表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Knight of Zetta  作者: ナナシ
6/9

episode_02_01

サーセン(殴

 episode_02 覚醒



 昨日から降り始めた雨は今朝になっても降り続いていた。


 さくらは誰もいない教室から窓の外を眺めており、空模様と等しく心は昨日から暗雲と不安で塗れている。


(早練くらいさせてくれても良いのに)


 こんな時こそいつも通りを心がけようと、普段と同じく早朝練習のために学校に来たというのに、顧問から部活動の中止を言い渡されてしまった。それどころか、今日は朝から全校集会を行い、それが終われば下校になるという。


 出鼻を挫かれて気分はさらに落ち込んだが、そうなった原因を知っている手前言い返す事も出来なかった。


 それもそのはず。部活動が中止になったのも、全校集会後に下校になるのも、昨日から気分が落ち込んでいる原因と同じだった。


 昨日の夕方の事だ。部活中だったさくらは騒ぎを聞きつけ校外へ向かい、そこで見たのは、見てしまったのは、救急隊員の手によって担架へと載せられようとしていた血塗れの親友。


 警察の話によれば、謎の巨大生物に襲われたらしい。優羽に「怪我はない」とのことだったが、一緒に歩いていた女子生徒が一人犠牲になったという。


 さくらはその話を聞いた後、知り得る限りの友人に連絡を入れ、優羽が一緒に帰ったという女子生徒は誰だったのかを探った。


 その結果、一緒に帰ったところを目撃した人は見つからなかったが、代わりにクラスメイトの国崎美紀が行方不明になっていることを知り、そこで悟ってしまったのである。


 おそらく、警察もその線で調査を進めているだろう。


(美紀……)


 さくらは昨日からほとんど睡眠をとっておらず、黒板を眺める目に気力はない。


 美紀はさくらにとってもクラスメイトであり、友人だった。美紀を失って悲しまないわけがない。


 なにより、優羽のことが心配だった。事件現場に居合わせなかった自分ですらこれほど落胆しているのなら、目の前で美紀が犠牲になった様を見たであろう優羽は、いったいどれほどのショックを受けているのだろうか。そう考えると気が気ではない。


(優羽、あんた本当に大丈夫なの?)


 警察に言われたことを信用していないわけではないが、それでもさくらは妙な胸のざわつきを覚えて仕方ない。自分自身でも不思議なくらい優羽のことが心配でたまらなかった。


 何度か優羽の携帯電話に電話やメールをしてみたが、返信はなかった。搬送された病院にも行ってみたが、意識不明のため顔は見れず終い。


 唯一、事件現場で拾ったペンダントを優羽の母親に預けることが出来たのは、さくらにとって救いになった。


 肝心な時に役に立てないなど、親友を名乗る資格などない。小さなことだろうが、優羽のためになることが出来たのなら、それだけで嬉しかったのである。


 それでも不安なままに朝になり、平静を保つためにも早朝練習に来てみたが、結局はこうして呆然と窓の外を見ているしかない。クラスメイトの誰かが登校でもしてくれば気が紛れるのだろうが、まだ誰かが来る気配はなかった。


「はぁ……」


 さくらは机に肘を置き、両手を組んでその上に額を預けた。ずっと緊張と不安の中に居て休まる暇がなかったが、静かに机に向かっているせいか、ようやく疲労と眠気を実感した。


(早く優羽の顔が見たいな)


 無事と解っていても、実際に顔を見ないことにはこの不安は取り除かれないだろう。優羽の顔を見たところで全ての不安がなくなるわけではないが、見ないよりは遥かにましだった。


(今日は九時半には終わるし、十時頃には行けるかな)


 さくらはそう考えると、すぐに携帯電話を取り出した。

 メール画面を開き、優羽宛てに十時頃顔を出す旨の内容を書き、送信する。


(優羽、もう意識取り戻してるかな)


 事件後に送ったメールに返信はない。もしかしたら携帯電話が壊れている可能性もある。


(もう大丈夫よね。流石にもう面会謝絶じゃない……、と思うし)


