2杯目
「頼む、最期の願いだ――俺を殺してくれ」
「レクトール!! やめて! そんな……あきらめないで」
「デボラ……君にこんな事を言うのは辛い。でも、君しかいないんだ。俺が俺である内にどうか……頼む」
「……惨い、惨いわよ! あなたを殺して……残る私の気持ちを考えてよ……!」
「……夜まで持たないと思う。本当にすまない、デボラ。――ググッ! あぐっ! あぁぁぁぁぁぁっ!」
「ああっ、レクトール!!」
「ルーゼフ……ぐっ、俺は貴様の思い通りにはならない! ぐはっ!」
「はぁ! レクトール!」
「ルッカ……もうすぐそっちに行くよ。デボラ、頼む……もう、時間が無い」
「いや……いや……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!!」
「――ありがとう、デボラ」
……。
……。
……。
……うーん。
流石に台詞しりとりは難しい。
『はぁ!』とか無理やりだしな。
まあ、しょうがない。
と、まあ何故俺が一人でしりとり等に興じているかは……客がいないからである。
現在午後3時。
2時間前にメイドが一人で来たのを最期に客足は途絶えている。
……しかしあのメイド『汚い、ああ汚い……全く汚い店です』とか言いつつ、あれから週5日のペースで来ているのだ。
そんなにこの店が気に入ったのか?
……も、もしかしたら俺に惚れてしまったかもしれない。
つまりこれは昔からの夢である『偉そうな主人に反逆するSなメイド』プレイのフラグか!
次に来たら告白してみよう。
――カラーンコローン。
店のドアベルが鳴った。
客である。
「ふーむ。ここが噂の喫茶店ですなー。ほぅほぅ……中々レズビアンな造りの店ですなー」
どんな造りだ。
ふむふむと頷きなあがら入って来た少女。
少女が来ている制服は俺も通っていた近所の中学校のものだ。
「どれどれ、店長は……うーむ、昭和の面影を残す高度経済成長のイメージを形にした顔ですなー」
俺の顔を見つつ意味不明な事を述べる少女。
取り合えず殺したいと思った。
しかしどんなにファンキーな人間でも客は客である。
俺は自身の殺意を懸命に抑えつつ、極上のスマイルで少女を迎えた。
「いらっしゃいませ、お客様! お帰りはあちらになっております!」
「帰らないよぉっ! ていうかあっちはトイレじゃん!?」
「ウチの店では便器に入り、大・小のレバーを交互に20回引く事により店外に排出されるシステムになっております」
「意味分からないよっ!」
俺は営業スマイルを解き、その辺に転がっているエロ本を見る目で少女を見た。
「な、なによ……いきなりそんな嘗め回す様に私を見て……?」
間違えた。
長年の付き合いである相手に向ける目で少女を見た。
「つーか、お前何しに来たの? 店には来るなって前から言ってただろ?」
「もう! 久しぶりに様子を見に来た妹に向かってそれは酷いなー! ぷんすかぷんぷん!」
「チョンマゲ切り落とすぞ」
「ポ、ポニーテールです」
……残念ながらこの少女は俺の妹だったりする。
「帰れ」
「いや。折角可愛い可愛い妹が来てあげたんだよ? お小遣いをあげたりお小遣いをあげたりお小遣いをあげたりすればいいじゃない!」
「……ちっ。これやるよ」
ウザイ妹に仕方ないので渡す。
「え? ホントにくれんの? ……何これ?」
「エr……保険体育の教科書」
「……ふーん。まあ、もらっておく」
素直に鞄に本を詰める。
よし、処分に困っていた本を何とかする事が出来たぞ!
「じゃあ、帰れ。速やかに帰れ」
「い・や・だ!」
「身内の相手してる暇ないんだよ。仕事中だ、仕事中」
「お客いないけど?」
「う、うるさい! お前には見えないけどいるんだよ! あ、山田さん……お代わりですか。はいどーぞ」
架空のお客に架空のコーヒーを注ぐ。
「や、やめてよお兄ちゃん……見るに堪えないよ」
妹が涙ぐんだ。
……。
「なんだお前は。兄を笑いに来たのか? いーよ。笑えよ。そういう時は笑えばいいんだよ!」
「ち、違うって。今日はお客として来たの!」
……客?
