桜
まだ冬馬さんとのやりとりの余韻が残って興奮しているところに、約束通りに萩原君から電話がかかってくる。
「萩原君、今日は本当にごめんね!」
「いや、気にしなくて大丈夫だよ。それよりあの後どう、だった?」
何から話せばいいのやら、なるべく分かりやすく簡潔に説明して……
"真斗君にヤキモチを妬いたって言ったら……"
冬馬さんの言動を思い出してしまい、唾が変なところに入ってしまい思わず咳き込んでしまう。
「大丈夫か?」
「ゴホッ、ううん、だ、大丈夫……ちょっとむせちゃって」
何をしてるんだ、ただの冗談にここまで揺らいでしまうなんて……
携帯を少し離してから一度大きく深呼吸をしてからまた話しだした。
「ごめんね、えっと。冬馬さんは怒ってないとは言ってくれて……あ、もちろん萩原君に対してもだよ。当たり前だけど……」
「……怒ってない? それ本当か?」
「う、うん、ちょっと驚いただけだって……もしかして何か言われちゃった?」
「いや……戻ってきた時はいつも通りだったけど、じゃあ、あの目は……」
萩原君は何かゴニョゴニョと話しているけどあまりにも声が遠くて聞こえなかった。
「どうしたの?」
「え、あ、いや、良いんだ。日下部さんが何ともなかったなら良かったよ」
「わざわざ心配してくれて本当にありがとう。私、絶対嫌われたって思ったから安心して泣きそうになっちゃって……」
「そう、か……良かったな」
「うん、それでね……実は明日も、その、そっちにお邪魔することになっちゃって」
「は? 先生が来いって言ったのか?」
「うん……私も驚いたんだけどね。深くも考えずに行くって言っちゃったんだけど……今冷静に考えるとただ親戚として手伝って欲しいってことなのかなって思ってるよ」
あははと空笑いをする私
それしか彼が私を誘うなんてありえない。
暇してるタダで使える人員があるなら使いたいはずだ。
きっと冬馬さんのことだから、あえてそういうことを隠して明日になったら私を馬車馬のごとく使うんだよ。
「だから、明日は萩原君たちの邪魔にならないように出来る範囲内で手伝うからね!」
「……」
「萩原君?」
「え? あ、いや……まぁ先生の考えてること分かんねぇけど良かったな」
「う、うん」
だんだんと歯切れの悪くなる彼は、突然思い出したように用事があると言って、また明日と私の返事を聞かずに電話を切らってしまう。
明日のことで忙しいのかな? そんな中わざわざ電話までかけてくれるなんて本当に良い人だな。
明日は、そんな彼のためにも冬馬さんのためにも頑張らないとね
そう意気込んで、眠れない身体を無理矢理ベットに入れて目を閉じる__
約束の時間より10分前に到着してしまう。
会場の駐車場には既にたくさんの車があり、多くの人間が来ていることが分かる。
ここに来てと言われているけど、さっきから業者の方などが慌ただしく行き来していてなんだか落ち着かない。早く冬馬さん来てくれないかな……
優しく名前を呼んでくれるあの人の声がぬるい風に乗って聞こえてくる
「お、いたいた」
声をかけてきたのは約束した冬馬さんではなく、昨日顔を合わせたばかりの熊谷さんだった。
昨日は適当な私服だった彼が、黒の紋付き長着と羽織そして袴でしっかり正装をしていた。
冬馬さんよりも少しだけ背の高いからか、見上げると少し首が痛かった。
「熊谷さん、ですよね?」
「おっ、名前知ってたんだ」
「萩原君が教えてくれて……」
「あー、真斗とは"ご学友"だったけ? アイツもさ可愛い子を連れてくるなら教えろよな。そしたらもうちょっとキメていたのになー」
顎にうっすらと生やした髭を触りながら話す熊谷さん。
冬馬さんや萩原君とは少し違った人、そういえばテレビの特集で二人と一緒に出ていた一人だ。
冬馬さんは綺麗で大人っぽいがどちらかと女性的な雰囲気、熊谷さんは男性らしい渋い大人っぽさでイケメンと騒がれるのも納得してしまう。
「お世辞が上手なんですね」
「えー、お世辞じゃないんだけどね。どう? 確かにすこーし年は離れてるけど、こうみえて俺まだ28でお似合いだと思わない?」
