赤毛熊の理由
『赤毛熊』と呼ばれる冒険者は、一人紫の竜の前に立ちはだかっていた。
何故、だろうか。自暴自棄か、恐怖に駆られての奇行か。それとも、ドラゴンの歩む先に見慣れた杖を見つけたからだろうか。
偶然彼女らのパーティの手助けをして、それ以降妙に懐かれて辟易していたというのに。
また、間違えた。
死と隣り合わせの中にあって、そんな思いが彼女の胸に去来する。
彼女の思いなど忖度せず、竜が動く。猛烈な勢いで薙ぎ払われる前脚を敢えて前方へ飛び込むようにして避けた。そのまま懐に潜り込むと右手の斧を竜の腹部へと力任せに叩き付ける。
ガキン!と金属同士が噛み合ったような硬質の音が響く。鱗にうっすらと傷がついた、ような気がする。
「チッ」
手元に残る硬い手ごたえに舌打ちながら、留まることなく尻尾の方へと抜けた。直後、空間が赤熱する。
振り返れば、竜は炎を纏っていた。先ほどまでがお遊びだったような重圧に空間が軋む。ポタリと一つ、滴が顎を伝った。
一体何処から間違ったというのか。いや、そもそも彼女の人生とは、間違いの連続だった。一番初めの間違いは、生まれてきたことだろうか。
彼女の家はある国の騎士の家系だった。家格は高くないものの武勇の誉れ高く、国王の信頼も篤かった。そんな中、次代の英雄を期待されて生まれたのが彼女だった。初めの間違いとはそう、生まれてくる性別を間違えた。
竜の尾がしなる。圧倒的な質量、小山が迫ってくるにも等しいそれを避ける空間は無い。彼女は両手の斧を交差し構える。
「セイクリッドフォース!」
窮地において恃んだのは騎士の技。周囲の期待に応えようと、必死に修練して得た過去の遺産。叶えたくて、叶えられなかった夢の一欠けら。
全身が賦活し恐怖が遠のく。両足が力強く大地を噛み、駆ける。
激突。
掬い上げるような一撃、いや二撃。ギャリン!と耳障りな音が響く。左右の斧で竜の尾を強引にかち上げた。僅かにできた地面と竜の尾の間へ滑り込む。すれ違い様、ブチブチと髪が引き千切れる。髪の赤が空中に花弁のように舞う。
二つ目の間違いは教官を殴ったこと。今思えば本当に些細な、どうということはない程度の嫌がらせを許容できなかった。女だてらにと元々睨まれていた彼女は騎士の道を断たれ、失意のまま国を出た。14の時だった。
ゆるりと尾を巡らせ、竜が振り返る。たった二合の撃ち合い、されど互いの力量を認めるには十二分。一瞬、竜が笑った気がした。
「くそっ、距離が!」
竜の首が力を溜め込むように撓む、続いて吐き出されたのは人間大の火球。その数、三つ。
「インパクトぉおおおお!!」
加減無しに足元に叩き込むのは斧術中位スキル「インパクト」。彼女の膂力を上乗せされた一撃は、通常のそれを遥かに凌駕する。
地面が爆裂し、地層が捲れ上がる。巻き起こる土石の大瀑布は火球とぶつかり合い互いに喰らい合い、相殺される。両者の間は砂埃で視界が埋め尽くされた。
轟と突風が吹き荒れる。
砂埃は、竜の翼の一振りで吹き散らされ即座に視界は晴れた。
しかし、その場に赤毛の戦士の姿は無い。一瞬、竜の動きが止まった。
これまでの攻防の中で初めて竜が見せた隙。そこに、赤き流星が突き刺さる。
竜の体高は5メートルを優に超える。本来ありえないはずのない上空からの奇襲。奇しくもそれは、上下の違いはあれども竜の行為の焼き直しとなった。
巻き上げた地盤と共に宙にあった彼女は、両手に握った斧にありったけをつぎ込んで振り下ろす。
「星砕きぃっ!!」
斧術上位スキル、彼女の使える中で最も威力の高い技が、竜の顔面へと直撃した。
