春
春になり一年生が終わり、無事二年生へと進級した。
カレンダーを見て後約8ヶ月で冬馬さんに会えると胸を踊らせる。
春が過ぎて、夏が来て、秋が来て、そして冬がくればもうすぐだ。
目を閉じれば消えてしまいそうな尊い彼の姿を思い浮かべてしまう__
ふと時計に目をやると7時50分をさしていた。
もう行かなきゃ、慌てて鞄を手にして部屋を出ようとしたけど忘れ物に気がついてベットに置いてあるスマートフォンを手にする。
この春にようやく買ってもらえた携帯。少し古い考えの父がようやく許可してくれて買い与えてくれた物
それを大事に握りしめて私は家を出る。
"いってきます"
母のいってらっしゃいの声も聞かずに小走りで駅へと向かう__
私は匂いに敏感な方だ。
そのせいか朝の満員電車では苦手だったりする。さっきから隣にいる人の臭いが気になってしまう。
きっと昨日の夜にニンニク、いやこれは生の玉ねぎ?を食べているのか独特の匂いがして気分が悪くなる。せっかくの春の陽気な香りを台無しにされてしまう
"文目坂 次は文目坂です、お降りの際はお忘れ物の無きようお気をつけ下さい"
アナウンスが聞こえてやっとこの地獄から抜け出せると安堵する。
電車が止まるとすぐにプシューっと音を立ててドアが開いたので押し込まれながら外に出る。そして新鮮な空気を吸い込むと身体はリセットされていく。
もう少し早い時間の電車に変えようかな……
吸い込んだ空気を吐き出して改札口へと歩き出した。
周りを見ると自分と同じ学校の人間がゾロゾロと歩いていて、ふと一人の男子生徒が目に入る、知り合いではないその男の子を見て冬馬さんを重ねてしまう。
私がもう少し早く生まれていれば、一緒に登校とかしていたのかな?
そんなどうしようもないことをいつも夢見てしまう。
「おはよ、日下部さん」
改札口を出ると萩原君が声をかけてくれた。
去年の年明けから仲良くなった彼、冬馬さんと同じ華道の道を歩む萩原流という流派の次期後継者らしい。
私が冬馬さんと従兄妹だと知る唯一の友達。
なんだかんだと言いつつも私のことを気にかけてくれて今じゃ学校にいる間は彼がそばにいることが当たり前になっている。
「おはよ、萩原君」
「あー、春休みってなんであんなに短いんだろうな〜」
「フフッ、そうだね。宿題も多かったしね」
「そうなんだよな、しかも休みだからって家の仕事もやらされてたから休んだ気が全然しねぇ……」
「大変だね……」
それでもきちんと宿題はやってくるし、成績も良い彼は本当にすごい。
もしかしたら後継としてみっともないところを見せないようにと親に言いつけられているのかもしれないけど、そのプレッシャーを感じさせずやり遂げてしまっているんだからやっぱりすごい。
冬馬さんも彼と一緒だったんだろうか?
「冬馬先生は、もっと忙しかったと思うよ」
「え?」
「先生のこと考えてるって顔してる」
「あ、いや、その……ごめん」
萩原君と話していると、ついつい冬馬さんのことを思い浮かべてしまう。
私の彼に対する気持ちに気づいている萩原君は、きっと失礼な奴だって呆れてる
「別に謝ることないだろ、そういえば噂だけど冬馬先生は一年生からずーっと成績がトップだったらしいよ。家のこともあったのに凄いよな……」
「そう、なんだ」
その成績を見てあの人は喜んだりしていたのかな。ううん、きっと彼にとってそんなことどうでもよかったはず。そういう人じゃない。家のために華のために目の前のことをそつなくこなしていく。そういう人間だ。きっとあの人と一緒にいると感じる冷たさはこういうことなんだと思う。
「ゆりー!!」
学校の校門が見えてくると一人の女子生徒が私の名前を呼んで手を振っている。
その生徒が親友の子鈴だと分かって私も小さく振り返して彼女と合流した。
「おはよ、子鈴」
「おはよ……ってまた萩原と登校してきてー」
「っす、何だよ別にいいだろ」
「最近、多くない?百合コイツにストーカーされてるんじゃないの?」
「はぁ? んなことしねぇよ!」
「電車通学だから自然と会うだけだよ」
「え〜? 怪しい、萩原、しつこい男はモテないからね」
「だーかーらー!」
一年経って随分と私の周りは騒がしくなってしまった。
私と萩原君が仲良くなって最初の頃は、子鈴はあまりいい顔しなかったけどなんだかんだと話していると気が合うみたいで、よくこの三人で過ごすことも多くなりつつある。
ただの予想だけど、この二人は私にとってかけがえのない財産になるんじゃないかって、ちょっとクサイことを思ってしまったり
新しいクラス表が貼られているところに行くと大勢の生徒が集まっていて騒がしかった。
この二人と離れてしまったらどうしよう……
一抹の不安を抱えながら、必死で自分の名前を探す。
日下部、日下部、くさ……あった!