「え?」
「え、って俺そんなに老けて見える?」
「あ、いえ……萩原君が熊谷さんは32歳だって教えてくれて」
「はぁ? アイツそんなこと言ったのかよ! 違うから! 俺こうみえてもまだ20代で老けてるのは髭のせいだから!」
ものすごい形相で否定しながら詰め寄られ、圧倒されてしまい自然と頷いてしまう。
彼は深いため息を吐いて少しずれたメガネをかけなおしていた。
「髭もあるけどさあの二人、特に冬馬なんかと一緒にいたら老けてみえるのは当たり前だよな。けど俺は普通なんだよ。アイツが異常なんだよ、見た目がちっとも変わらねぇし……」
きっとこの様子だと普段から言われることが多いんだろう。
この人の言う通り、冬馬さんが異常だ。本当に何も変わっていないのだから。そんな彼の隣に立つのはそれなりのリスクが必要で、それでもこの人は一緒の道を歩いている。私には出来そうにもないことを長年やっているのだ
「確かに萩原君から教えてもらった年齢で納得しちゃいましたけど、こうしてお話ししていると本当の年齢の方がしっくりきますよ。なんて……慰めにもなりませんよね……」
高校生の子供にこんなこと言われるなんてますます落ち込んじゃうんじゃないかと思ったけど。熊谷さんはありがとなっと言ってくれて嬉しそうな顔を見せてくれる、
「百合ちゃんだっけ? 冬馬の親戚じゃなければ手を出しちゃうぐらいだな」
「へ? 」
「あはは、冗談だ。冬馬は今取材やらなんやらに追われてて迎えにこれないからって、俺に君を迎えに行って欲しいって頼まれてね。真斗の方が良かったか?」
「い、いえ……」
冬馬さんが忙しいのなんて分かっていたことなのに、やっぱり少し残念って思ってしまう。
って、今日はお手伝いしにきたのだから、何甘えたこと考えているんだ。
「あ、あの、今日は私、なんでもやりますので好きに使ってください!」
今度は私が彼に詰め寄っていく。
「ははっ、そこまで意気込まなくても、肩の力抜いてさ……冬馬からは君を案内するように言われているから、ついておいで」
熊谷さんに手招きされてそれについて中へと入っていく。
中は昨日よりも騒がしくて、すれ違う人はみんな早足だった。
それでも熊谷さんを見かけると、律儀に会釈をしていく。私はこの雰囲気に疎外感を感じてしまう。
「皆、忙しそうですね……」
「朝から変更することがあったからな。けど始まっちゃえば落ち着くよ
「あの、私は何をすれば……」
「ん? あ、ほらこっちこっち」
熊谷さんは私を舞台袖に連れて来てくれた。
薄暗いそこには、音響の機械やらこの後使う花の受け皿などが用意されていた。
そして舞台近く、客からは見えないあたりにパイプ椅子が4つ置かれている。
「せっかくだから舞台も見てみたら? 昨日とは少し変わってるから」
勧められるがまま、まだ緞帳があがっていない舞台を見てみると、昨日は桜の木が設置されていただけのシンプルな作りだったのが、今日は舞台の真ん中に段差ができて畳4畳ほどのスペースが作られていた。その上には置き畳が敷かれて舞台の上に和室が出来ているような作りをしていた。
その部屋の真ん中には紫色の座布団が置かれており、お正月によく見かける光景に似ていた。
「日下部さん」
舞台には萩原君もいて、声をかけてくれる。
彼も正装で髪をアップにしていてまた違う顔を見せてくれる。
熊谷さんが来たことに舞台にいた人たちも気づいて、彼にお疲れ様ですと挨拶をしていた。
「おはよ、萩原君。和服姿も似合ってるね」
「あ、あぁ、ありがとう、それより何でここに? それに熊谷さんとなんて……」
「俺と百合ちゃんが一緒にいたらいけないのかよ、それよりな真斗! お前俺を32歳だとか教えたらしいな!」
熊谷さんは真斗君を後ろから首に肩を回して、軽く首を締めていた。
「ちょっ、苦しいって……それに着崩れるだろ! もうすぐ始まるんだしやめろよ」
「うるさい、32歳とか結構リアルな嘘つくやつを俺は許さん!」
「ごめんごめん、ちょっ、ホント苦しいって……」
ようやく熊谷さんは彼を解放して、萩原君は吸えなかった息を吸い込んだ。
