episode_01_03
はじめての戦闘編
「っ!?」
優羽は限られた時間の中で、ペンダントを握りしめた右手に違和感を覚えた。
ペンダントは重さなどほぼ感じられないほど小さいというのに、一瞬にして質量が膨れ上がる。
その違和感、その質量は、優羽に懐かしさをもたらした。
(重い!? けど、これは……!)
握っている。
使い慣れた感触とは違ったが、間違いない。それは“柄”の感触。
何故そんな物が手の中に出現したのか。その疑問は、今この瞬間だけは浮かんでこない。
この手に剣がある。それが解れば充分だった。
「っ!」
理解が及べば優羽が冷静さを取り戻すのに時間はかからない。
同時に、目の前の化け物への恐怖が薄らぐ。許してはおけない存在だと明確に認識できた。
それは、怒りの感情が恐怖というストッパーを無くした瞬間でもあった。
「ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ!」
地面に尻餅をついているという無茶な体勢。
あれからまともに鍛えていない身体。
忘れようとしたその動き。
優羽はこの時、二年近くのブランクを微塵にも感じさせない速度と正確さを発揮した。
「ォォォオオオオオオオッ!?」
優羽の動体視力は一部始終を正確に捉えていた。左から右へ振るった刀身が真一文字に巨大生物の口を切り裂き、牙を両断する。
(切った!)
そう確信し、優羽は跳ねるように立ち上がって距離をとる。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
心臓は破裂しそうになるほど高鳴り、息はかつてないほど荒い。
死から生還した喜びと目の前でのた打ち回る巨体への怒りが混じり合うものの、ようやく生じた疑問が行動指針となって平静を保たせる。
(な、なんだコレは……。つ、剣?)
視線は右手で握っている刀身へと向けられた。
オレンジ色に透き通った西洋風の剣。下のアスファルトが透けて見えるほど薄い刃は強度に不安を感じるが、ついさっき巨大生物の頑丈な牙を一刀両断した。脆そうに見えるだけで、信じられないほどの切れ味と強度がある。その事実から、ただの剣ではないことは明らかだった。
(ペンダント、なのか?)
直前まで握っていたのは、兄からプレゼントされたペンダントだったはず。それが、いつの間にか鋭い刃を持つ剣へと変貌していた。
(何が起こっている……!)
理解できず、優羽は手にある刀身と目の前でのた打ち回る巨大生物を交互に見据える。
このまま命があったことを喜び、逃げるべきか。それとも、美紀を失い自分の命さえも脅かされているのを良しとせず、戦うべきか。
解るのはその選択をしなければならないということだけだった。
(どうする!?)
答えに迷う。
だが、解答は頭ではなく身体が導きだしていた。
背筋が伸ばされ、あごは軽く引いて眼前の敵を睨みつけている。両手は身体の前で柄を握りしめ、刀身の切っ先を巨体に向けて構えていた。
「……!」
自分が剣を構えていることを認識した瞬間、愕然とした。戦うことを選んだことに対してではない。二年も前に捨てたはずなのに、無意識の内とはいえ剣道の構えをとっていたことに驚いたのだ。
(私はまた! もう二度とやらないと──)
と、思考はそこで止まる。
「ゥゥゥウウウウ……ッ!」
傷みに悶えていたはずの巨大生物が、ゆっくりと起き上がっていた。
片方の牙を失い、顎からも大量の血を垂れ流しながら、それでも眼光するどく優羽を睨みつけている。
「くそ!」
優羽は構えを解いた。
生半可な覚悟で辞めたわけではないのだ。使わないと決めた剣道はたとえ死んだとしても使わない。
優羽は剣を右手だけで持ち、腰を落として構え直した。
慣れない構え、慣れない本物の刃物。
剣道を使ったとしても勝てるかどうか解らない巨大生物を相手に、それでも優羽は逃げを選択しない。薄れたとはいえ恐怖は確実に存在しているが、衰えない怒りと剣を手にしたことによる昂揚感が、根拠のない自信を与えてくれる。
どうせ逃げても追いつかれるだろう。
もう戦うしか生き残る道はなかった。
跳ね上がる心臓と息を鎮めるべく、優羽は深く呼吸を繰り返し、巨大生物の一挙手一投足に注目する。
(集中しろ! 少しでも動きを見逃したら殺される!)
自分に喝を入れ、柄を握る手と瞳に力を込める。
(──戦えッ!)