 さくらは楽観的に考えることにして、携帯電話をしまう。

 教室にクラスメイトが姿を現したのは、それからしばらく経ってからだった。





 †





 優羽は病室のベッドに腰を掛け、ぼんやりと雲が広がる窓の外を眺めていた。

 幸いにも個人部屋であり、誰にも邪魔されず休めるのは素直に嬉しい事である。


 もっとも、個人部屋になった理由が“警察が事情聴取しやすいように”というのが気に喰わないかったが。


 状況が違えばテレビを見ても良かったのだが、あの巨大狼は大きなニュースとして取り上げられたらしく、今朝一回だけテレビを点けた時は全てのチャンネルで報道されていた。思わずテレビを消し、以降、リモコンに触れる事さえしていない。


「ふ……」


 優羽は疲労を覚えて小さく溜息を吐いた。

 意識を取り戻したのは昨日の夜八時頃だったが、それから一睡もしていない。


 目覚めてすぐにやってきた医者、母親、警察の事情聴取に対応したために眠気が吹き飛んだというのもあるが、なによりも美紀を目の前で失った哀しみと怒り、“無傷で目覚めた”という疑問が絡み合い、優羽の睡眠を妨害していた。


 事情聴取にやってきた警察は勝手に自分を単なる被害者と決めつけ、手続きを進めていた。


 実際にそうであったのなら、どれだけ良かっただろう。それならば恐怖体験に泣き喚き、友人を失った悲しみに落ち込むだけで済んだはずだ。


 実際は違う。優羽は血みどろになりながらも明確な意志と力によって巨大狼を切り、追い払った。


 事情聴取の際は混乱していてほとんど口を開けず、警察の話では目撃者もいなかったという。ならば、勘違いされるのも仕方ないだろう。


 そうでなくとも、女子高生が巨大狼と一戦交え、なおかつ追い払ったなどという話は信じてもらえないはずだ。


 だが、優羽は血の匂いを覚えている。肉を断った感触を覚えているのだ。


「夢なんかじゃない」


 優羽は小さな声で呟いた。


 身体は激しく傷つき、ペンダントは剣へと変貌した。その剣を使って巨大狼の右目を刺し貫いた。もしそれらが全て夢だというのなら、巨大狼が出現したところから夢だったと言われた方が納得がいくだろう。


 夢ではない。巨大狼はニュースで取り上げられ世間に公表されている。


 美紀が死んだ。その事実は覆しようがなく、現実であることは明らかだった。


 唯一解らないのは、優羽が負ったはずの大怪我が、なかったことにされている。


 これだけは最大級の謎として、優羽の心に疑問ばかりか負担までかけていた。


(何故、無傷なんだ? 傷どころか痛みすらないなんて、どう考えてもおかしい)


 優羽は窓の外から視線を外し、両掌を見つめる。


 何度確認しても腹部は傷一つなく、左肩も右腕も異常などない。至って健康体だった。


(あるとすれば……)


 全身に奔る鈍い痛み。一日中剣道の稽古をして、次の日の朝に感じる痛みと同じ、筋肉繊維の断裂による、いわゆる筋肉痛のみだ。


 まかり間違っても生命の危機に関わるような痛みではない。精々、立ち上がるときに顔をしかめそうになる程度。昨日負ったはずの大怪我に比べれば大したことはない。


「何が、どうなっている……?」


 考えていても解らないことを、延々と考えていた。


 それでも限界は近い。そろそろ休むか、もしくは別のことを考えなければ精神的に厳しいだろう。


 疲れてはいるがまだ眠気はなく、優羽は気持ちを切り替えることにした。


(そういえば、携帯が鳴っていたな)


 ふと、昨日の夜から何度か携帯電話が震えていたのを思い出した。

 ベッド脇の台に置いてある携帯電話は、着信を告げるライトを点滅させている。手に取って待ち受け画面を開いてみると、三通のメールと一件の着信が入っているのが解った。


(さくらと母さんからか)


 電話と一通のメールは母親からのもので、時刻を考えると病院に来る前のものだった。確認のためか、それとも単純に心配だったのか、とにかく連絡を取ろうとしたのだろう。それはメールの文面からも分かる。


 さくらからのメールも一通は似たようなものだったが、最後の一通は違った。


『今日は全校集会だけだったよ。あとでお見舞いに行くね。十時くらいになると思う』


(十時か)


 いつもは絵文字や顔文字を使っているのに、なんとも寂しいメールだった。さくらもショックが大きいのだろう。


 優羽はやりきれない思いを振り払うべく頭を横に振り、時刻を確かめた。


(なんだ、もうすぐ十時じゃないか)


