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8/10

8杯目

ある日の昼下がり、私こと栗谷匠とリセさんは優雅な午後を過ごしておりました。


「フフフ、今日はとてもお客が少ないですわね、リセさん?」

「もう店長ったら、ウフフ、それはいつものことでしてよ?」

「まあリセさんったら、ウフフッ」

「フフフフ」


淑女たるもの、笑う時には扇子で口元を隠すのがマナーというもの。

口を開きながら、笑うなど蛮族の所業。


「そういえばリセさん、少し喉が渇きませんこと?」

「まぁ、言われてみればそうですわ」

「では私がお紅茶を淹れて差し上げますわ」

「まあ! よろしいんですの?」

「構わなくってよ、うふふ」


私とリセさんの関係は店長とその下僕という間柄ですが、たまにはこうして下僕を労わって差し上げるのも淑女としての義務。

いわゆる飴と鞭ですわ。

私は台所に行き、淑女らしく丁寧かつゴージャスな動きで紅茶を二杯淹れました。

紅茶をお盆に載せ、それを更に頭の上に乗せたままリセさんの元へ。

私の淑女前回な姿を見たリセさんは目と口を大きく開き、声を発しました


「あわわわわっ! 何してるんですか店長!? お、落としちゃいますよ!?」

「……ふふ」


私は優雅にお盆を頭から降ろし、テーブルの上に置きました。

次いでリセさんを指差します。


「……あっ。うう……今のはずるいです」


悔しそうな顔で、すぐ傍のホワイトボードの前に向かうリセさん。

そしてペンを手に取り、ホワイトボード×を書き込みました。



_______________________

                       

俺・×××                  

                       

リセ・×××××                

_______________________



自分の名前の横に×を増やしたリセさんは、少しこちらを睨んだあと、再び淑女スマイルを浮かべました。


「まぁ、私ったら淑女にあるまじき大声なんて出してしまって……恥ずかしいですわ」

「ふふふ、リセさんったらそんなことでは一流の淑女になれなくてよ」

「そうですわね、ふふっ」


私は微笑むリセさんの前に紅茶を差し出しました。

無論淑女らしく、片手は白鳥の様にしなやかに。

差し出した後はくるりとつま先を軸に回転しながらカウンターの中に戻ります。


「私の淹れた熟女紅茶を飲んで、淑女の何たるかを学んではどうです?」

「うふふっ、そうさせていただきますのことよ。では、頂きますわ」                      


紅茶に口をつけるリセさん。

勿論淑女らしく小指を立てるのは忘れずに。

くい、と一口。

リセさんの喉が小さくコクリと鳴りました。

紅茶をテーブルに戻すと、ナプキンで口を拭い一言。


「……結構なお手前で」

「ふふふ、ありがとうございますわ」

「と、ところで私……トイ――いえ、雉を撃ちに行っても構いませんか?」

「ええ、よくってよ」


私がそう言うと、リセさんは優雅に席を立ち、少し早歩きでご不浄に向かわれました。

まあまあ、リセさんったら。

私の紅茶においしさに思わず涙でも流したくなったのでしょうか?

