医5.教団宗教という病
※宗教理念は、全て空想上のものです。類似性があろうと、それを非難批判するものではありません。
宗教とは、本来、神を敬い、よい行いを常とし、礼を尽くす心を持つためのもの。波乱万丈の世の中に、平穏をもたらし安らぎを得るためのもの。
神なぞいない、そう断じていたところで、誰もが心の底では神の存在を信じている。
神より他に縋るものがあったとて、やはりそこに神の姿を見る。
神懸る、神の手、神業、素晴らしいものに対する賛辞の中にさえ、神との言葉は使われている。
見もせぬ神を思うのは、やはり絶対的な保護者を求める甘えに似る思いなのだろうか? 愛に飢えた者の拠り所なのだろうか? それともどうしようもないものに対する憤りのぶつけ場所を求めているのだろうか?
たとえそこに金や欲が絡んできたとて、人の死がからんできたとて、神という、絶対的なものの前には塵に等しく性根の腐った宗教は山ほどあろう。
それでも、人は神に救いを求め、教団に金を落とし、何も変わらぬ日々の暮らしに埋没していく。
かつては……父母の生きていた頃には、僕とて敬虔たる信者であった。
もちろんキーン教などというあやしい新興宗教ではない。大陸で広く知られている、バスチアン教。バスチアンという人物を救い主として信じる宗教である。
『バスチアン=神』ではなく、彼は、人々の犯した罪の許しを得るべく、各地を祈りまわった人物とされている。そのことから、彼の祈りに縋り、自分も共に助けてもらおうという浅はかな考えを持つ人たちが集う宗教だ。
バスチアンのよい行い、バスチアンの導きを人々に伝え、共に神に許されし未来へ進もうというもので、『神は常に許したもう』を唯一の教えとしている。
バスチアンの教えに納得のできないものを感じていた僕は、幼いゆえと判じられていたが……僕としては、宗教は救いを求めるものでも縋るものでもない。
生きる道を示すものである。正しいとは何か、どうすれば正しくあれるか、幸せを自分で追い求めるためのものである。
正しい道を選べなかった僕が、それを食い物にしようと動いた僕が、言うべき言葉ではないが……。
「おうおう坊ちゃん、よく来んさった」
教団老長5人のうち3人は、古くから僕に使えてきてくれた人たち……いや、父の代から僕たちを守ってきてくれた人たちだ。
老女メティは元々僕の乳母だったから、老爺ディオンとクレマンは父の騎士だったから、全てを知りながらここまでついてきてくれた。
僕の望むことが破滅であり、神殺しであることも重々承知の上で、彼らは僕についてきた。彼らが真に従っているのは、僕の父であり、僕を孫のように見ているのは確かだが、それでも、僕の命令を聞くのならどうでもいい。
残りの2人オーブリーとポールも、ここに来てからの仲ではあるが、共に地獄までと誓いを立てている。
「聞きたい……」
神殿へと戻り、自分の部屋へ向かうよりも、ついとこちらに顔を出せば、誰もが腰をあげ歓迎ムードを示してくれる。
孫でも迎えるように、目を細めて両手を差し出し迎えてくれるのが、少し気恥ずかしい。もうそういう年ではないというのに、彼らには関係ないらしい。
だが、今はそれに甘えに来たわけではない。
「僕は、理想をもう一度、追うことを許されるだろうか?」
「いつだとて、神はあなたを許したもう、誰だとて、神は許したもう。どんな状況においても、どんなに手遅れに感じようとも、神は、あなたを許したもう」
当たり前というように、メティはそう言う。それが、バスチアン教の教えだからだ。普段はキーン教徒の皮をかぶっているくせに、やはり、真剣な問いの前にはバスチアン教の言葉が出てきてしまう。
彼らにとって、やはりキーン教団というのはただのニセモノでしかないのだろう。
キーン……もともとピケ・キーンという、聖女の名前からつけられたものだ。宗教というものの名前は、人の名前を付けたがるものなのか。
キーン教団、それを隠れ蓑に悪事を行いつつ、バスチアン教の祈りをささげているこの状況は、いったい何なのだろうか。
「……僕は、人を殺したことだってある」
「人を殺した人を、動物を殺した人を、神は罰するだろうか? 罰するは人、裁くは人。神はすべてを許したもう」
「人を殺してもいいと言うのか!」
「いいや、人を殺め人を害する人は、自らに裁かれる。誰に裁かれずとも、自らの良心に罰される。そこに神の意志があるというのなら、それを悔い改めたし人を、神は許したもう」
全ての言葉の帰結は、そこへたどり着く。全て、神が許してくれるから大丈夫。それこそがバスチアン教の教えだ。
「何をしても、神は許すというのか」
「神は許したもう」
この問答、まるで台本でもあるかのように、お約束通りの言葉しか言わないメティ。
それが本当に聞きたい言葉などではない。それでも、その問答をしただけで、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
「神は……神は何をしているのだ、助けてもくれず、罰を与えもしないのなら、何のためにいるんだ」
人はなぜ生きているのか、僕は何のために存在しているのか……そんな問いに答えがないのと同じように、神の存在意義に意味などあるのだろうか。
それでも、人はそれを問い、救いを求める。
「神は許しを与えるもの……あなたは試練を知っただろう、あなたは悪事のもたらす甘い蜜にまみれただろうが……それから抜け出そうとするならば、すべてを許したもう」
「僕は、許しなんて望んでいない」
「いや、あなたの望むものこそ、許し……そして、神は既に、あなたにそれを与えたもう」
自分の味わった苦悩を試練というのなら、たしかにそれは知っている。甘い蜜も味わったし、抜け出す決意はしたものだが……許しなぞ受けてはいない。
否定の気持ちを受け取ったか、メティは首を振りたてにやりと笑った。
「主教という愛の奇跡を」
その返答の、あまりの恥ずかしさに、返答は苦笑で収めておいた。
「今更、全てを辞めることに、意味はあるのか? 許されるのか?」
「神は、すべてを許したもう」
返答がわかっていながら問うのは、我ながら情けない話か。だが、おそらくメティは、それをわかっていながら、同じ言葉を繰り返す。
「……ぼっちゃん、もう、いい加減、意地を張るのはおよしなさい」
「マティちゃんや、もう、自分を許しんさい。マティちゃんが一番許しとうないんは、父様を殺した輩でも、それを指示したブタでもなく、ましてやそれを許した神でもない」
ディオンとクレマンが、進まぬ問答にしびれを切らして横合いから口を出してきた。
「ぼっちゃん、ぼっちゃん自身、もう、許されとんじゃ、いいんじゃ、意地をはらんと、もう、自分をゆるしたんさい」
助けてくれぬ神に絶望し、神殺しを願った。信心をニセモノで塗り替えて、人々の心から神の権威を殺したかった。だけど、そんなことなどできず、ただ、戯れに罪を重ねただけだった。
ここにくみしていれば大丈夫なんていう、そんな信者の甘えなんて好きではない、そんなもので救われるものかという思い、それこそ、神を信じる己の真理にほかならず、神殺しを願う僕の心にこそ、神は宿っている。
「僕が興した新興宗教という病を、薬にすることはできるのだろうか?」
「毒も薬も同じもの、ウィルスもワクチンも、人がそうと定義しただけ。それをどういう事態でどう使うか、それにより結果は付随してくる」
「どうすれば、理想の姿にできる?」
「それは、日々、正しきことをと地道に動くことですよ。悪しきことに染まるは早く、正しきことを貫くは難し……」
「なら、今より、それを実行しようか」