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物語にならない話

作者: 音子

『物語にならない話』


きっと、私みたいな人間が「外れを引く人間」っていうんだろうなぁ。

はぁぁぁぁ、と深いため息をついて、私はPCから目を上げた。ずっと画面を見続けていたせいで目がチカチカする。

カップの中のコーヒーはすっかり冷めてしまっていたけど、新しく淹れる気にもなれなくて、すっぱくなってしまったコーヒーをチビチビと飲んだ。

時計を見れば、夜の10時近くなっている。今のままでは終電を逃すことになる。けれど目の前に仕事は待ってくれない。

あーあ。どこか遠くに行きたい。雲隠れしたい。

何が悲しくて、金曜日に一人むなしく会社に残っているのだろう。同僚はさっさと着飾って帰って行ったというのに。

まぁ、帰ってもね。何もすることないんだけどね。

29歳の恋人もいない、仕事人間と言われている私だって、誰かに頼りたくなるときだってあるんだけどなぁ。

嬉しそうにお化粧を直してアクセサリーを付けて帰っていく若い子たちがキラキラしすぎて直視できない。私にそんな時があったっけ・・・

コーヒーカップを置くと、私は首を回して、再び仕事に取りかかった。

現実逃避している場合じゃない。今は目の前の事をやらなければ。

それから、1時間ばかりしてどうにか目途が付いた。今ここで切り上げれば終電に余裕で間に合う。あとは月曜日早く来ればいいんだ。

少しだけ残ったコーヒーを一気に飲んだところで、PCメールが来ていることに気が付いた。

いったい誰だろう。こんな時間にメールを送ってくるなんて。面倒な仕事の内容だったら見なかったことにして、月曜日にしようっと。

「うげげっ」

メールを開くと、そこには『この仕事火曜日までにお願いします』とあった。キミは確か、定時に帰って行ったはずじゃないかね?

資料はここと書かれた課の共有のフォルダを開いてみる。

ないわー。まじないわ―。何もやってないじゃないかよ。誰かこいつを抹殺してくれよ。

私はそのファイルをUSBに移動させると、自宅でやることにした。休日出勤をするよりマシだろうよ。はぁ。


          ・


  相変わらず私は忙しいし。そして相変わらず仕事を押し付けられている。

 無駄に溜まった貯金は使う機会を失っているし、自分に投資するほど時間もない。

 あれー?私何のために生きてるんだろうー?

 ふっと、キーボードを叩く手を止めて、外を見た。真っ赤な夕焼けが見えた。夏の終わりの、少しぼやけた大気に溶け込むような夕日。

 何もかもがあっという間だ。

 「井上さん!」

 名前を大きく呼ばれてはっとした。

 「あ、はい、何でしょう」

 「どうしたんですか?何度も呼んだのにぼーっとしてましたよ」

 「すいません、失礼しました」

 「いい加減にしたらどうですか?」

 ちらりと私の机の上に積まれたファイルの山を見て、私に話しかけてきた男、佐山さんが言った。

 「他人の仕事を引き受けたところで、実績がアナタに行くわけじゃない」

 ごもっともです。はい。

 けれど、相手は急かすと泣いちゃうし、パワハラって言われちゃうし、ミス指摘すると泣いちゃうし、いじめだって言われるし。この課の人はみんなあの子の味方だし。なのに、あの子ってば、誰かの仕事を快く引き受けて私にそのまま流すし。

