12.これが告白の結果……なのかな?
「どうしてこう、いとしいのだろうねぇ」
まるで吐息のように、あまいあまぁい言葉が降ってくる。
深くかすれたその声は、どこか色めいて艶めいて……。
どうしてだろう、胸の奥をつくんと刺す甘い痛み。
彼の胸に縋り、腕の中に囲われて、温もりの中にとろけてしまいたくなる。
だけど、その言葉の意味が、この状況が、うまく理解できない。
いとしい?
その言葉を、うっかり『愛しい』だと誤解してしまいそになる。でも、その言葉に、それ以外の意味があるのかどうかは、混乱した頭では思いつかない。
そんな都合のいい話などないことはわかっている。彼が私を思ってくれているなんて、あまりにもばかばかしい、身の程知らずな話だ。それも、たまらなくそう思っているなんて風情でつぶやくだなんてこと、ありえない。
このありえない言葉は、幻聴か妄想か。
この身に感じる温もりは何なのか。抱きしめられていると感じているのは、聖女の遺物のベッドにもぐりこんで見る夢ゆえなのか。
実はもう、すでに薬をあおっていて、死ぬ間際の夢を見ているのだろうか?
そうなのだとしたら、これ以上に素晴らしい夢もなかろう。言いたいことを言って、私の死を彼が惜しんで……そして、こうして抱きしめてくれている。
私の手をつかむ彼の手は、思いのほか大きくふしくれだってごつごつとしている。
ペンダコだろうか薬作りの影響だろうか、中指の第一間接脇にぽこっと固いこぶがある。それをいじる癖でもあるのか、親指が動いて中指の先をさする。
幾度か触れた事もあるけれど、こんなに大きかっただなんてこと、このタコの固さも含めて、今、初めて知った。
ジュエルと並べば誰だってそうだが、マティアスはジュエルより頭一つ分低いし、普段は座った状態で会っていたから、その身長は低めだって思っていたのに……こうしてみると見上げる高さ。
彼の胸に縋りつき、その肩に頭を持たせかけ、すっぽりとその腕の中に包まれていると、そのぬくもりに気持ちがほわんと緩んでとろけそうになる。
必死に強いてきた緊張の反動か、これを夢と思う故か、素直にその心地にまみれていれば、彼の手が少し不埒な動きをして、そして戯れるように背にもどった。
私の夢ならば、せめてもうちょっと夢を見させて欲しいと思ったのは、とりあえず飲み込んでおくことにする。
視界の端、床に転がった小瓶が見えた。
あぁ、やっぱり、あの中身は、既に私の口に入ったのだろう。
ならば、ひと時この夢に戯れることぐらい許されるだろう。
頬を擽るように触れてきた手に導かれ、顔を上げれば間近にあるマティアスの顔。
イベントグラフィックなんて目じゃないぐらいに近くて、その存在を疑うことなどできぬぐらいにリアルで、思わず瞠った目から、ぽろと涙の粒がこぼれれば、それを彼の口付けが追った。
「残念ながら、女の涙が武器になるのは、男が覚悟を決めるまでだ。肝が据われば涙など、ただ煽るための一因にしか過ぎない。そんなもので動揺が誘えるほど、僕も甘くはないのだよ」
何をしているのだろう、なにをされているのだろう、よくわからないまま、体がのしかかるように押された。そして、驚く間もなく、すぐ脇にあったベッドのホコリ避けの上に寝かされた。
……はたと思う、これはいったいどういうことか。
状況だけ鑑みれば、愛を語られ抱きしめられて、押し倒された……ということになるのだが……ちょっと待ってほしい、たしか、彼は私の告白を『依存』と『自律神経失調症』であると診断し、煙に巻いて振ったはずだ。
ゲーム中でだって、『ごめん』なんて言葉で振っている。
そして、忘れてはいけない、ゲームヒロインと思われる桜さんは、今後マティアスに保護される予定で……つまるところマティアスルートに乗っているのだ。
いつどこでそれほど好感度があがっていたのかはしらないし、どこでどう交流があったのかわからないが、少なくともマティアスが保護しなくてはと思うほどの好意を、桜さんに対し持っているはずなのだ。
「あのっ、こっ……この、状況……なん……で?」
「ん? 君は、そんなことも分からずここまで流されてみたのかね?」
思わず問いかけると、心底呆れきったとばかりの顔が向けられる。
どうやら私の問いはのろまだったようだが、そもそもの説明が不足し過ぎているような気がする。
薬を飲んで死のうと思った、それがばれて止められて、自分の命を盾に宣戦布告……のはずが、この状況は突飛過ぎる。
「まぁ、僕とてどう説明するべきか悩んだ末、ついたまらなくなって率直な行動にのっとったのは悪かったとは思うがね、それでも理解せぬまま黙って流されてみるのはどうかと思う。ここまで自由にさせておいて、後でそんなつもりじゃなかったと言ったところで、この状況では手遅れ。合意ありと見られて当然だろう」
合意? 合意というのは何に合う意というのだろうか?
