08.養父の賛同派排除……できません
「戻られますか?」
ジュエルの肩に突っ伏し泣いている間に、彼が動いているのは感じていた。
だけど、顔を上げて愕然とした。
……これは、不敬にはならないのだろうか、いつの間にやらジュエルは、私を抱き上げたまま、城の尖塔のてっぺんで胡坐をかいて座っていた。
見渡す限り青空で、はるか先まで見渡せるほど。城自体が高台にあるせいもあり、見晴らしはすさまじいものがある。遠くの山々や海までも見渡せて、一瞬、その美しい光景に、全てを忘れてしまいそうになる。
が、とりあえず確実に国王を下にしている今の現状、ばれたらまずいのではないだろうかと心配にかられた。
「……も……用は、すんだの。……でも、お父様に、あいさつを……」
「では、将軍のところへ」
言うが早いか、恐ろしい勢いで景色が上に流れていく。ジェットコースターなんて比じゃないほど、勢いよく落ちていく中で、一瞬、ジュエルの手からもこぼれてしまいそうに感じて、慌ててジュエルの肩にしがみついた。
小さく喉で笑われたような気がしたが、支える手に力がこもったのを感じて安堵する。
その勢いが、小さな衝撃とともにおわり、いきなりの方向転換。なんだか胃がそちらに取り残された気がして気持ちが悪い。
おかしい、絶対におかしい……もしも自分で落ちたなら、ギャグ漫画さながらに、地面にめり込むぐらいの勢いだったはずなのに……。
とりあえず、いつの間にやらジュエルは片手で壁面にしがみついており、私の体を壁との間に挟んで固定すると、内側で鍵の閉まっている窓を、針金で紐を引っ掛け隙間よりもぐりこませ、容易く開けてしまった。
私を抱き直し、ひらりと降り立ったのは見慣れた廊下で、養父の執務室の前まで来てくれたらしいと知れた。
豚野郎と言えば、強欲な男性に対して用いられることのある、ポピュラーな蔑称の一つだ。
ジェネラル……将軍・アルマン・グレゴワールは、不細工でチビでデブでハゲで歯欠けの親父という、見た目はかなり悪いもの。肌が浅黒いせいもあって、ゲーム中では黒ブタとも呼ばれていた。
これは、グラフィックデザイナーのせいなのか、それとも先祖代々の血のせいなのか、本当に、ゲームが先か現実が先かわからない。ただ、ゲームグラフィックそのままに、嫌な悪役の姿をしている。
だけど、戦争好きというとなにやら恐ろしいが、現実には喧嘩っ早くて浅慮で豪快。拳を合わせてしまえば、あとは笑って仲良くなってしまうような人。それでいて女にはめっぽう弱く、未だにお婆様には逆らえない、普通のオヤジだ。
てっぺん禿げ上がって、耳の脇にちょろちょろ残った髪の毛は黒いし、瞳の色は青。顔もなにも私との相違点はほぼないながら、私は母とそっくりだったから、特に違和感を覚えていなかった。
養父から、本当の父は前将軍なのだと聞くまでは……。
幼い頃から思っていた……この人の、本当の子ではないことが惜しいと。
まともに口も利けず、歩みも遅いぐず。何もできぬダメな子なのに、それでもとろけるような笑顔を向けられて……私の中の父は、この人だけだった。
困れば手を差し伸べることをいとわず、叱るときには怖いのだが、褒めるときは手放し以上、私のへたくそな手紙を宝物にした、私にめろめろな子煩悩。
時折来るおじさんが、どれだけハンサムだろうと、優しく抱き上げてくれようと、養父のほうがずっと父だと思えていた。
外見がどれだけ悪かろうと、反国王派として悪いことをしていようと、黒ブタとか呼ばれていたりしようとも……私にとって最高な父なのだ。
「いやはや、本日もグレゴワール様のおかげで……」
「どうか、グレゴワール様のお力添えを……」
