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10.逃げの一手を打つ……天使のキス

「ジュエル」

「はい」

呼びかけると、すぐに横合いから返事がくる。

 声のした方を見れば、跪くジュエルの、そのつむじが見えた。

 ドン・デジレの店から帰る時、どこに控えていたのか……ジュエルは側に戻ってこなかった。呼ばなかったせいといえばそうなのだが、神殿に戻りながら考え事をしていたものだから、気付いたのは到着した頃合だった。

 部屋に戻って身支度を整え、こうして呼べばすぐに来るのだから、おそらくすぐ側に控えていたのだろう。

 音も立てず、いつの間にとかどこからとか、問いかけるのもばかばかしいほど、当たり前のようにそこに跪いていた。

 なんとなしそのつむじを指で押してみると、きょとんとした顔がこちらに向けられ、ちょっとだけ可笑しく思えて笑ってしまった。


 こうして側にいてはくれるけれど……ジュエルの忠誠を手に入れることもできず、マティアスとの関係を切ることもできない。

 国王や宰相に詳細な情報を伝え、全てに備えてもらうこともできない。

 養父を説得し、止めることもできないし、その周囲の賛同者を鎮めることもできない。

 ドン・デジレを説得し、お金の流れを止めて、全てを静止させることもできない。

 そして、ゲームのヒロイン・サクラさんという方を、王都まで来させないということも、できなかった。

 全ては、私の動きがのろく、そして説得説明すらままならぬ愚かしさのせいなのだろう。

 国王・ジェラルドとの、もしくは宰相・セドリックとの結婚をという提案ももらったけれど、残念ながらそうして容易く物事が収まるとは思えない。

 ならば……ならば、私が、確実な罪を犯すのが一番だろう。


「お父様が、死ねば……全て、とまるかしら?」

ゲームでは、全ての罪を養父が被っていた。彼が刑に服し、国外追放となることで終結していた。お飾りでしかなかった私はもちろん、首謀者であるマティアスだって、謝罪だけして終わっている。

 でも、養父がいなくなったからといって、クーデターは止まらないだろう。どこぞの侯爵がかかわっているあたりで、また別のスケープゴートが立てられるだけだ。

「……罪を犯させぬよう、あなたが手を汚すと?」

「この、教団の……人たち、軍部、貴族、豪商……全員……全員を、殺さないと……止まらない?」

驚いたように目を見張るジュエルに、更に問いかけると、ぐっと眉間に皺が寄る。

 私自身が、彼らの一人とて殺害することは容易くない。ジュエルに頼んだとて、さすがに関係者やその可能性のあるもの全員を秘密裏になんてことは無理だろう。そもそも、ジュエルにとって教団の者というのは、いろいろな利害関係もかかわって、無理に近いものだろう。

 教団のジジババ軍団だけだったら、みんな高齢だから10年もたてばいなくなりそうなものだが……いや、ああいう手合いは、妖怪の如くに百歳過ぎても生きながらえるのだろうか。

 どのみち桜さんというゲームのヒロインが王都に来る、教団に保護されるという状況では、ゲームが始まっていると考えていい。ゲームが始まってしまえば、数日の間にそれは起きてしまう……つまり、もう、ほぼ時間がないということに他ならない。

 ならば、一番簡単な方法、私にすら手を下すことが可能なほど、容易いものに、気持ちが向いてしまう。

「それとも……私? 私が……消えて、しまえば……いいの?」

言った途端、何を思ったのか、ジュエルが目の前からふっと消えた。


 前世でも、私は安楽死を希望し、戦うことを拒否した。きついと聞く療養を続けて数年長く生きるより、麻酔でゆっくり眠りに着いた。ある意味、消極的な自殺だったと言えよう。

 行楽やイベントや趣味、好きなことはあれこれあれど、そう積極的でもなかった。恋愛や結婚……そういうものからは、気恥ずかしくて逃げていた。そして、そういうものを追い求めるより、痛みのない平穏を求めた。

 もし、決断を迫られたそのときに、逃げるのではなく戦う……手術を受け、治療を受け、痛みに耐えしていれば、もしかしたら、もっといい来世……いや、今だから今世……に、なっていたんだろうか。