優羽は覚悟を決めた。
「ガァァアアアアアアッ!」
巨大生物は口に傷を負ったことで喰うのは諦めたのか、前足を振りかぶって突進してきた。
流石に重さ数トンはありそうな突進は防ぐことなどできない。優羽は剣で間合いを計りつつギリギリの所で身体を捻った。
巨大生物は巨体に見合わず通常の獣並の速度だが、攻撃のタイミングや体の動き獣並みに単純。ならば、間合いを知る優羽に見切れないわけがない。
「ふッ!」
靴底で地面を擦り、最小限の動きにて爪の軌道上から身体をずらした。
前足は今の今まで優羽が立っていた場所をすり抜けていく。
「うッ!?」
このまま、カウンターで眉間を切るか突けば勝負は決していたはずだった。
だが、柄を握る手に力を込めるその前に、風圧が優羽を襲う。
「くそッ!」
ただの突進の風圧が人間を吹き飛ばすという衝撃に驚きながら、優羽は自分から地面を転がってその場から離脱する。
「グォォォオオオオオオオオオオッ!」
巨大生物は地面に着地した瞬間にアスファルトを抉って無理矢理身体を反転。衝撃を受け流すためだろう、足を極限まで縮ませ、その反動を利用して一直線に優羽の方へ向かってきた。
(速いッ!?)
優羽はまだ起き上がってすらいないというのに、相手は先ほどの突進より遥かに速い。十メートル以上は開けたはずの距離が、それこそ一瞬にして縮まってしまった。
「ガァァァアアアアアッ!」
巨大生物は一歩、二歩、三歩目で地面を蹴って浮き上がる。
相変わらず単純な突進だったが、優羽はまだ地面に片足をついていて間合いを計る余裕がない。
否、間合いなど計っても、人間の脚力ではこの速度に対応しきれないだろう。
このままでは死ぬ。そう直感した。
それでも。それでも、だ。
(このまま何も出来ずに──)
後先を考えている時間はない。
優羽は迫りくる巨体に向け、
「──死んでたまるかぁぁぁああああああああッ!」
ただ闇雲に、片膝をついたまま剣を突きだした。
怒りにざわめく胸中とは反比例に、剣の切っ先は寸分の狂いもなく巨体に向けられる。
動けないのなら動かなければ良い。相手は空中だ、方向転換など出来はしない。
前足と剣の切っ先が交差する。
「ッ!」
前足が届く、その直前。優羽の瞳は赤い血しぶきを確認した。突き出した剣が、巨体の右目を貫いたのである。
直後、
「ギィィィイイイイイイイイイイイイイッ!?」
「ぐッ!? が、ぁぁぁああああああああああああああああッ!」
二つの悲鳴が同時に上がった。
再び地面を転がる優羽の身体。今度は受け身など取れなかった。
直前に剣が巨体の瞳に突き刺さったとはいえ、それだけで相手の体重を受け止められるわけがなく、眼前まで迫っていた前足が引っ込む道理もない。
軌道は若干ズレたものの、優羽の左肩に前足が掠った。たったそれだけのことで肉が裂け骨が砕ける嫌な音が響いた。
衝撃によって優羽の身体は何度も地面を跳ねていく。
意識を手放さなかったのは奇跡か偶然か。
最後にアスファルトの上を滑るようにして、ようやく優羽の身体は止まってくれた。
「う……ッ、はッ、ぁ……ッ」
全身に激痛が奔って呼吸すらままならない。左腕はろくに動かず、指を動かそうと思うだけで神経が逆撫でられる。
剣を握っていた右腕も同様だった。剣が巨体に突き刺さったということは、右腕だけでその衝撃を受けたということ。筋肉の衰えた優羽の細い腕では──いや、どんな人間であろうとも重さ一トンを超えるであろう巨体を受け止めきれるわけがない。
骨が砕けるどころか腕ごと引きちぎれていても驚くようなことではなかった。
(痛い……ッ! い、息が出来ない……ッ)
激痛と窒息の苦しみの中、それでも優羽の意識は鮮明に働いている。
意識を失えば楽なのだろうが、優羽はむしろ気絶しないように歯を食いしばっていた。
「ぐ、ぅ……」
ガチガチと震える奥歯を噛みしめながら、優羽は視線を巨大生物へと向ける。
「ギャウ……ッ! ガァァァアアアア……ッ!」
巨大生物もまた痛みに耐えかねて地面の上で暴れ回り、咆哮を上げていた。左目に突き刺さったままの剣を抜こうとしているのだろう、激しい勢いで頭部を振り回している。
「ガゥウウ……ッ!」
一際勢いよく頭部が振られると同時に、鮮血をまき散らしながら剣が抜けた。
剣はそのまま地面へ落下し、その衝撃のせいか、それとも他に原因があるのか、元のペンダントの大きさに戻っていく。
「ウウウウゥゥ……!」
巨大生物は左目から夥しい血を垂れ流したまま、アスファルトを蹴り上げた。襲いかかってくるのかとも思ったが、どうやら戦意を喪失したらしく方向転換した。そのままどこかへ走り去っていく。
「う、ぎッ……」
優羽は小さくなっていく巨大生物の背中を睨みつけていたが、姿が見えなくなるより先に身体から力が抜け、地面に突っ伏してしまった。
(ゆ、許さない……! ぜ、絶対に……許さな、い……ッ!)
怒りに奮える胸中はそんな言葉を導き出し、優羽は意識を手放した。
なんかこんな感じ