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善光寺にある祖母

作者: 沢内翼

 私の祖母の話である。祖母は善光寺の門前町として栄えた町で生まれ育った。観光地が近くにあると、いつでも行けると高を括って後回しにしてしまうのと、混んでいるのではないかという先入観でその場所から足が遠のくというのが世の常である。祖母はその考えが顕著であった。信心深くもないので、なおさら縁がなかった。

 ところがある日、突然、善光寺を参りたいと言い始めたのだ。いや、近いのだから、勝手に行けばいい。誰かに連れていけというわけでもなく、ただの宣言だった。祖母の話を聞いた人は、親戚から近所の人から、皆で神の啓示でもあったのか、と話題しあった。お寺に参詣に行くのに、神の啓示とは一体どういうことなのかなどとさらに笑い合うまでが定跡であった。

 祖母はそんな我々のからかいなどどこ吹く風で、ある平日にその計画を敢行した。休日は混む。観光ツアーなどの集団心理で、旅の恥はかき捨てとばかりにマナーを守らない人がいるのを祖母は大変嫌っていた。人混みとマナー違反者が合わさってしまえば、誰だって嫌だろう。すでに後期高齢者と呼ばれる年齢になり、それでもまだまだ元気が有り余っている祖母だからこそ、そういったところに正義心を奮うことになる。そういった厄介ごとを事前に避けるための祖母なりの工夫でもあった。

 朝早く、善光寺界隈が人で満ちる前に参詣の肝を済ませられるように家を出、日が暮れるころ家に戻ってきたらしい。家族が帰宅するたびにその話をしていた。本人曰く、十分に散策し、もはや観光の案内ができるほど詳しくなったと誇らしげに語った。

 長野県の玄関口とも言える長野駅から観光名所の善光寺へと向かう善光寺街道の途中、その街道から少し外れたところにどことは言えないがそこに家がある。

 祖母の観光は我が家から善光寺までの道のりをまず念入りに歩くところから始まった。ただの大通りであるし、普段は庭のようなものなのだが、見慣れている銀行や郵便局、果てはコンビニエンスストアに至るまで霊験あらたかに感じられたそうだ。日常では神にも仏にも動じない発言が目立つ祖母がそんなことを言うのだから、信仰もやはり気持ちの問題というのがかなり大きいのだろう。そう感じた。

 善光寺の入口を過ぎると石畳が登場する。それまでも車道歩道どちらとも、無機質なアスファルトとは違う味のある石道が続いているのだが、ここから先はまさしく石畳が敷き詰められている。お寺の敷地の境目を入口と呼ぶのも妙な感じがするが、この地点にこれといった呼び名がない。信号機に善光寺という標識がついているが、それだけなのだ。山門が待ち受けているわけでも、お坊さんが待ち受けているわけでもない。特に名前があるわけでもないので、昇殿口とでもつければ格好はつくかもしれないが、入口という雰囲気しかないので、そう呼ばせていただく。石畳を歩いていくと左側に大本願がある。大本願はすなわち上人の住まいである。まだその姿を見ることができないほど遥か先にある本堂よりも先に、祖母はこちらに立ち寄った。建物もいろいろとあり、すべて見て回ったそうだ。大殿である本誓殿や博物館となっている宝物殿なども興味深く散策したそうだが、その中で特に気になったのが、文殊堂だったそうだ。文字通り文殊菩薩が祀ってある建物なのだが、文殊菩薩と一緒に、人々の平和を願う普賢菩薩も安置されている。そういった二つの菩薩が一緒に祀られている独特の奇妙さに興味を惹かれたのかと思いきや、私の学業が気にかかったかららしい。そこで授与されたお守りを渡された。既に私は学業を生業とする生活を卒業して久しい。祖母の中では私はいつまでも学生らしい。そのことを認識させられ苦笑した。

