侵攻
地元貴族のランディとの邂逅からおよそ三週間程が過ぎようとしていた。
ダンジョンが発見されたのだからぼちぼち冒険者達が来るかと思っていたのだが一週間、二週間待ってみてもそれらしい姿は現れなかった。クルト爺さんと交渉してランディと交わした「制約」の魔法ではダンジョンに対して領軍の投入をしないという一点のみで冒険者については規制していないので少々不思議ではある。なお、契約魔法の初歩である「制約」は対象の同意が必要かつ対象者の生命に係わる項目は縛ることができない。書面上の約束事よりは魔法的な拘束力を持つ程度のものだった。
冒険者が来ないのは、しばらくは静かに過ごしたいという話を真に受けてクルト爺さんが裏から手を回してくれたのか、それとも他のなにかか。考えても答えの出る問題ではないのでスッパリと放置して俺は魔法の修練とダンジョン業務に勤しむことにしていた。魔法に関しては一朝一夕でなんとかなるものではないので気長にやっていくとして、ダンジョンの方は一つ大きな進展があった。
新しい仲間を迎えたのである!
全長1メートル強、大きく張ったカサは個体ごとに千差万別の色合いをしている。つばにあたる部分が発達しているのか腕のようになっており、つぼの部分からちょこんと小さな足のようなものまで生えている。時折紫や赤、黄色などの胞子を飛ばしているがダンジョンモンスターとして契約したモンスターはダンジョンマスターに対して害を与える行為を行うことが出来ないので何も問題がない。
ダンジョンマスターになって良かった!と思う瞬間である。
・マイコニド
マイコニド種
暗く、ジメジメしたところを好む森に棲むキノコ型の植物系モンスター。
足が生えているもののあまり動き回ることはなく日がな一日じっとしていることも多い。積極的に襲ってくることはないものの、多少手間をかけて調理してやれば中々に美味しくいただける可食系モンスターなので駆け出しの冒険者達の交戦率は高い。麻痺・眠り・火傷など個体ごとに異なった効果をもつ胞子を散布するので戦うときは位置取りや事前準備が大切である。農作物などが不作の年はよく討伐を推奨され大規模な狩猟が行われるがどの地方においても絶滅したという話は聞かない。
危険度 E
維持コスト 10DP/月
ダンジョン施設で生成されていないモンスターに関してはヘイムダル同様維持コストの表記があった。どうも生成施設が生成したモンスターの維持も行ってくれているようでその分も含めたコストが施設維持のDPとなっているようだ。マイコニドはモンスター情報にあるようにわりと一般的に食べられているモンスターらしく、ロッソの奴が食料を調達してくるといってダンジョン外の森から捕獲してきたのだ。それを食べるなんてとんでもない!と言い放って救出したときにのロッソの唖然とした顔は理解できなかったが。モンスターは食べるものではなく愛でるものだろうに、真理のわからん奴だ。
しかし、モンスターを食べようという思想は矯正しなければならないが、盗賊だったロッソの知識もなかなか使えることも判明したのでその部分については評価してやることにした。評価して、近場に棲んでいる魅力的なモンスターを勧誘してこいと言ったら泣いて喜んでいたので中々見込みのある奴だと思っている。盗賊なんてつまらないことからは足を洗わせて真っ当な道に戻してやるのが主人の務めという奴だろう。
おや、噂をすればなんとやら。ロッソがこちらに駆け込んでくる。抱えていたマイコニドの腕を取って振ってやった。どうだ、可愛いだろう?
