医1.証明の裏で考えてた
いつもながらの皮肉に暴言、いつもながらの甘ったれ、そして、逃げ出す後姿。
いつも通り過ぎて、お約束という劇でも演じているような気分になる。
行き先は分かっているから、取り合えず授業の片づけを済ませ、のんびりと聖殿まで足を伸ばせば、いつも通り聖女の像の下に、小娘がひとり泣いている。
声をかければまた、甘ったれた事を言い出すのだろうと思ったのだが、今日ばかりは違った。
しばらくこちらを振り向くのをためらった上で、そのくせ真っ直ぐと僕のことを見つめてくる。正直、それに戸惑わなかったわけではない、だが、続くセリフにそれ以上の衝撃を受けた。
「私、あなたのことが、好きだわ」
「なんだって?」
「好き」
告白されてまず抱いた気持ちは、あきれと反感だった。
彼女の気持ちなど、以前からありありと漏れ出ていた。長年はっきりとは口にされぬままのそれを利用していながら、告白されることなど考えてもいなかった。
まさか、はっきり「好き」と言ってくるなんてこと、考えてもいなかった。
そのとき胸に思ったのは、しまったどうごまかそう……という、なんとも最低なことだった。
「はぁ……まぁ、待ちなさい。突然何を言い出すのだね」
とりあえず否定の言葉を口にして、気持ちを疑い、体調を疑い、ついでに往診の真似事もしてみた。
懐中時計の蓋を開け、彼女の細い手首に手を添えたが、実のところは気持ちを落ち着ける間を取るため。心拍数は、彼女のそれより自分の方が早かったかもしれない。
真似事であれども脈拍と熱とを確認し、リンパの状態を探るが、当然ながら異常はないようだった。
強いて言うならば、脈も早めで体温も高めではあるが、頬の赤みなど常より可愛らしい程度のこと。
「違う!」
必死の否定の言葉に、ごまかされてくれぬことへの勝手な苛立ちが募る。
いつものように丸め込まれてしまえばいいのに、ことこのことにおいては強情になるか。引いてくれる様子はなく、むしろ初めてともいえるその反発には賞賛すらしてしまいそうになる。
今の状況を保持したまま、いいように利用したいところだが……どうしようもないというのなら、その気持ちこそ利用するべきか。
体だろうと言葉だろうと、与えてやればなんでもやろう……だが、さすがにそれは鬼畜の所業かと思えばためらいが出る。
昔、母が言った「男は女を容易くオモチャにするが、できるが……相手が人であることを、忘れてはいけない」という言葉が頭を掠める。
道徳心……そんなものなど、とっくに捨てたはずなのに。
自分の手は汚していないが、人殺しも犯罪も、いくらでもしてきた。証拠を残すようなことはしていないが、自分の記憶は払拭できない。
今更、小娘一人利用するのにどんなためらいが出るというのか、利用すればいい、そう思うのに、そう思う途端、彼女がやけに可愛らしく、神聖なものに見えてくるから厄介だ。
「私、は、あなたに、惚れて、恋したえ……ときめいて、嬉しく……あったり、ぎゅっと、して……もらいた、かったり、キス……と……かも!」
くだらない、ふわふわとした甘い言葉に、自制しようとあがく自分がバカらしくなる。苛立ちはますますと募り、いっそ穢してしまいたいという、黒い欲望が湧き上がる。
何が、惚れただ恋しただ、ときめきだの嬉しいだの、そんなものが何になる。ひと時の快楽、ひと時の気持ちが、何になると言うのか。
可愛らしい顔で、可愛らしい恥じらいを見せ、可愛らしいことを言い出す。それにそそのかされて、心動かぬわけもないが、それでも、それにまみれて、本筋を忘れるわけにはいかない。
やらなくてはならないことが……犯さなくてはいけない罪があることが、わかっているのだから。