 思いのほか考え込んでいたようで、いつさくらが来てもおかしくない時間になっていた。


(返信はしなくても良いな)


 優羽は携帯電話を閉じ、元の場所に戻す。

 さくらが来るまで少し目を瞑って休んでいようと思い、ベッドに横になった。


「ふ、ぁ」


 横になったとたん、欠伸が出た。思った以上に眠気はすぐそこまでやって来ていたようだ。

 それでも深く眠ることはないだろう。優羽はそう思い、瞳を瞑り──





 すぐに目を覚ました。





 ただし、実際に優羽の身体が目を開けたわけではない。目は開いているし意識もあるのに、どういうわけか思うように身体が動かず、誰かの身体の中から外の景色を見ているような、そんな不安定な目覚め方だった。


(どういう……、ことだ……?)


 手足の自由だけならまだしも、呼吸や瞳の動きまでもがまるで違う。まったくの別人のように、文字通り呼吸が合わなかった。自分のタイミングで息が吸えないことがこれほど苦痛だとは思わず、このストレスをどうにかしようとしても一切の自由がきかない。


「──────」


 口が勝手に動き、何かをしゃべっているようだった。

 それが何を意味しているのか、誰に向けた言葉なのかは解らない。そもそも、日本語ですらなかった。


 微かに後ろから人の気配を感じ、おそらく今の言葉は、その後ろの誰かに向けた言葉なのだろうと判断する。


(夢? それにしてもこんな夢……)


 唯一自由になる心の中で、現状を理解しようと思考を巡らせた。

 意味の解らない夢はこれまでも見たことがあるが、ここまでおかしい夢は初めてのこと。


 いや、夢なのかどうかすら解らない。これまで優羽は、夢の中で“これは夢だ”と思ったことなど一度もなく、今回ほど意識が鮮明で物事を考えられるのも初めてのことだった。


 なにより、自由がきかないだけで五感は正常に機能している。まるで一つの身体に二つの精神が入り込み、片方の意志だけが身体に反映されているかのようである。


 その片方とは完全に隔絶されているようで、どういった意図で身体を動かしているのか、今何を考えているのかは解らない。


 総じて、気味が悪かった。


「─────────」

「────」


 後ろの誰かと言葉を交わしているようだ、と優羽が感じた次の瞬間には身体が勝手に走り出していた。


(なッ!?)


 だが、その速度は尋常ではない。

 優羽は経験から自分の最速を知っている。一瞬の隙を突いて面を繰り出すその速度。その時だけは同年代の誰にも負けないと自負している。


 だが、人間の身体はそんな速度を維持できない。一瞬だからこそ出せる速度であり、それ以上は身体が追いつかず、無理をすれば身体が壊れてしまう。


 だというのに、今この身体は優羽の常識を塗り替えようとでもしているのか、あまりにも常識離れした速度で走っていた。


(こ、こんな速度で走ってたら身体が!)


 優羽は混乱し、無理だと解っていながら速度を緩めようとしたが、


(──え?)


 尋常ならざる筋肉の酷使に身体が悲鳴を上げることもなく、むしろ、まだまだ序の口とばかりに余力を残しているように感じてしまった。


(か、軽い……)


 身体が、足が、軽かった。

 軽いままに走り続け、どこまでも行けると優羽も確信した次の瞬間、身体が浮き上がる。


 跳躍だった。地面を蹴っただけでこの身体は宙に浮きあがり、地上十数メートルに到達。


(な!?)


 優羽は状況に置いていかれないように思考を回転させ続けるのに必死だった。

 実際は一瞬だったのだろうが、体感時間ではようやくと言いたい上昇が終わって、今度は重力に従って落ちていく。


 単に落ちていくわけではない。右手が首から提げたペンダントを掴んだ。

 いつも優羽が身に着けているペンダントと同じだった。形は剣で全体がオレンジ色に透き通っている。





「zetta」





 ペンダントを掴んだまま口が動く。

 相変わらず言葉の意味は理解できないが、それだけは辛うじて聞き覚えのある言語のようで、唯一聞き取れた発音だった。


(ぜ、た……?)


 確かにそう聞こえた。明らかに日本語ではなく、そもそも優羽が心の中で呟く「ぜた」と、口から出た「zetta」では微妙に発音が違う気がする。

 そんなことを考えている間にも異変が起こった。


(剣ッ!)