淑女たるもの涙を見せるのは、ご不浄か愛しい者の胸の中。

今頃鏡を前に私が淹れた紅茶のおいしさを思い返してるのでしょう。

数分の後、少し憔悴した様子のリセさんが戻ってきました。


「うふふ、少しお化粧を直してきましたわ」

「まあそうなの、うふふ。ところで紅茶のお代わりはいかがかしら?」

「け、結構ですわ」

「まあそういわずに」

「け、結構ですわっ、も、もう一杯ですの!」

「そんなこと言って、もっと飲みたいと顔に出てますわよ、うふふ」

「いらないって言ってるです! これ以上飲んだらリセ死ぬんじゃいます!」

「……」


私は大声を出したリセさんを指差しました。

全くリセさんったら、淑女は大声を出したりしませんでしてよ。

私の指摘にリセさんは目の端に涙を浮かべ、ホワイトボードの前へ。

そして再び自分の名前の横に×を増やしました。

席に戻り、私を一睨みし、淑女スマイル。


「……失礼。私としたことが、またあんな大きな声を」

「うふふ、リセさんはまだ若いわね。淑女たるものどんなことがあっても、余裕を崩しては駄目よ?」

「そうですわね、うふふ」

「ふふふふ」


……。


……。


「ではお代わり――」

「いえいえ、私ばかり頂くのも失礼ですわ。店長も自分の入れたとても美味しい紅茶を味わってみてはどうです? そしてこの感情を共有しませんか」

「そうですか? では頂きますわ」


確かにリセさんの言う通り。

リセさんも自分だけが飲むのは気が引けるでしょう。

では、私も紅茶を頂こうとしましょうか。

湯気を立てるカップを手に取り口をつけます。

勿論小指を立て、目を閉じます。

口内に流れてくる紅茶を舌全体で味わう様に――


「ブゴハァッ!? オェッ!? マ、マズ!?」


全て噴出した。

何これ、マジでマズい。

死ぬ。こんなもん飲んでたら死ぬわ!

何これ? 俺の舌、喉、胃、全て全身がこの液体を拒否したわ!

舌はビリビリするし、吐き気するし!

飲み物じゃなくて兵器だろ、これ!

つーか、よくリセはこんなの飲んで噴出さなかったな……。


「……店長?」


咽ていた俺にかけられるリセの声。

リセの顔を見ると、淑女の笑みを浮かべこちらを指差している。

ちなみに俺の噴出しの直撃を受けたので顔は紅茶まみれだ。

……やってくれる。

ああ、いいだろう。

今のは俺の失点だ。

立ち上がりホワイトボードに向かう。

ペンと取り、俺の名前の横に×を一つ――


「――二つですわ」


淑女らしく、口元に笑みを浮かべながらそんなことを言うリセ。


「淑女が人前で口内も物を噴出すなんて……私なら自殺ものですわ。三つ、と言いたいところですが、ここは淑女らしく余裕な心で二つにしておきますわ。よろしくて?」

「……」

「あら、どうかして、店長? もしかして、怒ってるのでは無いでしょうね? まさか淑女が怒りを表に出すなんて……あり得ませんわよね?」

「……ええ、そうですわね。怒ってるなんて……そんなことあり得ませんわ。確かに、先ほどの私の失態は×二つに相当しますわね」


リセ――リセさんの言う通り、自らを戒める意味で×を二つ。

ええ、いいでしょう。


――怒る? とんでもなくてよ。


淑女は常に微笑みを。

淑女は常に優雅に。

淑女は常に心に余裕を。


――私は淑女。


心に深く深く楔を打ち込む。

いける。


「あら、リセさん。お顔が汚れてますわよ?」

「……あら本当? 少し雉を撃ちに行ってきますわ」


リセさんが再びご不浄へ。


――。


――。


数分の後、優雅な歩みと共にリセさんが戻ってきました。


「もう私ったら何度も席を空けてごめんなさい」

「ふふ、構わなくてよ? さ、席にお掛けになって」

「ええ、では失礼――」


リセさんは淑女らしく、自らが座る椅子に対してスカートを両手で摘み挨拶。

そして優雅にスカートに閃かせて、着席――


「――にゃがぁっ!?」


しようとしましたが、不幸にも椅子の足が折れて床に尻餅をついてしましました。

まあ大変!

足をだらしなく広げて、みっともなく下着を露にし、引っくり返っているリセさんに慌てて駆け寄ります。


「大丈夫のことですか? 椅子の足が折れるなんて……こんなことが本当にあるのね、怖いわ」

「……」

「しかしリセさん? 今のはいただけないわ。淑女たるものあの様な場合でも余裕を持ちなさい? 『にゃがぁっ!』なんて猫みたいな声は駄目よ? 淑女なら『あらまあ!』と謹みを持った声じゃないと駄目よ?」

「……ええ、そうですわね、私としたことが。……ところで店長? この椅子、さっきまで私が座っていた椅子と違うような気がしますわ」

「気のせいですわ」

「この椅子は確か、廃棄する予定の椅子だったと記憶しているんですが?」

「気のせいですわ」

「……そう、気のせいですか」


全くリセさんは何を言うのか。

その言い方だとまるで私が今にも壊れそうな椅子に摩り替えたみたいですわ。

全く、フフフ! リセさんったら!