そうわかっていたはずだし、ダメだと理解もしていた。溺れることなど、現を抜かすことなどしてはいけないし、一度味わってしまった快楽に、その誘惑に、人は弱くなってしまうこともまた知っていた。
それなのに……その唇に惹かれてしまった。
「キスねぇ」
ぺろりと舐めるその癖で、いつもちょっと荒れたその唇。薄色の紅を与えたのに、いつも気づけばはがれかけている。そのだらしがなさがまた、妙なリアルを感じさせて、触れたいとつい欲が出た。
そうしてその唇に、己のそれを触れ合わせた瞬間、しくじった、なんというだらしがなさだと自分をなじった。
知識はあれどもただ人。英雄にも君子にもなれはしない。ただ、人より少しだけ本が好きなだけで、自制すらできぬ愚かしさ。
下半身に導かれた世急に、思わず屈しそうになる自分がいる。あまりの柔らかさに、更にともとめたくある自分は、容易くこの欲に溺れてしまうだろう。
ただの口付けに収まりすらせぬそのねぶりは、その甘さを追い求めるが故。
驚きのまま身動きできぬ彼女は、このまま陵辱することも容易かろう。いや、そうでなくとも、愛してるとでもほざけば、容易くだまされ体を開くだろう。
全てを忘れて彼女の身に溺れたいという欲望は、麻薬のように体に広がり、思考の全てを奪ってゆく。
手を出してはならぬものがそこにあったと、触れて初めて理解した。知らねば再び触れたいと、思う気持ちも知らずにいられたというのに。知らぬほうが良いものというのは、存外こんなにも近くにあった。
自責の念から脱するその前に、
「ジュエル」
彼女のか細い呼びかけに応じて、ジュエルが目の前に現れ、俺を押しやった。
睨みつけてくるその眼差しは、決して彼女には見せないもの。殺意すら感じるようなその目つきに、思わず叱咤をしそうになるが、今はそれどころではない。
どころか、口を開くその前に、あっさりと彼女を目の前からかっさらいやがった。
元々、ジュエルはこちらに仕えているというより、彼女を王として擁立するために協力してもらっていると言ってもいい。
彼女の不利益になることならば、それがたとえ爪の先を掠める程度のことでも嫌がるのが常。だから、この状況もしょうがあるまい。
苛立ちとともに欲望の遠のくのを待ち、冷静になったところでジュエルを呼べば、あっさりと現れた。
だが、彼女の残り香がそこにあるような気がして、苛立ちはますます高まるばかり。
「彼女は……」
「自室に案内し、休まれた方がいいと進言いたしましたが、ダメだとおっしゃられ、なにやら思い悩まれていたご様子。その後、私を誰のものかと問われ、教会所有と判断されたか、司祭たちの集う執務室に向かわれました。そこで、私の処遇をクロエ様のものとすることを明確にされ、その対価に国王への百口の献金をこれより強請りにいかれる予定にございます。本日のご予定はそのまますっぽかすおつもりかと。また、ジュエルが欲しいとの言葉に、意味の分からぬトキメキがあり、本日はなにやらお可愛らしいご様子に……」
「何が言いたい」
「せめて、初めてはきちんとお部屋に戻られた方がよろしいかと思います」
報告の中に、私情が挟まってきたとおもいきや、唐突に言い出したその言葉に、意味が分からず頭を抱えた。こいつは常々そうだった。
「なんの話だ……」
「初体験が悲惨では、今後のことにも関係いたします。女王として、侍らす者が誰であろうとかまいませんが……せめて、初恋のあなたがなされるのであれば、なおさらロマンティックに演出していただきたいところです。なんなら、海の見える別荘地でもご用意いたしましょうか?」
「……いらん」
とことん下らぬこの話を、大真面目な顔でするから始末に悪い。
有益な情報といえば、これから王城に行くのだろうことぐらいか。どうせ彼女のこと、馬車でも使うのだろうから、馬で行けば今からでも先につけよう。
とりあえず、彼女のあとを追い王城へ向った。