 なら、自分でやっちゃった方がいいじゃない。その中に自分の仕事と関係ないのが混じってたってもうどうでもいいのよ。

 「えっと、ご用件は」

 「先日のミーティングの件でのことで」

 「あ、はい。どうぞ。できてますよ」

 私がメモリーを渡すと、佐山さんは何か言いたげにしながらも去って行った。

 きっとここで、弱音を吐いたり泣きついたりする方が、いいんだろうなぁ。でも、私はかわいい女の子にはなれないんだよ。

 気が付くと、陽もすっかり暮れて、オフィスには自分だけになっていた。

 あー夜かーと椅子にだらしなくもたれた時、何かに引っ張られるような感覚に陥った。

 体を揺さぶられて目が覚めた。どうやら、うっかり寝ていたらしい。


 顔を上げると、佐山さんがいた。

 寝起きの変な顔を見られた。最悪だ。だけど、起こしてくれたのは感謝しよう。

 「仕事のしすぎじゃないんですか」

 「はい、帰ります」

 「ならもう帰った方がいいですよ」

 コクリとうなずくと、パソコンのスイッチを切って、バックを持った。

 エレベーターを出る辺りでどうにか寝起きの自分から戻ってきてみると、何故か佐山さんとご飯を食べて帰る事になっていた。

 そして何故か目が覚めると佐山さんが隣で寝ていた。

 ・・・なんでやねん。

 誰か突っ込みプリーズ。


 ・


 私はあれから佐山さんとは特にない。

 あの日、佐山が目を覚ます前に姿を消したわけだけど、事情のあとを消せるわけもないわけで。

 だからと言って、その話を蒸し返すことは私も佐山さんもしていない。至って普通に今まで通り仕事をしている。

 正直言うと、私は佐山さんがあまり得意ではないのだ。いや、イケメンだと思うよ?気遣いもできるよ?仕事もできるから、女性社員に人気だよ?でも、なんていうか。

 なら、なんで佐山さんと関係を持ったんだってことになるんだけど。

 その日の私はあんまり記憶が無い。まさしく気が付いたら、って状態だったのだ。

 薬でも盛られたのか?なーんて。

 でも、まぁ私もいい大人だし。責任取ってとか言わないし。大人の関係でただそれだけってことでさ。

 佐山さんだってそう思っているから、何も言わないのだろう。

 

 給湯室から帰ると、課の一員であの女の子が泣いていた。

 何故かみんな私を睨んでいる。

 なーぜー。

 「ねぇ、井上さん。あなた、りっちゃん・・・相田さんに随分なことしてくれたわね」

 「はぁ」

 「なにその言い方。全然反省してませんって感じね」

 話を聞くと、私が相田さんの仕事のデータを全消去したらしい。

 一体どうやってだよ、と思ったが、面倒なので突っ込まない。

 「ホント、最低だよな」

 相田さんの肩を抱いた佐山さんが言った。

 ちょっとそれにはビックリした。佐山さんは『わかっている』と思っていたから。

 だが、佐山さんは気が付いたら敵になっていた。なーんだ。やっぱり、可愛くて小動物みたいな子が好きなのね。

 思っていた以上にショックだった。

 そんなわけで、私が彼女の仕事をどうにかすることになった(正確には、いつもどうにかしていたわけだが)。一応聞いたが、途中経過の部分はどこにも保管してないし、資料も無いらしい。

 まーあれだよ。

 最初からやってなかったんだよね、あなた。で、期限近くなって、誰かに言われて、私のせいにしたんだよね。いつものことよね。まーどうでもいいけど。

 「ホント、どっか行ってくれればいいのに」

 そう言って去って行く主任、あなたの仕事も巡り巡って私のところに来てますよ、と。

 とりあえず、仕事っと。

 そんなわけで、日付が変わっても私は仕事をしていた。今日は徹夜かなー。まぁいいか。でもちょっとお腹すいたかなー。

 そんなことを考えていると、部屋の扉が開いた。

 立っていたのは佐山さんだ。

 うげー。なんだよ、キミ。しかも弁当のいい匂いまとってるじゃないか。その袋は弁当か?

 佐山さんは無言で自分の席に着くと、弁当を食べ始めた。

 密かに私に買ってきてくれたのかと期待したのが馬鹿だった。奴は敵だった。

 ちくしょう、お前最低だな!食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ!