「だ、旦那!遊んでる場合じゃねえんで!!」
あ、結局その呼び名に落ち着いたのか。男にマスター様とか言われても気力悪いと言ったら色々悩んでいたんだがまぁ妥当なところだろうか。
『まぁ落ち着け。どうやら新しい仲間を連れてきたわけではないようだが何があった?』
「軍が、軍が動いたんで!真っ直ぐこちらに向かってます!!」
どうやらあの次期当主様はこちらを謀ってくれたらしい。無事一カ月を越えるためには領軍との衝突は避けえないようだ。
『各モンスターへ伝令。ダンジョンの総力をもって馬鹿貴族殿の戦力を迎え撃つ。緊急時のため捕縛の優先度を最低まで下げ、全力での戦闘を許可する。以上だ』
復唱したのち走り去っていくロッソを眺めていると、カタカタと鎧が震えているのがわかった。
恐怖か、それともこれが武者震いというやつか。現代日本ではまず味わえなかった緊張感を感じながら、ゆっくりと手を握り込んでゆく。
「さぁ、遂に始まるぞヘイムダル。俺達のダンジョンを、夢を、全てを賭けた戦いが、今此処から!」
アウルムから約一日ほどの距離にある山の麓にある山村。人口百名程度の小さな長閑な村は、平時にはない喧騒に包まれていた。人口の十倍はあるであろう人数を領主の一族が率いてきたのだ。
「今ならまだ引き返せますが、ランディ様」
「くどいぞ、クルト。由緒あるゴールドマン家の次期当主たるこの私が魔物風情に虚仮にされたままなぞ家の威信に係わる。これは、貴族としての誇りを取り戻す聖戦なのだ!」
「誇りは大切ですが、同時に貴族たるもの見えぬところで下げる頭も持つべきかと存じます。今回の出兵を王都へ出仕中のお父上に知られればどのようなことになるか・・・領軍の一部を引き抜いて私兵とするなぞさすがにやりすぎかと」
「仕方なかろう!忌々しい制約のせいで正規の領軍は動かせないのだから。父上もダンジョンの攻略を手土産に持って帰れば責めはせぬ!!」
村長宅の一室にて最後のチャンスとばかりにクルトは翻意を促したがこれまで同様退けられる。三週間程前のあの日からずっと、血走った目をした主は強硬にダンジョンの再攻略計画を推し進めてきた。そして遂に、此処まで来てしまったのだ。
そっと一つ、隠すように溜息をついたクルトは窓の外へと視線を向けた。黒々とした影を落とす山も、今は静かに寝入っているかのようだ。それは、激動の明日を予感させるような静けさだった。
「赤熊の、明日はアンタは連れてきた見習い魔法使い達の引率だ。敵さんのボスはリビングアーマーって話だからな、三階位までしか使えねえひよっこ共でもそれなりに有効だろう。しっかりお守りしてくれよ」
「そうかい、伝令は聞いたからさっさと帰っておくれ。酒臭いったらありゃしない」
「ちっ、そうかい。明日はちゃんとその無駄にデケエ図体で『壁』として頑張ってくや、『赤毛熊』さんよ」
捨て台詞を吐きながら男は野営の中心地へ戻っていった。そちらからは景気づけとばかりに呑み騒ぐ者達の声が聞こえてくる。領軍とは別に集められた冒険者の集まりだった。
「失礼な人達です~あの中心に三階位の水魔法を叩き込んでやりましょうか~」
「あんな小物相手に魔力の無駄遣いするんじゃないよ。明日はなにがあるかわからないんだ、少しでも力は貯めておきな」
喧騒から離れた陣の隅に手早くテントを設営するとそのまま中に入っていく。後に続くローブの少女はどこか嬉しそうだ。
「う~ん。『災禍』に『魔風』まで参戦していて、リコ姐さんも来てくれたわけですから大丈夫じゃないですかねぇ~?」
「あたしを含めて今回はかなり強引にかき集められた寄せ集めの集団だ。十全に能力を発揮できるとは思えない。ましてや依頼内容がダンジョンの攻略なんだからね、用心するに越したことはないさ」
「それにしても領軍900名なんて過剰戦力だとシーラは思うのですよ~」
「シーラ、冒険者として長く生きていたければよく覚えておきな。敵は前だけに居るわけじゃない、能力はともかく『災禍』や『魔風』ましてやお馬鹿様の腰巾着達なんて連中をあてにしていると足元を掬われるよ」