「……店長、少し手を貸して頂けませんか? 私、少し腰を抜かしてしまって」

「まあ本当? すぐに起こして差し上げますわ」


私は淑女走り(淑女は基本的に走らないが、友の危機には走る。内股で両手は腰につけ、優雅さを形にしながら走ります)をしながらリセさんに駆け寄りました。 

床に座り込んでいるリセさんに対して、救いの手を差し出し――


「淑女足払い!」


リセさんの鋭い足払いに足を狩られました。


――ですが慌てません。


淑女たるものこんな時でも余裕を持って、淑女受身を――


「淑女受身狩り!」


いつの間にか立ち上がっていたリセさんに両の手を取られていました。

即ち受身不能。

故に――


「あだばぁっ!?」


後頭部を床で強打した。

目の前に星が飛んだ。

比喩では無く、本当に星が飛んだ。

痛みで蹲りたかったが、今は痛みよりも怒りが勝っていた。

立ち上がり、ファイティングポーズを取る。


「何すんだテメー!?」

「それはこっちのセリフです! 椅子を摩り替えるとかやり方が卑怯なんですよ!」

「うっせー! お前だってさっき俺の顔面にカレーぶちまけただろうが!?」

「……い、いえアレはわざとではないんですけど」


この淑女ゲームの開始早々でリセは俺にカレーをぶちまけた。

躓いたなんて言ってたが、何にも無いところで転ぶようなドジがいるか!

さっきのは報復だ!


「大体なんだよ淑女足払いって! 淑女が足払いするか!」

「し、しますよ! 淑女だって足払いしますもん!」

「するか! 喰らえ、淑女目潰し!」


小指を立て、淑女らしくリセに目潰しをした。

が、「淑女回避!」と叫びつつ、上半身を反らしたリセに回避された。


「な、ななななんてことするんですか!? 淑女は目潰しませんよ!?」

「するね! 絶対するね! メイドが言ってたし!」

「嘘です! 淑女ハリケーン!」


全身をコマの様に回転させつつ、こちらに接近してくる。

くっ! 何て技だ、攻撃しようとしてもはじかれる!

テーブルを弾き飛ばしつつ、台風の様に接近してくるリセに俺は下がることしか出来なかった。


「淑女サイクロン!」


更に回転を増すリセに俺は下がらざるをえない。

このままじゃ……そうだ!

回転している体の支点――足だ!


「淑女足払い!」

「きゃいんっ!」


俺の読みは当たり、無防備な足を狩ることに成功した。

リセは再び転び、尻餅をつく。


「甘い、お前の技は見切った!」

「私の技パクらないで下さいよ!」


涙目で床から見上げてくるリセは無視。

気を溜め、未だ立ち上がれずにいるリセに追撃する。

両手を頭上に掲げ、手のひらを合わせる。

そしてそのままリセに対して垂直に飛翔した。

名付けて――


「淑女ドリールッ!」

「淑女バリアー!」

「淑女貫通!」

「淑女1F当身!」

「淑女分身!」

「淑女ボム!」

「淑女一人マッスルドッキング!」

「淑女時よ止まれ!」

「淑女銭投げ!」

「淑女拾い!」

「淑女――」

「淑女――」


――からんころーんからーん


「お兄ちゃーん、遊びに来たよー!」

「淑女スカイラブハリケーン!」

「淑女ヘルアンドヘヴン!」

「……お店間違えました」

 

――からんころーんからーん


■■■



_______________________

                       

俺・×××××××××××××××      

                       