 佐山さんは食べ終わったのか、ゴミ箱に弁当を捨てると、私に近づいてきた。

 「なんなら、俺が手伝ってやってもいいけど?」

 なんじゃそれ。

 しかも、めっちゃ上から目線だし。いつもの敬語もないし。

 「いえ、結構です」

 「あっそ。折角人が相田の嘘も暴いてやろうと思ったのに」

 再びなんじゃそれ。

 アナタ確か、相田さんの肩を抱きしめてやさしーく慰めてたよね?

 あーもう帰ってくれないかな。すんごく邪魔。

 「佐山さん」

 私は手を止めて佐山さんを見た。

 佐山さんは何とも意地の悪い笑顔を張り付けている。

 「一度寝たからって、いい気にならないでくれません?」

 「は?」

 佐山さんの顔がみるみる赤くなっていく。

 「なんだそれ。それはこっちのセリフだっつーの!人の好意を無駄にしやがって!」

 「いえ、あなたはただ単に動じない私を自分の都合よく動かしたいだけです。それに、嘘だと分かっていて相田さんを庇うあなたに幻滅しました」

 佐山さんは近くの椅子を蹴ると、部屋から去って行った。イケメンが台無しよ。

 きっとあのルックスと優しさでモテたんだろうね。人を上手に操ってきたんだろうね。拒否されるなんて、微塵も感じてなかったんだろうね。

 すまんねぇ。思い通りにならなくて。

 

 それから1か月後。私は移動を言い渡された。

 地下の資料庫だ。

 そこを整理するのが仕事だという。

 パソコンはいらないよね、資料整理だし?携帯電話もいらないよね?資料整理だし?と新しい上司に言われ、私は全くその通りなので了承した。

 それにしても、随分と汚い。まずは掃除からだな。

 地下資料庫に移動になってから。私は早出もなく、定時で帰っていた。ものすごーーーく家での時間が余ってしまって困惑したが、今は心身ともに楽でしょうがない。

 最近、仕事帰りにフィットネスクラブに行っている。

 休日出勤もないので、散歩をしてカフェでゆっくり読書することもできている。

 料理教室なんてのも通ってみようか。あ、今度の3連休は旅行もいいな。どこに行こう。

 人と関わらないことがこんなに楽なんて。いいところに移動になった。

 一つの棚が綺麗になったのでお茶休憩していると、資料室の扉が開いた。

 「あ、あの・・・」

 相田さんだった。

 うげげ、と思いつつ何か資料が欲しいとかだろうかとカウンターに向かう。

 「えっと、その・・・」

 下を向いたまま中々要件を言わない。

 時計が5時を告げる。

 「大変申し訳ないのですが、資料室は5時までです。ほしい資料は外のポストに届出を書いて入れておいてください」

 それでも相田さんは動かない。

 はー。いっつもこの子って周りがどうにかしてくれるの期待して自分じゃ何もしないんだよね。

 私は帰り支度をすると、相田さんに部屋から出る様促した。

 部屋のカギを閉めると、上司の居る部屋へ行って鍵を戻し、あいさつをして家路につく。

 相田さんが何しに来たか知らんが、まぁ大方仕事がらみだろうよ。

 私にはもう関係ない!

 

 次の日、せっせと資料整理をしていると、相田さんと相田さんの姉貴分である飯島さんがやってきた。

 「ちょっと、あんた、自分がどういうわけでここにいるかわかってんでしょうね?!」

 飯島さんがカウンターをバンッと叩いた。

 大きな声を出さないでほしい。

 「こんなところに押し込められても、いじめを止められないの?ホントあんた病気じゃないのっ」

 なんだそれ。

 相田さんを見ると、相田さんは涙を貯めてびくっと飯島さんの後ろに隠れた。

 そんな相田さんを飯島さんはチラミして更に激昂する。

 「ほんとサイテー!」

 「説明を求めます」

 「はぁ?」

 「飯島さん。貴方の言っている意味が分かりません。説明を求めます」

 「アンタが一番わかってんじゃないのよっ」

 「わかりません」

 私はそう言って、昨日の出来事を話した。

 「というわけで、朝来てもほしい資料の依頼もありませんでしたし、相田さんが何しにここに来たかもわかりません」

 「相田さん、私の言っている事に間違いはありますか?」

 相田さんに目を向けて言えば、相田さんは目に涙を俯くばかり。でも、ちょっと驚いているみたい。今まで相田さんが私に何かなすりつけてもはいはいって言ってたからなー。でも流石に部署も違う私に罪をなすりつけようとか。どうなのよ。