2年4組のところで名前を見つけて子鈴を見つめるとまだ彼女は必死に名前を探していた。
「私は……あっ、4組だ」
「子鈴!」
「嘘、一緒?!」
私達はあまりの嬉しさにお互いを抱き合った。
良かった、本当に良かった……
ふと、萩原君に目をやると彼は呆れた表情で私達を見つめてくる。子鈴もそんな彼を見て不機嫌になってしまいお互い抱き合うのをやめてしまった。
「何よ、あっ! そっかそっか萩原は違うクラスになっちゃったか〜、残念だったね!」
「あ? ちげーよ、一緒のクラスだよ」
見てみろとクラス表を指さされ私と彼女は男子の名簿を見て彼の名前を見つけた。
「嘘……ホントだ」
信じられないと落ち込む子鈴とは逆に新しいクラスに知り合いが二人もいることに嬉しくて泣きそうな私
二人もいたらどっちかが休んでも喋る相手がいるということが、人見知りの私からすれば本当に嬉しい出来事だった。
「萩原君も一緒なんだね、良かったー! また一年よろしくね!」
「お、おう、よろしくな」
「しょうがない、仲良くしてあげるわよ」
「お前はホント、失礼な奴だな」
きっと楽しい一年になる。
幼稚な私は心を弾ませてしまう__
教室に着くと黒板には"進級おめでとう"と書かれていて席順が書いてある紙がマグネットに挟まれていた。
席は残念なことに二人とは離れてしまったけど、席の位置が窓際の1番後ろだったので嬉しかった。
誰かが開けっ放しにしたのか、私の席には風にのってやってきた桜の花びらが一枚のっていた。
去年は一年生だったから一階で景色があまりよくなかったけど、今年は上の階に上がり校内の桜の木がよく見えた。
綺麗だな……
冬馬さんもこの桜を見ていたのかな?
花が好きな彼なのだからきっと嫌でも目に入れていたに違いない。
冬馬さんはこの近所に住んでいるんだし、もしかしたら今も……
なんて、都合のいいことを考えたりしてしまう
桜と冬馬さんきっと絵になるだろうな……
それは私には見ることもできない光景だ。
椅子に座り鞄を枕がわりにして舞い散る桜を見つめる__
"ねぇねぇ萩原君、今日の放課後なんだけど"
"萩原君の家って有名な華道家なんでしょ? 私も実は小さい頃、華道をやっていたんだよね"
"良かったら今日お菓子作ってきたんだけど、よかったら〜"
「うっわ、凄いね……」
「萩原君モテるからね」
始業式の浮かれた気分は2、3日もすれば消えてしまい通常の授業が始まる。
昼休み、心地いい日差しを背中で感じながら、私達は女子に囲まれてしまっている萩原君を遠目で見つめる。
萩原君は一年の頃からモテてはいたけどあそこまであからさまなことではなかった。
恐らく、春休み中にやっていたテレビの影響だ。
"今話題のイケメン華道家のプリンス達!"
