07.ご褒美とお仕置き……いりません
「聞かせてもらえるかな? 君は、ご褒美とお仕置き、どちらが欲しいんだい?」
さて、ジュエルを呼びつけ逃げようかと思ったのだが、頭の端に、それが叶うのかどうかというためらいが浮かんだ。
もしも万が一、私が呼んで来てくれなかったら辛い。さっきは来てくれたが、実は今、マティアスに何か用事でも言われていたら、来ない可能性だってある。
いっそこのまま、ガエルを盾にして乗り越えた方が、実は確実なのじゃないかと考えた矢先の言葉、自分の混乱も手伝って、マティアスの言葉の意味がうまく理解できなかった。
「なっ……そっれ……ど、いう……こと?」
ご褒美、それはそのまま、褒めてなにか金品をくれるということだろう。お仕置きは、こらしめるための罰とかお叱りとかそういうことだろう。その二つのうちどちらかと、なぜ問われなければならないのか、さっぱりわからない。
だけど、分からないと判じた次の瞬間、いや、そりゃあれだ、さっきの反発の言葉とか、彼の指示にない行動に対すること……そりゃ、お仕置きは当然だなと思い直した。
ジュエルの譲渡依頼だって、そのための献金のお願いだって、今まで指示でしか動かなかった私が、していい行動なんかじゃない。
でも、なんでそこで、ご褒美とお仕置きという二択を選べというのか、選べるのか、それが分からない。
「大人しく僕の言うことを聞いて、ご褒美をもらうか……それとも君は、そうして僕に反抗的な態度をとって、お仕置きされる方がお好みなのかね? それならそれで、今後は君との交流の仕方を考えなくてはならないからね。今、あえて聞いておきたいと思ったのだよ」
言うまでもなく、ご褒美のほうが良いだろうという言葉が、言外に含まれている気がするが、そんなもの、いわずもがなだ……だが、唯々諾々と彼に従うわけにはいかないのも、当然のこと。
ゲームの中のクロエは、彼の言葉を全てまるっと信じ、従い、そして、ただ数日の天下を取った。それが、国家にとってどれだけの打撃になるのか……ゲームの中の一事件として、あまりに軽く描かれているような気がするが、その後ろで、ゲーム画面には見えないところで、どれだけの血が流され、どれだけの破壊がなされたものか……現実となれば、その恐ろしさに身の毛がよだつ。
わかっている、ご褒美など、目先のそれに食いつくことなど、絶対してはいけないのだと。
「ご、ご褒美って……何?」
だけど、思わず、心がそっちへ揺れてしまうのは否めない。
思わず、優しげな笑顔で頭を撫でてもらった、ありし日のことが頭を掠める。
「君が望むもの、なんでもと言おうか」
なんでもだなんて、むしろ何をしてもらえばいいのやら……途方もない選択肢の中、むしろ指針がないせいで、最も下らぬものを選び取ってしまいそうだ。
思い切り甘やかして欲しいと言ったら叶うのだろうか。愛して欲しいと言ったら叶うのだろうか、惚れてくれとか恋してくれとか、絶対にありえないことも叶うのだろうか。
暗殺やクーデターを起こさないで欲しいという願いも、そのご褒美で叶うのだろうか……。
「お仕置きって……」
ついでともう一つの選択肢について問いかければ、マティアスは、なんとも楽しそうにニヤリと笑う。
「それは、君に選ばせてあげられないよ。さぁ、どういうお仕置きがいいかな? 最も君が嫌がりそうなものを、考えてあげよう」
その笑顔のなんとも楽しげなこと、それに怯んでガエルの背中に隠れきってしまおうとしたとき、
「えっ……エロ医師」
ガエルが唸るようにそう言った。
途端に、マティアスは楽しげな笑顔を引っ込め、ずざっと一歩、後退りした。