「そのときは~リコ姐さんが守ってくれるから大丈夫ですよぉ~」
脅すように言われた言葉に満面の笑顔で返すシーラ。へらっと笑うその顔に毒気を抜かれたか苦い顔を一つするとドスンとそのまま寝転がった。早々に寝ることにしたようである。
「あぁ~!せっかく一緒にクエスト来たんですから、リコ姐さんもうちょっとお話ししましょうよ~パーティの皆もすぐ寝ちゃってつまらないんです~」
縋るように取り付くと肩のあたりを揺さぶるシーラ。もっとも、後衛職な上に魔法使いの彼女の細腕では小揺るぎもしていないのだが。
「さっさと寝な!」
ゴチンと、鈍い音がするとテント内に静けさが戻る。規則正しい二つの寝息だけが、静かにテントを満たしていた。
翌日、日の出と共に一行はダンジョンへと向かう。人々の思惑なぞ知ったことではないとばかりに能天気に晴れた空は澄み渡り緊張感の欠片もない。脅威度は低いとはいえ山には少なくない魔物が生息しているはずだが、大量の人間に驚いたのか出てくる様子はない。一行は襲撃に会うこともなく昼頃にはダンジョンの入口へと着いていた。
「着いたか、今日こそ過日の恥辱を晴らすとき。我が領地の誇る屈強なる勇士達よ!ゴールドマン家へ栄光をもたらす為に奮起せよっ全軍進軍開始ィ!!」
号令と共におよそ千名の軍勢が順次ダンジョン内へ歩を進める。事前に知らされていた落とし穴以外には特に罠らしい罠も無く、程なくして全軍が次のフロアへの移動が完了する。
「グリーンキャラピラーが生息していたことから予想はされていましたが、ダンジョン内にしては随分大きな森ですな」
「ふん、好都合だ。まずはこのフロアから蹂躙してくれる。中央、左翼、右翼に二百五十名ずつ配置、同時進行を開始せよ!冒険者共は魔法使い部隊を除いて全員中央の最前列に配置しろ。どうせ代わりなぞいくらでもいる奴らだ、せいぜい使い潰してやれ」
嗜虐的な笑みを浮かべながらランディが命令を下す。一瞬、物言いたげな視線をクルトが向けるが、言葉にすることは無かった。
「くっ、ゴブリン風情が妙にこなれた連携をっ」
進軍を開始した兵士達は予想外の苦戦を強いられていた。存分に剣を振るえるとは言い難い樹木に覆われた空間、木々に遮られて視界の確保も難しい。それでも、山間部での戦闘も視野に入れて訓練されている兵士達がここまで苦戦するするはずは無かったのだが。
「ギャギャギャッ!」
突如、背後からの襲撃。小柄な人影が駆け抜け、周囲の幾人かが倒れる。人を見たら即座に襲い掛かってくるような低級モンスターのはずのゴブリンが、気配を消して襲ってくるなど誰が想像するだろうか。迎撃しようにも、態勢を整えた頃にはゴブリン達は繁みの中へと消えて行ってしまっている。
「くっ、密集隊形!地の利は向こうにある。ばらけていては危険だ!!」
部隊長がそう号令を飛ばすと即座に兵士達は集まって互いの死角を補い合う。幸い、正規の装備であるフルプレートで身を固めている兵士達の防御力は高く、非力なゴブリン達の襲撃程度では大した損傷は与えられていなかった。迎撃自体は思うようにいっていないものの互いに周囲を警戒し少しずつ進めば良い。
「ギュビビ!」
鳴き声は頭上から。生い茂る樹木に溶け込んでいたグリーンキャタピラーから密集した兵士達へと一斉に糸が吐かれる。咄嗟に逃れられたのはわずか数名、重たいプレートメイルが裏目に出た形だ。その逃れた数名もどこかに隠れていたゴブリン達に囲まれ鎮圧されていく。
「奇襲だけでなく、他種のモンスターとも連携するとはこれがダンジョン・・・」
絡まった糸を部隊長はなんとか振りほどこうともがくが剣を持っていた腕は厳重に糸に巻かれており、切り裂くことはできない。膂力だけで引き裂くには少々難しいものがあるようだった。このままではモンスターの餌食になってしまう、そんな思いが部隊長の頭に過ったその時。
「おや?そこにいるのは総大将殿の腰巾着様達じゃあないですか」