っというニュース番組の企画に冬馬さんと萩原君それともう一人がインタビューされていた、
後から萩原君に聞いた話だけど、元々は冬馬さんともう一人の二人だけの予定がたまたま居合わせたディレクターの人に捕まってしまい、仕方なく応じたらしい。
「ごめん、ちょーっと、俺用事があるからさ、ごめんね!」
おかげでこの有様に、さすがの彼も困っているようだった。
彼はなんとか女子の塊から抜け出して教室を出て行ってしまった。
大変だな、人ごとのように哀れみの目を向ける私と鼻で笑う子鈴
きっと、どこ行っても今の彼は囲まれてしまう。ゆっくりお昼も食べることもできないんだろう。
ヴーッ ヴーッ
萩原君が出て行って5分ぐらいだろうか、ポケットに入れてあったスマホが震える。
一応学校では携帯の持ち込みは禁止なので、少し隠しながら画面を見ると萩原君からのメッセージだった。
"ごめん、購買で適当なパン買ってきて華道部の部室に持ってきてほしい!後、一人じゃ寂しいから一緒に食おうぜ〜"
私は、隣にいた子鈴にそのメッセージを見せると彼女は大きな溜息を吐き出した。
「アイツ、出て行く時に弁当持って行きなさいよ、それに私達はとっくに食べ終わってるっつーの」
「どうする?」
「どうするって、はぁ……行ってあげるしかないでしょ」
「そうだね」
友達が困っているんだから助けてあげなきゃね
私達はクラスで彼の帰りを待つ女子達を横目に教室を出て行った__
「いやー、ホント助かったよ……」
華道部の部室に行き萩原君に買ったパンを渡すと、相当お腹が空いていたのか3個ほどのパンを一気に食べ終えてしまう。パックのお茶を飲みながら一息いれる。
「あのぐらいの女子、適当にあしらえば良いじゃない」
「いやいや、俺優しいから適当とか無理無理」
「中途半端なことして私達に迷惑かけていること分かってんの!!」
子鈴は彼を殴ろうとするが、私が間に入ってそれを止める。
「まぁまぁ、萩原君が悪いわけじゃないんだし」
「そうかもしれないけどね〜」
そしてタイミング良く今度は子鈴の携帯が震える。彼女はすぐに開いてあっと声をこぼした。
「どうしたの?」
「ごめん、先輩と新歓の打ち上げがあるからちょっと行ってくるね」
しんかん、聞き慣れない言葉に私は頷くこともできずに首を傾ける。
「新入生歓迎会だろ、早よ行け行け」
「言われなくたって行くわよ! じゃあちょっと行ってくるね」
いってらっしゃいっと声をかけて彼女を見送る。
そうかバスケ部の……
彼女がいなくなると部室は随分と静かになってしまった。
「座ったら?」
立ちっぱなしの私に気を利かせる萩原君、慌てて畳の上に正座する。
「正座なんてしなくて良いのに……」
「あっ、そっか……つい癖で」
萩原君はあぐらをかいて眠たそうな顔をしている。
こうして見ると冬馬さんと同じことをしているようには見えないな。
どちらかというと私達と一緒で普通の高校生という感じ……ってまた冬馬さんのこと考えてる
考えていることを消そうと首を左右に振って、正座を崩そうと上体を動かした。
「冬馬先生ってさ、絶対に姿勢をくずしたりしねぇの」
急に言われた彼の名前に体は固まってしまう。
「え?」
「どんな時も、一人でいる時でさえも、きちんとしてるんだよ」
そう言われてしまい、思わず崩すのはやめて正座にきちんと座り直した。
「もっと肩の力抜けば良いのにって思うんだけど……あの人のあぐらとか想像できないんだよな」
あぐらをする冬馬さん……
想像するとあまりの違和感にプッと笑ってしまう。
すると、彼も吹き出してしまい二人で笑いあってしまった。
「そういえば明日なんだけど、日下部さんなんか用事とかある?」
明日は土曜日で年頃の女の子ならデートのひとつでもあってもおかしくないけど、もちろんそんな相手のいない私は予定なんてあるはずもなく首を左右に振る。
「明後日、俺のとこと冬馬先生のとこ、後一つ違う流派と合同でやる"さくらの会"っていうのがあるんだけど……」
「さくらの会?」
「三年に一回のペースでやる季節の行事でそんな堅苦しいものじゃないんだ。メインは門下生達の作品展示会だし」
「へー……」
「それで、明日はそれの事前の打ち合わせがあるんだけど、良かったら遊びに来ない?」
「遊びに?」
私が行ったところで邪魔だろうし、というか普通は関係者以外は立ち入り禁止なんじゃないのかな?
「明日はバタバタして人間一人が紛れたって分かりっこないし。それに……なによりも冬馬先生が見れるんだぞ?」
その名前を聞いて胸がキュッと締め付けられてしまう。
冬馬さんに会える?
まだ彼に会うのは先のはずなのに、私の見たことない冬馬さんに会えるかもしれないなんて……
「けど、華道に関わったら……」
あの約束が頭をよぎる__
そりゃあ、そういう機会が今までになかったわけじゃない。
けど、その度にあの約束がちらついて一歩を踏み込むことが出来なかった。
「明日はただの打ち合わせで、花をいけるわけじゃないからギリギリセーフ、じゃダメなのか? それに影からこっそり見て先生に気がつかれなければ良いんだし」
それもそうかと彼の説明に納得してしまう。
「けど、もし見つかったら……」
「大丈夫、今回の会場は市民文化センターだからすっげー広いし、何よりガキの頃から何度も行っている場所だから建物内のことには詳しいから任せろって!」
そうか、一人で行ったら絶対バレたりするだろうけど、今回は萩原君という強い味方がいる。
ちょっと見て、すぐに帰ればきっと大丈夫だよね
何より春の冬馬さんが見れるんだから……
膝に置いてあった手を強く握りしめた。
「萩原君。私……行きたい!」
「おう、任せろ!」
高校二年生の春、私は大きな一歩を踏み出した__