9.無力
とある日、拓馬が僕をキャンプに誘った。なぜか着火ライターを持って……。拓馬は髪長くて根暗なように見えるせいかインドアに見られがちだ。しかし、そんなことはなくとてもアウトドアなことが好きで、とくにキャンプは月に一回は行っているそうだ。その着火ライターで魅力を伝えようという彼なりの説得方法だったのかもしれないが、例えそうだとしても理解に苦しむ。しかし、急ぎの用事で立ち去る拓馬が忘れた着火ライターをいつか返そうと思ってカバンに入れていたおかげで、今、僕は助かっていた。
「返し忘れててよかった」
本当に心からそう思う。テレビもなければラジカセもなく、レンジもなければ冷蔵庫もない環境に晒されると着火ライターだけでも感動で涙が出そうだ。
「お前……実は魔力があるのか?」
僕が薪を組み立ててると、アネモネのお父さんがおそるおそる僕に言う。アネモネのお父さんは筋肉質でしっかりした体格を持っている。そんな男に背もたれの高い椅子に身を縮こませている格好はとても不似合いだった。
「稲持ってきたけど……」
アネモネさんのお母さんが収穫が終わり、コメの部分を取り終わった稲の束をとてもたくさん持ってきてもらった。
「ありがとうございます。すいません、重いものを持たせてしまって」
稲だって大きな束になればとても重くなるだろう。
本当は体型だけなら男らしい人に頼みたかったのだけれど
「いいのよ。あなたがどうやって火をつけるのか気になるしね」
アネモネさんのお母さんはお父さんと違い怯えるどころか興味津々というふうに僕の手元を覗き込んでいる。
アネモネさんのお母さんは可愛い顔立ちで、明るい茶髪は腰まで長く、おっとりした顔の人で、どことなくアネモネさんに似ている。そのせいか顔が見えるたびに嫌でもアネモネさんのことを思い出してしまう。
いや、今はそんなことより火をおこさないと、そう思いお母さんが持ってきてくれた稲を適当な分つかむ。
調理場にはコンロではなく金属の箱の中で木を燃やし、その上に鍋をおいて調理するようになっている。形が違うからイメージとはだいぶかけ離れているが、仕組みはかまどのようなものだと思う。
火をくべる部分に薪を上から正方形に見えるように段違いに組み上げている。
たしか小学生のときの林間学校というキャンプみたいな学校行事では、こんな形に組んで稲かそれっぽい葉に火をつけた気がする。うろ覚えだけど……。
つかんだ稲に着火ライターで火をつけ、かまど?の中に放り込む。稲は燃えて、燃えて、そのまま……燃え尽きた。
「あれ?」
「火つかないわね」
お母さんが事実をそのまま述べる。稲に火はついたが、その火はあまりに弱く木にまったく移らなかった。なぜだ、量が足りなかったとか?いや、あれ以上入れると空気の通り道がなくなってどちらにしろ火はつかない。
「ごめんなさい……ダメでした……」
僕がそう言うと、お母さんが僕の肩に手をおく。
「いいのよ。魔力がないのに火を出せただけで驚いたわ」
「そうだな。さて、パジーのおやじのとこ行ってくるか」
そう言うと父さんはさっそく家を出ていった。
その後、お父さんが連れてきたパジーという人が手から火を放ち、その火は薪全体を囲み、強く強く燃えさかり確実に点火した。僕ができなかったことを魔法は簡単にやってのけた。そのことが悔しくて悔しくて、まるでこの世界全体に否定されているように感じた。
「まったく気をつけろよな俺だってもう魔力ほとんどねーんだから」
「わりーわりー。これからはもっと気をつけるよ」
パジーという人は骨しかないんじゃないかと思うくらい細くて、シワだらけのおじいちゃんでそんな人でもきっと僕は叶わないだろう。
魔法の前に僕は無力だ。
「そんな顔しないで」
お母さんが料理の準備をしながらそう言う。
「どんな顔してますか?」
軽い気持ちでそう聞いた。別に答えてくれなくてもいい、応えてほしいわけではない。そんなとても軽い疑問だ。答えにくい質問をしてお母さんを困らせたかったのかもしれない。
しかし、お母さんは斜め上を見ながら人差し指をあごにあてて答える。
「なんか、この世の終わりだー。みたいな?」
「なんですかそれ」
この親は二人揃っててきとうだな。お母さんはキッチンに向かいながら話をすすめる。
「シオンくんだったかしら?」
「はい」
僕も会話を続けるためにキッチンへついていく。キッチンと言ってもかまどだけど……。
「シオンくんは、どことなくアネモネに似てるわね」
「お父さんにも同じことを言われました」
「そうなの?」と笑いながらアネモネのお母さんは野菜を切り始める。
「具体的にどこが似ているんですか?」
「そうねー」と言いながら斜め上を向いてまた人差し指をあごにあてる。どうやら考えているときの癖のようだ。
「アネモネもよくそんな顔をするからかしら?」
「この世の終わりだー。ですか?」
わざとらしく少し幼稚に言ってみる。
「それは私のマネかしら?」
背筋が凍るような冷たい声とにこっとしているのに笑っていない目に一瞬、ゾッとしてしまう。
「いえ、違います」
そう言うと、お母さんはため息をつきいつもの表情に戻る。
「はーまあいいわ」
可愛い人だけど本当はものすごく怖い人だ。
「料理すぐできるからね」
「はい、ありがとうございます。アネモネさんもお父さんにもですけど、こんな僕なんかにご飯や寝る場所をくれたり皆さんには本当に感謝しています」
「困ったときはお互い様よ」
お母さんはそう言いながら鍋で沸騰させたお湯の中に野菜やお肉を入れていく。
「それにアネモネがあんなに必死だったところを初めて見たから」
「アネモネさんが……?」
「主人から聞いてないかしら?」
「アネモネさんが僕のことを助けてほしいと言ってくれたことは聞きました」
「そう。その時のアネモネがすごく必死で、あんなアネモネ初めて見たわ」
「そうなんですか?」
アネモネさんどうしてそこまで……こんな何の力もない僕にどうしてそこまでよくしてくれるの?