ちょいと慌てながら言う妹を見る。
嘘は言ってないようだ。
「客か」
「そーだよ。ほら、席に案内して!」
客なら仕方ない。
席に案内する。
「おタバコは吸われますか?」
「中学生です」
「お宅の掃除機はきちんとお吸いになられますか?」
「まだ現役バリバリだけど……何で?」
特に意味は無い。
「何を頼むんだ?」
「パフェ! ごっさ旨いパフェを一つ!」
ただでさえデカイ声を張り上げる妹。
何でこんなに元気なんだ……。
「だってお兄ちゃん、家じゃ全然パフェ作ってくれないじゃん! おいしいのに」
家にまで仕事は持ち込みたくないからな。
まあいい。
パフェが一つ、と。
「コーヒーも飲んでけ。無料にしてやる」
「……げ」
俺がそう言った途端、妹の顔が歪んだ。
『勘弁してつかーさい』といった顔だ。
「何だその顔は。自分の将来が不安なのか?」
「そんな未来の事を不安に思ったりしないよ……そうじゃなくて」
妹は言い憎そうな顔で、こちらをチラチラ見る。
「何だ、ハッキリ言えよ」
「お、怒らない?」
「怒るときは怒る。烈火の如く怒る。例え相手が子供だろうが老人だろうが関係無しに怒りをぶつける。時にはぶつけすぎる」
「……じゃあ言わない」
「言わないと怒る」
「どっちにしろ怒るじゃんっ!」
そして涙目である。
仕方ない、このままじゃ進まないからな。
「怒らないから話せ」
「ほ、ほんとに?」
俺の顔を窺う妹。
安心させる様に天使の笑顔で笑う。
「あ、相変わらす怖い顔……」
失礼な妹だ。
「じゃ、じゃあ言うね。そのね、お兄ちゃんのコーヒーはね、何と言うか……」
「うむ」
「その、いわゆる……」
「ああ」
「――ゲロ不味いのッッ!!!」
ゲロ不味いの……不味いの……いの……の……。
店内に声が響き渡った。
……。
「……そうか、俺のコーヒーはゲロ不味いか」
「お、怒らないの?」
頭を抱えつつ言う妹。
怒られる準備は万端の様だ。
しかし……
「お前の言う通りだ。――俺のコーヒーはゲロ不味い」
「……う、うん」
「牛乳に浸した雑巾を一回洗ってもう一回浸した牛乳を公衆便所で飲むぐらいに不味い」
「う、うん……一回洗う意味が分からないけど」
「一度リセに飲ませようとしたんだが『そんなの飲むくらいなら醤油を一気飲みして死んだほうがマシですっ!』と醤油瓶片手に言われた」
「そうなんだ……リセが誰か知らないけど」
……それぐらい不味い。
一度客にも出した事がある。
あれは忘れもしない。
美人なOLだった。
会社の上司の愚痴を愚痴ったOLのお姉さん。
コーヒーを飲んだ瞬間に顔の穴という穴からコーヒーを射出した。
あれは忘れられない。
隣にいた学生時代の友人がそれを見て
『へへっ、汚え花火だ』
と言ったのも覚えている。
……ああ、懐かしいな。
「でもな、妹よ」
「な、なに?」
「俺は成長したんだ。もうあんな不味いコーヒーとはおさらばした」
「ほ、ほんとに?」
「ああ、約束する」
手を握る。
……こいつの手、大きくなったな。
「絶対に旨いコーヒーをお前にご馳走する」
「……う、うん」
「この兄を信じるか?」
「し、信じるから! て、手……離して、顔も……ちと近いよ」
おっと、少し興奮してしまったようだ。
「ふ、普段は見せない兄の一面に妹は少し戸惑ってしまいました」
「そうか」
パタパタと手で顔を仰ぐ妹。
たまには妹にいいところを見せないとな。
「じゃ、用意してくる」
「うん、待ってる」
厨房へ向かう。
まあ、実際に俺のコーヒーは現在進行形でゲロ不味いままなんだが。
言わなきゃ分からんからな。
厨房へ入る。
……床に寝転びながらDSをするリセがいた。
「仕事中にゲームをするなッッ!!」
「ぐへぇっ」
横っ腹にスライディングヘッドバットをかます。
「す、すみません! で、でもこのBOSSがどうしても倒せなくて……」
「でもも悪魔もあるか! ……ああ、このBOSSか。真ん中が本体と見せかけて右のビットが本体なんだよ」
「マジですか!? な、なんという初見殺し。リセの5時間は無駄だった……!」
DSをパカパカしつつ慟哭するリセ。
俺は定期的に頭突きを繰り返しながらリセを急かす。
「さっさとコーヒーを入れろ」
「わ、分かりましたから! リセの敏感な所を頭突くのはやめて下さい!」
「間違っても醤油なんか出すなよ。次に醤油なんか出した日には、お前の食事三食醤油ご飯だからな」
「是非とも!」
どんだけ醤油フリークなんだよ。
その内醤油を主食にしかねんな。
……さて、俺はパフェだ。
器を用意して、食材を用意して何か適当にこーして、あーして……出来た。
うーむ、我ながらいい出来だ。
適当に作ったとは思えんな。
特にこの苺を花の形にした物は素晴らしい。
包丁を握った覚えなんて無いんだが。
そもそも苺を用意して覚えも無いしな。
生クリームなんて買った覚えも無いのに乗ってるし。
……。
妖精でもいるのかもしれないな。
「ふふーん、ふーん、ふーん」
お、リセがコーヒーを作るようだ。
そういえば、こいつがコーヒーを作っているところを実際に見た事が無かった。
あの旨さの秘密はなんなんだろうか?