ノックをする前に、太鼓持ちの調子のいい声が聞こえてきて、思わずその手に力がこもる。
コンコンと二つ打ってから、コンコンコンと三つ続けるのは私の合図。ちゃんとおしゃべりもできないでいた時の、『パパ、クロエよ』という合図だったのだが、どこでもここでも使うようになって、養父の部屋に入るときのクセになっている。
ノックした直後、ぱっと内に開いたドアに驚くが、うっかりバランスを崩す前に、大きな手に抱きしめられる。
「ようきた、ようきたなぁ、クロエ」
養父の肩越しに部屋を覗き見れば、そこには数人の男性がいて、そそくさと帰り支度を始めている。
書類やら豪華そうな布やら靴やら……そんなものをもってきてなにを相談していたのやら。力が必要ならばともかく、商業権や免税関係については、養父に力添えできるものではなかろう。
おそらく、養父自身の力ではなく、国王への進言か、ドン・デジレへの渡りをつけてもらおうという話なのだろう。だが、さすがに私がいては、悪巧みもできないか。
「これはこれは主教様、ご機嫌麗しく」
「今度ぜひともお時間いただきたいものですなぁ」
「いやはや、今日もおかわいらしいお姿をこうして拝見させていただくことができまして、光栄です」
なにやら揉み手せんばかりに、偉そうな人たちが同時に語りかけてくる。
だけども、養父に抱きしめられている状態で、くぐもった声で返事こそはするものの、軽い挨拶すら返せない。とはいえ、彼らはそんな状況も気にせぬようで、言いたいことだけ言って、部屋を出て行った。
私を相手にする気はさらさらない様子。
養父のご機嫌をとるために、私をネタにすることはあれど、私自身に黒い胸の内を話すことは一切ない。きちんとした紹介もなく、彼らの幾人かは何度か見たことのある顔だが、名前がわからない。
そんな状態で、どこそこのどういう人が反国王派で、父に悪いこと吹き込んでますよと密告することすらできない。
ふと気づくと、養父が小さく震えていることに気が付いた。
私を歓迎して抱きしめているフリをして、その実、私を彼らから隠しているつもりだったのかもしれない。
彼らの足音が完全に消えてから、養父はそっとその手を離して、私の顔を覗きこんできた。その表情は、どこか情けなく泣きそうな顔。そして、私の頬に、振れる程度の口づけを落とすと、やっといつもの調子に戻って、欠け歯をのぞかせニヤリと笑った。
「薬くさいな、さっきまで医務室で休んでいたようだが、もう体調はいいのか?」
「はい」
「無理はしないように。急ぎの用事なら、ジュエルを寄越せばそれで済むだろう?」
「……でも……今日は、私が、直接、会う必要……あったの」
「そうかい?」
何をしに来たのか、詳細を聞こうとしないのは、すでに報告を受けているからだろう。
献金を頼むのに、さすがにジュエルを寄越して済むわけがない。だからといって、ここまで急ぐ理由になどなりはしないのだが、急いでいた理由のすべては、ただ、私の焦燥感なのだから。
早くなんとかしなくては……もうすぐにも桜さんが来てしまう。ゲームが始まってしまう。はじまってしまえば、暗殺もクーデターも起きてしまう。
その前に、少しでもマティアスの勢力を削いで、実行を防ぐ手立てをしたいのだけど……。
「私……王様なんて、なりたくない……の。叶うなら……今の、まぁ……今のまま、祈りの日々を、過ごしていきたいと……」
「クロエっ! クロエすまん」
その謝罪が何のためのものだかわからないが、養父は謝罪の言葉を重ね、ぐぐっと眉を寄せ、苦々しくも表情を歪めた。
何か、養父が言おうとしたその瞬間、コンコンとノックの音が響き、外から告げられた侯爵の名を聞いた途端、私は部屋から追い出された。