8.正しさ
アネモネさんの家に到着した後、僕は傷の手当を受けた。
「痛いところとかありませんか?」
「うん……」
「でも、良かったです。傷口あまり深くなくて、血がたくさん出たときはとても驚きました」
「うん……」
アネモネさんに手当されている間、僕は何も考えられなかった。考えたくなかった。今、何かを考えてしまうと、きっと僕は僕を傷つけてしまうだろう、だから今は頭の中を空っぽにしたかった。
「シオンさん、終わりました。…………まだ、怒っていますか?」
アネモネさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。僕はかぶりを振った。
「なんで僕が怒らなきゃいけないの。アネモネさんはきっと正しかったと思うよ。」
でなければきっと僕は今、こんな気持ちではないだろう。
「ありがとう。少し休ませてもらうよ」
そう言って、部屋の出口へと向かう。
「正しくなんかありませんよ……私は」
アネモネさんがそうつぶやく。僕は何も言わずに部屋をあとにした。
そのまま自分の部屋へと向かう。自分の部屋についた途端、僕はベッドに寝そべった。頭に巻きつけられた包帯のような白い布はゆるゆるですぐにでも外れてしまいそうだ、そもそもガーゼなどがないから意味があるのかすらわからない。
"魔力がないと何もできません"
魔力があればこんなケガすぐに治るのだろうか。
そんなことをふと考えてしまう。確かに魔法があればどんなことだってできるのだろう。そう思えば僕らは弱いのかもしれない。だからといって魔力がないから見下されたり、いじめられたりされることはしょうがないなんて、おかしいと思う。
でも、ここは別の世界で、魔法なんてあって、きっと生活も文化も違うのだろう。
そんな世界に僕の世界の常識や僕の世界のルール、僕が定義する正義など通用するわけがないのかもしれない。
仰向けに寝ていた体を横向きに変える。客間にしては広い部屋だなと思う。この家で食べるご飯は美味しい。アネモネさんも、その親もとても優しく接してくれる。
僕が強ければ差別されることはないのかな。僕にもっと力があれば、拓真がもってた漫画の主人公のようにどんな敵でもなぎ払うことのできる力があれば……
「僕は弱いからいじめられてたのかな……。弱いものがいじめられるのはホントは当たり前で、しょうがないことだったのかな。
ねえ、先輩教えてよ」
その時、扉がノックされた。あまりに突然のことだったのでベッドから飛び起きてしまう。
「はい!」
そう答えると扉が開かれ、そこにはアネモネさんのお父さんがいた。
「お前〜、またアネモネを泣かせ、なんだ?お前も泣いてんのか?」
お父さんにそう言われ、まぶたに手を当てる。確かに泣いたあとのように目元が湿っていた。
「お前といいアネモネといい何があったんだ?」
「アネモネさんも泣いてるんですか?」
「いや、あいつは人前では泣かん。けど、顔を見ればすぐわかる。涙をこらえてることくらいな」
さすが父親だと思った。表情だけでそんなことを読み取ってしまうのか。
「良ければ話くらいなら聞くぞ」
お父さんがそう言うので僕はこれまでのことを話した。
「ふむふむ、騎士さんに文句を言ったのか」
お父さんは何かを考えるように顎に手を当てる。
と思うといきなり背中を叩かれた。
「たいしたやつだな、お前。体も細っちーし、頼りないなと思ってたけど、見直したぜ!」
「それはどうも……」
褒めてくれるのは嬉しいけど背中をそんなに叩かないでほしい。
とても痛い。
それに僕は……褒められることなどしていない……。だって……
「アネモネさんには怒られてしまいました。僕がやったことは正しくなかったかもしれません」
自分が信じてきたことを信じられなくなってしまった。僕には信じられるものがない。それはとてもとても深く、暗い場所にいるような孤独を感じた。
「バカか!!」
お父さんがそう言いながら僕の頭を思いっきり叩く。勢いのよいその平手打ちに耳がキーンとなり、その後とてつもない激痛が僕をおそった。
「女にちょっと言われたくらいでメソメソするな」
お父さん、僕はけが人ですよと、言ってやりたいがあまりの痛みに言葉が出ない。
「お前はアネモネのためにそうしてくれたんだろ。だったらもっと自信をもて」
頭をおさえて、なんとか痛みを紛らわす。
「でも、アネモネさんを困らせてしまいました。それじゃなんの意味もありません」
お父さんは「意味がないってことはないだろ」と言ってくれたが、僕には一向にそう思えなかった。もし意味があるとしても、それはただの自己満足だ。
「お前は自分がやったことは間違いだったと思うのか?」
「少なくともこの世の中では」
「それじゃー、お前は間違ったことをしたから落ち込んでいるのか?」
たぶんそうだ。僕はアネモネさんに叱られ、ダリアと人々に真実を突きつけられ、自分が正しくない、むしろ悪いことをしているのかもしれない。そのことに拗ねているのかもしれない。でも、なんだろうこの感情は、僕は……僕は……
「わからない」
「俺は違うと思うぞ」
お父さんが自信満々に言う。
「なんでわかるんですか」
「そうだな。たとえばお前はアネモネ以外の人でも同じように救ったか?」
「それは……同じようにしました……」
あたりまえだ。そうすることが正しい。でも、自分の中でモヤモヤしたものが広がっていく。
「ふーん?まーなんでもいいけどさ」
僕は何でアネモネさんを助けたんだろう。それは当然、それが正しいと思ったからだ。他の人が間違っていると思ったからだ。でも、何でだろう。胸のモヤモヤは広がっていくばかりだ。
「アネモネはな」
「どうしたんですか。突然」
僕の質問にも答えずお父さんは話し始める。
「アネモネは、わがままも愚痴だって言わない。倒れたお前を見つけて、アネモネは初めてわがままらしいわがままを言ったんだ。お前を助けてほしいってな」
「アネモネさんが……?」
「お前とアネモネはどこか似ている。アネモネも何か感じてお前を助けようと思ったんじゃないか?」
……。……アネモネさんがそこまでしてくれていたなんて。
「で、何が言いたいんですか?」
「ん?だから、まー、お前も頑張れって感じ?」
てきとうに言ったんですね。
でも、アネモネさんはどうして僕を助けてくれたんだろう?
「あなたー」
アネモネさんのお母さんがお父さんを呼ぶために、部屋の扉を開けた。
「火をつけたいんだけど魔力残ってる?」
すごく日常的な会話の中にとても普通でないものが入っている。
「えっ!今日は午前中使ったから、もうないけど」
「そうなの!困ったわ。私も使い終わっちゃったの。夕飯どうしましょう。アネモネは魔力を使ってないだろうけど」
「アネモネは全部使っても火力が足りないだろ。近所で誰かにもらうしかないか」
魔法を使える世界ではこういう会話になるのか。ふと、あることに気付く。僕が異世界に飛ばされる日、拓馬にもらったあれが確か鞄に入ってたはず。そう思い、自分の鞄をあさり、求めていたものを見つける。
「あの、僕が火をつけましょうか?」
「え?」
お父さんもお母さんも二人とも驚いている様子で僕を見る。
僕はそんな二人の前に着火ライターを出し、トリガーを押し火をつける。
「たぶんこれで火をつけられると思いますよ?」
二人のさらに驚く。
「魔力がないのに……」
「何でお前は火を出せるんだ?」
まさかこの着火ライターが僕の生活を大きく変化させるとは、思いもよらなかった。