クーデターを起すこと? それならきっぱり拒否したはずだ。いいなりにならないと言ったのに、いいように押し倒されていること? それは力の差とか色々どうしようもないと思う。抵抗しなかったこと? 抱きしめられて嬉しいと思うのに、どうして抵抗しろというのか。
いやいや、なんかもう、色々自業自得とか力不足は分かっているが、それでもそこまで言われるいわれはないと思う。
「なっない……」
「はぁ? 今朝、君は僕に対し『好き』と言った、それは覚えているかね? そのセリフには正直驚いた。否定すべき要素は多大にあったが、だが、その気持ちに対する返答、すなわち僕の気持ちというものを思い計り、熟考した結果、愛しいと思う気持ちを理解したが故、それを受け入れようと……」
「意味、がっ! 意味、意味、わからっなっなっ……ない!」
本日はじめ、私が自分の状況を自覚したその時までさかのぼっての説明が向けられるが、きっぱりはっきり否定しておいて、『熟考』とか『理解した』とかおかしいし、『受け入れようと』なんてするはずがない。
「まぁ、君ならそう言うと思った。それでもあえて説明すれば、僕のために自分の命すら盾にする君がいじらしい。あまりに可愛かったから、人目もはばからず押し倒してしまったというのが率直ところかね……ふむ、言葉にすれば簡単な話だ。だが、ここまで、愛しい相手に触れたいという気持ちに、堪えの効かぬものとは知らなかった。今後は君との接触の際に、それも加味しておかねばならないな」
いったい、彼は何を言ってるのだろうか? 『いじらしい』? 『可愛い』? 『人目をはばからず』……人目?
「そうだ、ジュエル!」
そういえば、すっかりうっかり忘れてしまっていたけれど、この部屋にいるのは私とマティアスだけではない。
「大丈夫です、目は瞑っています」
むりやり身を起こして見れば、入り口で変わらず顔だけそっぽ向けて、目を閉じたジュエルの姿があった。
たしかに見てはいないが……すぐそこにいて、何も察していないわけがない。
「そんな問題じゃ、ない!」
とりあえず助けてと言おうとしたのだが、なぜだか少しイラついたようなジュエルの声がかぶさってくる。
「ならば耳も塞ぎましょうか? ドアの外に待機しておりましょうか? それでも、お側を離れるつもりはありませんよ」
「いっ……いーっ、いぁ、行か、ない……で……」
常にない早口に気圧されて、必死にのろまな口を開けば、その口元は少しだけ綻んだ気がした。
「あなたがそれでよいのでしたら」
との言葉だけはどこか優しく、いつもの彼を取り戻してのもののようだった。
いったい彼が何を考えているのか、どう思っているのかはわからないが、とりあえず助けを求めていいものか、そこからまず悩まねばならぬようだ。
「ジュエル、恋人たちの情事には目を瞑るべきとは言ったが、文字通り目を閉じていれば言いという話ではないのだがね」
「なっ何を言って……」
「ジュエルに見られるのがお好みかい? そうか、そうならば僕も少し考えねばならぬようだな、なれぬこととはいえ君が……」
どうしてだろう、なんだか彼の言わんとすることが、なんとなくわかるようなわかりたくないような……とりあえず、積極的に話すべき話ではない気がして、慌てて押しとめた。
「っち、ちがっ!」
「では、何が言いたい?」
「あっあっ……あなた、は、私……を、振った!」
そう、これだけは確実な話であったはずだ。ゲームの中の話や、今のよくわからない状況はともかく、振られた、そのことだけは確実の話。
なのに、なんだって彼は、その言葉を聞いた途端、さも嫌そうな顔をするのだろうか。