7.現実
「なんで?里内先輩がここに」
「ん?サトウチ……?誰だそれは?私は魔術騎士ダリアだ。」
どうやら人違いのようだ。でも、あまりにも似ていて、今だに別人であると信じられないでいる。周りの人間は「騎士様だ。」「騎士様がきたぞ」と尊敬の眼差しでダリアという女を見る。
「ん?お前はたしか魔力なしの男だな。」
ダリアの発言に周囲の人がざわめきだした。
「魔力がないのに私にそんな大口をたたいのかい!」
肉屋のお姉さんもとてもご立腹なされている。
反論しようと口を開こうとしたとき、頭の激痛を思い出す。
体のあらゆる部分にある鎧のような金属の着衣をまとう、この女の腰に下げられた立派な刀で殴られたのだ。
鞘におさまってはいるが、あれで殴られるのはそうとう痛い。
「シオンさん、大丈夫ですか!」
アネモネさんはいつの間にか僕のとなりで体を支えてくれている。
「シオンさん、頭から血が!」
頭を触るとねちょっとした生ぬるい液体が出ていた。手の見らを見ると真っ赤に染まっていて、それを見ただけで今にも気を失いそうになる。
「あー、すまないな。店のやつに難癖つけているので実力行使をさせてもらった。」
ダリアは殴ったことがさも当然のように言う。頭から血を流してるせいか体に力が入らないが、なんとか足に力を入れて立ち上がる。アネモネさんが「シオンさん立ってはダメです。」と心配しているがそれをよそに僕は文句を言う。
「僕たちは買ったものを落とされました。悪いのはあの人です。」
そう肉屋の女を指差して、自分の正当性をダリアに訴える。とても顔が似すぎていて、里内先輩に文句を言っているような錯覚を感じ、とても嫌な感じだ。
「わざとじゃないんだろう。許してやれ。」
「明らかに、あれはわざとでした。それにもしわざとじゃないとしても商品を取り替えるとか、謝るのが普通ですよね。」
足がふらついていて今にも倒れそうだ。
「普通?」
ダリアは呆れたような顔をする。
「魔力のないやつに、そこまで気遣わなければいけないのか。私にはそっちのほうが普通じゃない。」
やっぱりこの人は里内先輩ではない。里内先輩ならそんな弱い人を見下すようなこと言わない。こいつは別人だ。
「魔力があるかどうかがそんなに大事か。」
「ああ、ここはそういう世界だ。お前らリーストどもは我々エクセラーとオーディナルにひれ伏していればいい。その格差がこの世界の調和を保っている。」
そんなの絶対に認められない。やっていることは"アイツラ"と同じじゃないか。
「もうやめましょうシオンさん」
アネモネさんが僕の袖をひっぱる。
「帰りましょう。怪我の手当もしなければなりません。」
頭の怪我などもう痛くはなかった。顔の皮膚は何がが張り付いているみたいに動かない。血ももう固まっているようだ。だから僕はまだ戦える。そうダリアたちを睨む。
「シオンさんもうやめて!」
耳がきーんとなった気がした。少しの間、誰の声だかわからないほど大きな声でアネモネさんは叫んだ。
そのあと、いつものアネモネさんの穏やかな声で言う。
「シオンさん帰りましょう。」
「どうして、悪いのはあの人たちなのに。僕たちは悪くないのに」
「あなたはどうして自分が正しいと言い切れるのですか。どうして相手が悪だと決めつけられるのですか。」
アネモネさんの言葉に僕は強く困惑した。決めつけてなんかいない。先輩が言ったんだ、僕の憧れの人が嫌なことには抗えばいいと、耐える必要なんかないと。だから……
「決めつけてなんかいない。誰が見たって僕は正しい、絶対に正しい。」
「違いますよ。」
アネモネさんは僕の目を真っ直ぐに見て言う。
「周りの人を見てください。誰もあなたを正しいなんて思ってませんよ。」
アネモネさんに言われて僕は周りを見る。
商店街にいる人は皆、僕を見ていた。なぜ僕をそんな蔑みの目で見るんだ。なんでそんなに睨むんだ。非難するんだ……悪口を言うんだ……
「ぼ、僕は何も悪いことなんて……。だって先輩が言ってたんだ、正しいことだって言ってたんだよ……。」
もう自分が何を言っているのかもわからなくなる。体の中から熱いものがうごめいている感覚を覚え、気持ち悪くなる。大猿に襲われたときよりも、魔法に怯えたときよりも今が何よりも辛かった。
僕の前に立っているアネモネさんも同情するように僕を見る。
「シオンさんが悪いだなんて思ってません。でも、自分の正しさを相手に押し付けるのはただの傲慢です。」
もう何も言い返せなかった。
「女のほうが聞き分けがいいじゃないか」
ダリアとかいう女が何か言っているが、もう僕の耳には入ってこない。
「さあ、帰りましょう。」
アネモネさんがそう言い、僕の腕を引っ張る。僕は情けなくついて行き、この場を去った。
長い間、沈黙の中を二人で帰る。今でも自分がしたことを間違いなんて思ってない、なのにどうしてこんなに後悔しているんだろう、恥ずかしいのだろう。いっそ水たまりの水のように蒸発して消えてしまいたい。もし僕が里内先輩ならどうしたのかな。どうしたかはわからないけど、きっと僕よりはうまくやって、こんな無様なことにはならないのだろうと思うと、自分の無力さがとてもとても憎らしかった。
「あの時は偉そうなこと言って、すいません」
アネモネさんがいつものおっとりした声で言う。
さっきのアネモネさんはとても怖かった。
けど、今は何かを心配するように、僕の顔をチラチラと見ていた。
「アネモネさんは本当にいいの?こんなのおかしいよ……」
アネモネさんもきっと我慢してるんだ。あの頃の僕みたいにそうすることを自分の中で正当化して耐えているんだ。
「それがこの世界のルールです」
アネモネさんは寂しそうな顔で言う。
そんな顔をしてまで、守らなければいけないルールなんかあるはずがない、そんなものはあってはいけない。
「そんな勝手に誰かが作ったルールなんて守る必要なんかないよ」
つい強めに言ってしまう。自分の情けなさをアネモネさんにぶつけてしまうことに己の愚かさを感じ嫌になる。
「なんで君だけがあんなひどい目に合うんだ」
「別にわたしだけではありませんよ。父も母もあそこに住んでる人は皆、他の人に見下されています。」
「なんで……そんなことさえも耐得なければいけないルールってなんだよ」
「簡単なルールですよ。わたしたちのような魔力が著しく少ないものをリーストと名付け、高い魔力を保持するエクセラーとエクセラー、リーストの間の魔力を持つオーディナルに従わなければいけないと言うルール。
ダリアという人の言葉を借りるなら、そのルールのおかげでこの世界の平和は保たれています。」
「魔力がそんなに大事かよ!」
僕は立ち止まった。アネモネさんも僕より数歩手前で足を止める。
「大事ですよ。魔力がないと私たちは何もできません」
「そんなことはない。魔力がなくたって人間はなんでも出来るよ。」
「そんなことないです!!」
アネモネさんはまるで自分に言い聞かせるように言う。
「私は、私たちはエクセラーとオーディナルの言うことを聞いていればいいんです。聞くしかないんです。それが現実です」
「それでも……」
「あなたにはまだわからない。魔力の偉大さが」
アネモネさんの言うことは見方によれば正しいのかもしれない。ふと、そう思ってしまった。
「すいません。また、言いすぎてしまいました」
それから僕らは静かに帰路についた。