 しかも飯島さん。貴方ももう少し考えてほしいよ。

 「アンタが相田さんをここに呼びつけたんじゃないの?仕事手伝わせたんじゃないの?」

 なんじゃそりゃ。

 「なぜそのようなことをしなければならないんですか?」

 「そ、それは、この子の事が羨ましいからでしょう?」

 羨ましい?

 私は思わず眉間にしわを寄せた。

 「どの部分を羨ましがればいいのでしょうか」

 言えば泣くし。他力本願だし。仕事できないし。

 「どの部分って・・・」

 飯島さんは言葉に詰まる。

 「まず。私がここに呼びつけたと言いましたが、百歩譲って私が呼びつけたとして、相田さん。別に来る必要なんてないじゃないですか。自分の仕事してください」

 飯島さんの後ろにいる相田さんを見て言えば、相変わらず目に涙を貯めるだけ。

 「資料請求の依頼ではないなら、お引き取りを」

 私がそう促すと、二人は部屋から去って行った。

 全く、今日は朝から最悪だ。っていうか、あんな人たちと一緒に仕事してたのか。あーやだやだ。

私はため息をつきつつ新たな棚の整理に取り掛かった。


 それから平穏な日々が続いていたわけだが、何故か上司に呼び出された。

 そして、何故か上司とかつての上司と相田さんと会議室にいる。

 かつての上司、久我沼係長が説明をするには、私が相田さんの仕事の邪魔をしているとのこと。おかげで仕事が全く捗らないとのこと。折角部署を移動させたのに、一体どういうつもりだとかなんとか。

 はぁ・・・としか言いようのない私。

 一体どうやって仕事の邪魔してるのかしら、私。

 ちらりと現在の上司、佐藤さんを見る。

 昼行燈と言われるような飄々とした好々爺である。ほとんど話したことがないし、私の悪いうわさしか聞いてないだろうから、一応久我譲係長の言いがかりを否定したけど味方ではないだろう。

 新しい仕事探すかー。

 そんなことを考えていたら。

 「相田さんと言ったかな。キミはどんな風に仕事の邪魔をされているのかな?」

 優しく佐藤さんが聞く。

 「えっと・・・変なメールが来たり、井上さんの仕事やるよう言われたり・・・あと電話が良くかかってきて・・・」

 へー。ふーん。

 「なるほど。じゃあ、ちょっとそれを見せてもらっていいかな?」

 「すいません、先日全部消してしまったんです」

 「そうなんだ。じゃあシステム課に依頼しておこう」

 佐藤さんがそういうと、相田さんはえっという顔をした。

 「井上さんは身に覚えがないという。お互いの主張が合わないのなら、ちゃんと証拠を探さないとね。もちろん、自分は井上さんの上司だから、彼女の無実を晴らすために動くよ?」

 まーじーでーすーかー。

 昼行燈の好々爺とか言ってすいません。

 「久我譲君。キミ、その辺ちゃんとやってあるんだよね?証拠もなくこんなところに呼び出したりしてないよね?」

 久我譲は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 「大事にしたくなかったのですよ。それに、相田が仕事が言っているんで」