 最初の現象は優羽も知っている通りだった。掴んだペンダントが急に光を発したかと思うと、急激に質量を増していく。眩しさに目が眩みそうになるが、気付いた時には一振りの刀身がそこにあった。


 右手が柄を握りしめる。


 そこからが、優羽も知らない現象だった。


(まだ……続くのか!?)


 光が治まらない。刀身は依然として光を失わず、照らされた身体がざわめく感覚に襲われた。


 瞳を一瞬遮る黒い影は、次の瞬間にはまるでモニターを通して外を見ているかのような電子的な画面に変わり、次いで、肩から腰までの体表面に黒い鋼鉄がまとわりついて行くのを視認する。


 腰から膝は透き通った白く薄い布に覆われスカートのようになるが、けれど不安感はない。この布は普通の布ではないと確信できた。


 膝から足にかけて再び黒い鋼鉄がまとわりつき、そして光が消える。


 ようやく、終わった。


 その時間感覚はあくまでも優羽だけのもの。モニターを通したかのような視界は依然として宙にある。まだ一メートルも落下を終えていない。たったそれだけの時間の中で、自由のきかない身体は驚異的な変化を遂げていたのだった。


(変身、した!?)


 疑問は尽きず、だが身体は自動的に動き続ける。


「────」


 口が言葉を発するのと同時に身体は剣を掲げ、柄を両手で握った。

 落下速度を味方に付け、上から真下へと剣を振り下ろす。


「gyeleyeeeeeeeeeeeeeeeeeee……!」


 優羽が何かを切ったという感触を知覚するより前に、耳がその悲鳴を捉えた。


(何だ! 何がいたんだ!?)


 視界はこの身体を動かす何者かの意志と共有しているはずだが、優羽にはそこに何がいたのかが解らない。確認しようにも身体はとっくにその場所から離れ、森の中と思しき場所を駆け抜けていた。


 木々が視界の端へと次から次へと流れていく。視界はモニターのようで、優羽はいつの間にか機械の中にいるかのような錯覚に陥ってしまっていた。


 止まらない。


 この身体は止まらない。


 目に見えない何者かの悲鳴が止まらない。


 流れる景色が止まらない。



(う、くッ)



 気分が悪かった。乗り物酔いに近い胸の悪さが襲ってきて、優羽は意識を手放さないようにすることに必死だった。


 だが、それをあざ笑うかのように身体はさらに加速していき、ついには目に何が映っているのかも認識できなくなってしまう。そこに至ってようやく視界が暗転し、耳鳴りによって聴覚も失われた。


(ぁ……──)


 優羽の意識はそこで終わりを告げる。人間では不可能なその速度によって、まるで身体から魂が置いて行かれたかのように、急激に目の前が暗転し──





「ッ!?」






 今度こそ、目が醒めた。


「動、く?」


 確かめてみるが、何事もなく身体が動いた。どこにも不自由を感じない。至って普通の自分の身体だった。


(夢か? だが夢にしてはあまりにも……)


 手の甲を額に乗せると、冷や汗をかいているのが解った。この冷や汗は間違いなく、先ほどまで体験していた現象によるものだろう。


 今まで見ていた光景と体感に思い当たる節がなければ、ただの夢で済ますこともできたはずだった。それでも優羽は知っている。


(このペンダントは、やっぱり普通じゃない)


 さくらが拾ってくれたらしく、昨日、母親が持ってきてくれたそれを、優羽はそっと握る。


 微かに熱を帯びているように感じるのは、動悸が治まっていないせいだろうか。それとも、今の現象はペンダントが関係しているのだろうか。


(解らない)


 何もかもが解らなかった。


(このペンダントは何なんだ? 兄さんは何か知ってるのか?)