根元から竜の牙がはじけ飛ぶ。乾坤一擲の一撃は確かに、竜へと届いた。無敵と思えた竜の牙を折り、血が流れ出している。
だが―しかし。
「見事だ、赤毛の戦士よ」
口の端を歪め、竜は獰猛に笑う。心からの賞賛と共に、折られながらも噛み止めた黒鉄製の斧を残った牙で噛み砕く。
「がふっ」
払う様に一閃、尾の一撃が彼女を吹き飛ばす。二度三度、地面に叩きつけられてようやく止まった。
痛みすら通り越したのか、全身の感覚が無い。視界もぼやけている。竜は、また歩みを再開したようだ。
そちらには、シーラがいるというのに。
家を出てから、食うために冒険者となった。戦い以外出来ることなど無かったから。
そこでも失敗の連続だった。14の小娘一人など、質の悪い者達からみれば恰好の得物だと知った。自分の身を守るため、舐められないために必死になって己を鍛えた。比例するように体が大きくなっていってからは段々と厄介事に巻き込まれることが減り、気が付けば5年の月日が経っていた。
女だからと倦厭された少女は、女なのにと後ろ指さされる存在になっていた。そんなところも間違い続きの彼女らしかった。
冒険者として軌道に乗るようになってからはただ死体のように生きた。
人々を守る騎士たらんとした心は、時たま気まぐれに人助けをすることがあるだけ紛い物になっていた。
―あたしは、器じゃなかった。
もう、良いだろう。中途半端に世話をした少女一つ守れない、半端者にはらしいしみったれた最後だ。全身から力が抜けていく、視界も霞んで良く見えない。意識が遠のいていく。
それでも、そこまで至っても。彼女の瞳は、あの杖を捕らえてしまう。その先にある、妙に馴れ馴れしい少女の姿を―!!
右手を拳に。握れるのならば、終わりじゃない。
足がもつれる、体が鉛のように重い。引きずるようにしながら、ゆらりと、彼女は立ち上がった。
「な、なに!?」
異変に気付き振り返った竜は、満身創痍で立ち上がるその姿に、今度こそ驚愕を露わにする。
「まだ・・・終わっちゃいない。その先へは、あたしを倒してから行くんだね」
力なき人々を護る為。ただそれだけが、彼女の戦う理由だった。
「面白い。ならば耐えて見せろ、その意を我が前に示せ!」
竜が吠える。喉奥から漏れるは劫火。放たれるは竜の火炎。白光を放ち破壊の炎が一直線に彼女へと迫る。
彼女はそれを見つめていた。立ち上がってみたものの、これ以上指一本動かせそうにない。妙にゆっくりと迫ってくる光は、その性質と裏腹に驚くほど綺麗だった。
―いいかい、リ…リス。大事なのは何物にも退かぬ守護の決意だ。よく、覚えておきなさい。
脳裏に過ぎるはかつての記憶の一滴。真っ直ぐ追いかけた、成りたかった憧れ。
思い出す。過去の憧憬を、護り手としての体現者を。
意思は、在る。
ならば後は為すだけだ。
「プロミスシールド!」
声と共に美しい蒼の円形盾が眼前に現れる。それこそ、不退転の盾。彼女の知る最硬のスキル。
そこへ、炎が噛みついた。
「ぐ、ううううううううっ!」
全身がバラバラになるかのような衝撃。今にも崩れそうになる足に力を入れ踏みとどまる。折れそうになる意思を、消えそうになる意識を奥歯が噛み砕かんばかりに食いしばって耐えしのぐ耐えしのぐ。必ず護る、その意志だけを胸に咆哮する。
「うぁああああああああああああああぁ!!」
光が、止んだ。
音も聞こえない。視界が白く―
「汝が意思、見せて貰った」
遠のく意識の中、誰かの声が聞こえた気がした。
ひどく苦労しました。一つ一つ、上手くなれるよう精進していきます。