 「大事にしたくないのは分かるし、部下の訴えを無下にするのは良くないのは分かっているけれど、見分を怠るのはいかがなものかな?」

 すばらしいです、佐藤さん。

 「わかりました。では、証拠を揃えてもう一度出直します」

 久我譲が立ち上がると相田さんも立ち上がる。だが、相田さんの顔は青い。

 どうするのかなー。うふふ。

 「あ、そうそう」

 佐藤さんが扉を開けた久我譲さんに声をかけた。

 「冤罪だった場合、どうする?」

 好々爺が逆に怖いっ

 「今なら、大事にしないであげるよ?」

 優しく言う佐藤さんに久我譲さんは片眉を上げて、何も言わずに出て行った。あーあ。相田さん。ご愁傷様。

 とは言いつつも。いつも逆転劇など起こらなかったわけだし。期待しない方がいいかー。

でも、佐藤さんには感激したわ。

 「佐藤室長、ありがとうございました」

 部屋から出たところで私が頭を下げると、佐藤さんはのほほんとした雰囲気のまま言った。

 「うん、あれ飛ばす予定だったから」

 こ、怖えぇぇぇぇぇぇ。笑顔が怖えぇですよ。

 しかも何ですか、飛ばすって。

 私が返答に困っていると、佐藤さんは片手をあげて去って行った。

 そういえば。佐藤さんはどんな仕事をしている人なんだろうか。私のように閑職に回された人なのだとばかり思っていたけど。

 でもまぁ、知らない方がいい事も、世の中にはたくさんあるだろう。


 それから2週間後。

 また私は佐藤さん、久我譲さん、相田さんと会議室にいた。

 「それじゃ、証拠の提示をお願いしようかな」

 佐藤さんがニコニコと笑いながら言った。

 「まさか、2週間も時間があって何も用意できてないなんてことはないよね?」

 久我譲さんも相田さんも何も言わない。

 佐藤さんは、私が冤罪であることを確信しているのだろう。私には何も聞いてこなかったけど、持っているファイルが気になる。

 「まだ調査中なので」

 久我譲さんが苦々しく言った。

 「そうなの?でもこっちはもう冤罪の証拠を揃えちゃったから、このままだと何もしないで負けることになるよ?」

 「しかし、まだ調査中で・・・」

 「無能だなぁ」

 佐藤さんのつぶやきに、久我譲さんのこめかみがピクリと動いた。

 「だから、そんな無能な部下のことなど庇うんだなぁ」

 「ひ、酷い・・・」

 相田さんが子犬のように目を潤ませてプルプルと震えた。

 「随分ないいようですね。それじゃ、その冤罪の資料とやらをみせていただきましょうか」

 「うん、いいよ。さて、最後に。今、謝罪をするなら大事にしないであげるけど、どうする?」

 佐藤さんが相田さんを見て言った。

 うわー、好々爺なのに、怖い。すごく怖い。

 「えっと・・・その・・・」

 「大丈夫だ、相田。相手に惑わされるな」

 惑わされるな、はアンタだよ、久我譲さん・・・

 「うん、じゃあ証拠提示するよ。それで、冤罪が確定した場合は、相田さん、キミの給料は15%カットとボーナス2回分カットね」

 「「「えっ!!」」」

 佐藤さん以外の3人の声が見事にはもった。

 ちょ、佐藤さん、何者なのあなた・・・

 「あなたにそんな権限があるんですか」

 久我譲さんが眉を潜めて聞くと、好々爺は「うん」と頷いた。

 「だって、僕は取締役だし」

 まじかー。偉い人だったんですか、あなた。とりあえず、閑職に回された人とか疑ってすいませんでした。しかも、役員の顔と名前覚えていなくてすいませんでした。

 「あ、あの・・・!」

 相田さんが何かを言いかけたが、佐藤さんはそれを遮った。

 「今更だからね?ちゃんと言ったでしょ?」

 そう言って佐藤さんはファイルから一つ一つ丁寧に私の冤罪の証拠を説明しつつ出して言った。

 ・私が電波の届かない場所で仕事をしていること。

 ・私がいる資料庫は実は入口に監視カメラが設置されていること。何故なら、置いてある資料はすべて社外秘だから。

 ・私がいる資料庫に入るには上司の許可と届が必要であること。

 ・私が自分のPCを所持していないこと。

 「それでね、相田さん。キミは先日資料室に来たけど、届け出を出してないよね。それから、前に井上さんが使っていたPCは今は僕の部署に保管してあるんだ。それで、回線につないでみたら、キミからのメールが沢山入っていてね。一部コピーしてきたから」

