医3.サクラとやらのこと
「でも……私……すきな……好きな人、いる、から……」
ジュエルの追い出しに成功し、視線を下へと戻せば、クロエが2人の求婚者を袖にしているところだった。
弱々しい声は、だけどもきっぱりと否定の言葉を紡ぎ出し、2人からの好意を拒絶する。
「ほかの、誰かと、添えない……わ」
好きな人、イコール僕であることに疑いもない。先に言われた以上に、以前からそういう兆候はいくらでもあった。
思わず自尊心が擽られ、同時にそうして心浮つく自分があまりにも情けなく思う。
だが、いくらそう思おうとも浮かんでくる笑みは、続く言葉で覆された。
「神様に……祈る、日々を、続けたい……の……ずっと、このまま……」
思わずガクッと力が抜けた。
マテ、なんでそこで”僕との結婚”とならないんだと思ったところで、自分の気持ちに蓋をするのを諦めた。
なんだかもう、本当に今更な気もするが、どうしようもない浮つく心が否定できない。
にしても、好きな人がいるから、だからその人とではなく、彼女に結婚の意志がないらしい。それはつまり、惚れてると告白しておきながら、僕までもフル前提だったとでも言うのか。
つまり僕は、いいように弄ばれてポイされる予定だったというわけか。
いいだろう、それならばそれでこちらにも考えがあるというものだ。
グレゴワール氏はこと彼女の件に関しては頑なだが、首を縦に振らせることは簡単だ。没している実のご両親はともかくとして、血縁者である2人は恋敵でもあるものの、丸め込むことは容易い。ただ、今振られたばかりで傷口に塩を塗り込む行為ではあるが……むしろそれはそれで楽しそうだ。
「でも、どう……しようも、なくなったら……それに、頼る……わ」
「わかりました、お兄ちゃんとの、約束ですよ」
何を考えているのか、いや、何も考えていないに違いない。
やはり彼女はもう少し城から、あの兄たちから引き剥がした方がいいようだ。そう、兄たちから以外にも、グレゴワール氏からも、デジレ氏からも……できればジュエルも排除したいところだが、あればかりはどうにもならないのだからしょうがない。少なくとも、彼からは彼女の思い人だからということで一目置かれているようだから、それはそれでよしとすべきか。
女性が結婚する理由としては、養ってもらうことというのが一番だろう。つまりは現状に満足し安定していれば、その理由はなくなってしまう。なれば、彼女を神殿から追い出し、僕に縋らざるおえなくすれば、結婚の意志も出てくるというもの。
周囲の了解をとり、自分以外の味方をなくし、生活環境を奪い……そう考えたところで、自分がなにに必死になっているのかわからなくなってきた。
「そうだ、新しい聖女の噂というのは、ご存知ですか?」
「……ダメェ……それっ……それ、フェイク……よ」
不意に耳に届いてきた言葉に、思わず下らぬことに費やしていた意識がそちらへ戻る。
「フェイク? 偽者ということですか? あなたは、何をご存知なのです」
「裏切り……の、神官。献金のため……そして、混乱……国家、反逆の……」
不安気に震える彼女が愛らしい。その手を取ってやって、安心した顔を見たいとも思う。自分に縋り甘える様というのは、どれだけ可愛らしいものだろうか。
言いよどむその口は、だが、甘ったるい言葉よりも、必死に不穏な言葉を紡ぎだす。
「そ、そう、名前、名前! クリステル? 可変、何、名前……」
「名前ですか? たしか、サクラさんだとお聞きしていますが……」
「サクラっ?」
酷く驚いているようだが、サクラという聞き覚えのないその名前の、どこに驚きがあったのだろうか。
ニセ聖女とやらは、神官の裏切りにより、国家混乱のために活用される予定ということか。
少なくとも、現状聖女発見の情報は、僕のところにきていない。だが、宰相閣下が噂として耳にしているというのなら、前将軍からの口が大きかろう。
