4.差別
"私はこのブロッサムで一番魔力が低い人間よ。"
広い湖の水辺で交わしたアネモネさんとの会話のあと僕は結局アネモネさんの家に戻り一夜を過ごした。
アネモネさんの最後の言葉の意味を僕はまだ知らないでいる。
でも、あのときのアネモネさんはとても悲しい目をしていたと思う。何がそんなにアネモネさんを傷つけているのか、僕はまだ知らない。
次の日、目が覚めた僕は顔を洗うために家の中をさまよっていた。歩けば床がギシギシと軋むし、壁はところどころ汚れていたり、ボロい家だが、しかし部屋数が多く洗面所を探すのも一苦労だ。よく考えるとこんなに古い家に水道ってあるのか?
あると信じて手当り次第ドアを開ける。
ガチャ!
目の前にはほぼ全裸の女の子がいた。
「し、シオンさん!!!」
目の前の状況を見て思ったことは3つ、
1.ここはお風呂だということ
2.技術力の低い世界にしてはパンツは僕の世界とそっくりだったこと
3.ブラをしていないこと
ブラというのはいわゆるブラジャーという女性の下着の一つである。
これがとても気になることで、この世界にはそもそもブラがないのか、それとも幼児体型過ぎてつける必要がないのか
そんなことを考えてるうちに目の前に何かが飛んで、僕の顔面に直撃した。
「早く出ていってください!!」
「痛てて…」自分の顔面に当たったものを確認する。
木材で形作られた容器、これはおそらく洗面器であろう。こういうのを見ると文化の違いをとても感じる。…パンツにはあまり感じなかったけど
「おい」
後ろからドスの効いた声が聞こえ思わず「はい」と元気よく返事をしてしまった。
「よくもうちの娘の裸見てくれたな。」
「いや、これはわざとではなく……」
その時、鼻に違和感を感じ押さえる。触れた液体は独特の粘性があり、少し鉄のような匂いがする。手を見ると赤い液体だった。
「おーまーえー」
「待ってください!これは、洗面器が当たったせいで、裸を見たからではない……」
何を言っても聞いてはくれなそうだ。頭から蒸気のようなものが見える。そうか魔法が使えるもんね……。このまま美味しく焼かれてしまうのかな。
「お父さん!私は大丈夫だから」
扉の隙間から顔だけだして、アネモネさんはそう言った。
「紫音さんもわざとじゃないって言ってるし」
裸を見られたのにもかかわらず僕のことを必死に弁明してくれようとするアネモネさんにとても感動した。
お父さんも「アネモネがそう言うなら」と言ってその場を去った。
僕を睨みつけながら……。
なんとかステーキにならずにすんだみたいだ。これからお父さんとどんな顔をして接すればいいのか……。
ガチャっという音とともに扉が開く。
「紫音さん」
アネモネさんはほっぺをこれまでかと膨らましている。
とても怒ってらっしゃるそうだ。
「あの……ごめんなさい。あと、助けていただきありがとうございます。」
「はー、もういいです。」
「ホントにごめん。洗面所探してて」
「それなら言ってくれれば」
「アネモネさんがどこにいるかなんてわかりませんよ」
「それは……そうですけど……。」
アネモネさんは少し考えて深いため息をつく。
「今回だけは許してあげます。」
「どうもありがとう」
なんとか解決し安堵する。こっちの世界に来てからこんなことばかりだ。
「そのかわり」
アネモネさんが一歩僕ほうに近づく。この世界にシャンプーはあるのだろうか。アネモネさんから甘くていい匂いがした。
「買い物付き合ってください」
何を言われるのかと思ったけど
「そういうことなら喜んで」
そういうわけで僕らは買い物に出かけることになった。
お父さんからはとても冷たい目で見られてしまったが、アネモネさんにあつい信頼があるのだろう。アネモネさんが大丈夫といったら「そうか、気をつけてな」とだけ言って部屋に戻っていってしまった。
僕らが住んでいるところは村から少し離れているみたいで山を登ったり下ったり、川を渡ったりと足が棒になるほど歩いた。
「はー、疲れた。帰りたい。」
「紫音さんに拒否権はありませんよ……ね!」
笑顔が……笑顔が怖いです。あー、これからアネモネさんにはもう逆らえないかもしれない。
なにはともあれ、帰り道も同じ道を歩くと思うと憂鬱だ。
「そもそも何を買いに行くんだ」
疲れをまぎらわすためにも、アネモネさんの怒りをまぎらわすためにも僕はアネモネさんに話しかけた。
「お肉とか卵です。」
たしかに牛とか豚とかいないですもんね。
ちなみにアネモネの両親は農家だ。というか周辺の人たちはだいたい農家だ。だから野菜には困らないんだろう。それにしてもこっちの世界も田舎は過疎化しているようで、僕らくらいの年齢はアネモネしかいないし、子供も十人もいない。
「着きましたよ」
考え事をしていたら目的地にたどり着いてしまったそうだ。
