5.過去
「リーストが見ぬほどを知れ」
「里内先輩……」
僕は数々の信じられない自体に翻弄されている中、ついに里内先輩と再開してしまった。いや、実際には本人かどうかは分からない。しかし、実際に里内先輩だと思われる人を目の前にすると先輩との出会いを思い出さずにはいられない。
そうだな。ここらで僕と里内先輩との出会いの話をしておこう。突然の回想シーンって感じで
あれは高校2年生のころだった。
その時の僕はイジメに近い扱いを受けてた。
「箱部、鞄持ってくれよ。」
「あっ、俺のもよろしく」
一人の発言をきっかけに「俺も」「俺も」と僕に鞄を持たせてきた。
「なんだよ。俺ら友達だろ。」
「そうだね」
僕は笑顔でそう答える。ほんとにそう思ってるわけではない。でも、これくらいの鞄を持つくらいなら、運動をしない僕であってもできないことではないし、拒否をすることでもっと酷い目に合うよりはマシかと思った。僕は人のために鞄を持ってあげているんだと、偽善者めいた言葉で自分を誤魔化せば、文句の一つや二つは簡単に消し去ってしまえる。
しかし、僕の予想とは真逆にそれは日に日に酷くなった。
転ばされたり、筆箱の中からシャーペンが消えたり、教科書がゴミ箱に捨てられたり、変なものを食べさせられたり、でも僕が我慢するだけで何も問題は起きない。そうだな例えば僕がここで反抗したら別の人が同じ目に合うかもしれない。僕はその別の人のために我慢していると思えばこのくらいのことは耐えられた。
今日もいつものように鞄を持たされ下校しようとしていた。
階段を降りる途中、最後から二番目くらいの段で一人の男子に足を引っ掛けられた。
「ごめんな。箱部わざとじゃないんだ。」
そうニヤニヤしながら言うと他のやつらのとこに戻って行った。
他のやつらもケタケタ笑っている。
立ち上がろうとしたら、右膝に激痛が走った。ズボンをまくると青紫色に腫れていた。
「おい、箱部!何やってんだよ!早くしろよ」
大丈夫、大丈夫、まだ歩ける。僕が立ち上がろうとしたとき、その人は現れた。
「君、大丈夫!?」
肩くらいまである黒髪にクールな顔立ちの女子生徒、制服の襟の色から3年生だということがわかった。
「大丈夫です。こんな怪我なんともないです。」
「大丈夫なわけないでしょ、こんなに青くなってるし」
「おせーよ、箱部」
鞄の持ち主たちがぞろぞろと引き返してきた。戻ってくる途中、この先輩に気付いたやつらは、「誰?」と一言もらす。
「君たち!こういうことはよくないよ」
先輩の注意を受けた彼らだったが、皆顔を揃えてニヤニヤしている。
「先輩。何か勘違いしてませんか。」
先輩は首を傾げて返事をする。
「俺たちは毎日交代して、みんなの鞄を持ってるんですよ。」
「そうそう今日はそこの箱部が鞄当番なんですよ。」
先輩はアゴに手を当て、何かを考える仕草をする。まだ、完全には納得できていないようだ。
「でも、怪我してるみたいだから、今日は誰か変わってあげて」
先輩がそう言うと、あいつらのうちの一人が来て、僕の肩に腕をのせる。
「箱部、そんな怪我たいしたことないよな」
僕は頷いた。もし僕が今、頷かなかったらこの先輩もきっとひどい目にあってしまう。そのために頷いたんだ。そうしょうがないことなんだ。
「こいつもこう言ってるんで、俺たちもういいですか。」
そう言って、僕を昇降口まで引っぱっていく。
先輩は僕らが下駄箱に行くまでずっと僕らを見ていた。
次の日もいつものように鞄を持たされる。
「箱部、おせーよ」
昨日、怪我した足が痛い。しかも今日は鞄が重い。
誰か辞書でも入れているのだろうか。
一歩一歩が苦痛でしょうがない。