 大本願を一通り参拝した祖母は仁王門へと向かった。仁王門は山門ではない。仁王像が鎮座してあるから仁王門である。仁王門を越えると仲見世がある。いわゆる土産物店が軒を連ねる。石畳やこれから善光寺に向かうのだという観光客の気持ちを削がないような店舗が並ぶ。老舗といった雰囲気すら漂っている店も多々見受けられる。祖母は一つひとつの店で店員と世間話をしてきたそうだ。その目的は一つひとつのお店の売り物に関する調査だった。数こそあるが皆接客業だ。地元に誇りを持っている祖母のことである。土着であることを隠そうともしないだろう。そんな人物がお土産に入ってきたら、それは冷やかしと見て間違いないだろう。実際、特にお土産を渡す相手もいないので、祖母はお土産と呼べるものは購入していなかった。店からしたら迷惑な客だが、意外とそんな客ばかりなのかもしれない。祖母にその気配を感じ取り、手慣れたあしらいで早々にお引き取り願ったのだろう。そういうとなんだか感じが悪いが、手っ取り早くすべての店舗を回りたい祖母とも利害が一致したのだから、うまい接客といえるだろう。そこまでうまく対応することが観光地の接客業には必須のスキルなのかもしれない。

 ついに祖母は山門にたどり着く。延命地蔵尊や釈迦堂などガイドマップなどに記述のある文化遺産が仁王門と山門の間にあるが、まさしく見たというだけであったそうだ。事前に予習しておかなければどうしても見逃しやすいが、そういったところについて祖母は抜かりなかったようだ。どのように情報を入手したのか、情報媒体を使い慣れていない祖母が不思議でしょうがないのだが、聞いても詳しくは教えてもらえなかった。特殊な情報経路であれば自慢してくるだろうから、誰かに聞いたとか、昔から実は気になっていてことあるごとに調べていたとか、それほど深い理由はないのだろう。

 仁王門をくぐるとついに本堂が見えてくる。祖母は本堂に突入せず、まず、右手側にある授与品所へ足を向けた。授与品とはお守りや数珠のことである。いよいよ善光寺の直前にあって、その景観を崩さない構えをしている平屋で作られた授与品所に、土産物屋と同じく祖母が入った理由は一つだった。つまり役僧との会話だ。私への学業成就のお守りがあるのだから、自分のための家内安全やら健康祈願やらのお守りを購いそうなものだが、そういうものは手に取らなかったらしい。役僧との会話は実に有意義であったそうだ。

いよいよ本堂であるが、ここに関しては暗闇の中を歩き、本尊との結縁を得られる錠前に触れるお戒壇巡りをし、一つひとつの菩薩にお参りした。一番肝心な部分の気もするのだが、だからこそやることが決まっていたようで、それほど深く祖母は語ってはくれなかった。祖母にしてみては、語れることをしなかったのだろう。

 本堂の脇に重要文化財である宝形造の建造物である経蔵、それよりさらに北にある戊辰戦争から第二次世界大戦までの英霊を祀ってある日本忠霊殿・善光寺史料館までもそつなく見学をした。

ここまで来たら後は戻るだけである。ここまで来た道中をもう一度見逃しがないかだけ確かめながら帰ってきた。入口のところで、観光客がタクシーに乗り込んだ。下っていく街道にもまた、観光名所があるのに、と思いながら、待ち構えていたタクシーに乗り込んでしまった観光客を見送ったそうだ。

ここまでが祖母の善光寺巡りである。行きこそ観光客であったが、帰りつくころにはすっかり地元の人間に戻っていた。神のお告げもなんだったのかわからないというのが、一連の話を聞いた我々家族の感想だった。

 さて、奇遇なことにその日の地方局の番組で善光寺特集をしていた。その中で、レポーターがタクシーに乗り込んで場所を移動していたのだ。祖母が見かけたのがその場面だったというわけではないのだが、問題は行先だった。善光寺のさらに北に、雲上殿がある。納骨や分骨を取り扱っているお堂だ。一応の、とテレビは付け加えていたが、観光名所と紹介されていた。定かではないが、タクシーに乗った観光客もここを目指したのだろう。祖母は、雲上殿の存在を忘れ、事前に調べるであろう観光客を相手に得意になった自分が恥ずかしくなってしまった。地元だからと侮らず、観光するのならば、観光業を生業にしている人に詳しく尋ねるのもまた大事なことなのかもしれない。

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