確かめてみよう。
「まずは~、コーヒー豆を用意します~、無ければその辺で拾った黒い石でもいいです~」
ふむふむ。
石でもいいのか。
「それを~、ひき潰します~、それごーりごり、ごーりごり、うっほうほ」
ごりごり、うほうほ……か。
「うほっほほ、うっほっほ、うきーうき、うっきっき。にゃーにゃーにゃ、にゃにゃーにゃにゃ」
うきうき、にゃーにゃー、と。
「にゃんにゃんにゃん、ごろにゃんにゃん、わんわんわんわわーん、わんわんお。ひーひーん、うまうま、めるめるめー」
わんわん、ひひーん、うまうま、めるめるめー。
「めーめーめー。もこもこもこ。じょりじょりじょーり攘夷維新」
攘夷維新?
「しんしんしん、あすらんらん、きらきらきら、キラキラ☆キラーラ、ロックンロール! ヘイ!」
お、何かリズムがノって来たぞ。
「へいへいへーい! しょうへいへーい! しゃんしゃんしゃらんら、シャララシャララリーコー♪」
ヘイ!
「チャカチャカポン! ポンチャカチャカ! ズターンズターン! ダダダダッダ! イエー!」
イエー!
「テレッテテッテー、テッテッテー、くまーくままー! いーいい、いいい、いーちゃんちゃん! アラララg……あ、もうとっくに出来てました」
「出来てたのかよ!?」
ズゴーと転んでしまった。
リセの手元には一杯のコーヒー。
い、一体いつの間に……!?
豆をゴリゴリしかして無かったぞ!?
お湯を使った形跡なんて無かったし。
「はい。今日は店長も一緒にノってくれましたので、いつもよりもっとおいしいですよ!」
え、そういうもんなのか、コーヒー作りって?
……。
……まあいいか。
「もう休憩入っていいぞ。あと冷蔵庫のケーキを食べとけ」
「え! いいんですか!? な、なんか今日の店長はいつもより優しい気がします!」
「モンブランは俺のな。喰ったら削ぎ落とすぞ」
「やっぱいつもの店長でした!」
コーヒーとパフェを持ってフロアに。
「待たせたな。店長の気まぐれパフェとノリノリコーヒーだ」
「あ、ありがとう。……なんか厨房の方から動物の鳴き声が聞こえたんだけど……なんか飼ってるの?」
「ん? ああ、まあな。一匹飼ってる」
「ふーん」
少し訝しげな目で厨房を見る妹。
が、すぐに目の前のパフェに釘付けになった。
「わー! 久しぶりのパフェだ! 相変わらずおいしそー!」
「俺の血と汗が入ってる」
「……や、やめてよ」
嫌そうな顔をした。
ちょっと傷つく。
妹が口を大きく開けてパフェを一口。
咀嚼。
「んー……おいひー! ひゅごいおいひぃー! ひゃひゃひひわわふぇー!」
「俺は今日本語の崩壊を目にしている」
しかし幸せなそうな顔だ。
頬に手を当て、笑顔でパフェを頬張る妹を見ていると、世の中には戦争なんて無いんじゃないかなんて思ってしまう。
……。
……そういえば、最初に俺のパフェ食べたのもこいつだったなぁ。
懐かしい。
あの時のパフェは酷かった。
キュウリとか入ってたし。
トマトやキャベツ、大根も入っていた。
……野菜パフェ?