 優羽はただ、オーストラリアの遺跡で発掘した物だと聞いただけだった。本来は出土した物品を個人が持ち帰ることは出来ないが、このペンダントは同様の品と共に複数発見されたらしく、現場監督をしていた教授に頼んで一つだけ貰い受けた物らしい。


 古代の民芸品、もしくは狩猟していた者が持っていたお守り、というのが発掘チームの共通見解であり、聞かされた優羽もそれで納得していた。


(ただのペンダントなんかじゃない)


 優羽は上体を起こすと、恐る恐る胸元から取り出して掌に乗せた。


 こんなにも小さくて軽い物が剣へと変貌し、巨大狼を刺し貫いた。そればかりか、先ほどの光景を考えるなら変化はそれだけではない。このペンダントは全身の変化も可能にしている。どう考えても普通ではなかった。


「私が持っていて良いのか……?」


 自問自答が口を突いて出た。

 だが、答えはとっくに決まっている。優羽はすでに戦った。巨大狼も許していない。今ここで手放してしまえば、美紀の仇をとれなくなってしまう。


 それだけは嫌だった。


(もう少し、力を貸してくれ)


 せめて巨大狼をこの手で始末するまでは──優羽はそう願い、胸元にペンダントをしまう。




 ドアがノックされたのは、その直後だった。




(さくらか)


 時間的にはちょうど頃合いだ。優羽はドアの向こうにいるであろうさくらの顔を思い浮かべ、視線をドアに向ける。


「構わない。入ってくれ」


 そう告げると、ドア開いた。


「失礼、ここに八代優羽という人物が入院していると聞いてやってきたのだが、君がそうかな?」


 予想に反して、入ってきた人物はさくらではなく、見覚えのない男性だった。


 室内だというのにサングラスをかけ、黒いスーツに身を包んでいる。額には皺が刻まれ、口元には無精髭が生えいており、お世辞にも若いとは言えない。一見すると五十代後半に見えた。


「え……、と。どちら様でしょう? 私に何か用ですか?」


 さくらではなかったことに多少動揺したが、気を取り直して質問を質問で返す。


 男性はドアの前から動かず、口を開いた。


「単刀直入に言おう。その不思議な力を持つペンダントを渡してもらいたい」


 その言葉に優羽は一瞬呆気にとられたが、すぐに胸元に手をやり、ソレを服の上から掴む。


「お前……ッ、何者だ」


 遥かに年上だが、関係ない。優羽は男を睨みつけて身構えた。


 言葉を発する直前に誤魔化そうとも考えたが、開口一番でペンダントを名指ししたということは、事情を知っているということだ。変な隠し立ては無意味に終わるだろう。


 なにより、相手の素性が解らないままでは、危険に晒されることも充分考えられる。警戒しておくことに越したことはない。


「勘違いしてもらっては困るんだがな。いやなに、力ずくというわけではないさ。もし仮に強行手段に出るのなら、この場所に立ちつくしてなどいない。ドアをノックすることもなかっただろう。違うか?」


 男性は両手を広げ自分は無害だと伝えてくるが、優羽には信じられなかった。

 自分ですらペンダントの力をまだ疑っているというのに、この男は何の疑いも抱いていない。


 なにより、ペンダントのことは誰にも告げていない。現場近くにいたのかも知れないが、なんにせよ怪しいことに変わりはなかった。


「力ずくでないのなら渡す理由もない。帰ってくれ」


 たとえ力ずくでも渡さない。命に関わる戦いの後だ、優羽は誰であろうと負ける気にはならなかった。


「ふむ……。失礼だが、君について少し調べさせてもらったよ」


 突然の話題変換に優羽は訝しむ。帰るつもりはないらしいが、近寄ってくる気配もなかった。何か考えてのことなのだろうか、警戒だけは怠らないようにする。


「君の兄、拓馬君だったか? 一週間前から連絡が取れないようだな」


「ッ! お前、それをどこで!」


 警察はまだ公開捜査を行っていない。親友のさくらですら知らないのだ。

 知っているのは家族と警察、あとは拓馬の個人的な関係者くらいのものだろう。


 兄の知り合いにこの男がいない、とは言い切れないが、「拓馬君だったか?」という発言は、拓馬を知っている人物の言葉とは思えなかった。


 この男はペンダントの力と拓馬の音信不通を知っている。その二つの事情を知っているのは──、知っていていいのは、優羽だけだった。


 もし優羽以外の第三者が知っているとすれば、考えられる人物は限られてくる。


(まさか、こいつが兄さんを!?)


 優羽の脳裏で繋がった。


 ペンダントを握りしめる手には力が入り、男を睨みつける。


 だが、男の表情はサングラスによって読み取ることが出来ない。相変わらず無表情で、再び口を開いた。


「話が長くなりそうだ。今日は誰も見舞いにこないのかな?」


 一体何をそんなにしゃべりたいのか、と考える。


 母親は夕方にならないと来ないだろう。なにより、明日になれば退院だ。クラ

スメイトでも入院のことを知っているのはさくらくらいだった。


(──さくら!?)