リセ・×××××××××××××××     

_______________________



「……で、こうなってるわけですか?」


俺とリセは荒れに荒れた店内で正座をしていた。

いや、させられていた。


「あなた達は……そもそも何でそんな意味不明なゲームを?」


無表情で呆れた声を出すのはメイドだ。

メイドの問いにリセが半泣きで答えた。


「だ、だって、店長がっ、『お前には慎みが足りない』って言ってっ」

「下着だけで寝る女に慎みがあるかよ」

「む、昔からの癖なんです! そ、それで店長が『まだ俺の方が慎みあるね』とか言う、からっ」

「じゃあ勝負しようぜ、って話しになって」

「負けたら罰ゲーム、ってことに、なってっ、ひんっ」


淑女生身バトルに移行して、メイドが入店してきて、メイドに二人まとめて倒されたわけだ。

荒れた店内を見て、普段掃除をしてくれているメイドはぶち切れたらしい。

ちなみに掃除してくれるのは趣味だからだそうだ。

掃除が趣味、実にメイドらしい。


「――ちょっと待って下さい」


ああ、また怒る気だ。

いい歳してこんな……とか、私が掃除した意味が……とか、こんなことしてるから客が……とか言うんだ。

でもちょっと怒られるのは嬉しかったりする。

何故嬉しいのか、理由は今さら語るまでもない。

分かるだろ?


「も、もうしないですからっ、アレは、やめて、くだひゃいっ、うぅ」


先ほどメイドにこてんぱんにされたのはリセのトラウマになっているようだ。

もうこいつはあれだな、トラウマばっかり増えていくな。

そしてメイドが俺達に対し糾弾の追撃を――


「……あの、もしかしてですが……一緒に寝ているのですか?」


怒られるかと思ったら、全く予想外な質問をされた。

一緒に寝ている?

俺とリセが?


「まあ、そうだけど?」

「……なぜ?」

「そりゃお前、部屋一つしか無いし」


喫茶店の奥には俺とリセが寝泊りする生活部屋が一つある。正直狭いが、寝る時くらいしか使わないので特に問題は無い。


「……男女が一つの部屋で寝泊りというのは、どうかと」

「何で?」

「な、何でです?」


リセと俺が同時に首を傾げる。


「……ですから、その、色々問題があるのでは?」

「ああ、確かにリセの寝言はうるさいな」

「う、うるさくないですよ! 店長の歯軋りの方がうるさいですよ!」

「軋らんわ!」

「軋りますよ! まるで工事してるかの如くですよ!」

「お前の寝言もあれだぞ!? 何か痛い寝言でこっちが恥ずかしくなるし!」


リセの寝言は痛い。

中身が非常に痛い。

ここで例を挙げてみよう。


『炎の化身よ……契約に従い、我が前の敵を滅ぼさん』

『時は流れゆくものなれば、その停滞を止めることならず――ただ今私はその概念を崩そう、<タイム・クライシス>』 

『魔王三騎士が一人、水底のヴァリア……今こそ貴方との縁を断ち切ります!』 

『これで終わりです――終局の炎よ! 今こそその力を持つて、全てを灰塵と帰さん<カタストロフ・イニフィニティ>』

『て、店長……そ、そんな大きな物はムリです』 


最後の何がムリなのか、俺の方がムリだよとか、この中に俺を混ぜるなよ、とか言いたいことはたくさんある。

この寝言を聞くと俺の中の黒歴史が<同調シンクロ>して呼び覚まされ、寝不足になるのだ。

非常に困ることこのうえない。


「……い、いえ。常識的に男女の同衾は……」

「じゃあリセはトイレで寝ろ」

「嫌ですよ!? 店長がトイレで寝てくださいよ!」

「いやお前だって。お前『トイレは安らぎますね~、オアシスですよ』とか言ってたじゃん!」

「だからって寝るのは嫌ですよ!?」

「ふふん、いいだろう! ならどちらがトイレで寝るか勝負だ!」

「いいですとも!」

「……」


再びバトルを始めた俺達を再びメイドが沈めて、店内の片付けをしてその日は終わった。

結局どちらが淑女らしいか、どっちがトイレで寝るかは有耶無耶になった。

でもこれでいいのかもれない。

長い人生だ。ゆっくりと答えを出していけばいい。

そんな風に想い天井を見上げながら、今日も痛いリセの寝言に耐えるのだった。


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