「なっ! な、何もっ! 何もその手の行動はなにもしていない! だというのに、ソレは納得のいかない悪名だ。その、それは暴言以外の何でもない。いったい何だね! 何をもってしてそうっ……」
早口になり慌てた様子には、なんだかゲーム中の光景と類似するものがあるものの……そもそも残念なのが私はヒロインではなく、彼は私に恋しているわけではないというところだ。
「……してれば……いいの?」
「なにっ!」
「さっき……の……聖殿で、のは……」
「あっ! あれはだっ、あれは、あれは君の言わんとすることを理解するべく、検証をしようと……」
「クロエちゃん、何されたっ!」
もっともっとガエルに責められてしまえばいいと、余計な一言をこぼしてみたら、ガエルがこちらに振り返り、がっしと私の肩をつかんだ。
正面から覗き込んでくる目は真剣そのもので、余計なことを言えば大変そうで……。
「ジュエル」
もう逃げ出してしまおうと思いジュエルを呼べば、すぐ脇にあった窓が開き、ジュエルがひらりと現れた。そうして、まるで羽毛か何かのように、音も立てず私の足元に降り立ち、跪いた。
そちらに一歩進み寄れば、手が引かれすっと身を低くした彼の肩に座らされる。体が安定するその前に、ジュエルは私を担ぎ上げたまま、窓枠に乗った。
思わずジュエルの頭を抱え込むが、視界が狭まるのも気にするではなく、その細い枠の端に身を安定させ、窓を閉めてしまう。いつものことながら、器用に外から窓を閉め、そのままひょいと飛び上がった。
「にっ、逃げたっ!」
どうもジュエルは屋根の上が好きらしい。神殿よりかなり傾斜の強いその場所に、だけども滑り落ちる恐れもなく平気で立つ彼。当然、肩には私というオプション付きだ。
見晴らしがいいよりも落ちる恐怖の方が勝るが、彼ならば、たとえ綱の上だろうと、平気で渡ってしまうのだろう。
ジュエルが、私よりマティアスを優先しているのだろうことはわかっているが、今も先もマティアスのところから逃がしてくれている事実はある。あえて逃がされているのかも知れないが、どちらにせよ、逃げられるうちは逃げていたいと、情けないことを思ってしまう。
まだ、下の方でガエルの声がするようだが、それはマティアスに任せておこう。さてどうしようと思い悩んだところで、窓が開いた。
「ところで、クロエ様」
マティアスがその窓より身を乗り出し、よじるようにしてこちらを見上げて声をかけてくる。
見下ろすのが怖いのは、高さのせいだけではないが、とりあえず下はできる限り見ぬまま、ジュエルの頭を抱く手に力を込めた。
「なにやら先ほど気にかけられていたようですが……フェイク聖女、ですか?」
だけど、続くマティアスの言葉に、思わずその手が緩み、ふらっと下を向いた途端、そちらに吸い込まれてしまいそうになる。
こんなところから落ちてしまえばひとたまりもないながら、バランスを崩しそのまま零れ落ちてしまいそうになる私を、ジュエルは危うげなく抱きなおした。
「サクラ殿のことならば、先ほど確認をとりました。とりあえずそのままにしておくわけにもいかないので、彼女は神殿預かりとなりますよ。先ほど迎えを向わせたので、数日中にはこちらに到着するでしょう」
ヒロインのことを教えられ、もう、すぐ側、絶望の足音を聞いた気がした。
いつのまにっ! と思ったが、私がぐっすり寝ていた半日の間にだろう。マティアスのことだ、神殿の諜報員以外にも、情報源はありそうだ。
元から、私が動いたところで何もできはしないだろうとは思っていたが……むしろ、逆効果どころか期せずしてマティアスルートに入ってしまったようだ。
これから、マティアスは彼女といちゃラブモードに入るのかもしれない。
そう思うと、うっかり涙の粒が零れ落ちて、ジュエルの肩を濡らしていった。