「大丈夫? なんかごめんね私のせいで……」
「いや、気にしないでよ。俺が悪いんだし、けどあの年齢言われても違和感なかったでしょ?」
ここで素直にうんとは言うことなんて出来ないけれど、普通に信じてしまった負い目もあるので返事を返すことはせずに、慌てて違う話題に話を逸らしてしまう。
「そ、それにしても凄いね。昨日とはがらりと変わって……」
「今朝、早くに冬馬さんから連絡があって、桜が手に入ったからそれをいけるって言い出してね」
「桜?」
「さくらの会って言ってるけど、ただの春のイベントだから名前に深い意味なんてなくて、だから毎回家元がいけるときは桜とかにはこだわらずに、春の花を使っていけるのが恒例なんだよ。昨日までは今年もそうするって決まっていたんだけどね、そもそも冬馬先生が桜は使わないでやろうって決めたんだけど……」
「どうして、使わないの?」
私はてっきり桜を使っていけばなをするものだと思っていたので、使わないというのが不思議だった。
せっかく名前にも使われているのだから、使った方が見る人も楽しいと思うのに……
その疑問に答えてくれたのは熊谷さんだった。
「"桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿"っていう俗言があってね、桜の木は切ったところから腐りやすくなって元木をダメにしてしまう。逆に梅は切っても回復が早いし、実をつける木だから切って立派な実を育たせないといけない。だからいけばなでは、桜はあまり使わないようにするのが普通なんだよ」
「今回はたまたま花をつけた桜が切られていたのを冬馬先生が見つけたって聞いたけど?」
「あぁ、近くにショッピングセンターが建てられるのに工事で切られた桜を冬馬が見つけてきたそうだぞ。そうなると器は変えなくちゃいけないし、しかも舞台の雰囲気を変えるとか言い出して、皆この有様だ」
慌ただしさの理由が冬馬さんというのが意外すぎて半ば信じられなかった。
「最初は立っていける予定だったけど、冬馬さんがどうしても座ってやりたいって言い出したりもして今日の冬馬先生はいつもと少し違うんだよな。緊張してるというか気を張り詰めてるというか……」
何があったんだろう、昨日の冬馬さんを振り返ってみてもいつもの冬馬さんだったけど……
色々考えるけど彼の考えることなんて分かるはずもなくて、ただ言動一つでここまで変更させられるのは彼だからだろうと舞台に置かれている桜を見つめる。
「あの、私はここで何をすれば?」
連れて来た熊谷さんに聞いて見るけれど、彼は頭を掻きながらうーんと返事をする。
「それがここに連れておいてくれって言われただけで、もう始まる時間だから手伝いって言っても……」
「受付でもやってもらえばいいんじゃねぇの? あそこならいくら人がいても困らなさそうだし……」
「そうだな……」
よし、いよいよお手伝いができる。
そう思っていた時に__
「ダメだよ」
舞台袖から現れたのは冬馬さんだった。
舞台に今回の主役三人が集まったこと、そして何よりも冬馬さんが現れたことによってスタッフさん達の視線が集まってしまう。
「お疲れ様です、冬馬、先生……」
「お疲れ様、真斗君」
「よ、取材は終わったのか?」
「うん、今やっとね。百合ちゃんごめんね。僕から誘ったのに……熊谷さんもありがとう」
私は正装の冬馬さんに見惚れてしまって、無言で首を左右に振る
「百合ちゃんには大事な仕事があるから、ここにいてもらうからね」
大事な仕事
そう言われてボーっとしていた頭はハッとした。
「私、今日は親戚としてしっかり働くから何でも言ってね!」
そう言うと彼はクスッと笑って、ありがとうっと言ってくれる。
きっとこの一言で私はどんなことも出来てしまう。
"そろそろ時間になったので始めますよ"
舞台袖からスタッフさんの声が聞こえてきた。
冬馬さんは舞台にいるスタッフさん達を全員見回し笑みを浮かべる。
「それじゃあ、始めようか……」
冬馬さんの一言でその場にいた全員の顔つきが変わってしまう__