幼き僕だ。誰か助けてくれ、誰も助けてくれぬとは、何もできぬ子どもの言い様。そこで助けてくれぬ神などいらぬと、人の信心まで捨てさせようとは、駄々をこねるようなもの。それを自覚したくないからこそ、突っ走ってきたが……君のためなら捨ててやる。クーデターの計画も、キーン教団の所業も、全てを精算してまっさらにしてやろう」
「む、むり……で……」
「本当に、僕にできないと思うのか? もともと計画したのも僕だ、それを刈り取るのも僕の役目だろう? 破壊は容易く、平和維持は難しいものではあるが、今の制度の崩壊より、君がため、君の望む世界を作り上げるほうがよかろう? ……愛する君のためだ」
愛する君、君のため、華美に装飾された言葉はウソ臭くてしょうがないのに、一々心がざわめいてしょうがない。
でも、それ以前に、すべてをまっ更にするなど、本当にできるのだろうか?
少なくとも、私にはそのとっかかりすら取れはしない。
彼ならば、本当に実現できてしまうのだろうか?
それとも、ただ嘘でまるめこまれているだけなのだろうか?
実は、どこかに隠語とかギミックとか隠されているのかもしれないけれど、ついと心が擽られてしまう。
「クロエ様が王にならずとも、苦労なく守られて『お祈りだけして過ごす世界』……です」
彼の言葉をなぞるように、ジュエルが口にする。
望めるのだろうか、ただ穏やかな日々というものは。
それは私の望みであり、わがままでしかない。
ゲーム中のクロエも言っていた……陽だまりに立つ小さな家、庭で遊ぶ暗殺者たち……主教とか王位とか欲しくない、権力もなにもいらないから、みんなと穏やかな日々を過ごしたかったと。
「で……できっれば……」
「なんだ?」
「で……デート、とかっも……そのっ、ダメ、でも……いいの、ですが……希望として。した……い、です」
そっと、彼の胸元に手を伸ばし、たわむれその襟をつんと指先でつまみながら言えば、やっぱり小さなため息こぼされてしまった。
計画されていたクーデターをなくし、キーン教団の在り方を正し、平和を維持し……かつのそのわがままは、ちょっと過ぎたることだったろうか?
それではと、もう少し譲歩した言葉を紡ごうとした唇がふさがれて……というか、食らいつかれるように覆われて、言いたい言葉は喉の奥で止まってしまった。角度を変えて幾度か舐られ啄ばまれ、どうしていいかわからぬ私は、ただぎゅうっと目を閉じ身を竦ませた。
「さて、色々忙しくなるので、そういうことはさっさと仕舞いにしてください」
不意に、呆れたとばかりのジュエルの声がかかって、上にのしかかっていた重みがなくなる。同時に奪われた温もりに、寂しさ感じると同時、ふわり持ち上げられたはジュエルの腕。
マティアスはベッドの端に放られており、私はお姫様抱っこよろしく、ジュエルに抱き上げられていた。
「お前はっ! だから恋人たちの情事には目を瞑れと言っているだろうが」
「ならば、すべてを片付けてから、ごゆっくりどうぞ」
いつになく饒舌な彼に抱き上げられたままに部屋を出れば、文句を言いつつマティアスがついてきた。
廊下では、通りすがりか暗殺者のアンバーとシトリンがくすくすと笑っている姿もあって、なんだかのんきな雰囲気に、頬が緩んでしまう。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、このままで平和であれあいいのにと願った。
本当に騙されていないかなんてまだわからない。
私の望み通りの未来に向かって突き進むにしても、それが可能かどうかなんてわからない。
それでも、ちょっとだけ、この平和が嬉しくて……。
「君がデートをするのは、僕だからな! わかっているのかね」
ジュエルに縋り笑っていると、マティアスの呆れ声が向けられた。
ゲームのマティアスルートは進んでいるかもしれないけれど、まだすべてがまったく手付かずのままだけど……それでも、今、私は幸せだ。
この世界に生まれて……この世界が大好きだったゲームの世界で……そんなことよりも、ただただ、マティアスがいてくれて、私の大好きな彼そのもので……その上、嘘かもしれないけれど優しいことを言ってくれるのなら、しばしそれに甘えてみようか。
この先がどうなるかなんてわからないけれど、それでも、私なりにがんばってみたい……罪を犯さぬそのために。