この国は、大きく南勢力と西勢力と東北勢力とに分かれる。元々が二つの国を一国が併呑したのだからしょうがないが、西勢力が元々の王国であり、前国王の生家の勢力でもある。東北は特産物を持たぬせいで、国外との外商に秀で、革新派と呼ばれている。そして、南勢力こそが、前将軍及び現将軍の領地も含み、反国王派と呼ばれる一大勢力でもある。
南は、利用しようとしていたものだから、それなりの量の配下を忍ばせている。神殿関係で探るより、そちらのほうが早いかもしれない。
とりあえず部屋から出て、伝令を飛ばし狼煙を上げさせる。なんとも原始的な方法だが、人伝と狼煙が一番早く、遠くまで情報を送る。
なんとなし彼女の病室に入れば、彼女はぐっすりと寝入っていた。
部屋の隅に待機していた看護師に、席を外すよう言えば、一言二言当たり前の注意を向けて出て行った。
小さな寝息、ゆったり上下する胸元、あどけない寝顔。瞼を注視すれど、眼球運動はないようだから、夢も見ぬほどぐっすり寝入っているところだろう。
正直、その無防備な姿が可愛いと思う。一般的に見てもその外見は可愛い方だろう。ただ可愛いだけではなく、その唇、細い首筋、胸に至る丸みに、抗いがたい魅力を感じる。触れたくあるし、甘い香りまでするよう。
誘われるままに顔を寄せ、柔らかそうな頬に手を馳せ、その感触を掌で味わう。
考え過ぎるのか、決断するまでにひどく時間がかり、行動がのろい。生真面目なせいか失敗を恐れて逃げたがるクセがある。だが、バカではないし狡さはない。そういうところが好ましいと思う。
暗殺や窃盗や賄賂といった、犯罪に生かされていると知りながら、それを正すことのできず、流す涙も知っている。反国王派の旗印にされながら、唯々諾々と従いつつ、どうやら密やかに反旗を翻す準備をしていたらしい。
それ以外にも、どんな秘密を持っているのか、どんなことを考えているのか、気になる、知りたい、話したいと思う。
認めてしまえばなんということもない、僕は彼女に惚れている。そして、彼女も僕に惚れており、彼女は僕に罪を犯させたくないらしい。
金に名誉に名声に、破壊に攻撃、戦争戦闘。所詮男の夢なんぞ、そんなもの。認めさせたいと思えども、それにどれだけの意味があるか。それを女のために捨てるということに、ためらいがないわけではないが、どのみちガキの夢は捨てていい頃合いだったのだろう。
「寝込みを襲うのはどうかと思います」
思い決めて、その駄賃にひとつ唇を吸いおこうかと思ったところで、すぐ横合いから声がかけられた。
いつのまにそこにいたのか、ジュエルが間近でじっとこちらを見ていた。口づける瞬間でも狙っていたのか、それともさぬとじゃまするつもりだったのか。
「そこは、目をつぶっておくべきところだろう」
文句を言いつつ、間近にある彼女の唇には、振れるだけの口づけをしておいた。
身を起こすと、背後に人の気配が増える。どいつもこいつも、人の邪魔をしなければ気がすまないらしい。振り返れば、先ほど情報収集を頼んだ配下で、どうやら先ほど指示した結果が、すでに持ち込まれているらしい。
サクラ、クリステル、聖女という三つの単語だけで、すぐさま彼女の居場所も知れるとは、配下の能力の高さよりも、おそらく相手が宣伝でもしていたのだろう。
アマルナという女神官が保護しているというので、王都の神殿への紹介状を贈っておいた。ついで、通過経路にある村のいくつかに、配下を忍ばせておくよう指示しておく。
おそらく5日ほどでこちらまで到着するだろう。下手なところへは任せられないから、僕の保護下へ密かに保護することになるだろう。
そのサクラとやらが、彼女にとってどういう相手なのかはわからない。そのあたりも探らねばなるまいが、とりあえず、面白い駒にはなりそうだ。