しかし野菜嫌いなこいつは額に汗を流しつつ、半泣きで全部平らげたんだっけか。
「ひょーしたの? おひいさん?」
「誰がおひいさんだ」
頭を傾げる妹に何でも無いと手を振る。
甘い物を作り始めた理由……こいつだったんだよな。
親が忙しくて誕生日にケーキも無くて……あり合わせ食材で作ったケーキ。
不味かったなぁ。
楽しかったけど。
「ごちそーさま!」
なんて感慨に耽っていると、いつの間にか妹がパフェを完食していた。
「おいしかったー! もうお兄ちゃんのパフェとなら結婚してもいいよ!」
食べてから結婚するのか、結婚してから食べるのか……どっちでもいいが。
「じゃ、もう帰るね」
「待てい」
帰りかけた妹のチョンマゲを引っ張って止める。
グキリと音が鳴ったが問題ない。
「コーヒーを飲め、コーヒーを」
「……う、うぐぅ。の、飲まなきゃ駄目?」
「この店ではコーヒーを残す客には醤油ナックルをお見舞いするシステムになっているんだ」
醤油ナックル。
醤油に浸した拳で相手の顔面を打ち抜く技。
醤油が目に入り痛かった。
類似技としてソースナックルやポン酢キック、ソルトサマーソルトがある。
「……わ、分かったよぅ。――お祖母ちゃん、私を守って」
バリバリ生きてるけどな。
市のゲートボール大会で連続優勝してるけどな。
妹がカップを持ち、一気に飲み込む。
この描写だとカップごと飲んだみたいだが、カップは飲んでいない。
「……。……ん。……んん?」
キツク目を閉じていた妹が間抜けな声を出した。
「……お、おいしい。おいしいよこれ! ちゃんとコーヒーの味がする! 腐った雑巾牛乳じゃない!」
「だろ?」
「す、凄くおいしいよこれ! 今まで飲んだ中で一番……っていうかお兄ちゃんのコーヒーがトラウマで一回しかコーヒー飲んだことないけど……おいしい!」
「もうコーヒーというよりコーシィーって感じだろ?」
「ううん、それは違うけど。でもおいしい! お店に出してもいいぐらいおいしい!」
「出してるよ」
半狂乱の妹を宥め、落ち着かせる。
……。
……。
「あ、そろそろ帰らないと」
「もうそんな時間か」
現在午後7時。
誰も客来なかったよ……。
「たまには家に顔見せなよ? お母さんが心配してたよ」
「嘘だろ」
「うん、嘘! 全然心配してない!」
わかっとるわ。
あの母が心配なんてするはず無いわ。
「送ってくか?」
「いーよ。自転車だし」
「でもこの辺り最近変な奴出るから気をつけろよ。特にスクール水着を着た巨乳美少女には気を付けろよ?」
「そんな人間いないよー」
います。
「じゃ、また来い」
「あれ? 来ちゃ駄目なんじゃないのー?」
「……やっぱ来るな」
「あははー、お兄ちゃんツンデレー」
「俺はヤンデレだ!」
「ヤ、ヤンデレなの?」
「いや、違うけど」
「じゃあ、何で言ったの!?」
ツンデレって言われるのが嫌だからです。
帰り際に妹が店内を振り返って言った。
「ねえ、お兄ちゃん。……流石にモヤモヤするから聞くけどね」
「何だよ唐突に」
妹が店内の中心を指差す。
正確には中心に置かれている物体だ。
「アレなに?」
「何に見える?」
入店して即効で聞かれると思っていたが、聞かれなかったな。
『言いたくないなー、でも言わないとなー』みたいな顔で妹は言った。
「銅像、だよね」
「見ての通りな。かっこいいだろ」
「……」
中心に立つ像。
俺が欠かさず磨いているのでキラキラと輝いている。
ああ……いつ見ても素晴らしい。
「……アレ、お兄ちゃんが建てたの?」
「ああ、業者に依頼してな」
480万ぐらいかかった。
「……自分の銅像を?」
「ああ!」
上半身裸の俺像。
ここが俺の店、俺の場所だって実感がわく。
足首に傷がついているのが残念だ。
あの糞メイド、入店していきなりチェーンソーで切りにかかりやがった。
まあ、オリハルコンで出来た像だから無事だったが。
……オリハルコンを傷つけるチェーンソー。
気をつけないといけないな。
妹の顔は微妙だ。
兄の部屋に入り、痛々しい黒歴史ノートを見たような顔だ。
「お、お兄ちゃんらしいっちゃあらしいけど……」
「お前の像も建ててやろうか?」
「建てたら縁切るよ」
今まで見たことの無い、冷酷な表情の妹だった。