 提示された内容は、私への大量の仕事依頼だった。しかも昨日とかもある。

 「そんなわけだけど、久我譲君。これをどうする?」

 「相田!これは一体どういうことだ!」

 話を振られた久我譲係長はいきなり相田さんを怒鳴った。

 えぇー。

 相田さんも衝撃の展開に泣き出す。

 「佐藤さん。いえ、佐藤取締役。俺はね、相田から井上に苛められている、嫌がらせのせいで仕事ができないって言われてたんですよ。それが、全く」

 「ホント無能だよね」

 「えぇ、無能ですよ、こんな泣くしか能のない女なんか」

 「いやいや、キミの事だよ、久我譲君」

 私はただただ成り行きを見つめる事しかできない。

 「僕言ったよね?見分を怠るなって。しかも、今日もただ来ただけ。調査中ならその途中経過ぐらい持っておいでよ。まぁ、キミの事だから?どうせこっちが冤罪の証拠なんて揃えられないって思ってたんじゃない?」

 「いや、それは、その・・・・」

 「そんなわけだからさ、植田君、あとお願い」

 え?植田君?と思ったら扉が開いて植田部長が入ってきた。

 「大変申し訳ございませんでした」

 植田部長が深々と佐藤さんに頭を下げる。

 それを見た久我譲さんと相田さんは目を白黒させた。

 「これ、いらないから」 

 変わらず、にこやかに言い放つ佐藤さん。

 あの時、飛ばすからって言ったのは相田さんじゃなくて久我譲係長のことだったのかと痛感する。

 「あの、部長、俺、いや、私は・・・」

 今更ですから~ってどっかの芸人ネタが頭によぎって笑いそうになってしまった。

 「久我譲。こっちへ来い」

 有無を言わさない植田部長。

 そして、会議室には相田さんと私と佐藤さんが残った。

 えーっと、どうしたらいいんだろうか。って思ってたら佐藤さんが資料を片付け始める。私も慌ててそれを手伝った。

 「それじゃ」

 佐藤さんが颯爽と部屋から出て行こうとしたので、私も慌てて後を追う。

 その後ろで、相田さんが立ち上がって声をかけた。

 「あ、あの!」

 ん?と佐藤さんが振り返る。

 「私はどうすれば・・・」

 「キミの処分はもう決まってるでしょ。あとで通知も出すから」

 「え、あ、その・・・」

 戸惑う相田さんを置いて出ていく佐藤さん。

 そうだよね、相田さん。アナタは今までの人生でそんな風に扱われたことなかったんだもんね。戸惑うよね。いつもちやほやされて、庇われて、自分の仕事は誰かがやってくれて、人生イージーモードだったのよね。泣けば、誰かが慰めてくれてさ。

