勇者、捕獲完了
ハル達がゴルドー子爵の家に居候するようになって、三週間が過ぎようとしていた。2日前にゴルドー本人も『商業都市ネルダル』から戻っている。今はミレイアのご機嫌取りに奮闘していると聞く。
この三週間で、俺を含めて全員がある程度強くなった。
まずはタイト、マリア、ローゼの魔法職ではない三人だ。魔力障壁を限界まで大きくするのは二日目の午後には終わり、良いペースだと思ったのだが、そこからが長かった。普段魔法を使わない三人は、元々魔力制御が苦手なのだ。なので、徐々に小さく、厚くするという精密作業が苦手だった。結局、一番長く掛かったのは一週間のタイトだった。
次の『魔力障壁』の形を自由自在に変える練習。此処まで三人が来たとき、ディアナとメアリーもまだ此処で足止めを食らっていた。元々、『魔力障壁』は基礎を覚える為の通過点としか見なされていなかった。このイメージを崩さない限り自由自在に形を変えるのは難しいだろう。が、意外にも精密作業が苦手で一番長く時間が掛かったタイトが、真っ先に『魔力障壁・鞭』やロングソードを扱えるようになった。本人曰わく、
「小さく厚くする練習の方が難しかったです!!」
だそうだ。タイトが使えるようになった事で考え方が変わったのか、次の日には全員が使えるようになっていた。そして、残り一週間強はハルとの模擬戦に費やされた。
タイトパーティーと朝食の後直ぐに模擬戦。三十分ぐらい遊んでやり、動けないぐらいにしてやる。その後は、ローゼの剣の稽古だ。帝国流剣術に加えた皇国流剣術はよく纏まっており、ここ数年の努力が分かる腕前だった。
午後からはディアナとメアリーの為に『魔法』のお勉強だ。『魔力障壁』はできるようになったので、元々教えるつもりだった『俊足』と、魔法職に最も欠けている防御力を上げるために『硬化』を教えている。
後は、詠唱についてだ。魔法とは本来イメージによって発動する。だが、この世界で絵本や、普通の本が平民にまで普及し、誰もが読めるようになった(と、言っても高価なのに変わりはない)のは数十年前。そのせいなのか、頭の中でイメージをする。という事をあまりせず、詠唱に頼ってしまっているのだ。そのせいで、無詠唱で魔法を使う人が殆どいない。
と、少しズレたが、要するにディアナとメアリーに無詠唱魔で魔法を使えるように訓練をしていたのだ。二人共、真面目に取り組んでくれたおかげで、初級なら、時間は掛かるが無詠唱で扱えるようになった。
‥‥なんでこんな事を言い出したのか?まぁ、あれだ。俺が三週間教えて、もう技術だけならベテランのB級レベルになっているのだ。実践経験を積んでいけば直ぐにA級にも行けるだろう。だからさ、だからね?
「助けに来てお願いッッッ!!」
「「「「「助けなんて来ねーよ」」」」」
勇者、家出三週間で捕獲。タイトパーティー、及びゴルドー子爵一家逃亡。
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ハルが捕まる五時間前、午前10時。
今日もいつもどおり寝坊して、一人で食事を終えた後、タイト達で食後の腹ごなしをしてローゼに剣術の稽古を付けていた。そんな時、悪夢が始まる。
「ハルッ今すぐ屋敷を出るんだ!殺されるぞっ!!」
昨日の夜に顔を合わせて以来始めて会ったのにオハヨウの挨拶もなしにいきなり物騒な事を叫んでくる子爵。稽古を付けていたローゼも、ボロボロにされて伸びていたタイト達もポカンとている。
ゼェゼェと荒い息を吐いている子爵に水を渡しながら自分の死の宣告に対して質問をする。
「なんだよ子爵?いきなり俺が死ぬとか笑えねぇぞ。俺は元勇者だぜ?そんな簡単に殺られる訳がないだろ?」
『勇者』としての力を失っていたとしても、ハルの剣術の腕、魔力量と技術はどれも世界トップクラス。そんな自分が簡単に倒される筈はないと自身もあった。それ故に、子爵の言っている事が冗談にしか聞こえなかった。
「今、表に来ているのが皇女達だと言っても、そんな事が言えるのか?」
「タイトォッ!今すぐ逃げる。準備しろっ!!」
先ほどの余裕の笑みを浮かべた表情が、一瞬にして青く、この世の終わりだとでも言いたげな顔に早変わりする。まるで、母親に叱られる前の子供のような顔だ。
タイト達にとって、ハルは『英雄』であり目指すべき目標。そんな『英雄』のガタガタと震える様に思わず喉を鳴らして気合いを入れ直す。表にどんな怪物が来たのか‥‥と。
「に、逃げるって言っても、どこに行くんですか!?それに、レティスさんはどうするんですか!!」
「レティスは置いていくっ!兎に角、今直ぐに出るのは俺だけだ。おまえ等は此処に残れっ!!」