でも、大丈夫、大丈夫、僕はまだ耐えられる。これはしょうがないこと、僕が我慢するだけでみんな平和に過ごせるんだ、だから大丈夫。
階段は廊下よりさらに足の痛みが増す。
階段を降り終わると、女子生徒が立っていた。肩くらいまでの黒髪、見たことある女子だった。目をキリッとさせ、腕を組んでこちらを見上げている。
「嘘つきね」
先輩は表情も変えずに言う。
「嘘なんてついた覚えはないです。」
先輩のキリッとした目がさらに鋭くなる。
「交代制なんて真っ赤な嘘じゃない。」
僕は残った階段をゆっくりと降りる。
「僕は怪我が平気って言っただけで交代制なんて言ってないです。」
「否定しなかった。それにその怪我もとても平気には見えないよ。」
階段を降り終えると、先輩の身長が女子にしては高いのだとわかる。
「鞄だけじゃない。もっと酷いこといっぱいされてるでしょ。」
「見てたんですか。ストーカーですか。気持ち悪いです。」
怒らせるつもりで言ったのだが先輩は顔色一つ変えず、気まずくなってうつむいてしまう。
「なんで何も言わないの?言うべきだよ。」
「別にこんなことなんとも思ってないです。」
「なんとも思わないわけない。悪いことは悪いことだと主張すべきだよ。」
「鞄持ったり、ちょっと足引っ掛けられるだけで文句言ってたらきりないです。物を隠されるのも高価なものではないので平気です。」
「悪いと否定することを諦めてしまうのは、怠惰だ。よくないよ。」
「先輩に何がわかるんですか!」
イライラしてしまって、つい大きな声が出てしまった。
ただの八つ当たりかもしれない。苛立ちを感じてしまうのは間違いかもしれない。それでも自分が間違ってると言われて嫌だと思った。僕はこんなに我慢しているのに、僕はこんなに頑張っているのに何で否定されなきゃいけないんだ。
「先輩は僕のこと何もわかってない。僕が耐えれば、これ以上誰も傷つかないんだ、みんなが救われるんだ。僕は間違ってなんかいない。僕は間違ってなんかいない。僕はこうすべきなんだ。僕は正しい。だから酷いことされてもしょうがない。そうこれはしょうがないことなんだ。」
ただ感情のままに、血の登った頭に浮かび上がってきたことをそのまま口に出す。
まるで自分の中のグチャグチャしたものを吐き出すように言葉をぶつける。
熱くなった体はだんだん神経が麻痺してきたように痺れて、自分ではないかのようだ。
「僕は悪くない、間違ってない、正しい、しょうがない、しょうがないんだよ、こうするしかなかったんだよ。」
頭から血が抜けていき、目からは自然と涙がこぼれた。
何が悲しいんだろう。なんで泣いてんだろう。暑かった体は冷め、そのかわりまぶたのあたりがじーんと熱くなった。この感覚もいつ以来だろうか。
「君がしょうがないと思うから、そうなってしまうんだ」
先輩は僕の頭に手を置き優しくなでる。それは姉や母親のようだった。
「君はまだ泣ける。だから君はまだ戦える。」
「おーい、箱部なにしてんだよ」とあいつらが戻ってきた。
それを見た先輩は、僕が持ってた鞄を全部取りあげた。自分の分も持っていかれそうになり何とか握りしめる。
「あん?あんた昨日の……」
先輩はその鞄をまるでこれから投げるような態勢で準備してるように見える。いや、これは間違いなく投げるつもりだ。
「先輩待っ……」
その時、先輩は僕を見てニヤッと笑った。僕はその笑顔に見とれてしまった。
「あらがいたいなら」
「"上を向け"」
その言葉と同時に投げられた鞄は、まるで打ち上げ花火のようにきれいに見えた。花火みたいに明るくないし、色も地味なのばかりなのに、どうしてこんなにきれいなのだろう。
きっと先輩が見せてくれた景色だからだ。先輩がくれた光だからだ。そして僕が先輩を……
"好きになったからだ"。