 なのに、佐藤さんはぽいっと投げ捨てた。

 やばい、惚れそう。

 そんなことを思いながら私は去って行く好々爺を見つめていたのだった。


 それからまた平穏な日々を送っていた。

 最近は資料整理に加えてPCでの作業が増えたわけだけど。

 これってさ、内部監査的なあれよね?と思うが好々爺は相変わらずさらりとしている。

 まぁ、仕事が増えたと言っても資料整理はほとんど終わっているし、いつも通り定時で上がり、エントランスを歩いていると声をかけられた。

 飯島さんだった。

 その後ろには前の課の主任も居た。

 「ちょっといいかしら?」

 今日は映画を見て帰ろうと思っていたから、帰りたかった。それに仕事は終わっている。

 「もう仕事上りなので、失礼します」

 そう言って帰ろうとすると、2人が慌てたように「少しだから!」とかなんとか言って私をぐいぐいとエントランスの一部にあるミーティングルームへと押し込んだ。

 あー面倒臭いなぁ。

 仕方なく腰を下ろすと、何故か主任が飲み物買ってくるけど何がいいとか聞いてきた。

 「いりません」

 「そういう時は、素直に甘えたほうが可愛げがあるわよ?私はココアをお願いします」

 「そうそう、何でも好きなの言ってよ、井上さん」

 「そうですか。でも、今まで邪険にされてきた人たちから気を使われると、ドン引きします」

 私がそう言うと、2人は見事に固まった。

 「時間は取らせないとおっしゃいましたよね?要件をお願いします」

 2人は目を合わせると、主任が口火を切った。

 「今の仕事は、資料整理だと聞いているんだけど、その、満足してる?」

 「えぇ。とても」

 「そうなの?でも、今までやっていた仕事とかけ離れてない?井上さんの能力なら前の仕事の方が活かせると思わない?」

 なんですかね、これ。戻ってこない?的なあれですかね。

 「いえ、今の仕事は人と関わらずに自分のことだけをやっていればいいので、とても楽です。誰からも面倒な仕事を押し付けられないし、謂れのない中傷を受けないですし、残業も早出も休日出勤ないですし、残業もなかったことにはされないですしね。それに、尊敬できる上司がいます」

 私は今、人生初の尊敬という言葉を使える上司に出会ったのだ。そして、あの時私を信じてくれた恩を返すと誓っているのだ。

 「で、でも・・・」

 「主任は私の事『消えればいい』と言ってましたよね」

 「そ、それは・・・その、すまなかった」

 「あぁ、誤ってほしくて言ったわけじゃないんですよ。そういう風に私の事を言っていたのに、私を戻そうとする神経が分からなくて」

 思わず言いながら笑ってしまった。

 こういうの、いい根性してるって言うんだっけ?

 2人は俯いて何も言わない。

 「それでは失礼します」

 風の噂で、久我譲さんはどっかに飛ばされたと聞いた。

 どこに行って、どんな扱になったかなんて、興味ない。だから、ふーんって思っただけだけど、2人にとっては他人事じゃないよね。

 青い顔をした二人を残して、私は早足で会社を出た。映画は待ってくれない!



 その後の事だけれど、特に何かがあったわけでもない。

 私が前に居た課に一悶着あって私が移動したり、係長が移動したことなど、会社にしたらさしたる問題でも無く、過ぎればみな其々に仕事をして、生きていくだけのこと。

 佐山さんとはどうなったんだ、っていう疑問がきっとあるだろうから言っておくと、これもまた何もない。

 というか、私が今いる部署が特殊すぎて他の課と交流がない。故に仕事絡みで会うこともないし、廊下ですれ違うこともない。

 私はお弁当派なので、食堂で会うこともなく。

 そんなものなのだ。

 ただ、言えることは。

 この部署に移ってから私は自分自身の人生をちょっと見直した。

 1度きりの人生だし、楽しんだ方がいいんだなぁと。外れを引く人間に成り下がっていたんじゃダメなんだなぁと。

 ほんの少しの贅沢、ほんの少しのお洒落、ほんの少しの癒し。

 そういうのって本当に大切なんだって実感。

 

 そんな、物語にならないような私の人生は、これからも過ぎていく。



仕事しながら、こんなことないない、と思いながら書きました(笑

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― 新着の感想 ―
[一言] すっきりする話だけど主人公も最初から本当のこと言えよて思いました(笑) 主人公に1番イライラしたかも
[一言] 私はあれから佐山さんとは特にない。  あの日、佐山が目を覚ます前に姿を消したわけだけど、事情のあとを消せるわけもないわけで。 事情の後、、、
[一言] うん。物凄くすっきりした。 こういう話も好きですよ。 ただ、佐山って何のために出てきた人でしょう? 意味ないというか、あの後空気。 主人公にも全く何の関心も持たれなかったというか……そうい…
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