「えぇっ!そんな「ほぉー、此処が修練場か。ん?先客がいるのか?」へっ?」
知らない間に専属護衛になっていたりしたが、それは稽古を付ける理由であって、なんだかんだ言って連れて行ってくれるんじゃないかな~‥‥なんて考えていたのに、突然の別れに戸惑ってしまうタイトだったが、そんな事を言っている場合では無くなってしまった。
「で、殿下っ!?何故此処にっ!?上でお待ち下さいと申し上げた筈ですが!?」
「まぁそう固い事を言うな。私にとっても此処は因縁の場所。少し歩き回りたくもなる。‥‥そんなに見られたら困るような物でもあるのかな?子爵殿」
「へっ!?いや、そういう訳では無く‥‥‥」
息を切らしていた子爵様が、顔を真っ青にして小さくなっている。もしかしなくても、『フィルニール皇国』の皇子様みたいだ。そして、ハルさんを彼処まで追い込む怪物‥‥
子爵の態度を見てどれだけ偉い人なのか分かったのだろう。慌てて臣下の礼をして頭を下げる。ハルの横にいたローゼも、同じく頭を下げていた。そしと肝心のハルは‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
『ルシウス』になり、汗をダラダラと流しながら同じように臣下の礼をして頭を下げている。一瞬盗み見た限り、なんの突破口も見つからず、準備も何も出来ていなくて焦っているのだろう。
そんな時、ハルさん達の方から誰かが立ち上がる音がした。ハルさんがそんな目立ってバレるようなことする筈が無いので、ローゼ様だろう。
「‥‥お初にお目に掛かります。ユリウス殿下。このような格好で失礼致します。私、元『ゲノム帝国』第三皇女ローゼ・グレイシア・ゲノムと申します。ローゼとお呼び下さい。私と妹を助けてくれたお礼に伺えず申し訳ありません」
「あぁ、アナタが‥‥子爵からお話は聞いています。妹君もお元気ですか?」
「えぇ、お陰様で。‥‥我が王家の失態を解決して下さり、誠にお礼申し上げます。その上、私と妹の命まで‥‥」
「いえ、『あの件』は私達『勇者パーティー』の元メンバーによるもの。お詫びしなければならないのは私共の方です。申し訳ない」
話に付いていけないタイト達は、何も出来ずにいた。ただ、国の重要な機密なのだろう。そう思い、右から左へと極力聞き流そうと頭の中を関係ない事で埋め尽くそうと努力していた。
ハルは、それどころではなかった。いきなりローゼが立ち上がったと思ったらユリウスと『王族』として話し始めるではないか。隙をみて逃げようにも、ローゼの横にいるから動けない。
「ところで‥‥此処に、元『勇者』が来ている。という情報を掴みましてね。あぁいや、恥ずかしい話、その元『勇者』が逃げ出しまして。一番立ち寄る可能性があるのが此処なのですよ。子爵殿は来ていないの一点張りでして‥‥何か、ご存知ですか?」
「‥‥‥いえ、存じませんわ」
なんの前置きも無く、隠しもせずに本題をぶっ込んでくるものだから心臓がバックバク言っている。ローゼも、少し返事に間ができてしまった。タイト達なんか、あからさまにビクッと震えていて此処に居ると、しかも子爵が匿っていると教えているような物だ。
「‥‥‥そうですか。変な事を聞いてしまいました。申し訳ない。では、私はこれで」
一瞬、ハルの方を見たユリウスは、それ以上何も言わずに子爵と上に戻っていった。その場にいた全員が、思わずへたり込んでしまう。ハルは汗が滴り落ちている程だ。
「アッブネー‥‥気付かれて無さそうだな。おいタイト、上の様子見てこい。あと、レティスも連れてきてくれ。なにするかわかったもんじゃねぇ」
「了解ですっ!!」
タイトを使い、上に誰が来ているのかを確認すると共に、俺の正体を知っていて何を言い出すか分からないレティスも連れてくるよう命令する。その間に、これからの事を考える。
まずは此処をどうやって出るか‥‥いや、出るのは簡単だな。今は一応、タイトのパーティーに入ってる設定だ。クエストに出ると言えばすんなり通れるだろう。
問題は、誰が来ているのか。これだな。
来ているのがユリウス、ティナ、オロバスの三人と、騎士団長なら問題は無いだろう。子爵邸に来ている以上、下手に動けない筈。だが、『勇者パーティー』の奴らは違う。アイツらは貴族とか王族とか関係ない。平気で子爵邸をうろつき回るだろう。そうなったらヤバい。雫とタツは幻影を簡単に見破りそうだ。皐月もそうだろう。蓮見辺りは大丈夫だと思うが‥‥クレアは大丈夫だな。アイツ鈍いし。キナとナギはどうだろうな?なんとか誤魔化す事ができそうだが‥‥不安だ。
「あの、ルシウスさん?これからどうしますか?私達は連れてかないのは分かりましたけど、レティスさんは‥‥」