 そして今、また、自殺という逃げを打つ私の来世は、もっともっと過酷な状況に陥るのだろうか。

「次は……ルチェロワ2、とか、魔女恋……とか?」

ルチェロワに続編はなかったが、ルチェロワの後に同じメーカーが作ったゲームが魔女恋だ。こっちも結構軽いノリの乙女ゲームで、マティアスの声優さんが演じているキャラが中々よくて……私、もしかしたらあの声に恋しているのかもしれないなんて、思わずくだらぬ自嘲が浮かぶ。


 聖女の遺物は、宝物殿の奥の間に納められている。

 各所の神殿などに聖遺物として配られてあるものもあるが、ここは彼女が戻ってくることがあれば、そのまま生活できるぐらいの品々が残っている。まるで小部屋のようで、絨毯もベッドもソファも書き物机も……全てが彼女の使っていた品だ。

 入るのは控えるよう言われているから、ここまで入ったのは何年ぶりか……でも、彼女をなくした当初は、寂しくて寂しくて、何度もここで泣き濡れた。

 でも、今は泣くために来たんじゃない。

 目的は、聖女の書き物机の隠された小物入れ。

 小さな書き物机には、手前に引き出しが二つ付いていて、奥にペンや吸い取り紙を置くくぼみがある。そのくぼみはゴミもたまりやすいせいか、端に爪を立てて外すと、蓋のない小箱のようになっている。その下は綺麗な木目が見えているのだが、強く押すと少し押し込まれ、爪を立てるスペースが出来る。手前側の壁面を引っ張ると、そこには小さな小箱がスライドされて出てきて……そこに、毒の納まる紫色の硝子の小瓶が入っている。

 これが、『ベーゼ・ド・ランジュ』ゲームの中ではクリステルを害するべく、クロエが使う毒薬だ。天使の口付けという名の如く、眠るように死ねるそうだ。

 この机は、ゲーム中にクリステルが使うことになる。そして、インクをこぼし拭いている際に、このアイテムを見つけるのだ。

 彼女に、これは何かと問われて、クロエは……ゲームのクロエは、薬だと答える。


 そう、これは、強い強い薬……聖女が奇跡の力で作り出した、強すぎる鎮痛薬なのだ。

 聖女には、本当に不思議な力があった。

 魔法とか精霊とか、そういう存在が当たり前ではないこの世界。それでも、神はいるし奇跡もたしかに存在していた。

 聖女の作り出す癒しの水、そして薬の数々は、それを必要とする人たちにとてもよく効いた。だけども、必要としない人にとっては不要の長物どころか、害にもなりえる。

 当たり前の話だ、下痢をしている人に下剤を与えれば酷くなる。薬はそれを必要としている人に与えられてこそ、薬となり得るのだ。

 何でも治る万能薬なんてものは、存在し得ないのだ。

 前世の私のように不治の病に悩む人にとっては、最高の癒しになろうが、健康な人が使えばたちどころに死に至る薬……それを前世で望んだ私に、これを忌諱する気持ちは欠片もなかった。

 ゲームの中のクロエは、クリステルを嫌い、それを口にするよう誘導した。だが、すんでのところで攻略対象に助けられ……クロエは、涙ながらに白状する。

 私の大切なものを、これ以上持っていかないで欲しかったって……当たり前のように、聖女の遺品を使い、汚し、クロエの大切な人たちを誘惑していくクリステルに、嫉妬していたしもう止めて欲しかったと……。

 でも、今の私は、これをあげることもしたくない。

 これは、だって、聖女が作り上げた大切な大切な薬なのだから。これ以外の使われなかった薬は、すべて、間違えて使われたりしないよう処分された。

 これだけなのだ、彼女の奇跡を残す薬は……。

 これを、口にすれば、全が終わる。

 それは、なんと甘美な誘惑だろうか。

 本当の、大好きなあの聖女の奇跡の力で、私は安らかに眠りに落ちるのだ。

 全てから解放され、そして、それによりマティアスも罪を犯さずにすむ。

 もしかしたら、マティアスは桜さんに恋して結ばれるかもしれない、それを、見ずにすむ。


 幸せを思って、私は、『ベーゼ・ド・ランジュ』の小瓶を持ち上げた。

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