 思い出す。さくらは十時頃に一度顔を出すとメールで伝えてきた。


 さくらが来るまで横になっていようと決めた段階で十時に近かったのだから、流石にもうここに到着していないとおかしいだろう。


 不安になり、視線を携帯電話に向ける。ディスプレイのバックライトは消灯していたが、この角度でも辛うじて時刻は読み取れた。


(十時半!?)


 予定時刻から三十分も経過していた。いくらなんでも遅すぎる。学校からこの病院までそう時間はかからないはずだった。


「ふむ。誰かくる予定でもあったのかね? 拓馬君のように行方不明になっていなければ良いがな」


 男は無表情だった。


「ッ!?」


 優羽は思わずベッドから立ち上がった。


「お前! さくらに何をしたッ!」


 これで間違いない。目の前の男は敵だ。あの巨大狼についても何らかの事情を知っていると考えて良いだろう。ペンダントの力を知っているという事実がその証明になる。


「そう慌てるな。勘違いしているようだが、私は別に誰かをどうこうするつもりはない。そのペンダントを渡してほしいだけだ」


「何が「どうこうするつもりはない」だ! 脅迫するつもりか!」


「……時と場合によっては脅迫という手段も有効的だろう」


 相変わらず無表情のまま淡々と告げる男に、優羽は怒りを覚えた。

 平然と拓馬とさくらの命を盾にしている。行方不明になった者と、その家族や友人のことなどこの男は考えてもいない。単純に命を利用しているだけだ。


(こいつもなのか!)


 この男の正体が何であるかなど関係ない。優羽にとってはこの男も巨大狼と同じだった。


 人の命を、自由を、奪う者。

 その存在は優羽の憎悪をざわめかせるのに充分な効力を発揮する。


「兄さんとさくらに手を出してみろ! 私はお前を許さないッ!」


 ペンダントの鎖を引き千切り、手に握ったまま男と対峙した。ペンダントを剣にする方法など知らない。それでも、どうにかなるという予感がある。戦いになれば自ずと力を発揮するだろう。


 男は息を吐いた。


「ふむ……、もう少し冷静な娘だと期待していたんだがな」


 もし拓馬とさくらの命を握られていなければ、この瞬間にも目の前の男を捻じ伏せてただろう。最悪、切り殺してしまうかもしれなかった。


 それでも良かった。拓馬とさくらが無事ならば、この男を切り殺して犯罪者になってもかまわない。優羽は自分でも解るほど表情が冷たくなるのが解った。


 それを見たからだろうか、男は半歩足を下げる。


「今日の所はこれで失礼する。では、いずれまた会おう。次はもう少し冷静な対応を期待する」


 そう言って、ドアを開けた。


「待て!」


 去っていく男を負ってドアへ駆け寄った優羽だったが、駆け寄るより前にドアが閉まってしまう。


「くそ!」


 慌てて開こうとして、だが、その瞬間だった。


「きゃ!? って、優羽? どうしたのよ、そんなに慌てちゃって。トイレ?」


 男がドアの影に消えると同時に、そんな言葉と共にさくらが現れた。


「さ、さくらッ!? な、なんで、ここに……!?」


 呆気にとられてしまう。まさかさくらが姿を現すとは思ってもいなかった。


「何でって、やっぱりメール見てなかった? 十時頃行くって送っといたんだけど」

「そ、それはさっき見たが……」


 言いよどんだ優羽を見て勘違いしたのか、さくらは頭を軽く下げる。


「ごめんごめん、遅れちゃって。道端で外国人に道聞かれちゃってさ。無視するわけにもいかなくって、それで案内とかしてたら──って、そうじゃなくて! 優羽、あんた大丈夫なの? 起き上がってて平気? どっか痛いところとかないの?」

「へ? ああ、私は何ともない。お前の方こそ、……、何ともないようだな」


 さくらが無事だったということに安堵し、気が抜けてしまった。


 一応先ほどの男が近くにいないか廊下を見渡すが、もう後ろ姿すら確認できない。


 一体何者なのか。さくらを誘拐したのではなかったのか。疑問は尽きなかった。


 とはいえ、さくらを心配させるわけにもいかず、


「いや、何でもない。とりあえず、入ってくれ」

「うん? うん」


 疑問は残ったようだが、従ってくれる親友にお茶でも出そうと、優羽はペンダントをテーブルの上におき、昨晩母親が買ってきてくれたペットボトル入りのお茶を、備え付けの小型冷蔵庫から取り出す。それを二つの紙コップに注いでさくらに差し出した。