アネモネたちのいたところと違い。お店はコンクリートでしっかりできていて、二回くらいの建物が横に連なって建物ごとに様々なものをた。僕がいた世界でいうと商店街みたいなものだと思う。
「お肉屋さんに行きましょう。」
そういうとアネモネさんはお肉屋に向かってスタスタ歩いていった。あんなに歩いたのに足とか疲れてないのかな。
「クスクス」
「クスクス」
周りから視線を感じる。やはりこの世界では僕は目立つのだろうか。
「ここですよ。」
目的地のお店にはお肉がずらりと並んでいる。見た目は特に変わったとこはない。お肉がショーケースに入っていないのは衛生面が気になるところだが市場とかのお肉屋さんは確かこんな感じだったと思うし、目立って変なとこはない。ただ……お肉の名前がどれも聞いたことがない。『ファイアフラッグ』とか『トールフォン』とか『グラブトン』とか何の肉なんだ。僕が混乱している間にアネモネさんは注文をするためお店の人を呼んでいる。
「はーい」
奥の方から女の人の声が聞こえてきた。出てきた人は花柄の赤い布を頭につけ、花柄の黄色い服に見を包んだお姉さんだった。
「いらっしゃ……なんだリーストか」
花がらのお姉さんはアネモネさんを見てそう言った。
リーストってどういう意味だろう。
「ファイアフラッグを100グラムください。」
「190ゼニだよ」
アネモネさんはお財布を取り出しお金を出す。
この世界のお金はゼニというのか
お金を受け取ったお姉さんは、たくさんあるお肉の中から注文されたものをとり、容器に入れて準備する。
「はいよ、まいど。」
その時、目の前で信じられないことが起きた。
お肉屋のお姉さんが、アネモネさんに渡すお肉をわざと地面に落としたのだ。
「な、なんで」
とっさのことにマヌケな声が出てしまった。
「あー、ごめんごめん。うっかり落としちゃった。」
違うわざとだ。この女がわざと落としたことは間違いないのにアネモネさんは文句一つ言わず、落とされたお肉を情けなく拾っている。僕は思わずアネモネさんに近づいた。
「アネモネさん、どうして?」
アネモネさんは、諦めと悲しさが混じった表情をしていた。地面をずっと見つめながらアネモネさんは僕に言った。
「魔力がないということは、こういうことなんです。私みたいな人を同じ人間として見てくれることはありません。」
「そ、そんなのおかしいよ。」
「おかしくありませんよ。私に魔力がないから、だからしょうがないんです。」
アネモネさんの言葉を聞き、僕はやっと気付いた。周囲からの不気味な視線は、僕ではなくアネモネさんへのものだったのか。
蔑むように見られ、ひどい扱いを受け、それをしょうがないことだと……そんな、そんなことって
"君がしょうがないと思うから、そうなってしまうんだ"
突然、そんな言葉を思い出した。そうか、今のアネモネさんはまるで……
フリフリの服を着た、年のわりに幼い外見。そんな女の子がこんな顔をしていたら、あの人はどうしただろう、あの人なら……
「アネモネさんが、しょうがないと思うからそうなってしまうんだ」
「え?」
きっとこうしたはずだ。里内先輩なら
"あらがいたいなら……"
「あらがいたいなら……」
「"上を向け!!"」
僕はアネモネさんの腕からお肉を取ると、女の人に叩きつけた。
「これ取り替えてください。あと、アネモネさんに謝れ!」
「な、なんだい、そんなの無理に決まってるだろう」
「あんたが落としたんだろ!」
慣れないことをしているせいか、体中から湯気が出るほど熱い。
「紫音さん、やめてください。私は大丈夫ですから」
「アネモネさんは、こんなことされていいの。」
「でも……しょうがな……」
「だからしょうがなくない!!」
僕の脳みそは、だんだん沸騰していき止まらなくなる。
「謝れ!」
「うるさいね!お前らなんか私たちには、敵わないんだからペコペコしてればいいのよ」
「魔法が使えることがそんなに偉いのか。こんな小さな女の子に、こんな意地悪して恥ずかしいとは思わないのか!」
「な、なんだいこいつは…」
「早くこの子に……」
その時、急に頭が真っ白になった。
気づくと僕は地面に倒れていて、アネモネさんが「紫音さん!」と悲鳴のように僕の名前を呼ぶ。
「いったい何が、うっ!」
頭にとてつもない痛みと振動を感じる。まるで何か硬いもので殴られたような。
「リーストが見ぬほどを知れ」
聞き覚えのある女の声が聞こえた。顔を上げると、そこにはまるで騎士のように鎧を彷彿とさせるところどころ金属で覆われている服を身に着けた、細身の女が立っていた。その右手には剣が握られており、それで殴られたのだろうと推測する。
「お前、突然何す……る…んだ」
顔を見た僕の脈拍は3倍にも膨れ上がり、なのに頭はぼーっとした。僕の目の前にいたその女は……
「里内先輩……」