夕食はコンソメスープのようなものと小麦粉をカチカチに固め焼き固めたパンと呼ばれるものだった。僕の世界のパンとはずいぶん違い噛み切るのも一苦労だ。食卓にはアネモネの両親とその向かいに僕とアネモネが座っていた。外は真っ暗で火で灯された家はとても暗い。電気がないのが不便だと思うのもこっちに来たおかげかな。
「アネモネ聞いて聞いて、シオンくん魔力ないのに火が出せるのよ。すごいよね」
「まー、ほんの少しだけで使い物になったもんじゃないけどな」
「あなた!そんな失礼ですよ!」とアネモネのお母さんがお父さんを叱る。
「えーだって本当のことだもん」「あなた~、あとでお説教ね」
この二人は本当に仲がいいと思う。いいことだと思うけど。あと、お母さんはやはり怖すぎだと思う。あの筋肉質なお父さんが「いや、それはちょっと……」と怯えている。
「ごちそうさまでした」
アネモネさんがまだ食べ終わっていないのに席を立つ。
「アネモネ残してるわよ」
「いらない」
いつも優しい口調で話すアネモネさんが今日は少しとげとげしかった。
「どうしたのかしらあの子?」
「僕、少し様子を見てきますね」
そう言って、ランプみたいなものに火を入れて僕も部屋を出る。最初はアネモネさんの部屋に行ってみたが、扉をノックしても返事がなく。探す当てもなく家をウロウロする。火の明かりは乏しく周りを照らすのには不十分で、この家はボロボロだけど妙に広いから人一人探すのも大変だ。
「アネモネさんどこにいるんだろう」
家の中は一通り探したが、見つからなかった。これだけ探してもいないんだから家の中にはいないのかな。
そう思い外に出ると、思った通りアネモネさんはそこにいた。
外は少し肌寒く長袖だけど薄着の僕には寒かった。
「どうしたんですか。こんなところにいると風邪ひきますよ」
「シオンさん」
アネモネさんが振り向く。アネモネさんはいつものひらひらしたドレスのような服を着ている。僕よりはよっぽど暖かそうだ。
「どうしてここに?」
アネモネさんがそういう。
「それは僕のセリフですよ。お母さんも心配してましたよ。あんな風に出て行くから」
突風が木々の葉を巻き上げて空へと運ぶ。風邪をひきそうなのは僕の方かもしれない。
「シオンさん、魔法使えたんですね。驚きました」
アネモネさんが上空に上がった葉を眺めていう。
「魔法ではないんですけど、それにお父さんの言う通り何の役にも立ちませんでした」
いつの間にかランプの火は種となる木を燃やし尽くし消えてしまっていた。暗く過ぎてアネモネさんの姿も見失いそうだ。月の光だけが僕らの世界を照らしている。この世界にも月があるんだな、思わずその月を眺めてしまう。
「知っていますか。月の光って実は太陽の光なんですよ。太陽の光が月に反射して僕らを照らしているんです」
「シオンさんは物知りですね」
アネモネさんも月を見ているのだろうか。空を見上げながら返事をする。
「今日、僕は太陽を失った月になった気がしました。僕の存在を照らしてくれるものが無くなった、そんな気がしました」
魔法という驚異に僕はその光を失わざるおえなかった。自分がいる意味を自分がいる価値を奪われてしまった。
「アネモネさんの言う通り魔法がなければ僕らは何もできないのかもしれない。僕はとても無力だ。アネモネさんを助けることも出来ず、お父さんお母さんの役にも立てない。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくなりました」
風がさらに強くなり木々を揺らし、僕の心を映し出さんと暴れているように感じさせる。
「アネモネさんは何でこんな僕を助けてくれたんですか。こんな何もできない僕をどうして助けてくれたんですか」
アネモネさんは再びゆっくりと振り返る。風になびく長髪が月の光で照らされて羽のように見える。
「私は月がどうして光るのか知りませんでした。私は薪に火をつけることもできません。ものを動かすこともできません。私には何ができるのでしょうか?教えてくださいシオンさん」
僕は何も答えられなかった。今の僕には答える資格がないように思えた。
「シオンさん、この世界は残酷ですね」
暗くて見えないが、アネモネさんはきっと悲しい顔をしていた。もしかしたら泣いていたかもしれない。
僕はそれがどうしても耐えられなかった。たとえこの世界で魔法が絶対で正しいのだとしてもアネモネさんにそんな顔をさせたくなかった。
「いつか」
自分の声の大きさに驚く。でも、これくらいじゃなきゃアネモネさんを元気にしてあげられない。
「いつか、アネモネさんができること答えて見せる。今は出来なくても絶対に」
こんなに優しいアネモネさんが不幸になる世の中なんて僕は認めない。その選択が間違いだとしても不正だとしても僕はあらがってやる。お父さんの言っていることがようやくわかった。僕は自分を救ってくれたアネモネさんのために何かをしてあげたい。里内先輩、こんな僕は自分勝手でしょうか。たとえ自分勝手だとしても僕は後悔しない。
「ありがとうございます。シオンさん」
月の光がアネモネさんの笑顔を照らした。今はその顔だけで救われた気がする。
その裏の寂しさに気付くことがないまま。