現れたのはアウルムでも五指に入る冒険者パーティ『災禍』のリーダー。整っているといって良いであろうその顔にニヤニヤとした笑いを浮かべながら糸に絡まりのたうつ兵士達を見下ろしている。リーダーに続くように他のメンバーも続々と現れた。総勢8名、どの顔もリーダーと似た様な笑みを浮かべている。
「『災禍』か!丁度良かった、今すぐこの場にいるモンスター達を殲滅して我らを助けるのだ!!」
「へぇ・・・正規兵とはいえあの馬鹿跡取りに尻尾を振る奴らなんざ高がしれてるってことかねぇ。こんな下級モンスター相手に情けない・・・っと」
横合いから飛び出してきたゴブリンを見もせずに切り捨てる。長剣を抜き、納めるその流れる様な動作には一瞬の遅滞もない。
「目障りな虫共だ、お前らよく狙えよ」
背後の仲間達が、一斉に弓をつがえ、放つ。遅れて詠唱を完成させた魔法使いの火魔法が炸裂し、的確に樹上に潜むグリーンキャタピラー達を叩き落していった。
「ギュビビ・・・」
「ギャッギャ!」
ところどころ焼け焦げたグリーンキャタピラーを、隠れていたゴブリン達が数人がかりで援護し撤退していく。追撃をかけようとする『災禍』だったが、飛び出してきたゴブリン達は地面になにかを一斉に投げつける。
「ぐ、これは・・・マイコニドの胞子か!」
朦々と立ち込めた胞子が落ち着いた頃には襲ってきていたモンスター達はすべて撤退していた。
「ちっ、ダンジョンとはいえ妙なモンスター達だぜ」
「は、早くこれを解いてくれ!」
不満そうな顔をする『災禍』のリーダーに向かって、部隊長が声をかける。糸を切るためか、『災禍』の面々は長剣を抜き身で下げたまま兵士達の周りに集まる。全員、ニタニタと先ほどからの笑いを張り付けたままだ。
「ど、どうしたのだ。早く糸を解くんだ!」
自分たちを取り囲む『災禍』の妙な空気を訝しがりながらも雇い主の部下という立場からの命令を下す部隊長。そんな部隊長へ、屈み込んで目線を合わせたリーダーは言う。
「なあ、アウルムで一番の冒険者っていったら何だとおもう?」
「急に一体何を!?そんなことよりはやく・・・」
「いいから答えなって」
笑みを張り付かせたまま、部隊長の髪を掴み覗き込むようにして催促する。正体不明の威圧感に押されながら、部隊長はアウルムの常識ともいうべき問いの答えを口にする。
「アウルムの冒険者筆頭は『昼行燈』のパーティだろう。今回も遠征ではなくアウルムの防衛の要として残されていることからも明らかだ。」
「そうだよねぇ、やっぱさぁ。ではここで問題です、俺タチ『災禍』がアウルムの頂点に立つにはどうしたらいいでしょうか?」
「そ、それは、『昼行燈』を超える実績を出せば」
「そう、それだよそれ!俺タチはさぁ、ちょっとどころじゃないデカい実績ってやつが欲しいんだよ」
「今回の遠征が成功裏に終われば次期当主殿の覚えも目出度く・・・」
「それじゃあまだ弱いねぇ」
突如として真顔に戻るリーダー。いつの間にかその手にはナイフが握られており部隊長の頬をひたひたと叩いている。
「このままだと功績の多くは君タチ腰巾着のものだろう?それじゃあ困るんだ。跡継ぎ殿の私兵は半壊、探索を断念しかけるも優秀な冒険者のパーティがダンジョンを単独攻略した!なんて方がさ、派手でアウルムの街の人たちも喜ぶんじゃないかな」
再び笑みを口元に湛えながら穏やかに、自分達の理想の展開を語る。瞳だけが無感情に部隊長を捕らえていた。
「ま、まさか『災禍』のあの噂は・・・」
アウルムの街で時折囁かれる噂。冒険者『災禍』は自分達の功績の為にわざと被害が多くなる方法をとったり、有望な新人へよからぬ干渉そしているというソレは相手が有名なパーティということもあって有名税のようなものだと認識されていた。
「『災禍』は相手を選ばない。災いなんてそんなものだろう?だからさ、君タチちょっとばかり・・・」
取り囲んでいたメンバーが各々の得物を振り上げる。躊躇など、一欠けらも無かった。
「死んでくれ」
絶叫が響き渡る。遅れて咲き乱れる赤色が、森を染めていく。
カイトの預かり知らぬ所で、ダンジョンを巡る攻防は、混迷の様相を見せ始めていた。