「ん?‥‥あぁ、連れてかないよ。ゴルドー子爵が白だって分かったからな。此処に居れば安全だし」
考え込んでいたハルに、恐る恐るといった感じで話し掛けてきたのはマリアだ。ディアナはまだ縮こまったまま。ローゼも深い溜め息を吐いている。
「じゃあお一人で出るんですか?もう、此処には来ないんですか?会えないんですか?」
ズイズイと寄ってくるマリアを、自分も後ずさる事で何とか離れようとする。離れて、近づいてを繰り返していると、何度もいい匂いが近づいてさっきとは別の意味で心臓に悪い。
「い、いや、そうするしか無いんじゃないかな。まだ心の整理に時間が掛かるって言うか‥‥だから、それが落ち着いたらもう一度戻ってくると思う。‥‥‥多分」
「嘘ですよね?その心の整理が終わったら『勇者パーティー』の所に帰って、この世界に来た目的をサッサと果たして自分の世界に帰りますよね?」
「いや、そんな、一度は挨拶に‥‥‥」
マリアの問いにタジタジしながらボソボソと答えていると、顔を青くしたタイトと、キョトンとした顔のレティスを連れて戻ってきてくれた。
顔をパァッと輝かせ、マリアの前から逃げ出す。今のマリアは緊張で可笑しくなったのでは?と考えてタイトにコッソリ伝えておく。
「おいタイト、なんかマリアの様子が変だ。緊張のし過ぎで頭がショートしたんじゃねーか?フォローしとけよ」
「へっ?‥‥あっ、ハイ」
マヌケな声を出すタイトを訝しみながら、取り敢えず顔が青くなっている件について聞いていく。‥‥聞きたくないけど。
「タイト、上には誰がいた?名前分かんないと思うから、雰囲気とか特徴とか教えてくれ」
「えぇっとですね、さっき降りてきた殿下の横に渋いオジサンと、僕らと同じぐらいの‥‥多分、聖女様だと思います。その三人だけでしたよ?後は子爵様とミレイア様が一緒に居ました」
少なくないか?アイツらはどうした?それに騎士団長も‥‥いや、いなくても可笑しくないな。今頃迷宮での修行期間が終わったぐらいか。なら、逃げ出すなら今だな。
ティナは怖いが、今の俺なら逃げ出す事ぐらいは出来るだろう。逃げ出す事さえ出来れば俺の勝ち。‥‥子爵には迷惑掛けることになるが、まぁ良いだろう。
「さて、じゃあクエストに行くフリをして出ようか。レティス、お前はタイト達が戻ってくるまで此処にいろよ」
「イヤです」
即答。思わず歩き出していた足が止まってしまう。ゆっくりと後ろを向き、レティスの方を見る。真っ直ぐと此方を見ているレティスと、真っ青な顔が白にまでなってきたタイトが目に入る。
「レティス、イヤってなんだよ?元々お前は、此処で過ごす事になってたんだ。何か不満でもあるのかよ?」
「いえ別に。此処の生活は良いですね。ご飯いっぱい出てくるし、おやつもいっぱい。今まで読みたかった本もいっぱい。しかも、居るだけで何もしなくていい。正直、天国ですよ此処は。‥‥でも、私は‥‥‥ハルさんと一緒に旅をした、あの数日間の方が幸せでした。だから、これからも一緒に旅をしたいです。お願いします。連れて行って下さい。‥‥私から、離れていかないで下さい」
真っ直ぐ此方を見た後、ゆっくりと頭を下げる。‥‥正直、連れていけない。これからの旅、絶対に危険がある。
獣王の事。
まだ確認すらされていない堕天使の事。
そして‥‥‥‥‥‥‥レティスの為に、堕天使と契約までしたルークの事。
こんなに危険があるのに、連れて行くのは彼女を死に近づける様なものだ。此処に居れば、絶対と言って良いほど安全が確保される。でも、
「‥‥わかった。けどな、渡した非常用の金を直ぐに使ったりしたら、置いていくからな」
でも、ハルは置いていくことが出来ない。適当な理由を付けて、帰らせる理由を作ってまで、連れて行く。
子爵に預けていれば良いのに。
此処で気絶させ、その間にこの街を出ることも出来るのに。連れて行く。
「‥‥っ、ハイッ!!」
満面の笑みで返事をするレティスを見ながら、考えていた。何故、連れて行くと言ってしまったのだろう。連れて行くメリットなんか無いのに、むしろ、デメリットの方が大きいのに、了承してしまった理由を。
「‥‥‥行くぞ。取り敢えずこの街を出る。その後の事は、まぁ‥‥後で考える」
階段を登る間も考えていた。が、答えは出ない。
後ろからは、嬉しそうな表情のレティスと、不満そうなタイト達、苦笑いのローゼが付き従っていた。
‥‥‥‥‥‥見た者がいたら、こう言うんじゃなかろうか。
五年前、王都を出た『勇者パーティー』に、後ろ姿がそっくりだったと。
「早く助けに来いよタイトォォォォォォォォッッ!!!」
勇者捕獲まで、あと四時間半。