「こんなものしかないが、勘弁してくれ」

「あ、ごめん。私なんにもお見舞いの品持ってきてないや」


 さくらは謝りつつ紙コップを受け取ると、ベッド脇に置かれていたパイプ椅子を取り出し、腰かけた。


 優羽とさくらは一口お茶を飲み、お互いしばらく沈黙するが、そこは何年も付き合いのある親友同士だ、自然に会話へと移行する。


 最初はお互い肝心な話題を避け、どうでも良いような日常会話を交わした。さくらが先ほど道を聞かれた外国人が美人だったとか、優羽が朝食として食べた病院食の味が薄かったなど、本当にどうでも良いようなことで笑い合う。


 そんな中でも、さくらは優羽のわずかな異変に気付いていたのだろうか。それとも、さくら自身も余裕がないのだろうか。笑っているようで笑っていない。無理をして笑っているように見えた。


 それは優羽とて同じこと。頭の中は先ほどの男が来た所為で余計に混乱していた。それを表に出さないように会話を続けるのは、予想以上に難しいことだった。


「明日には退院できるらしい」

「そうなの? まぁ、明日も学校休みだから、家でゆっくりしてなよ」


「どうかな。そもそも怪我なんてしてないからな。学校が休みなら喫茶店の手伝いでもしてるさ」

「あ、じゃあ私も行こうかな。久々に優羽の作ったオムライス食べたいし」


「ああ、それは良いな。私も久しぶりに腕をふるいたい気分だ」


 その言葉を最後に、優羽に一般的な話題はなくなった。いつもなら途切れることなく続くというのに、やはり無理をしても上手くは行かない。


 さくらも同じだったのだろう、乾いた笑いの後に、ついに口が閉じてしまう。


 無言は短い間だったが、二人の間でこれほどまで嫌な沈黙はなかった。なんとか視線を合わせようとすると、まったく同じことを考えていたようで視線が絡み合ってしまう。


 慌てて視線を外すが、その行動もまた居心地の悪さに繋がっていた。


 それでも、何時までもこうしているわけには行かない。


「ありがとう」


 優羽は、ぽつりと感謝を告げた。


「え?」


 さくらは首を傾げる。


「ペンダント、さくらが届けてくれたんだろう?」


 テーブルの上に置いたペンダントを手に取り、掌に乗せる。


「ああ、うん。拾った時は不安でしょうがなかったけどね。最悪な状況まで想像しちゃったんだから」


 今にも泣きそうな表情になってしまうさくらに、優羽は申し訳なさでいっぱいだった。


「すまない。心配させたな」

「……優羽が無事で良かった。もし優羽までいなくなっちゃってたら、私どうしたら良いか解らなくなってた」


 さくらは手を握ってきた。その手は微かに震え、声も掠れている。


 美紀を失ったショックはそう簡単に消えるものではない。優羽とて哀しみと怒りが混ざり合い、こうして落ち着いていられることの方が不思議なくらいだ。きっと、さくらも同じような心境だろう。


「ねぇ優羽、本当なの? 私、まだ信じられない。だって、昨日まで一緒に授業受けてたんだよ? 全校集会で黙祷した時だって、全然現実味がなくってさ……」


 俯いたその顔から滴が零れ落ち、さくらの服に落ちて吸い込まれていった。


「昨日まで一緒に居たのに、もう会えないなんて……」


 肩が震えている。美紀が死んでしまったことが信じられなくて、ずっと我慢していたのだろう。その気持ちは優羽にも痛いほど解った。


「ごめんね、優羽の方が辛いはずなのに……。でも、でも……っ」

「こんな時まで私の心配をする必要はないぞ? 私だって、私だってっ……」


 そこまでが限界だった。


 今まで流れなかった涙が、次々に溢れ出てくる。


「うん、ごめん……っ」


 さくらは優羽の肩に頭を預けると、小さい嗚咽をこぼし続ける。

 優羽は背中に手を回し、さくらが泣き止むまで、自らの涙が止まるまで、撫で続けた。

pv、何故ですか……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